どの曲から始めるべきか?

問:コンボの曲をやってみようと思います。
ただ、どの曲をしたらいいのか、よくわかりません。
先輩に訊いたら「簡単な曲をやればいいんだヨ!」と答えが返ってきました。

 ……いや、だから、どの曲が簡単なのかがわからないんですってば。


 はい、これまた難しい問題ですね。

 何十曲かやれば、曲の難しいか簡単かは自然にわかりますが、初めての時はわからないものです。

 初めてであれば、どの曲だって難しいものです。

全く初めての時は:

 全く初めての場合というのは、ジャズを始めて最初の発表会に臨むとか、そういうシチュエーションですね。

 どうしたらいいでしょうか?

 これは逆説的ですが、全く初めての時は、簡単な曲を簡単な曲をとことさらに意識しなくていいんじゃないかと思います。何やったってどうせ難しいんだから。

 メロディーが吹けそうなら、やってみる価値はあります。

 その代わり十分に時間をかけて取り組んでください。一曲丸ごとコピーしてやる(勿論、できる範囲でですけれども)くらいの気概を持って。

 

 ほんとうは、ジャズにおいては、オリジナルを墨守することに必ずしもこだわる必要はありません。例えば、4beatの曲をボサでやってみるとか、テンポを変えたりだとか、そういうちょっとした変更は非難されることではない。

 もっともJASRACに言わせれば、こういう行為も広義の編曲であり、いかなる形での編曲も著作権侵害にあたるそうです。ゆえに日本の法令的には責められる可能性はありますが、グローバルスタンダードなジャズ的文脈では、称揚こそされ非難される事ではありません。

 ですから、どんな曲も身の丈に合う形で演奏しようと思えば出来るものです。そういう意味では曲の難易度というのは存在しません。

 そこがクラシックと大きく違う点です。クラシックでは「難しさ」という属性は曲に付随しますが、ジャズでは「難しさ」というものは必ずしも曲の属性ではありません。同じ曲でも難しくやろうとしてもよいし、簡単にやろうとしてもいい。原曲の音符を一言一句変えてはいけないというルールはないのです。

 ただ、初学的な段階では、そういう変更自体が難しいです。ソリストは自分を表現するために自分の技術を十全に使いますし、CD(LP)で演奏しているようなプロは見事なテクニックを持っていますから。だからソロを完全に模倣するのも難しい。

 ソロをそのまま吹くことはなかなか難しいですが(コピーフレーズについて/コピーの功罪参照)、それ以外の部分は、大きく変更を加えずとも成立しそうなものをまずやってみればいいのではないでしょうか。

 アドリブの部分は、最初は気に入ったソロがあれば、コピーして練習するのをおすすめします。それを人前で演奏するべきかというのはまた別問題ですが。

 コピーしたソロを踏まえて自分で前もって譜面に書いてみたりするのも一つの手だと思います。

まとめ:

レパートリーを増やす:

 さて、初学の段階では、上述したように曲をOne by Oneでこなしていくわけですが、「一つの曲をしゃぶりつくす」ような練習方法をそうやって何度か経験するうちに一曲に要する時間は逓減します。そうやって幾つか曲を演奏するのにも慣れてくると、次の段階に入ります。

 一つ一つの曲に根ざしていない、ジャズの普遍的な語法を錬成する段階です。

 どんな曲でも、アドリブのフレージングのための語法は共通です。その共通の語法を自分の中で構築する段階ですね。理論的スキームが自分の中にできれば、どんなコード進行にも対応できる。

 理想をいうと、最終的な目標は初見の曲も既出の曲と同様に演奏できるようになること。これは曲の前準備に要する時間を出来るだけゼロに近づけるということを意味します。

 この段階で適しているのは持ち曲のバリエーションを増やすこと、さらに言えば「持ち曲」という概念をなくすことです。例えばセッションなどで、やったことがない曲を演奏してみるとか。その場合、前提として大まかな曲の構造をざっと把握する能力が必要になってきます。

 この段階になってくると、冒頭の質問である「どの曲が難しいか」という問題が再び重要になってきます。

 発展途上の段階では、今の自分の実力ではうまく演奏しきれない曲は確実に存在します。今の実力とのギャップが、どれくらいあるのか。「今」ちょっと頑張ったらできるのか、それとも「あとまわし」にすべき曲なのかという見極めができるでしょうか。

 無限に時間があるなら深く考える必要はありません。一曲一曲時間をかけてこなせばいい。しかし、残念ながら、学生生活も、そして人生も有限なのです。

 今の自分の力では手に余るような難曲一曲に多大な時間を要するよりは、初級から中級の曲をバランス良く、そして効率よくこなした上で、難局に向かう方が、トータルの所要時間は少なくて済む。そして多くの曲に触れることで、持ち曲のバリエーションも増やすことができます。

 では、この段階で(つまりアドリブ語法の習得段階で)問われる曲の難易とはなにか?


トーナリティーの呪縛

大多数の人は、アドリブを習得する際に、

  1. 大まかにトーナリティーに沿ったフレーズを吹くレベル。
  2. コードチェンジを意識した、Bop-idiomに沿ってフレーズを吹くレベル。
  3. Modal interchange、Diatonic/non-diatonicを含むAvailable note scale、Upper structure triadなどを意識してフレーズを吹くレベル。

 という段階をふんで発展してゆくのではないかと思います。

 ギターの人は1の段階がなく、最初から2の段階だったりすることもありますし、ファンクやフュージョンを主戦場にする場合は2の段階をあまり意識することはないかもしれない。いずれにしろ、管楽器の場合は楽器の構造上トーナリティーの呪縛から離れるのは容易ではありません。相対音感に優れていない人間ならなおさらです。

ダイアトニック・コード:

 トーナリティーに強く拘束されている、ということは、いわゆるその曲のキーから離れないということです。そのキーのドレミから離れないということです。

 難しい説明はあまり得意ではないので、ダイアトニック・コードに関しては自分で学習してください。ジャズの教則本には大抵載っていますし、Web上にも良質のテキストが沢山あります。

例えば、"Jazz Guitar Style Master"というサイトがあります。「ギター」と限定的ですが、どの楽器でも通用する、非常にわかりやすいサイトです。その中の>メジャーダイアトニックコードの項を参考にしてください。

 ただし、折角勉強して頂いて申し訳ないんですが、ジャズにおいてはこの「ダイアトニック・コード」はあまり意味を持ちません。


曲の複雑さ:

 ジャズでは、曲中で、その本来の調(キー)のダイアトニック・コードしか出てこないことはまれです。アドリブ技法について(その2)ツーファイブでも述べましたが、ジャズではコード進行をなんやかやでわざと複雑に加工しているからです。

 Bop-idiomの本質が、そもそもダイアトニックなコードもノン・ダイアトニックなコードも等価的に扱うことから出発しています。こうやってコードをわざと複雑にすることよってフレーズをトーナルの呪縛から自由にしているからです。

 バップ的なフレージングをするかぎりトーナリティーは重要ではありません。逆にいうとバップらしく吹くということは、ダイアトニックな音から離れることを必然的に意味します。

 

 話はがらりと変わるんですけれども、最近わけあって、童謡歌集というものを買ったんです。

 「さくらさくら」とか「蛙の歌」とか、いわゆる「童謡」が沢山載った本なんですが、こういう歌の多くは転調することなく一つのキーで曲が終わります。メロディーは完全にそのキーのドレミで唄えちゃう。

 こういうトーナルが安定している曲では「ダイアトニック・コード」という概念は非常に有効です。こういう曲のコードは、多くがその曲の調のトニック(Ⅰ)、ドミナント(Ⅴ)、サブドミナント(Ⅳ)からのみで構成されているからです。非常にわかりやすいです。

 ジャズでこれに準ずる曲というと、「聖者の行進」や「Mack the Knife (Moritat)」でしょうか。

 僕は最初ジャズの教則本で「ダイアトニック・コード」を読んだ時には、今ひとつぴんときませんでした。それは実際にジャズのスタンダード曲のコードをみる限り、ダイアトニック・コードが重要であるとは思えないからです。

 それはなぜかというと、ジャズがこういうダイアトニック・コンポジションのアンチテーゼだから、なんですね。

 こうした童謡のような「ジャズ以前の曲」におけるコード進行をみればダイアトニック・コードの重要性はすんなり理解できます。

 

 さて、そういうわけで、ジャズのコード進行では、ダイアトニック・コードとノン・ダイアトニック・コードがブレンドされた格好で存在しています。問題はその比率です。

 ダイアトニック・コードの部分が多い方が楽曲構造は単純なはずです。また、必然的にトーナルに拘束されやすい我々管楽器奏者にとっては、そういう曲の方が演奏しやすいということになる。

 つまり、あくまで大雑把にですが、ダイアトニック・コードが全体に占める比率が、コード進行の複雑さの指標になると思います。ダイアトニック・コードの含有率が高い曲では、その曲の調(トーナル)の拘束率が高いわけで、少なくとも理解しやすいはずです。

 

 本質的に同じ事ですが、メロディーで判断することもできます。

 ダイアトニック・コードでは、その部位において、その調のドレミファソラシド(メジャースケール)を使うことができます。ダイアトニック・コードの部分で、メジャースケールで作られたメロディには当然、臨時記号はついていません。

 逆にいうと、メロディーの音符に臨時記号があれば、その部分は必然的にダイアトニック・コードではないし、原調のトーナルを離れているということになります。(勿論、経過音、装飾音符などの例外はありますし、マイナーの曲の場合はこの原則にあてはまらない場合がある)

 ともあれ、メロディーラインを追ってみて、ざっと臨時記号の多寡をみることで、コード進行の複雑さを推定することもできます。

 ちなみに、逆は必ずしも真ならずで、臨時記号がつかないメロディーには必ずダイアトニック・コードが割り当てられているわけではありません。(例)Over the rainbowの一、二小節目。)

 

 というわけで、トーナルの拘束率と曲の難易度というものがある程度相関するということを述べました。ものすごい簡単に言うと、転調が多いと、アドリブは難しくなるという話ですね。

 実際にどうなのか、ということを実証するために、曲の複雑さの定量的評価:というのをやってみました。結論から言ってしまうと、テーマのメロディーに含まれる臨時記号つき音符の比率が20%を超えてくると、ちょっと難しくなると言えそうです。

 

 但し、一旦こうした転調に即したアドリブフレージングに習熟すれば、転調の多い曲において、Bop-idiomを用いて「それらしく」吹くことはむしろ簡単なことです。

 Any Keyでフレージングをすることに楽器的制約のないギタリストの多くが、いとも簡単にBop-styleを習得するのをみると、このことは理解しやすいのではないかと思います。

 トーナリティーにガチガチに拘束され、あまり変化のないコード進行の場合、Bopではむしろ難しいといえます。(にあげると、Fallin' love with love, Mack the Knife, My little suede shoesなど)。間違った音を吹くというエラーはしにくいですが、フレーズのバリエーションに乏しく、煮詰まりやすいという弊があります。スキーのモーグルの選手に、こぶのない斜面ですべってもらうようなもんですから。

 ダイアトニック・コードの部分は、元々のトーナルに強く支配されている部分です。そのキーのドレミファソラシドの音を吹けば「はまる」わけですが、案外このやり方でソロを吹くのはセンスを要するんです。

 バップ期以前のミュージシャンのソロは、「フレーズ」というよりは「メロディー」とでもいうような、大きなトーナルの流れを活かした非常に美しいメロディーを吹いたりしますが、それがそのような吹き方です。

 例えばルイ・アームストロングはこういうIdiomでのフレージングの名手です。マイルスはバップからモードまでなんでもござれの人ですが、アドリブのメロディーメイクに関しては同様のタレントがあるように思います。「うたごころ」とでもいいましょうか、共にメロディー感のある見事なソロを吹きます。

 僕も含めたアマチュアの多くは、ただフレーズを羅列するばかりでメロディー感のないソロを吹くという弊に陥りがちです。気をつけましょう。自戒を込めて。

まとめ:
(Jun,2007 初稿)