月照寺 げっしょうじ

島根県松江市外中原町179


唐門



唐門





(平成16年11月21日)

縁起

月照寺はもと洞雲寺とううんじという禅林でしたが、寛文4年(約330年前)徳川家康の孫にあたる松江藩初代藩主松平直政公が生母月照院様の霊牌を安置するため、浄土宗の長誉上人を開基とし蒙光山むこうさん月照寺として改称復興したのが始まりです。
更に公の没後、二代綱隆公が父の遺命により境内に廟を造り、山号を歓喜山かんぎさんと改めて以来、9代にわたる藩主の菩提寺として栄えてきました。
現在国の史跡に指定されている境内には、各廟所の他に鐘桜・唐門、小泉八雲の随筆に登場する巨大亀形の寿蔵碑、茶聖7代不昧公ゆかりの茶室大円庵、毎年4月の不昧忌に茶筌供養が行われる茶筌塚、茶の湯の井戸、不昧公の恩顧を受けた力士雷電の碑など、藩主菩提寺として由緒正しき遺品・遺跡が数多く残っていて、歴史と信仰のお寺として親しまれています。
又、静寂な境内には四季折々の花が咲き誇り、特に6月中旬からは、あじさいの花が所狭しと咲きほこります。
近年は、「山陰のあじさい寺」として、多くの観光客が訪れています。

(リーフレットより)

雷電の碑 雷電の碑
雷電の手形 雷電の手形
(雷電の碑)

雷電の碑

雷電らいでんは明和4年(西暦1767年)信州(長野県)に生まれ、横綱谷風の内弟子から大関となり寛政・文化の土俵を飾った。
天明8年22歳のとき、出雲藩7代藩主松平治郷公はるさとこう(不昧公ふまいこう)に4人扶持をもって召し抱えられ寛政6年(1794年)不昧公より雷電為右衛門の名前を給わる。
21年間土俵をつとめ258試合の相撲を行ったが、負けたのはただの10回でその勝率は相撲史上、第1位である。
この碑の撰文は「雷電」小説の作者尾崎士郎であり、雷電の手形は当月照寺に保存されている。

(説明板より)

境内 境内

雲州松平侯

初代 松平直政 1601年〜1666年 享年66歳
2代 松平綱隆 1631年〜1675年 享年45歳
3代 松平綱近 1659年〜1709年 享年51歳
4代 松平吉透 1668年〜1704年 享年38歳
5代 松平宣維 1698年〜1731年 享年34歳
6代 松平宗衍 1729年〜1782年 享年54歳
7代 松平治郷 1751年〜1818年 享年68歳
8代 松平齊恒 1791年〜1822年 享年32歳
9代 松平齊貴 1815年〜1863年 享年49歳
10代 松平定安 享年48歳
書院 書院

昭和59年に改築
見学無料
お抹茶がいただけます。(400円)
書院内部 書院内部
書院造り 書院造り

床の間の掛軸は藩祖直政公の御尊像

上段の間

書院造で一段高く作り、貴賓の座所とした間。

帳台構ちょうだいがまえ

書院造の上段の間になどにある構造。
鴨居を低く入れ、敷居を一段高くし、襖は中央から左右に引きあける様式。
寝室の入口の装飾化したものであったが、のちには武者隠むしゃがくしとなった。

(説明板より)

庭園 庭園

不昧公が修補したものと伝えられています。
宝物殿 宝物殿

昭和47年建立
歴代藩主の遺品・書画や当寺に伝わる収蔵品を展示

案内

交通:JR松江駅からタクシーで10分
拝観時間
境内=4月〜10月8:30〜17:30 11月〜3月8:30〜17:00
宝物殿・書院(茶席)=通年9:00〜17:00
拝観料:大人・大学生 500円


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