邪神について・・・

In Reply to: Re:底の抜けたバケツ
投稿者:ジョーカー
投稿日時:2001年11月14日 12時59分16秒

哲学的な「問い」と「応答」の地平は、主体が自分自身の「生」の中で<わたしのモノ>として引き受けなければならないものです。誰かに代理してもらうわけにはいかない。違いますか? それぞれの主体の中で「反復」されるわけです。違いますか? それは、時代を越えて、永遠に繰り返される「問い」と「応答」の地平であって、代理し得ない者としての個々の主体が、そこへと赴くことになるフィールドでしょう? そこでは、歴史が通用しない、永劫回帰する時間、すなわち「反復される時」が広がっているのでは?

科学的な「問い」と「解答」は、歴史を持ち、研究者の研究を通して、前進し、受け継がれ、積み上げられていく。しかし、この「問い」と「解答」の地平は、研究者という主体に関して、代理可能であると考えます。違いますか? 「物理的・経験的な諸対象の全体としての世界」についての<記述>でしょうし、その<真>は、共同世界の普遍性に根拠付けられると思います。で、ここでの「問い」と「解答」の地平は、それが歴史を持つ、という仕方で、連鎖していく時間性の中に組み込まれています。

ふたつの「時間」って言ったのは、そんなところです。「時間」概念を言うのであれば、時間という概念を、諸科学はそれを「計る尺度」として利用しはするけれども、それがどこに、もしくは何に由来し、また、それ自体はどういう意味なのか、という段になると、知ってはいないでしょう? そこを飛び越して諸科学が世界について語るとき、その客観性は、諸科学の客観性でしかない、かな。

諸科学の分析的思考の名のもとに、主体が、代理不可能な「わたしのモノ」として受け取る「問い」と「応答」の地平に侵攻し、そのフィールドに打ち建てられる「塔」は、所詮、「バベルの塔」でしかないのです。違いますか? 

また、諸科学の「リング」が、その科学的思考の賛歌(凱歌)の中で見ているのは、御神木=ファルス(男根)です。正体は、女たちをレイプする父なるファルス=邪神です。「リング」は、このファルスをたたえるしめ縄です。恐るべき「建築への意思」。科学の中には、もともと「ケダモノ」が宿るのです(笑)。

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