ジャンヌ・ダルク ( アナトオル・フランス著,吉江孤雁訳、早稲田大学出版部,大正6) 下篇 四、 サン・ピエル・ル・ムスチエー略取 ——托鉢僧リシヤールの靈性上の娘たち——ラ・シヤリテ |
ジャンヌ・ダルク 下篇 四、サン・ピエル・ル・ムスチエー略取 托鉢僧 リシヤールの靈性上 の娘 たち ——ラ・シヤリテ攻圍 シヤルル王 は九月 十日 の夜 をラニイ・シユール・マルヌで過 し、それからセーヌ河 を渡 り、ヨンヌ河 を渡渉 して、クールトネイ地方 一體 を巡行 した。九月 二十一日 にヂイアンへ到着 した、此所 でその軍隊 を解散 した。最早支 へるだけの資力 がなかつたのである。兵士等 は各々家 へ歸 つた。アレエンソンの公爵 も自分 の領地 へ退 いた。王妃 が國王 に逢 ひに來 られると云 ふので、ジヤンヌは途中 の或 る町 まで迎 へに行 つて、そして御挨拶 を申 し上 げた。後方彼女 はブールズに伴 はれて行 つた。そこではルニエ・ド・ブリニイ家 に宿 らされた。このルニエは當時 財務總監 であつた。これは元 と国庫財政紊亂 の責 で官職 を奪 はれたのであるが、その後 王妃殿下 の下 に奉職 し、次第 に地位 を高 めて、現在 の如 き財政部 の最高幹部 になつたのである。彼 の妻女 は、王妃殿下 に随伴 してセルに來 て、そこで處女 ジヤンヌを初 めて見 て非常 に驚 いた。このジヤンヌこそは、今上國王陛下竝 びに國王 に忠勤 するフランスの人々 の救 ひとして神 から送 られた者 と思 はれたのである。彼女 は、往日 、國王 や王妃 が、全 く貧窮 して金 の工面 に困 じ果 てた頃 のことなど思 ひ起 した。彼女 の名 、はマルゲエリト・ラ・トロールドであつた。彼女 は、最早 壯年 を過 ぎてゐて、なかなか氣心 の優 しさうな信者 であつた。信者 らしいと言 へば、彼女 の總 てを言 ひ盡 してゐる。 三日 の間 ジヤンヌはこの人 の家 に宿 つて、そこで寢食 をした。主婦 マルゲエリトは殆 んど毎晚彼女 と共 に寢 んだ。これは當時 の禮儀 の一 つなのであつた。當時 はまだ寢着 を用 いる習慣 がなかつたので、彼等 は丸裸 で廣 い寢床 に這入 るのであつた。ジヤンヌは老婦人 と共 に寢 るのを好 まなかつたらしく思 はれる、此所 の主婦 はまだ、さほど大 して老年 とは言 はれないけれども、可 なりお婆 さん臭 いところがあつた。どちらかと言 へば、その年 には長 して、さうした老婆心 に富 んでゐたのである。彼女 は數度 ジヤンヌを風呂屋 や蒸 し風呂 に案内 した。これも禮儀 に缺 くべからざるもので、主人 は客 を浴場 へ伴 れなければ、十分歡待 したとは云 はれなかつたのである。こんな點 は皆高貴 の人々 が先 きに立 つて實行 した。國王 や王妃 を御馳走 に招 じた場合 でも、食事 の前 に浴室 へ案内 するのであつた。マルゲエリト夫人 は恐 らく家内 にそんな設備 を有 たなかつたので、風呂屋 にジヤンヌを案内 したに相違 ない。 ブールズでは、河 に近 い下町 に蒸風呂 があつた。ジヤンヌは嚴格 な信仰家 ではあつたが、尼寺的 の規則 は一向守 らなかつた。彼女 は浴場 に行 く事 を嫌 はなかつた、取 り別 け長 い間藁 の寢床 に夜 を明 かして來 た今 は、何 よりも浴 みを好 んだ。主婦 は彼女 を浴室 に伴 うては彼女 の身體 を細心 に觀察 したが、あらゆる點 でこの少女 が全 くの處女 たることを認 めて更 らに驚 いたのである。 この財務總監 の家 でゞも何處 でゞも、ジヤンヌはこの泊 る限 りのところで、信仰深 い信者 の生活 をしたが、併 し、表面上 の峻嚴 は表 はさなかつた。彼女 はしげしげと懺悔 した。彼女 はこの家 にゐる間 、度々主婦 を誘 つて禱 りの會 へ出席 した。中央敎會 や其他 の小敎會 で毎日夕方 の四時 から六時 までの間 には祈禱會 が開 かれるのであつた。この二人 は屢〻 話 をした。主婦 はジヤンヌが極 めて單純 で、極 めて無智 なことを見出 した。實 に全然何 も知 らないのを見 て喫驚 せしめられた。 ジヤンヌは主婦 に樣々 のことを物語 つたが、その中 に彼女 が嘗 てロルレーヌの老公爵 を訪問 してその惡 い生活 を非難 してやつた事 や、ポワテイエの學者等 が自分 に問 ひかけた質問 のことなどを話 した。處女 はそんな學者等 が極端 な惡意 で、自分 に詰問 したものと思 つてゐた。そして自分 は彼等 の惡意 に全 く打 ち勝 つたのだと信 じてゐた。 マルゲエリト夫人 は或 る日 彼女 に言 つた、「若 し貴女 が戰 ひのとき恐 くないとすれば、そりや屹度 貴女 が殺 されないことを御承知 だからですよ。」 するとジヤンヌは答 へた、 「そこは私 だとて他 の戰士 たちと同 じですよ。」女 どもが屢〻 このブールズの宿所 へ、念珠 とか何 とか信心 の道具 を持 つて來 て、處女 に觸 つてくれるやうに願 つた。ジヤンヌは笑 ひながら、何時 も主婦 に言 ふのであつた、「貴女 これに觸 つてやつて下 さいませ、これには貴女 のお手觸 りでも私 のでも同 じですよ。」 この到意卽妙 の言葉 を聞 いては屹度 主婦 のマルゲエリトも、ジヤンヌが如何 に無智 ではあれ、それに拘 らずその會話 には天稟 の才氣 と常識 とが閃 き出 ることを悟 つたに相違 ない。處女 に就 て樣々 の事 を見出 したうちに、特 に主婦 の感心 したことは、處女 が如何 にも單純 なのに拘 らず、武術 に至 つては一 かどの老練家 だといふ點 にあつた。主婦 がこの聖者 らしい處女 の武藝 を巧妙 だと判斷 したのは、直接 に得 た自己 の意見 か、それとも單 に流言 から聞 いてさう言 ふのであるか分 らない。が、兎 に角 、この主婦 はジヤンヌが當時 の武人騎士 の間 にあつて誰 にも劣 らぬだけに騎馬 も出來 たし槍 も使 へて軍隊 を驚歎 せしめたことを、後 になつてから斷言 したのである。實際 その當時 の大方 の騎士等 は、彼女 に立優 ることが出來 なかつた。 ジヤンヌは有 つたゞけの金 は施 し、與 へて了 つた。「私 は貧 しい人 、困 つた人 を扶 けに來 たのだ」と常 に言 ふのであつた。世間 の人々 は彼女 の其樣 な言葉 を聞 いて、この神樣 の處女 は單 にフランス王家 を復興 する爲 め許 りでなく、この國内到 る處 に行 はれつゝある殺人強盜 など神 の御心 を惱 ます一切 の罪惡 を取 り除 く爲 めに神樣 が遣 はし給 うたに違 ひないと思 つた。神祕的 の心 を有 つた人々 は、この處女 から、クリスト敎會 の革新 やイエス・キリストの地上統治 を求 めるのであつた。彼女 は聖者 と呼 びかけられた。そしてフランス王家 に中良 な諸地方 では、到 る處 で彼女 の肖像 を刻 んだり畫 いたりして、信心 の人々 が禮拜 した。かうして彼女 はその生前 に於 てすら既 に美化 される特權 を享 けたのである。話變 つて、セーヌ河 の北方 では、イギリス方 とブルガンデイ方 とが勢 ひを盛 り返 してゐた。フランス方 のヴアンドーム公 一派 の人々 はサンリへ退却 した。イギリス方 は聖 ドニイ町 を襲 つて、またも占領 してしまひ、聖 ドニイ寺院 で、ジヤンヌの奉納 した鎧 を見出 して奪 ひ去 つた。フランス人 の僧侶 は、これを非難 して、確 かに瀆聖罪 を犯 したものだと言 つた。その理由 といへば、卽 ちその鎧 の代 りとして何物 をも寺僧 に與 へなかつた爲 めである。當時 シヤルル王 はブールズに直 ぐ近接 したムウン・シユール・イエーブルにゐた。之 は世界有数 の美 しい城 で、築城家 としての譽 れ高 き故 ベリイ公爵 が丹精 こめて築 いた物 である。そして今 はシヤルル王 の愛好 する一離宮 となつてゐた。 アレエンソン公爵 はその舊領公國 を囘復 したい熱心 からノルマンデイ遠征 に從 ふ軍勢 を欲 しがつてゐた。彼 はシヤルル王 に使者 を送 つて、若 し處女 ジヤンヌを拜借出來 ますれば甚 だ有難 うございますが、如何 なものでせうと申 し込 んだ。つまり處女 が從軍 する事 になれば喜 んで參加 する人々 が多 いであらうが、彼女 がゐなくては誰 も家 を動 かないからと言 ふにあつた。これで見 れば、パリイ城外 での彼女 の敗北 は、まだまだその威信 を落 してゐなかつたのだ。併 し彼女 を貸 してはいけない。アレエンソン公 には少 し信 じ難 い所 があるからと、シヤルル王 に忠告 する者 があつた。彼女 は王 の副將 なるアルブル卿 の手 に預 けられることになつた。御前會議 では、戴冠式戰役 の當時 、敵黨 の手中 に委 ねてしまつた、ラ・シヤリテを囘復 することが必要 だと見 た。併 し先 づ第 一に、サン・ピエル・ムスチエー攻擊 を決定 した。此所 の守備隊 は、イギリス、ブルガンデイの兩勢 から成 つてゐたが、彼等 はベリー、ブールボンネイの土地 を絶間 なく侵掠 して、村々 を荒廢 させてしまつた。この遠征 に從 ふ軍隊 はブールズに集合 した。指揮官 は、わがアルブル卿 であつたが、併 し一般 にはジヤンヌの指揮 として知 れ渡 つた。町人 百姓 や、都市 の名門等 や、特 にオルレアンの市民等 などは、彼女以外 の指揮官 は知 らなかつたのである。王軍 はその町 を攻圍 すること二三日 で、町中 へ侵入 した。併 し敵 に擊退 された。ジヤンヌの旗手 は他 の人々 と共 に退却 した。が、ジヤンヌが殆 んど一人 きりで濠 の際 に立止 つて居 るのを見 た。そこで怪我 があつては大變 だと心配 して再 び馬 を乘 り返 して來 て叫 んだ、「たつた一人 で、貴女 は何 をして居 ます? どうして貴女 は一緒 に退却 しませんか?」 ジヤンヌは兜 を脱 いで、そして答 へた、「私 は一人 ではない。私 と共 に五萬人 もの味方 がゐる。私 はこの町 を乘取 るまでは、こゝを動 きませんよ。」旗手 は彼女 の圍 りを見廻 したが、四五人 より人 は居 ないのだ。そこで彼 は一層聲 を勵 まして叫 んだ。「此處 をお立 ちなさい、そして他 の人等 と一緒 に退却 しなさい。」彼女 の答 へは唯 、その濠 を塡 める爲 めの粗朶 や編柴 をくれ、と言 ふにあうた。彼女 は「サア、皆 、粗朶 と編柴 を運 んで來 い。そして橋 をかけるがよい。」兵士等 はその地點 へ突進 して來 て、立處 に橋 を架 し、強襲 に依 つてやすやすと町 を占領 した。之 れは旗手 の話 した儘 のことである。彼 は實際 、この町 を略取 したのは、ジヤンヌの所謂 五萬人 から成 る味方 の影法師 であつた、とさう固 く信 じた。 ロワール河畔 の小軍隊 にもジヤンヌと同一 の生活 をして矢張 り天 の敎會 と交通 を有 する二三の婦人 がゐた。その女等 は云 はゞ一個 の傳道婦人巡業隊 のやうな物 を組織 して、軍隊 に隨從 してゐた。そのうちの一人 はカトリーヌ・ド・ラ・ロシエルと云 ふ女 であつた。他 にもまだ二人 の女 がゐた。彼女等 は何 れも樣々 の不思議 な幻 を見 た。ジヤンヌは、鎧 を着 た聖 ミカエルや冠 をつけた聖 カトリーヌ、聖 マルガレツトを見 たが、此 カトリーヌと云 ふ女 は金衣 を纏 うた白 い婦人 を見 た。そしてこの祝福 を受 ける刹那 には、神 の一切 の神祕 が彼女 に啓示 せられるのであつた。托鉢僧 リシヤールその他 の軍隊附僧侶等 は、こんな女豫言者等 の一隊 を十字軍 に參加 せしめてフツス黨征伐 に用 ひようと云 ふ目論見 を有 つてゐた。そこで百方力 を盡 してその意思疎通 を計 るのであつたが、彼女等 の間 には絶 えず猜疑 や口論 があつた。ジャンヌも先 にはラ・ロシエルのカトリーヌと折合 が好 かつたが今 は自分 の競爭者 ではないかと疑 ひ出 した。そして直 ちにこのカトリーヌに對 して不信任 の態度 を取 つた。これは如何 にも尤 もなことである。カトリーヌやその他 の女豫言者等 はいつ何時 でも、ジヤンヌが先 にやつてゐたやうな役 に使 はれたのである。當時 は、女豫言者 といへば、色々 な方面 に需要 があつた。人民敎化 や敎會革新 や、軍隊指揮 や金融 などゝ、戰時 にも平時 にも樣々 の用途 があつた。女豫言者 が一人 現 はれると、各々 の黨派 が爭 つて、味方 へ引入 れようとした。シヤルル王 の顧問官等 は、ジヤンヌを使 つてオルレアンを救 つたので、今度 はこのカトリーヌを用 ひてブルガンデイ公爵 と和 を結 ばうと考 へて居 たらしい。ジヤンヌよりも一段武勇 でない女豫言者 に取 つてはそんな事 こそ適役 なのだ。カトリーヌは人 の妻 であり、また大勢 の子供 の母 であつた。こんな境遇 の女 に、この豫言 の能力 が下 つたとしても、別 に怪 しむに足 らない。云 ふまでもなく、處女等 の方 が、こんな豫言 の天賦 に一層適 した事 は事實 であつたけれども、又子 の母 となつた女 にも神 は民 を救 ふ爲 めに豫言 の力 を與 へ給 ふことがあつたのである。 このカトリーヌがシヤルル王 の顧問官 に信用 を得 たのも無理 ではなかつた。つまり其生地 たるラ・ロシエルは、その住民 の殆 んど總 てが多少海賊 を働 くといふ風 で、特 にイギリスの商船 を食物 にするのであつた。フランス方 からも彼等 に屢〻 贈物 などをした。そしてオルレアンが王家 に囘復 せられた時 などは、此所 の住民等 は非常 な祝祭 を行 つたので、益々信用 を得 た譯 である。抑 も軍隊 に在 る豫言者 の第 一の義務 は、卽 ち金 を集 めるといふ事 であつたらしい。ジヤンヌも善良 な町々 に對 つて屢〻 金 や軍用品 の寄附 を乞 うた。すると町々 の名門等 は常 にその願 ひに應 じて承知 の旨 を答 へた。この約束 は十中 の七八までは大抵實現 せられた。カトリーヌは此物資 に關 して特別 な啓示 を受 けたらしく思 はれる。そこで彼女 の使命 は財政方面 にあり、ジヤンヌの使命 は軍事方面 にあつた。彼女 はブルガンデイ公爵 と平和條約 を締結 する爲 めに出發 するところであつた。併 し餘 り有名 でない所 から見 れば、彼女 の靈感 は、大 して崇高 でなく、大 して順序立 たず、また大 して深 いものでなかつたと想 はれる。 ベリイのモンフオーコンでジヤンヌに遇 つたときに、彼女 はかう話 しかけた、—— 「金衣 を身 に纏 うた白 い婦人 が私 にお現 はれになりました、そして其 の方 がかう申 されました、『お前 はこの國 の善 き町々 に行 つて、そして國王 よりの軍使 と喇叭 とを用 ひ、(金銀若 くは隱 れた寶 を有 つ人 は何人 も卽座 に國王 へ奉 れ、)と叫 ぶやうに、』と。」 カトリーヌは附加 へた、「そんな隱 された寶 をその儘 にして王 に奉獻 しない場合 には、その在所 を私 に啓示 になりますし、私 はそれを見出 しに行 くのです。」彼女 は、イギリス方 を本土 から驅逐 し終 るまでは必然戰 はねばならぬ、それにはジヤンヌが戰 ひの方 を受持 つて、自分 は軍資 の方 を引受 けると言 ふのであつた。併 し處女 は腹立 しげに答 へた、—— 「貴女 は良人 の許 へ歸 つて、家庭 の世話 をし、子供等 を育 てなさい。」 この二人 の女聖者 の間 には痛烈 な口論 が始 まつた。ジヤンヌはその對手 の女 の使命 には無益 な馬鹿 らしい事 より外何 にもないのを見 て排斥 した。とは云 へ、その「白 い婦人 」が見舞 うて來 るといふ彼女 の幻 を否定 することは出來 なかつた。ジヤンヌに取 つても、これまで繪 や刻物 で見 た數多 くの天使 や聖者 たちが悉 く訪 れて來 たではないか? この心理現象 を學者 は樣々 の學理 で解釋 するけれども、ジヤンヌはもつと確 な方法 ——卽 ち自分 の眼 で見 るといふ方法 で實驗 して居 る。そこで彼女 はカトリーヌに「その白 い婦人 は毎晚現 はれますか?」と尋 ねた。そして、然 うだと云 ふ返事 を聞 いたので、「貴女 と一緒 に寢 みませう、」と言 つた。日 が暮 れるとジヤンヌはカトリーヌと共 に寢床 に就 いた。夜半 まで眠 らずにゐたが、何 しろ年 が若 いので、何 にも見 ないうちに眠 つて了 つた。朝目覺 めてから、「白 い婦人 が來 ましたか?」と訊 ねた。 「參 りました、けれど貴女 は好 く寢 てゐられましたから起 しませなんだ、」とカトリーヌは答 へた。 「また今夜 も來 ませうか?」 「參 りますとも。」とカトリーヌは受合 つた。 ジヤンヌは前夜 に懲 りて今日 は晝間 のうちに十分眠 つて置 いた。そして復 た彼女 と同 じ臥床 に橫 はつて、全 く眼 を閉 らずに見守 つてゐた。「その婦人 は參 りませんか?」としげしげ尋 ねた。 「參 ります、すぐに。」とカトリーヌは答 へた。然 しジヤンヌは何 も見 なかつた。彼女 は所謂白 い婦人 が頭 から離 れなかつた。そこでいつもの通 りに聖 カトリーヌと聖 マルガレツトとがお現 はれになつた時 に、ジヤンヌはその白 い婦人 の事 を訊 ねた。その答 へは、ジヤンヌが豫期 した通 りのものだつた、—— 「このカトリーヌは、唯 だもう無益 で馬鹿々々 しいばかりだ。」と聖者 たちは言 つた。 「それは全 く私 の考 へてゐた通 りです。」とジヤンヌは叫 んだ。 その後 、この二人 の女豫言者間 の爭 ひは烈 しいものだつた。ジヤンヌは何時 もカトリーヌの言 ふ事 の反對 を主張 した、カトリーヌがブルガンデイ公爵 と講和談判 に行 くときも彼女 は言 つた、「私 の考 へでは、貴女 は決 して講和 を出來 しません、それはもう唯 だ矛先 を以 てしか出來 ません。」兎 に角 、その「白 い婦人 」がジヤンヌの顧問官 よりも秀 れた豫言 をしたことが一度 あつた。卽 ち、ラ・シヤリテの城攻 の折 であつた。ジヤンヌがその町 を陷 れに行 かうと欲 した時 、カトリーヌは彼女 を諌 めた。「餘 りに寒 いから、私 は行 きますまい。」彼女 はさう言 つた。このカトリーヌの理由 は餘 り高尚 なものではなかつた。とは云 へ、ジヤンヌは矢張 りラ・シヤリテ攻圍 に行 かない方 か好 かつたのである。 ラ・シヤリテ攻圍 ラ・シヤリテは千四百二十二年 にフランス方 がブルガンデイ公爵 から略取 し、二年 の後再 び奪還 されたのである。この時 のブルガンデイ方 の隊長 はペリヌ・グレツサルと云 つて、もとは卑賤 な者 であつたが、遂 に隊長 にまで立身 した者 である。彼 はイギリス國王 から、レーニイ卿 に封 ぜられた。彼 は千四百二十五年 の十二月 に、丁度講和談判 の爲 めブルガンデイ公 の許 へ行 きつゝあつたフランス方 の大使 を擒 にしてしまつた。數 ヶ月 の間監禁 して、後身請金 一萬 四千クラウンを取 つて大使 を歸 した。こんな關係 があるので、今度 フランス方 がこのラ・シヤリテを攻 めるのは、實 に不倶戴天 の仇 を報 ずる事 なのである。それだけ攻圍軍 の意氣込 も烈 しかつた。從軍者 も堂々 たる歷々 が多 かつた。併 し言 ふまでもなく、この軍 は軍資兵糧 には乏 しかつたと思 はれる。當時 の軍隊 は大抵 それが常例 なのであつた。シヤルル王 は、敵 の堅塞 を陥 れる場合 には、その軍 に必要 な物資 をば、他 の良 い町々 から仰 がねばならなかつた。處女 は直 ちに兵士 を町々 へ遣 して、武器 や物資 の供給 を賴 んだ。併 しそんな町々 は既 に度々供給 したことだから、彼女 が思 つてゐたやうに豐富 ではなかつたのである。 十一月 七日 に、彼女 と總大將 アレエンソン卿 とは連名 で以 て、クレールモン市 へ、彈藥 、弓矢 、大砲 の供給 を賴 んだ。その市 からは、可 なりの硝石 や硫黃 と二籠 の弓矢 を送 つて來 た。それに添 へて、處女 の爲 めに一口 の劍 と二口 の短劍及 び斧 を届 けてくれた。 十一月 九日 に、處女 はムーランの町 にゐた。彼 が其處 で何 をしたのか誰 も知 らなかつた。當時 その町 には非常 に神聖 なそして非常 に尊敬 せられた一人 の尼院長 がゐた。その名 はコレツト・ボワレといつた。この尼 は自 から建設 したところの聖 クラールの尼僧寺 に住 んでゐた。處女 は多分此尼 さんを訪 ねて行 つた事 と想像 される。併 し先 づ確 かめねばならぬことは、この二人 は、抑 も互 ひに似寄 を有 つて居 たか否 かである。二人 とも奇蹟 を行 ひ、そして其數々 の奇蹟 には偶々似寄 もあつた。が、それはこの二人 の交際 に大 して愉快 を添 へるものでもなからう。一人 は「處女 」と呼 ばれ、一人 は「婢女 」と呼 ばれてゐる。そして其名 の異 つてゐるが如 く、その互 ひの身裝 も生活 も全 く違 つてゐた。「婢女 」は、乞食 のやうに襤褸 を身 に纏 うて、お拾 ひで道 を歩 くのに反 して、「處女 」は金光燦然 たる衣服 を纏 ひ、王侯 と共 に馬上 で歩 くのであつた。またこの尼僧 はブルガンデイ家 に密接 な關係 のある人 なので、イギリス方 から惡魔 のやうに視 られてゐるジヤンヌと交際 する氣 があつたとも思 はれないのである。 ムーランの町 で、ジヤンヌはリオンの市民 へ手紙 を出 した。それは次 の通 りである。ジ ヤ ン ヌ この 親愛 なる友等 よ、サン・ピエル・ル・ムスチエーを強襲 に依 りて占領 いたし候 まゝ取敢 ず御報告申上候 。次 に私等 は神 の御助 けを以 て我 が國王陛下 に對抗 する町々 を殘 らず取除 く考 へに候 が、何 しろ上 に述 べし戰 ひにて、彈藥弓矢 、その他 の軍用品 夥 しく費消仕 り候故 、目下 非常 に缺乏 を告 げ候 。 これにては眼前 に迫 れるラ・シヤリテの攻擊 も心元 なく存 じ候 。我 が國王陛下 竝 びに私等 一同 の幸福 と名譽 を愛 せらるゝ人々 よ、希 くは至急御助力 を賜 うて、攻城彈藥 、硝石 、硫黃 、弓矢 、強弩 及 び其他 の軍需品 ども御送附下 され度候 。若 し以上彈藥以下 のもの延着候節 は、それだけ城攻 も長延 く譯 に相成 るべく、左樣相成 ればこれ御身等 の怠慢 と不承知 との罪 に歸 せられんかと存 じ候 。我 が善良親愛 なる人々 よ、願 はくば神御身等 を護 り給 はんことを。ムーランにて、九月 十一日 。書翰 を受取 つて、リオンの行政官等 は處女 ジヤンヌ及 び指揮官 アンブル卿 に宛 てゝ、六十クラウンだけ調達 するといふ返事 を出 した。併 し攻城砲術長等 が、その金額 を受取 りに行 くと、行政官等 は鐚 一文 も出 さなかつたのである。併 しオルレアンの人民等 は、今度 もまた非常 に熱心 で物吝 みをしなかつた。詰 り彼等 は其 ロワール州 の首都 を囘復 することを熱心 に希 つてゐるからである。オルレアンの人々 がなかつたら、この邊 の町 は一 つとしてフランス王家 の手 には入 らなかつたのだ。此點 から言 へば、彼等 は實 にこの王國救濟者 と見做 されてよい資格 がある。彼等 は七月以降 、兵器 にも糧食 にも多大 の貢獻 をした。そして今度 は復 た王軍 の乞 ひを容 れて、十二月 の初 つ方 、ラ・シヤリテの陣 へ澤山 の大砲 を届 けてくれた。それと共 に、オルレアン公爵家 の制服 を着 けた八十九人 の彈藥輸送隊 は一人 の隊長 に指揮 せられ、喇叭手 を眞先 きに立 てゝ堂々 と乘 り込 んだのである。石工 、大工 、鍛冶 などあらゆる種類 の職工 も伴 つて來 た。 アルブル卿 と處女 とは十一月 二十日 、ブールズの町 へも軍資金調達 を乞 うた。その町 の人々 は、千三百クラウンの金額 を寄附 しようと決 めて、ありと有 ゆる手段 を講 じた。蓄 への鹽 を競賣 に附 するとか、小賣 に賣 る筈 の葡萄酒 を一度 に賣 り拂 ふとかして、その金額 を拵 へた。併 しこの金 は遂 にその目的地 に着 かなかつた。 ラ・シヤリテの城壁下 にはフランス方 の名 ある騎士等 が集 つてゐた。この年 は特 に寒氣 が烈 しく、寄手 の勢 は全 く何等 の成功 も出來 なかつた。十二月 の末 に、防禦方 の主將 ペリヌ・グレツサルは、その智謀 に長 けたる巧妙 なる策略 を用 ひて、寄手 の軍 を誘 き寄 せ、伏兵 を設 けて置 いて散々 に打 ち破 つた。フランス方 は仕方 なしに圍 みを解 いてしまつた。しかも忠良 な町々 から整 へてくれた數多 の大砲 も、勤儉 な市民等 から寄與 された軍用品 も悉 く敵 の城下 に遺棄 したのである。この行爲 は如何 に辯解 するとも非常 な失敗 であつた。ラ・シヤリテは最早 陷 る許 りになつたので、若 しフランス軍 がさう慌 てなければ、早晚占領 せられたに相違 なかつたのだ。フランス方 は、これの辯解 として、國王 が軍用品 や兵糧 を十分 に供給 してくれなかつたことに罪 を歸 したが、併 しそれは彼等 の不名譽 の申譯 にならなかつた。名譽 を重 ずる一人 の騎士 はこの事 に就 て言 つてゐる、「前以 て兵糧 や軍資 を確 めずしては如何 なる地 をも攻圍 すべからざるものなり。一旦城砦 を攻圍 して、やがておめおめと退却 するは、軍 に取 りて非常 なる恥辱 なり、別 けてもその軍 に國王 若 しくは國王代理 の長官 ある時 に於 て然 り、」と。話 は變 つて、この千四百二十九年 のクリスト降誕 に際 しての事 である。ジヤルヂオーでベグイン巡行隊 ——卽 ち婦人傳道巡行隊 が集會 した。この時 、ドミニック派 の或 る僧侶 がその禮拜式 を司 つた。そして、處女 ジヤンヌに三囘 ほど聖餐 を供 し、同 じく女豫言者 たるピエロンヌにも二囘 ほど供 した。この僧侶 は前々 から處女 ジヤンヌの奇蹟 を説敎 の主題 に用 ひて、盛 んに頌揚 してゐたのである。しかも今度 は聖餐 まで捧 げたので、この行爲 たるや、よし敎會法 を形式上 に犯 さない事 としても、兎 に角 聖奠冒瀆 の非難 は免 かれないのであつた。果然 、こゝに神學上 の一大暴風 が吹 き荒 れ出 して、その低氣壓 は女豫言者 の頭上 に襲 ひ來 つたのである。かのパリイ攻擊 の直 ぐ後 にも、大學側 で托鉢僧 リシヤール及 び女豫言者 ジヤンヌを非難 した論文 が起草 されたのであるが、丁度 その當時 パリイの或 る法學者 も彼女 を異端 の野師 として痛責 した。 この法學者 の論 ずる所 ではかうである。苟 しくも神 に遣 はされたと云 ふからには、その實行 に於 てそれの徵 を顯 さなくてはならぬ。卽 ち聖書 に應 つた奇蹟 に依 つて、神 よりの徵 を現 はさなくてはならぬ。しかるに處女 ジヤンヌに至 つては、神 よりのでなく、惡魔 よりの徵 を顯 す行爲 しか見 せないのだ。彼女 は第 一に、敎會 で嚴禁 してゐる戒律 を破 つて、女 の身 でありながら男裝 をしてゐる。そして善良 なる君主 やクリスト敎徒 の間 に狂奔 して、前古 に例 なき大戰爭 を惹起 せしめたのだ。彼女 は魔術 を使 ひ、且 つ僞 りの豫言 を爲 すところの偶像信者 である。彼女 は部下 の兵士 をそゝのかして聖母 の昇天祭竝 びに誕生祭 の兩日 に人殺 しをやらせた。これこそ「人類 の敵 」なのである。樣々 の罪惡 は、この「人類 の敵 」なる女 に依 つて、萬物 の造主及 び榮 えある聖母 の前 に犯 されたのだ。最 もこの「人類 の敵 」の爲 めに多少 の殺人犯 は行 はれたけれども、神 の御蔭 を以 て、幸 ひに彼女 が企 てた通 りには行 かなかつたのである。法學者 は以上 の如 き論理 でジヤンヌの罪 を叱責 した。そして「これらの事 は悉 く、その誤妄 と異端 とを證明 して炳然 たり」と附加 へ、最後 に「不健康 なる肉 は切 り棄 てざるべからず。病 ある羊 はその檻 より驅逐 したせざるべからず」と結論 した。 フランス方 の學者等 が「神 の天使 」とまで頌揚 してゐるこの處女 を、パリイ大學側 では、そのやうに惡 く見 たのである。パリイ大學 では、十一月中 に、使者 を羅馬法王 に送 つて、この處女 、及 び處女 の信仰者等 を告訴 した。卽 ち僞 りの豫言者 、瞞着者 として訴 へたのである。この使者 を送 つた眞 の目的 は那邊 に在 つたか解 らない。併 し疑 ひもなくパリイの學者等 は、若 し彼女 を捕 へてさへしまつたら、決 して羅馬法王 の許 へなど送 り届 けはしなかつたことは確 かである。羅馬 へ送 れば、一寸 した苦行位 ゐ申付 けられて、後 には法王 の手先 に使 はれることが決 りきつてゐるからだ。 イギリス方及 びブルガンデイ方 の諸地方 では、學者 に限 らず總 ての階級 の人々 が、彼女 を異敎徒 と見做 してゐた。彼女 の事 を良 く思 つてゐる少數 の人々 は、用心深 く自己 の意見 を隱 してゐた。フランス方 が聖 ドニイを引退 げてからも、アツブヴイユの町 あたりには尚 ほ、このフランスの女豫言者 を良 く思 つてゐる人々 が可 なり殘 つてゐた。併 しそんな人々 は之 を公言 してはならなかつた。 十一月半 ばのこと、このアツブヴイユの町 の鍛冶屋 の近 くで、五六人 の者 が集 つて世間話 しをしてゐた。その中 には軍吏 も一人 混 じつてゐた。話題 は自然 その頃全 クリスト敎國 を震駭 せしめつゝあつた處女 ジヤンヌの事 に移 つた。軍吏 が彼女 のことを少 し話 し出 すと、それに答 へて一人 の男 が眞劍 になつてかう言 つた、—— 「まアまア! あの女 の爲 たり言 つたりすることは皆 瞞着 ですよ。」他 の一人 がまた、「あの女 は當 にやなりませんよ。あの女 を信 ずる人等 は氣違 ひですね、そしてそんな連中 にや焦 げ臭 いところがありますね。」 この言葉 は卽 ち、彼女 を信 ずる人々 は早晚焚殺 の刑 に逢 ふ運命 が明白 だといふ意味 で、異敎徒 として火刑臺 に附 くことを婉曲 に言 つたのである。 その男 は續 けて「この町 にもそんな臭 ひのする連中 が澤山 ゐますわい。」と附加 へた。 それは町 の住民 に對 する容易 ならぬ誹謗 であつた。町長 や官吏 の耳 に達 すると、この二人 の男 は牢舎 に打込 まれた。こんな風 だから、ジヤンヌ自身 も、つまりその臭 ひを持 つてゐると思 つてゐる人々 もあつた譯 である。實際 、監督僧正 や宗敎裁判所 の役人等 は、この異敎徒 の問題 となると非常 に神經過敏 であつたから、そんな惡 い評判 を立 てられることは人々 に取 つて大 なる危險 であつた。托鉢僧 リシヤール及 びその靈性上 の娘等 は、一方 に於 てこの樣 な惡 い最期 を遂 げるなどゝ言 はれてゐた間 に、また一方 では緊急 な難問題 に面接 した。女豫言者 カトリーヌの事 に就 て、ジヤンヌはリシヤールに公然話 しを持 ちかけた。それは、リシヤールがカトリーヌを用 ゐようと欲 してゐたからジヤンヌは若 しさうなつては大變 だと思 つて、國王 に一書 を送 り、カトリーヌを自宅 に歸 やして下 さいと請 うた。 その後 國王 に面謁 した際 、ジヤンヌは何 はさて措 いて、國王 にかう申 し上 げた、「カトリーヌのする事 は、唯 だもう馬鹿 げた無駄事許 りでございます。」 リシヤールはジヤンヌを明 らさまに憤 つた。彼 は宮中 の受 けも非常 に宜 く、又 カトリーヌを用 ひる事 も御前會議 の承認 を得 てゐたのである。既 にジヤンヌも成功 して居 ることであれば、同 じく神 の啓示 を受 けるこの女 にも成功 せしめない理由 が何 うしてあらう。併 し又顧問官 の方 では、ジヤンヌがフランス國 に與 へつゝある勤勞 をも決 して廢 てさせようとは思 はなかつた。パリイやラ・シヤリテに於 ける敗北 の後 と雖 も、尚 ほ多數 の人々 は彼女 の超自然力 を信 じてゐた。こんな譯 から、宮廷 ではまだまだ彼女 を用 ひようと思 ふ黨派 があつた。併 し假令 、當局 の人々 が彼女 を排斥 しようと願 つたとしても、彼女 は今 や王室 と餘 りに親近 してゐるので、却 つてそんな排斥 を企 てる者等 も同 じく傍杖 を喰 ふやうな有樣 であつた。 千四百二十九年 十二月 の廿九日 、ムウン・シユール・イエーヴルに於 て、國王 は彼女 に貴族章 を與 へた。それは綠蠟 の上 に大玉璽 を捺 した物 で、「紅綠 の絹紐附 きの二重垂飾 」があつた。 この貴族 の恩典 は、ジヤンヌ初 め、その父母兄弟 に及 び、而 してその子孫 にまで及 ぶのであつた。これは實 に、一婦人 に依 つて建 てられた特異 の勤功 に對 する特異 なる恩典 なのであつた。彼女 は官爵 には、ジョハンナ・ダイ(Johanna d'Ay)と錄 されてある。これは疑 ひもなく、國王祕書官 にその姓名 を告 げるとき、ロルレーヌ人 の癖 として音 を訛 らせたのである。然 し彼女 の姓 が「アイ」にせよ「アルク」にせよ、兎 に角 彼女 は普通 には、處女 ジヤンヌと呼 ばれたのである。 <ムスチエー略取 了> [(下篇 五)へ続く] 底本: ジャンヌ・ダルク 1917年 早稻田大學出版部 譯者: 吉江 孤雁 (喬松 )(1880.09.05 - 1940.03.26) 原著:Vie de Jeanne d'Arc 1908 著者:Anatole France (1844.04.16 - 1924.10.12)
下篇 三、パリイ攻擊 < < | [ 目次 ] | > > 下篇 五、オルレアンの處女の家 |
ジャンヌ・ダルク 下篇 四、 サン・ピエル・ル・ムスチエー略取 ——托鉢僧リシヤールの靈性上の娘たち——ラ・シヤリテ 底本:国立国会図書館 近代デジタルライブラリー 所収 / ジャンヌ・ダルク ( アナトオル・フランス著,吉江孤雁訳、早稲田大学出版部,大正6)
電子テキスト入力: cygnus_odile (2011-12-02)
(縦書き表示 powered by 涅槃2(Nehan2-1.22)− 縦書き文庫提供)
英語版( The life of Joan of Arc )の Vol.II Cap.IVを参照すると、
「ロワール河畔の小軍隊にもジャンヌと同一の生活をして矢張り天の教会と交通を有する二三の夫人があった。・・・」の節の末尾では、「他の二人はブルターニュの低地方から来た。」とあり、その次の節に、「・・・ジャンヌは、・・・。ピエロンヌは白い長ローブと紫のクローク(袖無外套)を纏った神を見た。カトリーヌ・デ・ラ・ロッシェルは、・・・」とあって、ピエロンヌ( Pierronne )なる女の名も挙がっている。
本章末尾、「彼女は普通には、處女《おとめ》ジャンヌと呼ばれたのである」。 英語版では、"Jeanne the Maid"、 仏語版(Vol. 2 de 2)では、"Jeanne la Pucelle"。 <メモ:仏語版> (fr.) Vie de Jeanne d'Arc (Vol. 1 de 2) by Anatole France
履歴:
2012-05-04 : 縦書き組版エンジン:涅槃2(Nehan2)を利用した縦書き版掲載。(rev. 1.00 ) |