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『裏口のイノセンス』 2003年6月7日(土) 晴れ text by 久保AB−ST元宏 午前6時。目覚し時計の頭を叩き、右足の親指でテレビのスィッチをオンし、お湯を沸かす。いつもの大きな寿司屋用湯飲み茶碗の上に直接、白磁のコーヒー・ドリッパーをのせて濃いやつをたっぷりと作る。 シャワーを終え、玄関で新聞を抜き、ドライヤーで髪の毛を乾かしながら、日本経済新聞を読む。 1面下のコラム「春秋」の出だしは・こんなんだ。 ↓ ・先の日韓親善サッカーでも決勝ゴールを決めた韓国の安貞桓(アンジョンファン)選手が、自慢の長髪を切って軍隊入りしたという。 ↑ 私がこの4月に長髪を切った時、イラク戦争が終盤であったこともあり、「戦争に行くの?」と軽く聞かれたものだが、男性の兵役が義務づけられている韓国においては「長髪を切」ることの意味が重く存在しているのだ。だいたいにして「一度に千八百回の旋回ウサギ飛び」をさせられる韓国軍隊、恐るべしであり、それを通過しているのが全ての韓国成人男性であれば、あの不思議な韓国テンションの出所も想像に容易だ。 このコラムは「きょうの日韓首脳会議でも現状認識を共有できるだろうか。」で終わっている。 つけっぱなしのテレビでは、日韓首脳会議を祝うニュースと、北朝鮮の貨客船「万景峰(マンギョンボン)92」を呪うニュースが別枠で報道されている。まったく交差されない言葉で並べられた二つのニュース。実はこれらは、二つのニュースではなくて、一つのニュースなのだ・が。 ああ。「祝う」と「呪う」も似た漢字&感じ。あとで、白川静の本で調べておこう。 髪の毛が乾いてからコーヒーを飲みながら、今度は日本経済新聞の裏のページを読む。 ロバート・キャパの写真「パリ解放 パレードを見る少年」(1944年)。戦車の上でにらみ付けた表情で鼻クソをほじくっている3〜4歳の少年だ。ジョン・レノンが1940年生まれだから、この少年はビートルズと同級生か。 戦争は勝敗のどちらかで見るかによって語彙が変わる。ドイツにとっての無残な敗戦もフランスにとっては栄光の「解放」なのだし。周知のように第二次世界大戦後、ドイツと朝鮮は二つの国に分けられた。それは国家というものを擬人化して語るとすれば、まさに二重人格を平行して同時に生きるとゆーことだ。 作家にして映画監督の矢作俊彦はドゥマゴ文学賞を受賞した代表作『あ・じゃ・ぱん』で、第二次世界大戦後に日本が東西に分断された壮大な偽の歴史小説を書いている。こーゆー想像は無駄な空想ではなくて、1945年の時点ではドイツ、朝鮮、イタリア、日本などは強制的に二つに分断されていてもおかしくはなかったハズである。 重要なのは「二重人格を平行して同時に生きる」ことへの想像力であり、その行為は現代人であれば実は誰もが簡単に実行していることである。いや、むしろ「二重人格を平行して同時に生きる」ことをしなければ、「社会」とか「世間」と言った面倒な巨人とお付き合いすることができないのかもしれない。 だから、我々は日韓首脳の笑顔の握手と、「万景峰(マンギョンボン)92」への拉致家族のシュプレヒコールを重ねた図として見る必要がある。「テレビから得た情報」には、そんな態度でのぞみ、自分の中に独自のテレビ再生装置のソフトをインストールしておかねばならないのであろう。 キャパの写真の横には文化記事「戦争を詠む短歌」。文化部記者の小島充の署名入り記事だが、多くの歌人に取材していて、なかなかよくできた記事。 この記事のコンセプトは、テロや戦争を短歌で詠む時に「テレビから得た情報」でしか作れないジレンマである。たとえば、1991年の湾岸戦争の時にテレビが映し出した油まみれの鳥を詠んでも、映像自体が「作りもの」と判明すれば、歌の基盤は崩れる。そんな姿勢を「よほど注意しないとテレビ詠の域を出ない」(歌人小高賢=58歳)と批判する声も多く、「湾岸戦争」以降、歌人も慎重になったそうだ。 衝撃的なテロや戦争の映像は歌人にかかわらず、「表現」をする者にとっては魅力的な題材であり、すぐにでも飛びつきたくなるモチーフである。しかしそれがかつての太平洋戦争などのように実体験したものではなくて、テレビ鑑賞による二次的な体験にすぎないと気が付いた時に表現者は口ごもり、失語症になるのであろう。 しかし、そんな理由で人類史に残る目前の大火を無視するのもまた馬鹿馬鹿しい。 前衛短歌の岡井隆(75歳)は「テレビで見たことをそのまま詠んでも歌にならない。浮かんだ心象を別のものに変えるため一歩引いた視点が必要」と文学の持つ抽象的な方法論のパワーを説く。実際、NY911直後の新聞の短歌俳句の投稿欄にはテロを憂う作品が膨大に紹介されたが、ワールド・トレード・センターにつっこむ旅客機の映像に勝る作品の記憶は私には無い。現代歌人協会理事長の篠弘(70歳)は「時事問題を詠んだ短歌は画一的、公式的になりやすく失敗の連続の歴史だった。」と正直に告白する。 実際、短歌だけにかかわらず、現在店頭に並んでいる月刊誌&季刊誌のイラク戦争に言及している記事には少々マヌケなものが多い。たとえば、創刊号で「反戦」写真を掲載して話題を呼んだ雑誌『FOIL』の創刊第二号の編集後記には「ついに戦争が始まってしまった」と熱い反戦をうたう文章が連ねられているが、この雑誌が書店に並んだ時には、すでにイラク戦争は終了していた(笑)。こんな間の悪い反戦メッセージがけっこーあるんだ。 実際、あれほど盛り上がった日本の「反戦」デモもイラク戦争が終結してみれば、シラケた雰囲気。デモの主催者は密かに「予定されている次のデモまでは戦争が終わらないでほしい」と願っていたのではないか(笑)? 誰もが分かりやすい敵を見つけ出してお祭りをするのなんて、ニッポン人の得意技なんだねぇ。 この渦巻くジレンマ(笑)に、歌人三枝昂之(59歳)は「成功しやすいかどうかで題材を選ぶべきではない。人々が関心を持つものに反応できないと詩歌も生命力を失う」とまぶしい(笑)直球アンサー。この新聞の特集記事もこの発言で締めくくられている。 このテレビを前にした表現者のジレンマの問題を一言で言えば、「情報不足」への疑心暗鬼であろう。しかし私は「情報不足」と自覚できるようになっただけ人類は進歩したと考えるべきであろう・と思う。メディア・リテラシーをここで論じるつもりはないが、夕食の食卓での父親の権威の失落と同様に、情報デフレは情報への懐疑を生んだのがここ30年の市民生活である。 この特集には時事ネタで成功した例として、加藤治郎(43歳)が今年の4月19日に詠んだ歌を紹介している。まさにイラク戦争にメドが付いた直後である。 こんな歌だ。 ↓ ・こんなふうに終るのはなにも戦ひや恋だけではなく夕映えもさう ・戦争の終わる日に降る灰色の雪は無数の耳なり消える 新聞記者は「現実感の薄い心象風景」に「犠牲者が幻のように消えるイメージ」と説明したが、この言葉は私に今日見に行く予定の画家、矢元 政行のイメージを感じた・のだが。 午前8時からの仕事は、関東に住む韓国語教師へのコメの通信販売からであった。 土曜日は全国の商社が休みなので米の相場が止まる。だから大口の取引よりエンド・ユーザー向けの販路の整理をしてみる。それでも不気味なのは大口取引相場である。今週はそこそこ利益が出たが、なんだか気温の上がる来週の予測が不安である。ま、いっか。 本当は今日は午後6時から札幌で米業界の商談会があるので、それを利用してギャラリーめぐりもしたいので、スグにでも120km先の札幌へ出発したいのだが、午後1時からの「花いっぱい運動」とかゆーボランティア運動(笑)に参加せねばならぬ。 なんだか&よく分からないが、役場の前に積み上げられた黒土を30cm×60cmぐらいの鉢に入れて花の苗を3つづつ移植してゆき、それを数十個作って自宅の近所に並べる(笑)。 こまったことに、今年最も暑い日で汗だくになって土仕事(笑)。 とにかく早く終えて札幌へ!ギャラリーめぐり!と思っていると、一緒に作業をしていた近所のオジサンたちが、「鉢に入れる花は全部同じ花にしたほーが通りに統一感が出て美しくていい」とか「いや。バラバラの種類を植えた方がバラエティになってイイ」とかゆー論争を始めた。 おいおい。 集まったオヤジどもが一斉に、腕を組みつつ無言で、頭の中で「同じ花が並んでいる町並み」と「違う花が並んでいる町並み」を想像してみる。まったく滑稽だが、彼らは真剣だ(笑)。 なんだか、北と南に分けられた朝鮮をパラレルに想像しているみたいだ。 早く札幌に行きたい私にはその選択がどちらかになるよりも、結論が早く出る方を好んだ。 結局、町中、同じ赤い花で埋まる。 私は汗を拭き&拭き、カーステ用のCDをガバッと鷲づかみにして、ミーのカーで札幌へ。 ああ、なんてエレクトリック・マイルスは自由なんだと1970年のアルバム『Live=Evil』の爆音を浴びつつアクセルにベタ足。このアルバムのジャケットの絵はAbdul Mallによるシュールな具象画であるが、1969年録音の歴史的名盤『ビッチェズ・ブリュー』のジャケのMati Klarweinによる絵をさらに悪趣味にした(笑)かのよーな、いかにも1970年とゆーヒッピーな絵だ。 『Live=Evil』とゆーアルバム・タイトルはワシントンD.C.のクラブ「セラー・ドア」でのLiveと、そのつづりを逆にしたEvilと名づけたスタジオ録音を交互に並べたのが由来らしい。 ライブとスタジオ録音の差はベーシストかもしれない。スタジオ録音では、懐かしのロン・カーターが優雅なウッド・ベースを弾いていたり、前年の『ビッチェス・ブリュー』でフリー・ジャズの知的な演奏を見せたデイヴ・ホランドがクールなベースを弾く曲が合わせて4曲ある。 んが(笑)、ライブではマイケル・ヘンダーソンがエレクトリック・ベースを肩から下げてファンキーなリズムをグイ&グイとステージ上にバラまくのだ!さらに、ジョン・マクラフリンのエレキ・ギターが、まるで「ジャズ?知らねぇーよ。」つー感じで弾きまくるのだ。 こんなジャズ/ロックの分水嶺の瞬間がパッケージされた2枚組みの大作のリーダーがダンモのカリスマ=マイルス・ディヴィスであることに、ジャズ喫茶でフォー・ビートに合わせて首を振りつつ覚めた表情で冷めたコーヒーを飲んでいたジャズ・ファンは、違う理由で首を振りつつこのアルバムを迎えたことであろう。この直後の去勢フュージョン・ブームは、そんな保守的なジャズ・ファンを救い上げ、マーケットでも成功したのであろう。 だが、マイルスの永久革命は死ぬ1991年まで続く。なにしろ、この1970年のアルバム『Live=Evil』の最後の曲のエンディングは、「I Love Tomorrow.」というナレーションで締められているのだから。 沼田町〜札幌市の片道120kmは、2枚組みのCDを堪能するのに丁度いい視聴室だ。 ウェイン・ショーター、キース・ジャレット、チック・コリア(←オヤジ頭の韓国人では無い)、ハービー・ハンコックなどなどのスゴスギル天才ソリストが16人もとっかえ&ひっかえ出て来るが、最後にマイルスが出てきて「おら、おら、てめーら・どきやがれ」と、ブバァーッと決めて美味しいトコ総取りな魅惑の爆音を楽しんでいたら、歩道には同じ赤い花で埋まっていた。あらら、沼田と同じだね。と、思ったら、それらは花ではなくて、同じ服を着た集団であった。同じ服を着ている人に拒否反応をしてしまいがちの社会性の無い私には、まずは拒否反応であったが、これこそが明日「感動の」フィナーレを迎える「YOSAKOIソーラン祭り」の踊り子様たちなのであった。札幌の中心に向かうにしたがって、いる&いる、自慢げにナルシズムをバラまいて、続『花の応援団』みたいなヤツラが。これって趣味がいいのか悪いのか。アパレル・テナント・ビルの4プラも出場されていらっしゃるんだから、とても良い趣味のファッションなのでしょう。趣味の悪い私にはとても着れない素敵な衣装である(笑)。 だいたい、同じ服を着て、同じ方向を見て、同じ踊りをするなんざ、たのむから私を入れないでくれぇ〜。で・ある。それでも、これらは楽しい「趣味」なのであるから、良い、とゆーご意見もあるだろーが、祭りの犯罪はこうして見たくない田舎者の私の目にも入ってしまう暴力である。 そして何よりも私が疑問に思うのは、YOSAKOIの集団が北海道全域に存在することにより、北海道各地の祭りの中に取り入れられて、その結果、海辺の港祭りも、山奥の神社祭りも、画一的なYOSAKOIコーナーがメインになってしまうのだ。私はYOSAKOIの創始者である長谷川岳(がくっ。)氏に数回会っているのだが、ある北海道道庁主催の飲み会の席で「北海道中の個性的な祭りが、どんどんYOSAKOI一色に染まってきている。これは、YOSAKOIファシズムではないのか!?」とスピーチして主催者の道庁職員を青ざめさせ、長谷川岳氏を「がくっ」とさせて「ただ今、ファシスト呼ばわりされた長谷川です。」と返礼スピーチを受けた経験の持ち主である。すみません、みんなと同じ踊りができないんです、私。 札幌大学を追い出された山口昌男さんが新聞に「YOSAKOIは竹の子族?」みたいなちょい批判記事を書いていたけど、賛成できる感性ですなぁ。 STVテレビのスピカ広場には、さらに多くのYOSAKOI出場グループが点々と休憩をしているのが車窓から見えた。練習しているグループもいるぞ。なんだか、はちきれんばかりの明るい笑顔で踊っているゾ。特に全員で決めのポーズで静止する瞬間の笑顔は何ルックスだ?彼らの明るい笑顔でこの夏の電力不足を補え! あああああ。私、笑顔が怖いと思ったのは故スタンリー・キューブリック監督の映画『シャイニング』の主演ジャック・ニコルソンの狂気の笑いが最高であると思っていたが、青空の下の天真爛漫な笑顔の方が怖いと気がついたぜ。 おいおい、マスコミさん。明日は札幌市長再選挙の投票日だよね?まったく選挙カーを見ないぞ。YOSAKOIだらけだぞ。それとも、「政治」こそが、元祖☆天真爛漫<作り>笑顔@武富士ダンスか!?ふにゃ&ふにゃ。 んで、いつものよーに、札幌駅前をキラー・スルーして、北5条通りのホテル・ドラールへ。 ああ。ここはYOSAKOIの喧騒も無く(笑)、ロビーに続くギャラリーも私で独占じゃ(がくっ)。 ホテルからチェック・アウトしてゆく客が支配人に、「ヨサコイってー今日なの?」とか聞いている。ああ、とてもいいじゃあーないか(笑)。 今年の1月26日に、初めてここの「ギャラリーどらーる」へ訪問してから半年が過ぎ、一カ月ごとで入れ替わる作家も今回で4人目だ。 思えば、初めて訪問した時は、日曜日で休廊であった「時計台ギャラリー」の前で、がくっ・と、しつつも、11件のギャラリーを回って、予定の米屋業界の新年会+商談会ススキノ会場に遅れると分かっていつつも「もう1件」と欲張って円山方面からグルリと回ってたどりついた「ギャラリーどらーる」であった。つまり、余裕のない時間でたまたま追加で赴いただけであった。最初はネ。 そもそも、初めてのお使い・ならぬ・ギャラリーめぐり事始をしたのは、昨年末にEメールのみ(笑)で知り合った美術新聞『elan』の浦澤編集長の紹介で知り合ったエルエテ・ギャラリーで憶えた魅力からであり、エルエテの渡辺オーナーに教えてもらったネムイ@ヤナイ氏のギャラリー紹介ホーム・ページで広がった芳醇な札幌のギャラリー事情への興味からであった。 そう言えば、『elan』の浦澤編集長が姿を消したというが、その後どうなったのか? 私が初めて見た今年1〜2月の「ギャラリーどらーる」は恒例の年間展示予定10人の作家のインディックス的お披露目展であった。 私はその1月26日、10件目のギャラリーとして初めてここに訪れたワケだが、それまでの9件のギャラリーを回りつつも、何時の間にか私は絵を楽しむよりも、ギャラリーという不思議な組織力を持った空間に対しての興味を持ってしまった。つまり、この日回ったのは、大通り南1条西3丁目という北海道一の商業エリアの中で空中庭園のように下界とまったく違った空間をキープしている「さいとうギャラリー」であり、これぞ都市型ギャラリーの「コンチネンタル・ギャラリー」であり、木造モルタル二階の狭っ苦しい古本屋にあえてスペースを割いた「古書ザリガニヤ」であり、建物自体の方が美術価値がありそーな「札幌市資料館」なのであったし、おいおいこんなのアリかよーてな具合にブッ飛び未来都市な「北方圏学術情報センター・ポルトギャラリー」であり、ハイソな奥様の魅力的な隠れ家「ギャラリー愛海詩」であり、そのチープなたたずまいが実は猛毒を潜めているかのような確信犯である「TEMPORARY SPACE」なのであった。 今、思い返せば作家の先生たちには申し訳ないが、やはり私は作品よりもギャラリーそのものを楽しんだ印象が強い。 それでも思い返せば多くの作家の作品の総括の印象としては、「マンガ絵の影響からの距離のとりかた」・とゆーコトだ。 かつて「変態少女文字」と1980年代に名付けられた丸っこい文字を書く若者も40歳代になり(=私だ・笑)、いよいよ日本の文字もサラサラ筆文字がトコロテン方式に歴史と墓標の彼方に消え入りそーなのだが、アートの世界でも同様であることを再確認せざるをえないギャラリーめぐり事始であった。つまり、マンガのインフルーエンスを受けていない世代の消滅である。 その日は結局、次の仕事の予定がススキノのホテルであったので、「もう一軒」と「札幌道立文学館」へ行き、そこで「森雅之まんが原画展『散歩しながらうたう唄』」を観て、私のギャラリーめぐり事始を締めくくったのであるから、結果的にこの日は、美術とマンガの距離が最後まで脳味噌をうろついていた。ちなみに、この時、「札幌道立文学館」の地下のロビーでギョロ目の紳士(笑)と目が合ったが、それがかの美術評論家=柴橋伴夫さんであった。 もうすでに現在の60歳以下はマンガ世代と言っていいだろう。特に幼少の頃から絵を好きであった者は、どーしても身近な絵の教科書としてマンガを参考にするのがむしろ自然である。しかし、その結果、絵筆の手癖にマンガの影響が残ってしまうのであると思う。特に人物にその影響が色濃く残るのであろう。それをリキテンシュタインから村上隆までの手法にドップリとゆーのも一つの方法論でろう。しかし、それらは所詮、「方法論」の美術であって、結局マルセル・デュシャン=レディ・メイドの異形の末裔にしかすぎない。それでは、それぞれの作家が本来持っているアイデンティティとしての「手癖」とは何だろう?という疑問が膨らむ。 たとえば、マイルス・ディヴィスの「手癖」とは何だったのか?1970年以降のエレクトリック時代の録音もマイルス以外のミュージシャンの音を抜けば、「マイ・ファニー・バレンタイン」や「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」の頃の演奏と同じだ、と書いていたアメリカ人がいたっけ。 さらに、「手癖」を持たない者は集団に身をゆだね、多数決の結論に同調する快楽の中に自己実現を求める。YOSAKOIの笑顔のように。 しかし、多数決の方角から流通してくる情報を元にばかり表現活動をすれば、「よほど注意しないとテレビ詠の域を出ない」(歌人小高賢=58歳)と批判される短歌を作ってしまう。 そんな素人の余計な勘違いの疑問に心地よい方向を見せてくれたのが、ギャラリーどらーるで見た矢元政行の作品だった。まず、彼の描く人物にはマンガの影響は少ない。むしろ、マンガを読まずに、書かずに育った昭和ヒトケタ以前の世代が描く無垢でプリミティブな人物画にすら見える。それが結果的に個性になっているのかもしれない。矢元の作品は大きな絵に数百人を軽く超える約3cmの小さな人物が時には500人を超えるほど無数に登場するので、その人物画の造形よりも先に構造の特殊性に気が惹かれてしまうから、なかなかマンガ絵との遠い距離であるという発見を話題にする意味が少ないのかもしれない。 しかし。しかしである、今回の矢元展のDMに寄せられた柴橋 伴夫さんの文章には「子供のいる状景」とゆータイトルが付けられている。 あー、柴橋先生、また&また、ごめんなさい。先生の(いい意味での)ギョロ目でも人物のディテールが見えなかったのでしょうか。それとも、細かいところにばかり気が付いてしまい、全体の構図を把握できないのは商店の三代目の欠点なのでしょーか。 絵画の評論は作者に読んでもらえば噴飯物の場合もあると言いますので、私の意見は矢元さんに笑われるかもしれませんが、今回の矢元展に登場する人物のほとんどは子供じゃーあーりません。オトナです。よく見てください、ペニスが勃起しています。え?子供でも勃起するって? まぁ、まぁ、そー言わず。セックスをしようとしている人物画像すらあるんですし。え?「どこだ?」ですって?ほら、凸型の『Tower』(148×162)の最下部には露出した股を広げる女性にかぶさる男性とゆー性的なスタイルの2人が描かれています。え?子供でもセックスするって?・・・すみません、勉強不足でした。 とにかく、この作家にとって起立したペニスはフロイトが喜びそーなぐらい象徴的に多用されている。 1〜2月のインディックス的お披露目展示にも紹介されていた傑作『生き物たちⅡ』(32×162cm、70万円)は、奇妙なソーセージ状の生き物の上に無数の人物が配置されている。これらの無数の人物を「子供」と呼ばないことにすると同時に、「小人(こびと)」とも呼んではいけないような気がする。年齢もサイズも所詮、相対的な社会概念にすぎないのであるから。 さて、この絵の全体を占めている巨大なソーセージ人間(?)には12本の足があり、2本の手がある。さらに見逃せないのは、12の乳房があり、同時に2本の勃起したペニスがある。さらに、2本のペニスの真ん中のペニスらしきモノは、どうやら木の棒らしい。かなりゆがんだ深刻なユーモアだ(笑)。 そのペニスに気付いた後に、離れた位置から絵の全体を見てみると、どうやら巨大なソーセージ人間(?)そのものが1本のペニスに見えてくるのだ。 私はなぜかその時、エレクトリック・マイルス初期のライブを批評した藍良章の文章を思い出した。 ↓ 「左チャンネルからのキースのオルガンと右チャンネルのチックのフェンダー・ローズが絡み合い、ディジョネットとアイアートのリズムがくるおしく舞う。そしてその祭壇中央には、マイルスのトランペットが象徴的ペニスとして屹立している。」 ↑ ああ、「屹立」か。印象的な単語だ。そー言えばディジー・ガレスビーのトランペットは屹立していたなぁ。 屹立と勃起は違う。矢元画伯が描くペニスは屹立せずに水平に伸びている場合が多い。つまり屹立した人体に直角にペニスが位置しているのだ。しかもその人物は皆、釣鐘状に腹を突き出し、腫れぼったい目をした東アジア系の顔だ。髪の毛は短髪で、飛び降りる時のみパンク・ヘアのように逆立つ。つまり飛び降りない時は頭の形が分かるようなペッタリ・ヘアだ。 なんだか全ての人物がペニスに見えてきた。そんな私は病気か(笑)? えーと、つまり、屹立したペニスとしての人物から垂直にペニスが伸びる。それはまるで、不完全な十字架のようですらある。 そうか。全ての男は、不完全な十字架なのか。そして年老いてついには十字架は1字架になる・のだが。 「象徴的ペニスとして屹立」という言葉が頭から離れなくなると、矢元画伯のテーマが透けて見える。おそらくは過剰な誤読であろうが、頻繁に使われる屹立する「塔」のイメージや白いものを吐く屹立した煙突、さらには誇張されたように太く垂直に屹立する樹木、それらをペニスの隠喩と勘違いする権利を見る者には与えられる。 すると、私はこんな人物も発見した。『回旋塔Ⅰ』(162×62)の下の方には、勃起したペニスを持ちながら乳房を持っている両性具有の人物がいたのだ。つまり、この人物は一人の人格の中に男と女を持っているのだ。 引き続き誤読することが許されるのであれば、私はこの両性具有の人物に、「二重人格を平行して同時に生きる」ことへの想像力によって創造された過程を想像することができる。つまり、北朝鮮でありながら、同時に韓国でもある存在。北朝鮮人が韓国人ではなかった確率は、男がたまたま女ではなかった確率と同じ数値である・ハズだ。 SF小説でよく使われる手法にパラレル・ワールドというのがある。 同じ土地に同時に別の世界が存在しているという考え方だ。小説の中では、その別の世界に何かの拍子で踏み込んでしまい、同じ環境であるのにまったく違う世界が繰り広げられるというストレンジ・ワールドだ。 村上龍の小説『五分後の世界』も、その手の手法を使っている。つまり、「現在より五分間時空のずれた地球では、もう一つの日本が戦後の歴史を刻んでいる。日本は太平洋戦争で全国に5個の原爆を落とされ、アメリカ軍と本土決戦をした後、敗戦し、国土を4つに分割され、それぞれソ連、アメリカ、イギリス、中国に分割統治される・・・・・・」とゆーストーリーだ。 そんなコトをボケッと考えながらギャラリー会場をグルグルと何度も「回旋」していたら、突然、重要なことを発見した。 それは次の二つだ。 1.矢元画伯は、おそらく最初に風景=舞台を描いて、その上に人物を描いている。それはまるで準備された箱庭で子供が人形遊びをするかのように、「ここに人間がいたら面白い」とか「この窓から手だけが出ていたら面白い」とか思いながら、どんどん人物を加えていったのであろう。 2.約500人もの大勢の人物が描かれているのに、私は人物同士が目を合わせている状態をたった一つなりとも発見できなかった。 描かれている人物はどれもがほぼ半透明だ。まるで幽霊だ。それは上記の「1.」による手法からかもしれない。 私は当初、幽霊のように半透明の人物を見て、これは廃墟に棲み付いた幽霊一族かとも思った。 しかし、上記の「2.」を合わせて考える時、これは同じ幽霊であっても一族ではなく、それぞれの幽霊が独立した別のパラレル・ワールドに棲んでいて、その無数のパラレル・ワールドを合わせて描きだしたのではないのか、と思った。つまり、キャンバス上に500人の人物がいるとすれば、500の別の世界が存在し、500人の幽霊はお互いが見えない。しかし、矢元画伯にだけはその500の世界が瞬時に見えて、それを描きとめたのがこれらの作品である。と、私は思う。それは私だけの勘違いであろう。それでも、未だに私はそう思い込んでいる(笑)。 つーコトは柴橋さんのDM評論のタイトル風に言えば、「子供のいる状景」ではなく、「幽霊のいる情景」か? まぁ、いずれにせよ、同じ群集劇でも、YOSAKOIのような管理された健康さはここにはまったく無く、ひたすら自由な不健康さの饗宴が延々と続けられているのだ。 YOSAKOIには集団が一緒に行動する、健康的な仲間意識がある。矢元画伯の絵には明らかにYOSAKOIのように奥歯まで出して笑う(=笑わされている)健康さへの居心地の悪さを感じさせる。 こんな私のタワゴトを読んで、矢元画伯の個展に足を伸ばしたお方は、絵の中にまったく人物がいない、まるで核戦争後の世界のような『遠い風景』(22×73cm、20万円)を思い出されたことであろう。 おそらく、矢元画伯はいつものように下絵としての風景=舞台を描いてから、さてさてと手をもみつつ、どこに人物を書こうか〜と考察したことであろうと思う。そこで、ふと、こりゃあ人物を書かなくてもこの風景のみでもイケてるゾと思ったか。もしくは、ここには見えない幽霊が無数に存在していて、ただ見えないだけだ・とゆー、コンセプト絵画を描いたか。はた&また、個展開催の期限がきてしまい、製作の時間切れで、人物を描けずに見切り出品しちまった(笑)か? そして私はこんなことも思うのだ。もしかしたら矢元画伯は、この個展が終わったらこの作品に人物を加えて、次の機会に再出品するのかもしてない(笑)、と。 ちなみに、『遠い風景』(22×73cm、20万円)と同じタイトルで同じ風景の『遠い風景』(53×174cm、90万円)が隣に展示してある。『遠い風景』(22×73cm、20万円)は無人であり、『遠い風景』(53×174cm、90万円)には得意の幽霊(?)の群集がいる。これはまるで、『着衣のマハ』の隣に『裸のマハ』があるようなもんで(?)。んにしても、人が加わると絵の価格が4倍以上になるんですねぇ〜。がくっ。 いずれにせよ、あえて人物のいない『遠い風景』(22×73cm)にはネガティヴであるのに見る者に不思議な吸引力を感じさせる。それは過剰に人物を描きこんだ周りの作品群との相対的なモード価値の浮上でもあるかもしれない。しかし、私はこの絵を見ていて、同じここギャラリーどらーるで、かつ同じ6月に開かれた神田一明画伯の2001年の個展のDM用作品『廃墟物処理場への道』(F50号)を連想してしまい、その理由に思考が宙に浮いてしまった。 乱暴を承知で言うならば、矢元画伯の絵のタイトル『遠い風景』と、神田一明画伯の絵のタイトル『廃墟物処理場への道』を交換しても違和感が無いのかもしれない。 なぜ私がそんなことを言うかというと、実は『廃墟物処理場への道』がギャラリーどらーるで発表された年の秋に私は旭川市のヒラマ画廊で開かれた神田画伯の個展に行き、この絵の前で作家本人に、失礼ながらも「この絵のタイトルは変えたほうがいいのではありませんか?」と生意気に提案した記憶があるのだ。すると神田画伯は読んでいた内田康夫のミステリーをテーブルに置いて、「じゃ、久保さんがタイトルを付けてください。」と少し微笑みながら言われた。そこでとっさに気の利いたことを言えばカッコがイイのだが(笑)、数秒考えてみて私の貧しい脳味噌に浮かぶ言葉はデコレィティヴな文学臭いタイトルばかりであった。そんな文学の匂いと比べると『廃墟物処理場への道』という即物的なタイトルの硬質な力強さの方が遥かに際立っていたので、私は「すみません、思いつきません。」と情けない笑顔で言うしかなかった。 そうだ。矢元画伯の絵にもロシア文学やラテンアメリカ文学のような野性的な群集劇の匂いがする。しかし、絵の持つ文学性と比例せずに、彼は絵のタイトルには、それほどこだわりがないようだ。私のような人間には、そこが少しものたりない気がする。それでも、彼の絵のタイトルで言えば巨大な岩石にある窓から手や足が出ている不思議な『岩窟都市』(52×130cm、70万円)のユーモアや、温泉と楽園のダブル・ミーニングな『ウォーター・パラダイス』(F3、20万円)などは、この作家が言葉を創造する力も持っていることが分かる。 作画の方法論にも触れてみよう。たとえば『方舟』(F50)に登場する方舟には柱が10本ほどあり、その柱の構造を無視するかのように平面的に四角く彩色しており、その線画と合わないハーモニーを拒否する彩色そのものが重なり合う空間世界の幻のような印象を与える。と、同時にキュビズムをも思い出させる不思議な効果を生んでいる。 また、この方舟には船底に支えの役割をしているかのような三角形の突起物が9箇所にある。それぞれ、具象絵画らしい彩色がされているのだが、一番右奥の三角形だけが、ただ白くベタ塗りのままである。全体が暗い茶系の色で統一されているので、この色紙を貼ったかのような平面的な白い部分は塗り残しのようにも見える。しかし、先に述べた線画と合わない彩色と同様にこれが意図的なものであるとすれば、この作家の目指すところがかなり遠くである気がする。 色の話をすれば、ほとんどの作品は廃墟のような鉄錆を連想させる茶系である。しかし、廃墟にしては、白い水が噴出していたり、白い煙が穏やかに昇っていたりして、裏づけの取れない「生活臭」がある。こうして背景はアースカラーなのだが、人物の服装がピンク、緑、青、黄色などの人工的な原色である。中には西洋のピエロを連想させる衣装を着ている人物も多く目立つ。この背景と人物の色による役割分担も、後付けで人物を描いているのであればこそのトッピングなのであろう。 また、大作の絵の具が剥がれかかっていたり、それを修復した跡のような部分も気になった。 『塔』(S100)の中央よりやや右の部分が、はからずも絵の具がハゲていて、下地のピンクが見えていた。これも意図的?・・・じゃあナイよね。 さて、古代神話を連想させそうな土着のイメージの作品群であるが、最も神話性を帯びているのが人物無しで、二等辺三角形状にそびえたつ、やや下半身デブな(笑い)樹木を描いた『樹』(F0、7万円)であろう。この絵は大江健三郎の本の表紙としてピッタリなんじゃあないかな? この『樹』と同じ木が数本立っていて、その内のいくつかがカゴに入れられている絵もある。 『樹のケージ』と名付けたくなる絵だ。 木をカゴに閉じ込めるとは、どういうことであろうか?鳥や動物をカゴに入れるのとはまた違ったイメージが沸く。ここでは、自然保護的なヒューマニズムを持ち込むのはナンセンスであろう。また、何らかの寓話を思い出すのも同様であろう。 私は木への畏怖と、それをカゴに閉じ込めることで安心しようとする愚かさを感じた。そこにあるのはある種の狂気であろう。 この木を囲むカゴは直線で引かれている。同様に『塔』シリーズの小品に描かれた、やや円錐形の塔にも縦と横の線が引かれている。この両者の線は、作者の意図的な作業なのか、正確な線になっていない。どうも行き当たりばったりの線のようだ。もし、建築物としてのカゴや塔を正確なパースペクティヴで再現しようとするならば、もっと数学的な配置になるべきであった。それとも、作者の興味はそこには無いという表明のための不規則な線なのか? 直線に矢元画伯の弱点を見ようとすれば、いきおい『生き物たち』『生き物たちⅡ』で見せた曲線の造型に安定した作風を求めることも可能だ。 しかし、各作品で多用されている一見、螺旋状に見えるハシゴや線路が実は正確な螺旋を描いていないように、下書きさえすればクリアすることをしていないのであるから、ここは作家の意図であると受け取るべきであろう。 私が初めて韓国に行った1993年に、ソウル市の中心に横たわる黄河のように広い車道に驚いたものだ。いったい何車線あるんだ?5車線?6車線?つー感じであった。しかも、韓国のドライバーは1960年代の日本のように頻繁にクラクションを鳴らす。だから、鍾路(チョンノ)と呼ばれる大きな道路横の歩道を歩く時は猛烈な騒音と付き合わなければならなかった。 ところが午後2時、突然に大きな音でサイレンが突然に鳴り響き、それまでスピードとクラクションの音を競い合っていた自動車が全て止まった。大通りを足早に歩く人々も、その場にしゃがみこんだ。急にクラクションも人の声もしない不気味な静けさにソウル中が包まれたのだ。 突然のことに何の知識もない私はとまどい、ただ同様に真似て日陰に座り込んでいた。まるで「時間よ止まれ!」と叫ぶマンガのようだったが、これは現実であった。 やがて10分ほどたってから、自動車も動き出し、しゃがんでいた人々も何もなかったかのように足早に歩きだした。何なんだ?これは? 後で調べたら、年に2〜3回行われるという「民防訓練」というやつであったらしい。なんでも、1950年に始まった朝鮮戦争はまだ終わっていないそうで、今はまだ休戦状態なだけなのだそうだ。そこで、北朝鮮との国境の38度線に近い韓国ではこうゆう訓練が必要であるのだという。広い道路も有事には軍用機の滑走路になるのだそうだ。 韓国サッカー界のアイドル、安貞桓(アンジョンファン)選手が長髪を切って軍隊に入ったり、パラレル・ワールドはSF小説の中だけではない。私たちの現実社会にもいたるところに存在している。平和そうな社会の薄い皮を一枚めくれば、そこには矢元画伯が描く半透明の人物が蠢く世界があるのかもしれない。 個展を50分ほど見て、最後に記名帳に名前を書く。 ついでに、パラパラと見にきた人の名前をチェック。ふむふむ。ようやく最近、画家や評論家、美術館の学芸員の名前が数人分かるようになったのさ。 あ、外人もいるじゃん。ほー。どれどれ、elan creative Urasawa...、あ! そして私はギャラリー巡り半年の記念に初めてプロの絵を買った。 まだ次の予定の会議には時間があったので、円山のエルエテ・ギャラリーへ行く。 オーナーの渡辺氏は髪の毛を短く切った私を見て「おっ。ヤクザが来たぞ、ヤクザが来たゾ。」とおどけてはしゃぐ。 ここでは『西田靖郎 新作展』がやっていた。ギャラリーどらーるの坂本社長も「西田さんは熊石の若きお坊さんで、とても真摯な好青年ですね。彼のシュールな絵も私は好きです。ここ1〜2年で、大きな転換があるのではないかと期待しています。彼は化けるかもしれませんよ。」と注目している人らしい。
・Mahavishnu Orchestra/ジョン・マクラフリン&マハヴィシュヌ・オーケストラ大きな人物画は、なんとなく石森章太郎を思わせる。でも、安易なマンガの影響とは違う抜け方がある。これは何かと思いきや、マイルス・ディヴィスのアルバム『ビッチェズ・ブリュー』のジャケット・デザイン画っぽいのだ。え、もちろん、いい意味で(笑)。 「さっき、どらーるで浦澤さんのサインがあったぞ」と渡辺氏に言うと、「あ、また活動するそうや。でもどらーるに行ってウチに来ないのもヘンな話やな」。「でも、わざわざ記名帳に名前を書いたんだから、自分の存在をアピールしたかったんでしょ?」「せやけどなぁー」。 この春に開かれた釧路や帯広での『マン・レイ展』や『森山大道展』に行った渡辺氏の報告を聞かせてもらう。この二人はご存知、写真による異空間表現者。写真も矢元政行画伯も抽象ではなくて具象の手法を使っているのに、空気は抽象である共通項を図版から探り出す。 あー。もう商談会の時間だぁ。と、エルエテを後にして再びYOSAKOIな大通りをキラー・パス。ちょいとススキノのワイン・ビストロ「ル・プラ」に寄り、2週間前にお願いしていたワインの空き瓶を30本ほどもらいに行く。まだ午後5時だが、狭い店内に数人の若いサラリーマンが楽しそうにワインを飲んでいる。「ワインの瓶、とりにきましたー」と言うと、「店の裏においてあるから、持っていってー」とオーナー夫人。店の裏には、ちゃんと希望のボルドー・タイプの空き瓶が30本、「屹立」していた(笑)。中に1本、なんとシャトー・ラフィット・ロートシルト1960の空き瓶も混じっていた!こりゃ、オーナーの私へのメッセージだな、と思い再度、礼を言って出発。 この空き瓶に、沼田町のブドウで作ったワインを入れるのだ。今年で3回目だ。 商談会の場所は平岸。そう、YOSAKOIのメッカ(笑)だ。おめでとう! 商談会には数分遅れて会場入り。すでに数件の商談も成立していた。席に座ってすぐに回ってきたサンプルを手にとり、即、買う。するとさらに遅れて入ってきた某米屋の社長が私の隣にドカッと座った。「いやぁ〜YOSAKOIの役員をやっているので、遅れました。」、ごくろうさま。 で、私が決めた直後のサンプルを目ざとく見つけて、「お、久保さん、同じ商品を6トン買ってけれや」と言われ、あまりにもプッシュされると相場が不安になるが、ここは買いだと思い、買う。 商談会を終え、ススキノに誘う社長連中を振り払い、平岸の行きつけの中古CDショップ「セカンズ平岸店」に行く。中古CDを3枚買う。 ↓ 『Birds of Fire/火の鳥』(初盤1973.5.7、録音;ロンドン&NY 1972.9〜10) John McLaughlin/ジョン・マクラフリン(g)、Jan Hammer/ヤン・ハマー(key,moog)他 ・TOMAWAK『TOMAWAK』(1996フランス) 買ったのはいいのだが、この店のポイント・カードを出すと、店員が「お客さん、これ、期限切れですね」と・きたもんだ。まったく、今まで私のサイフのスペースを1年以上も奪っておいて、この期におよんで役立たずとは!?弱小(←失礼!)小売店のポイント・カードの期限が1年だなんて、意味無いじゃぁああーん!無期限にすべし。 車に戻り、今買った袋に手を突っ込んで運転しながらCDをカーステに差し込むと、アンナ・カリーナだった。60歳のハスキーで低い声のフランス語がアコースティックな演奏に乗って静かに流れる。これが彼女のファースト・アルバム(!)だが、もちろん彼女は1960年代はゴダール監督の映画『気狂いピエロ』『女は女である』『Made in U.S.A.』『男と女のいる舗道』などにたて続けに主演してきたヌーベルバーグ映画の最重要女優である。「写真が真実ならば、映画は毎秒24倍真実・・・」と言ってゴダールはアンナ・カリーナを撮影し続けた。 「写真がウソならば、映画は毎秒24倍ウソつき・・・」か? 矢元画伯の絵に浮かぶ半透明の人物たちが、茶色い背景にみを残してゆっくり消えてゆくイメージが脳味噌に浮かんだ。 それにしても、フランス語は不思議だ。メロディをつけなくても「歌」になる。音痴の私はフランス人に生まれてくるべきであった(笑)。 そんなことよりも、フランス語で一度、思考してみたい。どんな発想をフランス語は準備してくれるのだろうか。 今日買ったTOMAWAK『TOMAWAK』は1996年に私がフランスに言った時に毎朝、ミュージック・ヴィデオが流れていたフランス人のロック・バンドだ。よく聴くと、ジミ・ヘンドリュックスやローリング・ストーンズからのパクリがあるが、それは英米のミュージシャンの影響のカゴから抜けられない他国のミュージシャンに共通する特徴だから多目に見てあげよう。それにしても、1996年からずっと欲しかったCDが平岸で中古で400円で買える不思議。 車はサッポロ・ファクトリーに飲み込まれ、私はシネコンへ映画を観に行く。ここではポイント・カードがたまったとのことで、今回は映画をタダで観ることができた。さっきの中古CD屋とは大違いのコンシュマーズ・ニーズに沿った経営方針。さらに今日観た映画はチケットの半券があれば次には1000円で観ることができる企画がされている。う〜む。やはり、アメリカ資本、恐るべし。日本の小売店に未来はあるのか? 映画は『The Hours/めぐりあう時間たち』。 製作年 : 2002年 製作国 : アメリカ 監督 : スティーブン・ダルドリー 出演 : ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ、 エド・ハリス、トニ・コレット、クレア・デインズ、ジェフ・ダニエルズ 原作の小説も評判が高い。約50年前に実在の小説家が小説を書く物語と、約30年前にそれを読む主婦の物語と、現代のニューヨークでその小説を話題にする編集者の物語、それぞれが3つ同時に進行する映画だ。時代も人物設定もバラバラだが、例によってアッと驚く劇的な展開で3つの物語が溶け出して、最後には・つながる。
再び車に戻り、カーステのCDをさっき買ったジョン・マクラフリン&マハヴィシュヌ・オーケストラ『Birds of Fire/火の鳥』に代える。ジョン・マクラフリンはエレクトリック・マイルスを決定付けたエレキ・ギター奏者だ。アルバムの全曲もマクラフリンが作曲している。なんだか、この映画を観ながら今日一日、ずっと考えてきた平行して存在しつつも、実は深く関係を持っているパラレル・ワールドのことをさらに考えてしまった。 たとえば、一軒の家を正面玄関から入る場合と、裏口から入る場合では同じ部屋を歩いてみても印象は違う。私たちは日常を瑣末な事象に追われ、裏口の存在を忘れたり、裏口を何かネガティヴなものであると思い込んではいないだろうか。 何も疑わないで正面玄関から入っていったら、裏口からゾロゾロと矢元画伯が描く釣鐘状に腹をつきだした人物が入ってきていて、しかも彼らを私たちは見ることができない。もちろん、彼らを写真に撮ることも不可能だ。ただ、唯一それを見ることができる画家がキャンバスに描くことができるだけだ。 今朝の新聞には、岡井隆(75歳)の「テレビで見たことをそのまま詠んでも歌にならない。浮かんだ心象を別のものに変えるため一歩引いた視点が必要」という発言が紹介されていた。 画家は詩人とは使う道具が違うから、最初から意味からは自由なはずである。 このアルバムの2曲目にはその名もズバリの「マイルス・ビヨンド(マイルス・ディビス)」というタイトルの曲が入っている。ただし、もちろん、このアルバムにマイルスは参加していない。 そしてマイルスは不在しているということで、このアルバムに参加しているのだ。 |