松平直政像 平成16年11月21日

松平直政 まつだいら・なおまさ

慶長6年8月5日(1601年9月1日)〜寛文6年2月3日(1666年3月8日)

島根県松江市・興雲閣内でお会いしました。


結城秀康の三男。近江国にて生れたと伝えられ、青年期までを越前国で過ごした。
徳川家康の孫。
なぜか周囲から軽んじられ、祖父家康へのお目通りも他の兄弟より遅れていたが、大坂冬の陣では勇敢な戦いぶりで大功を立て、続く夏の陣でも活躍し、祖父家康からも大いに賞せられた。
寛永元年(1624)越前大野に転じ5万石を拝領。
寛永10年(1633)には信濃国安曇あずみ・築摩ちくま両郡で7万石を与えられ松本城に移る。
寛永15年(1633)2月、出雲国18万6千石に封ぜられ、併せて隠岐国1万8千石を預けられ出雲松江藩主となる。
翌年、富国・安民・質素・公平・節財・知人・立法の大綱を示す。
重農政策をとり、儒学者を招く。
隠岐の後鳥羽院御陵の修理・社領の寄進や造営・寺領寄進・文武奨励・治水や産業の奨励・博愛を説くなど、数々の治績があった。
寛文6年(1666)2月3日、江戸藩邸にて没す。
享年66歳

(平成16年12月25日改訂)


松平直政公騎馬像 松平直政公騎馬像
(島根県松江市・松江城近くの興雲閣内に展示されています。)

銅造松平直政公騎馬像

慶長19年(1614)大阪冬の陣のとき、14歳の直政は、兄忠直に従って真田丸を攻めました。
敵将真田幸村は、その勇気を讃えて軍扇を投げあたえ、その武者ぶりは画題として広く描かれたものです。
〈大正14年・青山泰石作〉

(説明板より)

松平直政像 平成16年11月21日

島根県松江市・松江城天守閣内でお会いしました。


松江神社



松江神社
(島根県松江市・松江城二の丸跡)




(平成16年11月21日)

松江神社(島根県神社庁指定特別神社)

御祭神
松平直政公(松平初代藩主)
堀尾吉晴公(松江開府の祖)
松平治郷(不昧)公(第7代藩主)
徳川家康公

明治10年に旧松江藩の人々によって川津村(現松江市西川津町)楽山に松平直政公を御祭神として楽山神社が創建されましたが寛永5年(1628年)堀尾忠晴公朝酌村西尾(現松江市西尾町)に創建した東照宮を明治32年に合祀し当地に御遷座松江神社と改称されました。
又昭和6年に
松江開府の祖 堀尾吉晴公
松江藩中興の名主・不昧流茶道始祖松平治郷(不昧)公を配祀し今日に至っております。
本殿は寛永5年(1628年)、拝殿は寛文元年(1661年)建造の権現造り、手水舎は寛永16年(1639年)建築されたものです。

(説明板より)


初代松平直政公御廟 初代松平直政公御廟廟門
(島根県松江市・月照寺

直政公没後13年を経た1697年に造られました。
建築様式は藥医門。
松平直政公の墓



松平直政公の墓






(平成16年11月21日)

初代 松平直政公御廟

直政公は徳川家康公の孫にあたり、慶長19年大坂冬の陣に14歳で初出陣、その見事な武者振りは敵将真田幸村も思わず軍扇を投げて称賛したという。
直政公は信州松本から禄高18万6千石で松江に移封され文化の開発や国産の増殖など大いに治績をあげて藩の基礎を作った名君。
この廟門は桃山文化の作風が巧みに取り入れてあり、木割りや彫刻の出来栄えなど地方工匠の作ではあるまいといわれ、山内廟門中の傑作。
県指定文化財

(説明板より)

月照院墓塔 直政の生母・月照院墓塔
(島根県松江市・月照寺)

月照院

阿波国麻殖郡あわのくにおえぐん三谷城の三谷出雲守長基みたにいずものかみながもとの娘で、お駒という。
結城秀康の側室。
慶長12年(1607)夫である秀康没後は月照院と名乗った。
14歳で初陣となる直政の大坂への出陣に当っては、躊躇するわが子に「栴檀せんだんは双葉より芳かんばし、戦陣にて勇無きは孝にあらざる也」と励まし、自ら直政の甲冑かっちゅう下の着衣を縫い、馬験うまじるしも縫って、それにたらいを伏せ墨で丸を描き、急場の験しるしとして与えたのは有名。

(参考文献:小冊子「月照寺」)



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