伝統的な風習を受け継ぐ 中国の旧正月の過ごし方

 5千年もの歴史をもつ中国は、国土も広く東西南北で全く異なる風習がある。現在では失われたものもあるし、たくさんの伝統的なものも変化していった。しかし、古き良きものは受け継がれ大事に伝統が守られている。例えばそれは、正月の風習です。

公歴の正月 は「元旦」、 農歴の正月は「春節」

 現在、農歴(旧暦)正月の初日は「春節」とされているが、春節の言葉の歴史はたっ80年に過ぎないそうです。1919年より以前は、中国人はずっと自分の暦法に よって暮らしていました。歴書上では農歴正月の初日を元旦、元日、元辰と呼んでいましたが、庶民達がその日を新年、過年(正月)、と呼び、過大年は新年を祝う言い方になった。1919年の辛亥革命以降は、中華民国は世界に通ずる公歴(西暦)に改正しました。それから後、公歴の1月1日が「元旦」に定められました。農歴と公歴を区別するために、農歴の正月初日は春節と呼びます。しかし、中国庶民は 今も農歴の正月初日から新年をスタートさせる。ほとんどの中国の会社は1年の ボーナス支給をその春節の前(公歴の2月か1月の末)に支給します。なお、中国の正月は、日本でいう「正月三が日」程度の短い休みではなく、農歴正月初日か ら15日間はすべて過年といい、中国で最も長い休暇になるそうです。

 
でも毎年春節の日が全く違うのには驚いてしまいます。中国人に「今年の春節は何時なの?」か聞くと「分からない!」って返事が返ってきます。去年は1月24日が春節。今年より19日も早かったんです。う〜ん?何かすっきりしないなあ〜!

語り継がれる伝説 「年は一頭猛獣である」

 中国の伝説の中には多くの「年」について記述があります。「年」は大なる血塗れ口、極めて凶暴で残虐な怪獣である。寒い冬の夜になると、人間界に降り、人と 家畜を喰いにくるというものである。ある年の農歴12月31日の日に、家の前に凶暴さを剥き出しにした「年」がやって来て暴れ出した。とたんに、人々は火をつけて暖めようとした。竹を燃やし火はパチパチと燃える音を立て、子供達は赤い 服を着た。すると「年」は恐れてその場を去っていった。これが受け継がれて「 年」がくるときに(大晦日の晩)爆竹を鳴らし赤い服を着、家の中は電灯をつけ 寝ずに過ごすようになったそうです。

新年の挨拶は、 移ろい行くもの


 昔から、年頭の挨拶はまず、四方神(喜、貴、福、財または福、禄、寿、喜を 表す)を拝むこととされている。それからお寺、廟に行き神と仏を拝む。大家族は家の大堂で先祖を拝む。これが一通り終わると年功序列、親戚に遠近の順で挨拶をする。先輩に挨拶するときは必ず頭を下げ、同輩の場合は握手するだけで構わない。ところが今日では、新年の挨拶はだんだんと簡略化されている。若者が礼儀をわずらわしがる典型と言われてきた。現在、都会の子供たちは年頭に親、先輩に対し頭を下げて「新年好」をすることが「良い子」とされている。家族団らんや親 戚、友人たちの訪問は正月の決まりごとである。しかし、現代の若者にとっては 年賀状、祝電、電報など送ることが人気のあるやり方となっています。

 
全然、日本と変わらないじゃん!でも爆竹は鳴らさないか!