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ジャンヌ・ダルク ( アナトオル・フランス著,吉江孤雁訳、早稲田大学出版部,大正6)

 上篇 八、 ポワテイエに於ける少女(下)
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ジャンヌ・ダルク 上篇 八、 ポワテイエに於ける少女(下)

底本:国立国会図書館 近代デジタルライブラリー 所収 /
ジャンヌ・ダルク ( アナトオル・フランス著,吉江孤雁訳、早稲田大学出版部,大正6) 

 電子テキスト入力: cygnus_odile (2011-05-xx)
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「何《ど》うした間違ひから此樣《こん》な豫言上の名譽が彼女等に與へられたものか、夫れは分らない。」 とあるが、英語版を参照すると、その前に一文が挿入されている。また、その後の「長老たち」も具体的な人名を挙げている。
The Dies Iræ mentions one of them in the same breath with King David himself. By what pious frauds their fame for prophecy was established, we cannot tell any more than Jean Gerson or Gérard Machet. With the doctors of the fifteenth century we must look upon these virgins as speaking the word of truth to the nations, who venerated but did not understand them. Such was the ancient tradition of the Christian Church. The most ancient fathers of the Church, Justin, Origen, Clement of Alexandria, frequently made use of the Sibylline oracles; and the heathen were at a loss for a reply when Lactantius confronted them with these prophetesses of the nations. Trusting in the word of Varro, Saint Jerome firmly believed in their existence.
 (典礼文中の)「怒りの日」は、ダビデ王について述べると続けて直ぐに、彼女等の一人について言及している。どんな宗教上の方便によって予言に関する彼女等の名誉が地歩を固めたのか、我々はジャン・ジェルソン(15世紀初頭のフランスの神学者)やジェラール・マシェ(15世紀中葉のフランスの神学者、パリ大学の学長、カストルの司教など歴任し、対立教皇フェリクスの任命する枢機卿ともなった)より以上に語ることはできない。十五世期の神学博士らと共に我々は、これ等の処女《おとめ》たちを、国民に対して真実の言葉を語るものと見なさなければならない、最もその国民は崇めるが彼女等を理解はしないのだが。キリスト教会の古代の伝統はその様であった。教会の古代の教父たちは殉教者ジャスティン オリゲネス アレクサンドリアのクレメント、らは頻繁に巫女の宣託を利用した。そしてラクタンティウス(北アフリカ生まれの神学者、AD250頃 - 317頃、修辞学にたけ、キリスト教擁護の立場から哲学を論駁、異教哲学・ユダヤ教に対し真の宗教としてのキリスト教を提示した。)がこれ等の土着の女予言者たちと対決させたとき、異教徒は応酬するのに困って途方に暮れた。 ウァロ( マルクス・テレンティウス・ウァロ)の言を信用すれば、聖ヒエロニムス は彼女等の存在を堅く信じていたそうである。聖アウグスティヌスは・・・。
なお、レクイエム・ミサで用いられる「怒りの日」の歌詞は、1200年頃に作詞された。 Wikipedia によると
(ラテン語歌詞)    (日本語訳)
Dies iræ, dies illa
solvet sæclum in favilla:
teste David cum Sibylla

Quantus tremor est futurus,
quando judex est venturus,
cuncta stricte discussurus
   
怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言のとおり
世界が灰燼に帰す日です。

審判者があらわれて
すべてが厳しく裁かれるとき
その恐ろしさはどれほどでしょうか。
さらに、ご参考 ⇒ ja.wikipedia.org:シビュラ

(メモ)「エリュトレイア(リディア)の巫女」は「受胎告知」の預言者として百合を持つ。
ja.wikipedia.org/wiki/巫女#4 海外のシャーマン
聖杯の探求 第二講 女予言者達



※ この章末尾の一文:
   『少女は、溢れる許りの希望に胸を踊らせながら、何《ど》んなに勇しく、その石の上から馬に飛び乘つたことであらう。』
 は、英語版を参照すると、
With what a glad eager step the Saint must have leapt from that stone on to the horse which was to carry her away from those furred cats to the afflicted and oppressed whom she was longing to succour.

どんなに喜び勇んだ足取りでその聖人(ジャンヌ)はその石から飛び乗ったことか、あれらの毛皮を纏った(毛深い)猫どものところから彼女が切実に救助したいと願っている苦しみ圧迫されている人々の許へ彼女を運び去るその馬の背へと。
 フランスの作家 テオフィル・ゴーティエ(Theophile Gautier)の言葉に、"The cat is a dilettante in fur."(猫は毛皮を纏った道楽者だ)というのがあるそうです。アナトール・フランスがそれを意識した言葉かどうかは分かりませんが、ここの「毛皮を纏った猫ども」は、王宮で堕落した遊興にふける国王や廷臣たちのことを指すのでしょうか。

履歴:
2012-03-13 : html タグ打ちミス修正
2012-03-07 : 漢字を底本に従い旧字体へ『難』⇒『難』(難)((ufa68 / &#64104;)
2012-02-18 : 縦書き組版エンジン:涅槃2(Nehan2)を利用して縦書き化掲載。(rev. 1.00 )