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Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、札幌のエルエテまで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!Art  末永 正子 共犯としての印象

Artとは、ニューヨークのホイットニー美術館から、札幌のエルエテまで、どこでもドアの奥で、今夜、パーティが2時から開かれる!末永 正子 展
サイケで、ポップっ。
会期;2005年7月1日(金)〜31日(日)
★just imagine...♪アートだ!あん♪アン♪ギャラリーどらーる
札幌市北4西17 HOTEL DORAL 1F
年中無休&24時間公開

輪郭の消滅、印象の爆発
Text by 久保AB-ST元宏 (2005年7月30日)

夏だ。
古今東西、夏になれば人々は、海や山に行くらしい。
その理由は「そこに海や山があるから。」であるのだから、「そこにパチンコ屋があるから。」と言う人にとっては、パチンコ屋は現代の海や山なのだろう。
そう言えば、最近、『海物語』というパチスロの機種があるらしい・が。

海も山も、人々を惹きつける存在でありながら、同時に(=だからこそ)、それぞれ畏怖すべき巨大な神秘を抱えた存在である。
その両者を「自然」とくくって満足する手もあるが、それぞれの畏怖はまったく違う種類のはずである。
例えて言うのであれば、海の放つ畏怖の根拠は、その絶え間ない「変化」であろう。
また、山のそれは、遅延化された「変化」が先回りして待っているという予感が準備する不安から生れる。
つまり、「変化」という情報が、受け手の許容力より過激に早いのが海であり、過激に遅いのが山である。
そして、早くても、遅くても受け手は畏怖を感じることになるのだ。
それが「非日常」ということであり、そこにレジャーの価値も生じている。

画家にも、海彦と山彦がいるのかもしれない。
単純に、「海を見て育った画家」、「山を見て育った画家」という分類でも、それなりに作風の差異が楽しめる。
また、「海を描く画家」、「山を描く画家」には、その素材が画法に大きく影響している様を今まで私たちは数限りなく見てきたはずだ。

海彦と山彦を左右に持つ巨大なシンメトリーの中間に位置する、丁度いい「変化」が描かれているのが「自画像」なのかもしれない。
「海を描く画家」は、その早い「変化」を手に入れようと、ストロークの工夫を試みる。
「山を描く画家」は、その遅い「変化」を定着させようと、粘着性のある色の実験を繰り返す。
風・HANA・女 2003年 F120
風・HANA・女 2003年 F120
では末永正子は、海彦か?山彦か?

そのポップなラインが演出する浮遊感、
カラフルな奥行きが提示する幸福感。

彼女の絵には、カラフルな絵が陥りやすい田舎臭さや、バカっぽさが無い。
その秘密は、原色から数歩ズレた色を探し当てることによって、
都会的で洗練された知的な空間を築くことに成功したからだ。

私は彼女の絵を初めて見た時に、1968年に公開されたザ・ビートルズの
アニメ映画『イエロー・サブマリン』で使われた、楽天的な色と線を連想した。
1972年に札幌大谷短期大学油彩専攻科を卒業した彼女にとって、
この映画が提示した色彩感覚は、青春という第二次原風景(?)を形成する
ものであったのかもしれない。
しかしそうとは言っても、37年前の映画である。
両者に共通点を見つけてみたところで、無意味である。
ただ、楽天的な色と線が特権的に持つ魅力を、つまみ出すことは可能だ。
それは、徹底した非日常のみが提示できる、新しい経験であろう。
丸っこく原色のアニメ・キャラクターは、デフォルメの産物である。
末永の描く世界も、日常を昇華してゆくデフォルメの作業があったはずだ。
だから末永の作品は37年後のサイケではなく、彼女の必然なのである。
サイケ!
アニメ『イエロー・サブマリン』 1968年

『二人の風景』1998年★末永正子は、長年出品していた道展で、1998年、一躍出品作が注目を集めて協会賞を受けた。その翌年に新会友、次いで会友賞、会友賞と2回続き、そしてまた翌02年に会員となった画家である。このような軌跡で歩を進めた画家は、道展でもめずらしい。
二人の風景 1998年 F130 道展協会賞
それでは、末永はこのスタイルを在学当時から続けていたのかと思えば、
どうやら、そうではないようだ。今回の個展は過去8年間の作品を観ることができるが、
わずか8年前の作品が、まったく違ったスタイルで描かれていたことが確認できる。

道展協会賞の「二人の風景」(1998年、F130)は、近年の彼女の作品のキーワードである
ポップ、カラフル、サイケ、おしゃれ、浮遊感、幸福感などとはまったく逆の作風である。
ただこの時期と現在の作風の相違を列挙する中で、とても興味深い発見ができる。

たとえば、現在の作風の中では脇役のように感じられる無彩色が、
ここでは全面に渡って使われている。
さらに、この時代の白、灰色が現在の作風にまで引き続き使われ、
同時に品を与える重要な役割をしていることに気が付かされる。
たとえば、「ピンクと灰色」、「水色と白」、これらの組み合わせが、
「ピンクと水色」の組み合わせだけでは失ってしまうものをたくみに引き寄せているのだ。

この時期の、もう一方の特徴は、対象を徹底して「面」でとらえようとする姿勢である。
それは鉛筆デッサンの初期の訓練の延長かもしれないが、
面の重層が輪郭を浮かび上げる大きく手前で、あえて立ち止まって、独特の効果を現していたり、
その一方で、人物に降り注ぐ光すらをも、「面」としてとらえる画家特有の過剰さがすでに現れている。
ここに見られるキュービズムは純文学的な高みを示しつつはあるが、まだ物足りない。
それは作者も気がついていたであろう。その証拠が点在するピンクや水色なのだ。

『女と花』 2000年 S100
女と花 2000年 S100 道展会友賞
このわずか2年後に末永は、無彩色とビビッド・カラーのバランスを逆転させる。
2000年の「女と花」は私の好きな絵であるが、
この絵に登場する「女」は、まるで空間から切り抜かれたあとの空白のように描かれている。
「面」への関心を過剰に推し進める中で「輪郭」を持て余していた末永が、
「面」を空白にすることによって「輪郭」を獲得したという逆転劇は感動的ですらある。
別の言い方をすれば、描かないことによって、初めて魅力的な「輪郭」を獲得したのだ。

それでも私に不満が言える余裕があるのであれば、ここで空白の「女」を浮かびあげたのが
「花」であるという選択である。
「花」とは、ある意味、かなり抽象的かつ特権的な存在である。
抽象的かつ特権的な存在を、抽象的かつ特権的に描いても限界があるのだ。
私は彼女の技法でこそ、リアルな日常の周辺を描いてもらいたい。
彼女の絵自体が「花」なのであるから、もはや「花」を描く必要はない。

だから、当然のことながら「卓上」(2005年、F10)や「風景」(2005年、F10)は、かなり魅力的だ。
それは、我われが知っている世界を、別の世界に変えてくれるからなのだ。

『青い印象』 2005年 F50
青い印象 2005年 F50
末永の変遷は、正しい。と、確信させてくれるのが「青い印象」(2005年、F5)だ。
おそらく彼女は「面」を愛しすぎたのであろう。
彼女に愛され選ばれた「面」は、つきっぱなしのストロボのように爆発し、輪郭をぶっ飛ばした。
強烈な光を獲得した「面」は、この世から輪郭を消滅させたのだ。
輪郭の消滅は、私に国境の消滅を連想させ、「青い印象」の前に再び立った時には、
この絵は、全ての地域が魅力的に光り輝いた時に国境が無くなった世界地図に見えてきた。

我われは現実世界においても、輪郭などは見てはいなかったのである。
輪郭が消滅した彼岸に、再び新しい世紀の印象派の日の出が今度は爆発しながら昇ってきたのだ。

そして主張する「面」は輪郭という境界が無くとも、対立せずに、見事なハーモニーを生み出した。
その時に重要な役割を果たしたのが先に触れた、ニュートラルな無彩色だ。
では、これらはのどかな雲なのだろうか?
いや、これは砕け散りながら融合と離散を繰り返す、絶え間ない「変化」としての「面」なのだ。
たとえるならば、海の波と、泡しぶき。のどかさからは、はるかにかけ離れたスピード感がそこにある。
ついに末永は「面」によって、ストロークを描いた。末永は、ずっと、海を見ていたのだ。

吉田 豪介(美術評論家)
 表現形式が具象から抽象表現へ
大きくよどみなく変化しているのだ。
そこで今展は、あれから8年の流れを
中心に、創作における発想の展開と、
表現手法の変遷が読みとれるように
展示してみた。ギャラリーどらーるの
企画としては初めての試みであり、
彼女にとっても初個展になる。
初期のころのモノクロームに囲まれて。
▲写真左から、
吉田豪介(美術評論家)、坂本公雄(ギャラリーどらーる社長)、末永正子画伯