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ジャンヌ・ダルク ( アナトオル・フランス著,吉江孤雁訳、早稲田大学出版部,大正6)

 下篇 一、 フランス王軍ソワツソンからコンピエニユへ進む——詩と豫言よげん
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ジャンヌ・ダルク  下篇 一、 フランス王軍ソワツソンからコンピエニユへ進む——詩と豫言《よげん》と

底本:国立国会図書館 近代デジタルライブラリー 所収 /
ジャンヌ・ダルク ( アナトオル・フランス著,吉江孤雁訳、早稲田大学出版部,大正6) 

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【ご参考】
 クリスチーヌ・ド・ピザン女史の名前の表記について、The Project Gutenberg 所収の 英語版(The Life of Joan of Arc, Vol. II, by Anatole France Chapter I, 1908)によりますと、
An illustrious lady, a descendant of Bolognese nobles and the widow of a knight of Picardy, well versed in the liberal arts, was the author of a number of lays, virelays,[65] and ballads. Christine de Pisan,[Pg ii.25] noble and high-minded, wrote with distinction in prose and verse. - - -
のように、クリスチーヌ・ド・ピザン女史は、「ボローニャ貴族の末裔でありピカルディの騎士の未亡人であった」と記載され、名前はちゃんと、"Christine de Pisan"と記載されております。どうやら、吉江孤雁訳にて、「クリスチーヌ・ド・ピカルデイ」とあるは勘違い(?)による誤記だと思われます。

  ご参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/クリスティーヌ・ド・ピザン



【ご参考】
※ 本章冒頭(286頁)、「・・・、ソワツソン市を占領した。」は英語版では以下のようになっている。
..., in a place called Vailly, received the keys of the town of Soissons.
・・・ヴァイイと呼ばれる場所にて、ソワッソンの町の鍵を受取った。

  ※ ヴァイイは、Vailly-sur-Aisne (ヴァイイ・シュル・エーヌ)で、ソワッソンの東約10km


※ 本章冒頭286頁2行目、「この町は、……オルレアン家とバアル家との共同領地であって、これ等二人の領主のうち、一人はイギリス人の手に捕虜とせられた。」 とあるが、捕虜となっていたのは、詩人として知られたオルレアン公シャルル(シャルル・ドルレアン)のこと。彼の救出をジャンヌは使命の一つに数えている


※ 287頁11行目、「シヤトウ・チエルリイに入城した」の後に、一文がある:
 Coulommiers, Crécy-en-Brie, and Provins submitted.
  クロミエ、クレシー・アン・ブリ、プロヴァンが服従した。
  Crécy-en-Brie は、現 Crécy-la-Chapelle のことだろうか?

  シヤトウ・チエルリイ : シャトー・ティエリ(Château-Thierry) ソワッソンの南約30km (ランスとパリの中間地点)
  プローヷン : プロヴァン(Provins)  シャトー・ティエリの南方約50km
  ポツトー  : ポワトー/ポワトゥー(Provins)の誤記、フランスの旧州(ポワティエ周辺の地域と思われる)

※ 289頁7行目、レームズ(ランス)市民へのジャンヌの手紙中に「レーン市の善良忠誠なる・・・」とあるは、誤記ではなさそう。英語版では、"..., ye good and loyal French of the city of Rains, ..."。 手紙の後の叙述にあるように、ジャンヌの話し言葉の訛りであろう。

※ 294頁4行目、「森や岩石や石坑《いしあな》などへ隱れた」:英語版では、"hiding in woods, rocks, and quarries." とあるので、「森や岩山や石切場へ隠れた」と解してよさそう。


※ 294頁6行目、「ソワツソンの或る仕立屋」:英語版 Vol.II page.12を参照すると、"Jean de Bonval, the tailor of Noyant near Soissons" 「ソワソン近郊のノワイヤン(ソワソン中心部から南へ5km)の仕立屋、ジャン・ド・ボンヴァル」と名を挙げられている。彼が奪ったものも、和訳に記されているもの以外に、"on another a goat and a cow, on another a silver belt, a pair of gloves and a pair of shoes; on another a bale of eighteen ells of cloth to make cloaks withal." 「他の日には山羊や乳牛、或る日は銀色の帯、一対の手袋と一足の靴。その上、また、或る日には外套をしつらえるための一梱《こり》の18エル(約20メートル半)の布。」とさらに様々な者が列挙されている


※ 294頁12行目  モーの町 : モー( Meaux )パリ中心部から東に約30km 。 太守の名 ヴオーリユウ :(Vauru)

※ 298頁13行目  「シヤルル王はラ・フエルテへ行軍の途上、」:英語版では、"During the march on La Ferté and Crépy, King Charles ..." (ラ・フェルテ(La Ferté)とクレピ(Crépy)への行軍の間に)とある。クレピはおそらく、パリ北西45kmで、コンピエーニュの南20kmに位置するクレピ・アン・ヴァロワ(Crépy-en Vlois)のことと思われる。

※ 299頁1行目  ブリー (Brie) はパリ盆地の東に位置し、南北をセーヌ川とマルヌ川の渓谷とに挟まれているフランスの地方。


※ 299頁8行目  摂政ベッドフォードからの決戦状中の「ヴイエンノアのドオーフアン」なる呼称について、英語版を見ると、"Dauphin of Viennois" ヴィエノワのドーファン(王太子)となっている。Dauphiné Viennois (ドーフィネ・ヴィエノワ)は、フランスの旧州ドーフィネを指し、フランス王太子の称号(ドーファン・ド・フランス)に付随する領地。)


※ 300頁11行目 ルースの花:"The Flowers de Luce" == "(仏語では、"fleur-de-lis" もしくは "fleur-de-lys" フルール・ドゥ・リス) :アヤメの花を象った紋、フランス王権の象徴。(なお、本邦では、「百合の花」と呼称される場合が多いようである。wikipedia.org/wiki/フルール・ド・リス参照)

※ 301頁7行目 ダンマルタン : 現ダムマルタン・アン・ゴエル(Dammartin-en-Goële)のことであると思われる。パリの北西20kmでクレピ・アン・ヴァロワとパリとの中間地点となる。


※ 302頁2行目 「いで、きたれ、美人び じん」・・・英語版には、"Ores, vienne la Belle!" と仏語で記載され、その訳注に、"Now, come forth Beauty." とある。



履歴:
2012-05-11 : 上篇十九章掲載に合わせて、前章へのリンク先など変更。(rev. 1.01 )
2012-04-07 : 縦書き組版エンジン:涅槃2(Nehan2)を利用した縦書き化版を WebSite に掲載。(rev. 1.00 )