Franz
Liszt(1811-1886) フランツ・リスト |
ことばは思想を裏切り 行為はことばを裏切る しかし音楽は感情を裏切らない リスト
(1855年に書いたベルリオーズについての論文から) |
年表◆19世紀
のヴィルトゥオーゾたち ※ヴィルトオーゾ=芸術の機械的技術のすぐれた人。
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年 | ショパン | リ スト | パガニーニ | その他 | ||
1782 | 10月27日 イタリアの港町ジェノヴァにて 荷物梱包業者の子供として誕生。 |
モーツアルト 「後宮からの誘拐」初演。 |
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1799 | 16歳 北イタリアへ最初の演奏旅行。 | ドラクロア、バルザック誕生。 | ||||
1804 | 21歳 ジェノヴァに帰郷。 | ナポレオン皇帝となる。 | ||||
1805 | 22歳 ナポレオンの妹エリーゼ・バッキオッキに 招かれて、ルッカの宮廷歌劇場指揮者になる。 |
ボッケリーニ、没。 第三次対仏同盟、成立。 |
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1810 | 3月1日 ワルシャワ近郊に誕生。 | シューマン、ミュッセ誕生。 | ||||
1811 | 1歳 妹イザベラ誕生。 | 10月22日 オーストリアとハンガリーの 国境の小村ライディングに誕生。 |
28歳 「ヴァイオリン協奏曲第1番」 「第2番<ラ・カンパネルラ>」は、 のちにリスト編曲。 |
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1813 | 3歳 妹エミリア誕生。 | 30歳 ミラノの演奏会で大成功。 世界的名声を得る。 |
ワーグナー、ヴェルディ、 キェルケゴール誕生。 |
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1818 | 8歳 ワルシャワで最初の演奏会。 | 6歳 ピアノを習いはじめる。 | ツルゲーネフ、マルクス誕生。 | |||
1821 | 11歳 「ポロネーズ 変イ長調」 | 9歳 ウィーンで、チェルニーに師事。 | 38歳 ローマでロッシーニのオペラ「マティルデ・ ディ・シャブラン」の初演を指揮。 |
ナポレオン、没。ボードレール、 ドストエフスキー、フローベル生誕。 |
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1823 | 13歳 ワルシャワ公立中学校に 入学。 |
11歳 4月ウィーンで最後の演奏会。 ベートーヴェンも出席。パリへ移る。 |
40歳 健康を害し、 体力が衰えはじめる。 |
ラロ、ファーブル、勝海舟誕生。 ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」 |
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1831 | 21歳 7月ウィーンを去り、 ミュンヘンを経て、9月にパリへ。 |
19歳 パガニーニの演奏を聞き感動。 | 48歳 3月パリで最初の演奏会を開く。 5月ロンドンで大成功。10ヶ月ほど、滞在する。 |
ヨアヒム誕生。ヘーゲル、没。 ゲーテ「ファウスト第二部」。 ベルリーニ「夢遊病の女」初演。 |
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ショパンとリストの交 友、はじまる。 | リスト、「ピアノのパ ガニーニ」たらんことを決心する。 | |||||
1832 | 22歳 2月パリで最初の演奏会を 開く。ベルリオーズ、フィールド、 メンデルスゾーンに出会う。 |
20歳 ショパンの演奏を初めて聞く。 | 49歳 イタリアに帰国。 北イタリアのパルマに邸を買い、安住の地とする。 母、死す。 |
クレメンティ、ゲーテ、スコット、没。 ドニゼッテイ「愛の妙薬」初演。 ポーランド滅亡。 |
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1835 | 25歳 演奏会出演をやめ、 作曲に専念することを決心する。 8月カルルスバートにおもむき、 両親に会う。 9月ドレスデンで、 マリア・ウォジンスカに会い恋愛。 シューマン、クララと知り合う。 |
23歳 ジュネーブ音楽院で教える。 長女、誕生。 |
サン=サーンス、ヴィエニャフスキー、 マーク・トゥエン、誕生。 ベルーニ、没。 シューマン「謝肉祭」。 アンデルセン「即興詩人」。 ゴーゴリ「タラス・ブーリバ」。 バルザック「谷間のゆり」。 |
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1836 | 26歳 7月マリアに求婚。 ライプツィヒでシューマンに合う。 リストの紹介でパリで、 ジョルジュ・サンドと知り合う。 |
24歳 12月パリに帰る。 タールベルクとピアノの競演。 「巡礼の年・第1年スイス」 |
ドリーブ誕生。 シューマン「幻想曲」。 プーシキン「大尉の娘」。 ミル、没。 |
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1838 | 28歳 10月サンド一家と マジョルカ島に旅行。 健康すぐれず。 「24の前奏曲」ほぼ完成。 ドラクロアが、ショパンの肖像画を 描く。ルーブル美術館所蔵。 |
26歳 ミラノとヴェネチアで過ごす。 春ウィーンに演奏旅行し、大成功。 「パガニーニによる超絶技巧練習曲」 その全6曲の3番「ラ・カンパネルラ」。 |
ビゼー、ブルッフ誕生。 シャミッソー没。 シューマン「子供の情景」 「クライスレリアーナ」 |
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1840 | 30歳 サンドとパリで過ごす。 「ワルツ第5番」 「ポロネーズ第5番」 |
28歳 ハンガリー、ドイツ、イギリスに 演奏旅行。 いわゆる”巨匠時代”始まる。 |
57歳 5月27日 咽喉結核のため死去。 | チャイコフスキー、ゾラ、ロダン誕生。 シューマン「詩人の恋」。 アヘン戦争(〜1942)。 |
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1846 | 36歳 夏をノアンに過ごし、 サンド母子と決定的に対立。 11月ノアンを去り、再び帰らず。 サンドとの仲、終わる。 |
34歳 ドイツ、ボヘミア、ハンガリーに 演奏旅行。 「アヴェ・マリア」。 |
ベルリオーズ「ファウストの劫罰」。 メンデルスゾーン「エリア」。 ドストエフスキー「貧しき人々」。 ポーランド、クラカウの反乱。 |
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1848 | 38歳 2月パリで最後の演奏会。 4月から11月までイギリスに滞在。 健康極度に悪化。 12月パリに帰国。 |
36歳 カロリーネとワイマールに住む。 交響詩「レ・プレリュード」。 「3つの演奏会用練習曲」の <第3曲「ため息」>は甘美な曲。 |
デュパルク誕生。ドニゼッテイ没。 フランス、2月革命。 ドイツ、3月革命。 マルクスとエンゲルス「共産党宣言」。 |
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1849 | 39歳 病状悪化のため、 8月姉ポーランドより来て看護。 10月17日肺結核、 咽喉結核のため死去。 |
37歳 ワグナーの「タンホイザー」を ワイマールで上演。 「ピアノ協奏曲第1番」の第一校完成 交響詩「タッソ 非嘆と勝利」 |
ワーグナー、革命に参加し、 ドレスデンからチューリッヒに亡命。 途中、リストの援助を受ける。 キェルケゴール「死にいたる病」。 |
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1853 | 41歳 ブラームスがリストを訪問。 「ピアノ協奏曲第1番」を全面改訂。 「ハンガリー狂詩曲」「ピアノ奏鳴曲」 |
ゴッホ誕生。 ヴェルデイ「椿姫」初演。 |
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1855 | 43歳 2月17日 手を加えてようやく、 「ピアノ協奏曲第1番」を初演。 ピアノの独奏はリスト自身。 指揮はフランスからワイマールを訪れ ていたベルリオーズがあたった。 |
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1860 |
48歳 |
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1870 | 58歳 次女コジマ、 ビューローと離婚し、 ワーグナーと結婚。 |
レハール、レーニン誕生。普仏戦争。 ワーグナー「ワルキューレ」初演。 イタリア統一。 |
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1881 | 「灰色の雲(暗い雲)
S.199」。 実験的な無調の傾向の曲。 |
ビスマルクがドイツ覇権を確立。 エジプトのアラビ=パシャが反乱。 |
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1883 | 73歳 ワイマールの ワグナー記念演奏会を指揮。 「メフィスト・ポルカS.217」。 最後は、不協和音が続いた後、 主調と無関係な単音で終わる。 |
ワーグナー、 マルクス、ツルゲーネフ没。 カフカ、ユトリロ誕生。 ブラームス「交響曲第3番」。 ニーチェ「ツァラツストラかく語りき」。 |
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1886 | 74歳 ロンドンを訪れ、 ヴィクトリア女王に会う。 バイロイトのワーグナー祭に出席。 急性肺炎のため7月31日、 バイロイトで客死。 |
フルトベングラー誕生。 ポンキエルリ、ランケ没。 イギリス、帝国主義への転換。 陸奥宗光、はじめて蓄音機を、 アメリカから持ち帰る。 |
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2001 | 7月 パガニーニの生地ジェノヴァで、 サミット首脳会議。 「反グローヴァリズム」によるデモが 加熱し、死者が出る。 |
リストの人生を追えば、ショパンからワーグナーまで、 音楽の歴史が古典から現代に辿り着く追体験ができる。 生まれた時はモーツアルトの時代で、 没年にフルトベングラーが生まれたなんて、デキスギ。 年表を見れば分かるように、 ショパン、パガニーニの両者の間で音楽コミューンを媒介する。 ジョルジュ・サンドをショパンに紹介したり、 次女コジマがワーグナーと結婚したり、物語たっぷりの人生。 で、作品の歴史も、時代を照らしている。 「ラ・カンパネッラ」や「ため息」のようなロマンティックな曲を経て、 40歳台の「ハンガリー狂詩曲」でエスニックの興味を深め、 最晩年にはついに無調の現代音楽の先見を示す。 それらの背景にも、ゲーテの時代に甘美な曲、 マルクスの時代に「ため息」、 ゴッホの誕生年に「ハンガリー狂詩曲」、 ニーチェの時代に無調。 ちょっと、キメすぎ? これらを意図的にリストは作曲していたと私は想像する。 たとえば、最も有名な「ハンガリー狂詩曲」だ。 リストはオーストリアとハンガリーの国境で生まれたのに、 実はハンガリー語ができず、 しかもハンガリーの諸文化とも疎遠だった。 岩井宏之は「ハンガリーのジプシーたちの異国趣味が そこに表現されてはいても、 ハンガリー民族の音楽的伝統は そこに少しも受け継がれていないのである」と分析する。 そうだとしたら、恐ろしいホドの数学的天才である。 そして、幸福な偶然はリストが74歳まで長生きしたということ。 30代で死ぬ作曲家が多い中、74年という2倍の時間が、 一人の人間に複数の時代&人物を照らせる機会を、 与えてくれた。 魅力的な人脈と共に、リストを無視することは、 私にはしばらくできないであろう。 |
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■『リスト/超絶技巧練習曲集』 演奏;スヴャトスラフ・リヒテル 1988年(ライブ) PHILIPS ◎晩年のリヒテルの境地が味わえられる。 1曲目の『ポロネーズ第2番』で見せる、 右手の”タメ”は、ジョン・ボーナム並みの重たさ! リストというと甘美なバラードが有名だが、 リヒテルは、あえてリスト最晩年の実験的な曲も、 取り上げている。 たとえば『灰色の雲』(1881)なんかは、無調だ。 『メフィスト・ポルカ』(1883)の最後の音は、 テーマと無関係な単音だ。 このCDのメインである『超絶技巧練習曲集』の 8曲は、テクニックのおっぴろげで圧巻。 同時に『第8番<狩り>』などで見せる、 激しい情念は若々しくさえある。 そしてCDは名曲『ため息』を経過して終わる。 『ため息』は、フジ子・ヘミングの カムバック第一作CD『奇蹟のカンパネラ』の1曲目でもある。 フジ子ちゃんには悪いが、リヒテルの貫録勝ちだ。 リヒテルの殺気は、スゴイ。 |