知の考古学:地層

In Reply to: Re:リング・・・?
投稿者:ジョーカー
投稿日時:2001年11月12日 21時11分58秒

ミシェル・フーコーが提起した「知の考古学」は、もう少し別の視点を開きます。諸科学の隣接する全体を知の<地層>と見なすものです。それは、19世紀に起きた地層変動の結果として存在します。歴史という連続性の視点ではなくて、非連続性の視点です。

そして、諸科学が実行される台座(=タブロー)が同じ考古学的地層だと考えれば、それぞれに専門化され・細分化された領域だとしても、本来は、相互に開いているはずです。一見、閉じて見える各専門領域は、同じ地層上にあるものとして、諸領域を「横断していく線(横断線/逃走線)」に対して、開いています。ま、そういうことです。

で、この「開いていること」を条件として、諸領域が強い紐帯(リング)を形成しようとするとき、「建築への意思」が発動するかのようです。・・・ただ、この「建築への意思」は、かなり盲目的な欲望の流れを利用する(舵を取っているのが、誰なのか、見えない)ので、「神に辿り着く」とも「怪物に辿り着く」ともはっきり言えないところがあるみたい・・・用心深くなければならない、と考えます。

もう一点、「脳」と「感覚」の関連性という問題構成ですけど、そこでは、次のような問題を処理できない気がします。
<脳は、トリカブト(猛毒植物)を、どうして眼病の薬草として発見することが出来たのか?>みたいな。

<脳>と世界との神秘的な(orアプリオリな)関連性を、この関連性の中に明らかにする→自身の外へと旅発ちながら「存在の光の中に出で立つこと」(ハイデガー後期)=詩うこととしての哲学?・・・これが、また、迷宮へと踏み込むことでもあるのかもしれません。

某については、よく知りません(笑)。

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神秘的な関連性
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