9月11日から帰国までは、メモさえ残っていない大混乱となりました。まず何が起こったのか、自分達にどう関係するのか認識するのにしばらくの時間が必要でした。
荷物を送るにも飛行機が飛んでいない、空港も閉鎖されている。たとえどんな事情でも、私達は、出発の日までに支払いも含めて全てを終わらなくてはならないのです。
ニューヨークで乗り継ぎで、4泊ぐらいするつもりが、全てキャンセル。
アメリカの航空会社は使わない。アメリカは経由しない。
これは結構難しいことです。普通は、アメリカン航空で、カストリーズ、プエルトリコ(アメリカ領)、アメリカ本土のどこか、そして、成田に着きます。
カナダ経由で、夜遅く着いて、朝早く出るという最もつらい乗り継ぎで、2001年10月1日成田に戻りました。
翔は、高校に通いはじめ、部活動までこなしています。
サリーは、風邪をひきながらも楽しそうに小学校に通っています。
夏穂(私)はと言うと…この数ヶ月、大学受験で大忙しでした。 とにかく右も左もわからない土地で受験をして、 海外で生活するよりも変な経験をしてきました。 それについてはまた後日、詳しくお話したいと思います。 帰国子女特別選抜で受験したいと思っている方は、ぜひ見てください。
父と母は、不景気で寒い(関係ない?)日本で、やっと いつもどーりの生活ができるようになりました。
日本に帰国して、2ヶ月がたちました。 なんだか、自分が三年間過ごしたセントルシアでの生活が、夢のようです。 セントルシアでしきりに「日本に帰りたい」といっていたサリーが、 日本に帰ってきてから一番最初に「セントルシアに帰りたい」と言い出しました。日本の寒さが相当こたえたようです。
セントルシアでの面白い経験を書くことはできなくなってしまいましたが、 これからは、今までの事をまとめて、書き足していきたいと思っています。 これからもどうぞこのYado Caribをよろしくお願いします。
今度は二機目がビルに突っ込むナマの映像、私にもこれはただならぬ事態だということは分かったが、一体何がどうなっているのかは、見当もつかなかった。
私と夏穂は、帰国も近づいて、日本の大学用の書類を集めるのに忙しかった。日本の大学は、推薦状や、成績表も決まった用紙でないといけないものが多く、セントルシアでも、パソコンで学校の事務をすることが多くなった今、決まった用紙の決まった欄に書き込んでもらうというのは、かなり難しいことだった。推薦状も成績表も校長が書く形式になるので、多忙の校長を一々煩わせることになり、こちらも身の縮む思いだった。日本の学校というのは、きちんと書類をそろえないと受験させても、もらえないので、ともかく頭を下げ、何度も足を運んで頼むしかなかった。
学校に向かうために家を出ようとしている時、ビルが崩れ落ちた。埃を巻き上げ崩れるビル、走る人々、普賢岳の火砕流を思い出させた。大勢の消防士や、人々が巻き添いになったとまだ認識できていなかった。
学校では、すでにみんながニュースを知っていた。普通の人でも、皆、CNNをみているんだなと感心する。
世界で、どんな大事件が起こっていようが、自分は、自分の用事を済ませなくてはならないのだということがなんだか妙だった。
ニューヨークに長年住んでいた家主のSさんが言った、「みんなは、アメリカは、世界で一番すばらしい国だというけど、僕はそうは思えないんだ。今度もこんなことが、起こるなんて予想もできないひどいことがアメリカで起こっただろう。」という言葉が、印象に残りました。
(この日のメモは、ごく簡単なもので、思い出しながら書いたので、思い違いもあるかもしれません。)
夏穂の日本の大学受験のための書類をもらいに行く。卒業証明書がいる。
「この前recomendation を書いたじゃないか、あれで充分じゃないか。」といわれる。
graduated (卒業した)ということばを入れて欲しいんだと頼むと、recomendation が理解できないならgraduatedも理解できないだろうといわれる。
日本の大学は、帰国子女特別選抜という特殊な受験を制度化してくれて、海外で働くものに便宜を図ってくれるようになった。それはすばらしいことだ。しかし、日本的な書類をもってこいという。セントルシアも島国で、自分達のやり方だけが正式だと思っている。全然違う文化の2つの国があって、相手に自分の形式の書類を要求する。私達は、2つの全然違う文化の国の間で、ウロウロ・・・疲れるね。
どうしてこんな大切なことをきちんと連絡してくれないのだろうか、と思いながら慌ててもらいに行く。
8教科全部合格!
しかも先生がビックリするぐらいの高得点だった。夏穂は本番に強い、得な子だ。これで、無事卒業。大学を探さねば・・・。
翔は、新学期のレジスターに学校へ。お金を払い込むだけだと思ったら、アセンボリー(全校集会)があって、午前中かかる。ここの学校は、毎年やることが変わるらしい。
バナナの木は成長が早く、一年に3回ぐらい収穫し、そのたびに木を切って捨てる。その捨てる木と葉っぱを使って紙を作るという。日本の和紙の紙漉きの技術と利用するそうだ。
絵本「ミラクルバナナ」もバナナペーパーでできている。紙が少し波打っているが、光沢があり、ちょっと透明感があり、自然な感じで、なかなかいい。これが捨てるものからできるなんてすばらしい。
こういう時は、自分が日本人であるかとが、誇らしい。
20歳代後半のセントルシア人と話したら、16日夕方のあの不思議な体験は、彼女にとっても初めてのことだったらしい。超現象だったのかも?
ケーブルTVの天気専用チャンネル(Weather Channel)とインターネットで調べて
みる。
Weather Channelには、ハリケーンが近づくと、Hurricane Watch(ハリケーン 特報)という番組ができる。音楽にしろ、テーマのシーンにしろ物々しくて、 緊迫感充分。「やってる、やってる。」
『現在はTropical Storm(熱帯性低気圧?)だが、間もなくハリケーンになるで しょう。プエルトリコ、フロリダ地方は、充分な警戒が必要でしょう。』
バルバドス、セントルシア、セントビンセント、マルティニークは既に 警戒警報が出ており画面の中でセントルシアが赤く塗られている。
次の画面で、大きな白い雲の渦が現れる。
「おーきいネ」
「どこ、セントルシアは?」
「ここやんか!」
大きな雲の渦の真横に豆粒みたいなセントルシア 「ああ!」
縦に6個ぐらい並んだカリブ諸国全体を覆うぐらいの雲の渦、その進路の 中心にセントルシアがある。
「うわぁー、どっちにそれたって来るよ、これは。」
3年前にセントルシアに着いた日、大きなハリケーンが近づいていた。あわて
て貯水用バケツ、非常食、懐中電灯などを買いに走った。忘れもしないハリ
ケーン・ジョージア。
次の日テレビの映像では、完全にハリケーンがセントルシアの上にいるのに、 風もなく雨も降らず、ただただ暑かった。
そして近隣の島々やもう少し先の プエルトリコ、その後、アメリカ本土に大きな被害をもたらして北へ消えてい った。
セントルシアに3年いて、幸いなことに大きな被害には遭わなかった。
来そうで来ないのだ。
逆から来るハリケーンの方が危ないようで、私達に直接の被害はなかった が、一度西から来たハリケーンがセントルシアに大きな被害をもたらした。
夫の交代のTさんが、今日着く。彼は文字通り「嵐と共にやってくる。」
私は買い物に走る、水、非常食、電池 etc.。
「Tさんの分も買わなくっちゃ!」
夕方着くはずのTさんの飛行機が遅れる。
我家のテラスから一望できる海と空は、まだ静かだ。
雲の流れが速い、どんどん厚くなってくる。
飛行場の方向は、激しい雨が降っているのが見える。
6時頃、突然外が明るくなる。オレンジ色がかった奇妙な明るさだ。
あわててみんなを呼んでテラスに出てみると…見なれた景色が幻想的な光景 になっていた。空から黄色っぽいオレンジ色の微粒子の光の霧が降ってきて、 辺りを包んだような感じだ。
とても静かだ。
東の空が特に明るい。
沈みかけた夕日から出た光が、東側の厚い雲に反射して色々な方向から降り
注いでいるらしい。
「げぇ!」明るいのに物の影がない。
こんな経験は初めてだった。不思議でちょっと不気味だった。
大きな自然災害の前には変わった自然現象が起こると聞いたことがある。
「これは、やっぱり来るのかな。」
夫に電話、Tさんの飛行機は無事着いたらしい。
私は、水を貯めたり、テラスの物を片付けたり、冷凍庫の中に余分に氷を作っ
たり…走りまわる。
まもなくどしゃぶりの雨が降りだし、夫はその雨の中を帰ってきた。
降り続くだろうと思った雨は、まもなく止んだ。
雷が鳴り出した。窓の外でフラッシュをたいたように明るい。
電気が一瞬消えた。これって停電の予告…?
「ろうそく持ってきて!」
「懐中電灯わ?」
「停電になる前に、シャワーすましちゃお!」
「ご飯も食べちゃお!」
「片付けもやっちゃお!」
「はやく、はやく」バタ、バタ、バタ、バタ…。
雨もあまり降らず、風もそんなに強くならず、夜はふけていった。
ちょっとハラハラしながら、することもなくなって映画を見ていたら、
「Toropical Waveにかわっちゃったって!」ともう一つのテレビを見ていた
娘が知らせにくる。
「えーえ、なにそれ、そんなんありー!」
Toropical Waveって初めて聞いた。ようするに白い雲が渦を巻かなくなった ということらしい。
Hurricane Watchであんなに大げさに言ってたのに…。
ほっとしながら、反面ちょっとがっかり。
12時を過ぎて激しい雨が降り出した。
そして普通の朝が来た。
なんか呆気ない結末でした。
昼間もギラギラしてとても暑い。
太陽が真上にあるらしく、影が短い。
ここは、1年に2回太陽が真上を通ります。
今日、スーパーの前で、ラスタのお兄ちゃんが、アキを売ってた。 3袋買った。
アキは果物、濃い緑色でビー玉くらい。
硬い皮を歯で割ると、ムニュとした実がツルンと飛び出す。
大きなまん丸の種のまわりにヌルヌルした半透明の実が付いていて、
しばらく口の中でゴニョゴニョやって種を吐き出す。とても甘い。
うっかりすると喉にツルンと入ってしまいそうで怖い。
ルシアンは、このアキが大好きだ。時期になると、街のあの角でも この角でも売り出す。小さなビニール袋に入ってEC$1(40円)。 数えてみたら28個入ってた。
夏穂は、このアキが大好きで「帰る前になんとかもう一度食べたい。」と言ってた。
一昨日、夫に言われてはじめて気が付いた。
(娘達は夏休みだし、日本のカレンダーを使っているから…)
なかなか良いカレンダーがない。
日本みたいなカレンダーがある国は、そんなにないと思うけど…。
ちゃちぃカレンダーはある。銀行とか食品メーカーとかスーパーがくれるやつ。
そういうのも我家で使っているけど、なにせ小さな国、
他のカリブの島と共用らしく、祭日はあちこちの国のを書い
てあって、どれがセントルシアの祭日か分かりにくい。
そんな訳で、日本ではそういうことはほとんどないけど、ここでは、 よく祭日を忘れるのです。
すごーい。
遠かったので、音はさほどではなかった。地響きのような 音がながーく続いてた。遠くでよかった。
セントルシアには、珍しく一日中降ってた。
二人で出かける。
昨年の失敗から考えて…(2時ごろからといわれたので 2時前から待っていたら、行列の始めが来たのが4時過ぎだった。それに、 小さいサリーのために影になって、危なくなく、座れるところを探して 待っていたら、なんと、行列は、我々の待っている所の一つ前の角で曲がって しまった。周りにいっぱいセントルシア人がいたんだよ。) 今年はゆっくりめに行く事にした。
トウベイは、事務所に行って、FAXをチェック。 音楽が聞こえてきたら行くことにしたが、いつまでたっても聞こえてこない。 私たちの知らない間にどんどんすんでたりして…なんとなく落ち着かない 気持ちで、四時前に事務所を出る。
丁度小さなグループが来た。聞いてみるとこれが最初のグループだという。 歩道に即席の店が並んでいる。飲み物屋、スナック菓子屋、雑貨屋。 今年は食べ物屋が多い。チキンのバーベキュー、フロート、チキンフライ、 魚のフライ…人で溢れる狭い歩道で、そこで実際焼いてる、揚げてる。 危なくないのかな?それにしても胃袋にしみわたるいい匂い。フロート とチキンを買ってしまった。骨付きのもも、でっかい奴だ。かぶりつく。 こんなにいい匂いなのに、まだ食べてる人は少なくて、ちょっと恥ずかしい。
30分近く待って、次のグループが来た。 ド派手な露出度95パーセントぐらいのコスチュームを着けた男女が近づい てくる。踊っていると言うようりは、足を開いてちょっと腰を落とした 状態でジョリジョリいざる感じでゆっくる進んで行く。
グループの中心のトラックが来る。 超大型のトラック、アメリカ映画でよく見る運転席だけのトラックにコンテナー ではなく台車を引いて、その上に大きなスピーカーを何十個と無秩序に 積み上げている。その間でシンガーが絶叫しながら踊っている。後一人二 人踊っているけど、その他の数人は、ただ車の上でビールを飲んでる。
車が自分の前を通過すると、音の圧力で体が震えて、心臓の中にいる みたい。とにかくすごい。
車の先頭に男の人が2人座っている、だんじりの先に座っている人を思い出 させる…。彼等は、片方ずつ、野球のミットのような革の手袋をしていて、 「まさか…」と思っていると「やっぱり…」車がひっかからないように垂れ下 がっている電線を持ち上げている。オソロシ。
踊り手は断然女性が多い。皆手に飲み物を持っている。(何しろ暑い。) それがほとんどビールかその他のアルコール。もう少し時間がたって、盛り 上がってくると女性の後ろに男性がくっついてスリスリ状態になるのです。 初めて見た時は目が点になりました。一人で踊っている女の人も多いけど…。 男たちはどんどん相手を変えて行き…、中には全然相手変えない男もいて… これは私の目には地下鉄の痴漢状態なのです。
間違っても「来年は私も…」とは言わない。
いやはや、なんとこれがカリブのカーニバルです。この踊り方を ワインダンスと言うそうです。どういうふうに綴るんでしょうね。
これが最後のカーニバルだからもっと見たい気もしたけど、次のグループ まで又30分待つのかと思うと…、あのスピーカーの音圧を思うと…、引き上 げることにしました。
こんなカーニバルも「もう見れない。」と思うととても寂しくなりました。
夫も4連休の3日め、2年以上言いつづけていた、島一周の旅に 連れていってもらえる事になった。島一周の旅といっても、 普通の乗用車で日帰りで行ける簡単な旅なのです。続きはこちら
呼び出しの係り、スタートの合図、記録係とちゃんと決まった人が、 きちんと仕事している様だったが、周りの子供達はガサガサしてレース開始の 笛も聞こえない。サリーは、屋根のあるところで、楽しそうに友達と遊んでい たから、まあいい…。2時になったので、先生の許可をもらって帰った。
サリーのクラスで出場する事になっていた子は、10時前から着替えてプール サイドで待っていた。4時間待ってもまだ彼等の出番はこなかった。
サリーは出ない事にしていて良かった。サリーのクラスメートの 競技は見たかった。もう少し待てばやるような気もしたが…まだまだ ということもあるので、きっぱり諦めて帰ることにした。
You never know.(その時になるまで分からない。)のである。
「ほっ、」昨日と昨夜やっとまとまった雨が降った。今月初めから、少しずつは降 っていたけど…、周りもかなり 緑になったけど…、乾いた大地にあっという間にすい込まれてしまう程度で、どう考 えても水源地を潤すほどではなかった。なのに、ほんの少し降り出して以来、人々 は何も言わなくなり、私と夫は気をもんでいた。
今日から翔の期末テストが始まった。この頃「集中できない!」とか「いつも
眠くてたまらない。」と言うことが多い。いつも眠りが浅いと言う。翔を見てい
るとこれくらいの年齢は本当に体の調整が難しいと思う。そういう子達に受験勉強
を強いるのは、よくないことだと思う。
やっとのことで夏穂の1月以上にも及んだCXC(カリブ諸国で高校卒業前に 科目ごとに行われる、習熟度を見るテスト)が終わった。きちんとどうい うものか分からないでここまで来たけど、すごいテストだと思う。一夜 漬けは役に立たない、まぐれも期待できない厳しい試験だと思う。この試験は、 バルバドスの会社が作っているが、イギリス系の試験ではないかと思う。 どういうものであったか、ゆっくり書こうと思っている。
アメリカでは、高校を卒業しても満足に読み書き計算ができない人が多くて、
大きな社会問題になっており、ブッシュ政権は、なんとかしようと考えている
と言う。全国的に試験をして、ある程度の点数を卒業の条件にしては、と言う
案もあるらしい。
今日も朝から雲が低くたちこめ、時折突風が吹いて、どう考えても絶対降るという感じだった。午後テラスの寝椅子で横になると、サァーッと来た。これは止みそう にないなと思っているとあっという間に止んでしまった。
うとうとした。突然ザァ ザァザァザァザァーという音、飛び起きたら、突風に木々の葉がなっただけだった。 何度聞いてもこの音は、激しい雨の音に聞こえる。
一日中雨が降りそうなのに、3回ばかりザァーッときただけだ。ホントに ハラタツ事にすごい雨なのに1分続かない、数秒という時もある。家から見える 海の上では、雨が降っているらしいのに…。どうせ降るんだったら海の上に降 らずに陸で降ってくれ…!水不足が深刻なんだから…。
池田の小学校の事件は、CNN、でもチャンネル7でも避難する子供達や救急車
や保護者の映像と共に結構詳しく伝えていた。(我家は、ケーブルTVでアメ
リカの放送中心に見る事が出きる)BBCでは、この事件の放送はなかった。
翔の学校でショッキングな事件があったらしい。詳しい事がわかったら書く。
サリーに楽しみが一つ増えた。今週の月曜日から「カードキャプターさくら (英語の題はCardcaptors)」がテ レビで始まった。(アメリカのカートゥーンネットワークCartoon-networkを ケーブルTVで見ている。)
これはちょっとやばいカモ
毎日、今にも降りそうで…。やっとのことでザァーと来て、でも窓を閉め
る前に止んでしまう。今朝は、6時から水が出ないという。(うちはタンク
だから普通に出ているが…)ついに給水制限らしい。何も言わないところが怖い。
アルミ缶入れに使っていた、大きなバケツは、昨日きれいにした。さっそく
水を貯めた。
6月1日は雨が降りそうで降らなかった。その後も毎日降りそうだが、 ほとんど降らない。誰かが、「あと8日分しかないそうだ。」という。 計算が合わない。テレビで、具体的な日数を言わなくなったのがよけい怖い。
ミネラルウォーター箱で買っとくべきか?先走って笑われるのは嫌だし…。 一寸水を貯め始めたほうが良いかな?雨が降ったら無駄になるだけなんだけど…。
水不足
前にテレビで見たことがある。 アフリカのサバンナ、長い乾季のあとの雨、たった一度の雨でも 乾いた大地に緑の草が芽をふく。 そんな感じだった。牛達が急に活発になったように感じた。
だが後が続かなかった。 ニュースで節水をよびかける番組を見た。水源のダムはかつて ない低い水位になっているという。水を無駄に使っている 人を見たら警察に届けるように呼びかけていた。
ある人は、「後28日分しかない。」と言う。
島は水の供給が難しい。そのために住めない所が多い。 前々から、この国の水の供給はどうなっているの だろうかと気にかかっていた。ヴェネズエラの島 マルガリータ島は、本土からパイプで水をひいているという話だった。
ある日突然水がなくなったら…。どうしよう…?まさかの時に 何とかしてくれる国は、発展途上国とは呼ばない。ここは、発展途上国で、 まさかの時、何とかしてくれるとは限らない。水がなくなったら、 どうしたら良いんだろう?海外に逃げる?外国人は、ミネラルウォーターのボトルを手に 空港に殺到するのだろうか?あんな小さな飛行機では、少数しか運べないし…
誰に聞いても自身ありげに言う。「大丈夫、明日は
6月1日!ハリケーンシーズンが始まる。絶対雨は降る。」過去の記録から
すると6月1日というのは100%雨なのだという。確かに厚い雲が立ち込めている。
久しぶりにまとまった雨が降った。
牛も食べる草が無くて本当に痩せて いて気の毒だったから、これで少しは、よい状態になるだろうか?
5月24日(木)
風がとても強い。テラスで昼寝していると、寝椅子ごとふわりと浮き上 がりそうだ。
これってやっぱり海の上の小さな島だからだろうか?
サリーの”お迎え”に行って、終業のベルを待っている…。
ヨットハーバーの見えるちょっとした丘のようになったところ
に学校はある。日差しがきついので、
マンゴの木の元に腰をおろす。
強風がふき渡って行くのです。
日本で、強い風という寒い木枯らしを思い浮かべるけど、 ここの風は、強風でもなまあたたかく、結構快いのです。
一杯ぶら下がった マンゴの実を揺らしながら、背の高いヤシの木の大きな葉をザワザワ鳴ら しながら、風が渡って行くのです。
肩の力が抜けて、体がだれっとなりそうだ。
家主のSさんがトビウオの丸揚げをくれた。このところ近くの
海でトビウオが大漁で、町では、トラックで売っていると言う。
10匹EC$1(約40円)だという。
塩、コショウ、レモン汁でしっかり味をつけて、 何もつけずに揚げたトビウオは、パリっと揚がっていてとてもおいしかった。
別の人の話によるとこの2週間ぐらい、その日に よってEC$1で5匹とか3匹とかで売っているそうだ。1ドル10匹は 超安値で、「私も買いたかった。」と悔しがった。
セントルシアは収入から考えると食費がとても高い。日本では、
サンマの豊漁で叩き売りの時でも、サンマ以外のものを食べる人も多いけど、
セントルシアでは、きっと多くの人が安い時にどっと食べると思う。
今日あたりどこの家庭でも、トビウオのフライにかぶりついてい ることだろう。
免許の書き換え
夫と私の免許は5月20日で切れる。ずっと気になっていたが、やっと今日書 き換えに行くことになった。私たちは、一年ごとに書きかえる必要がある。
去年は、街の中の、交通局に行った。普通の店の2階にある。細くて暗い 階段を上ってゆくと、なんか木製の、古臭い感じの事務所で、「こんなところで いいのかな。」と思っているうちに、一応ちゃんとラミネートされた免許書が できてきた。
今回は場所が変わっていた。ちょっと郊外で、真新しい、ビル。 割りと広い駐車場もついていた。空いていて、すぐやってもらえた。 普通のセントルシア人は、更新は最初が1年でその後は、3年、更新の費用は、 EC$150(日本円に直すと6000円ぐらい)彼等の収入からすると高い。 日本の免許と違うところは、自分のサインと、交通局のオフィサーのサインが 入る事。アメリカと同じで、免許書は、身分証明書として、重要だ。
こちらに来てすぐ、日本の免許から書き換えた時の事を思い出す。サインする オフィサーが休暇中だからダメ、写真のフィルムがないからダメ、その次は、 ラミネートがないからダメといわれ…。この時は、もうこれ以上待てなかっ たので、つれていってくれた人が文房具屋でラミネートを買って来てくれた。 そしたらやってくれ。「なぁ〜んだそんな物なのか」と妙に感心した。
センサス(CENSUS)(国勢調査)
昨夜9時少し前、訪問者あり。何事かと思ったら、センサスだという。 「外国人だから…」とか、「もう少しで帰るから…」、とか言ったけど、 「今日中に、この建物だけは、終わらせておきたいので…」と言うので、 しぶしぶ応じる。
名前、生年月日から始まって、家賃、持ってる家電、 病歴、職歴など等次々に質問され、その都度、「個人情報は保護されて いるのでしょうね。」と念を押す。そのたびに「情報の保護は完全です。」と 太鼓判を押す。自信ありげに「ゼエ〜ッタイ、大丈夫」といわれると よけい、「ダメだろうな。」という気がする。
でも、統計は、みんなが正確な情報を提供しないと意味ないし、私も統計は見てみたい。 収入の額のところだけは、パスしてあとは、一応正直に 答える。
何が、お手間は取らせませんだ!家族5人について、それぞれ聞いて ゆくので、一時間以上かかった。相手は、学校の先生だそうで、仕事が終わ ってから来るので、こんな時間になると弁解していた。
ジャズフェスティバル
4日から始まったジャズフェスティバルが昨日終わった。
セントルシアのあちこちで演奏が行われた。町の中心スクウェアーでも数回かあっ
た。これは無料。最終の2日間はピジョンアイランド。チケットが一人EC
$135(約5000円)。これが最後の機会になるだろうから覗いてみた
い気もしたが、ギラギラ照つける太陽、埃、トイレもたぶんないだろうし…この
値段…、めげてしまった。
それにしてもこのところ毎日強風。暑い事を予測して帰ってきたら、
思ったより涼しかった。どこを見ても乾いてカサカサした感じだった。雨が
ほとんど降っていなかったらしい。木や草がかなり枯れて、牛たちが餌
に困っているらしく、我家のすぐ近くにも現れた。牛は臆病だから大丈夫
と言われてもやっぱりすぐ横を通るのはちょっと怖い。デカイ…、それ
にその声もすごく大きくて響く。迫力だ!
先週あたりから、ほんのちょっと雨が降り出した。日差しもとって も強い。強風のおかげで、過ごしやすいが、だんだん暑くなってきて いる感じがする。<悦>
場所は、セントメリーカレッジという名の高校。費用は日本と同じ US$110。
受験番号も事前に届かなかった。正式の身分証明書とパスポート サイズの写真を当日会場に持っていった。
受験したのはたった4人。
ヒヤーリング・テスト中にテープが止まってしまって、その時試験官は
教室にいなくて、受験生の一人が呼びにいって、それから、その試験官が
ラジカセの電池を買いにいって、再びはじめから聞きなおしたのだそうだ。
日本のTOEFL関係者が聞いたらひっくり返っちゃうだろう。。
夏穂はなんかあるだろうと思ってたと笑ってた。
4月5日から27日まで、日本に一時帰国した。
日本は4月だというのに寒かった。
26日の朝、あわただしく家を後にして、電車を5個も乗り継いで、 成田にたどり着き、ホリデーインで一泊して、27日の昼頃、成田を発って、 シカゴ、マイアミ、サンファン、セントルシアと4つ乗り継いで、 セントルシアに着いた。セントルシアに着いたのは、27日の夜中の12時 少し前だった。成田を発ってだいたい24時間経っていた。普通は、どこか で一泊する。強行軍だった。
もとの生活に戻った。
体験した人でなくては分かりにくいと思うけど、これはとても不思議な体験 だった。今回は、日本にもセントルシアにも生活があって、時空を駆けた ような気がした。
セントルシアの生活に戻って、 いつも使っていたはずのコーヒーカップの場所が、一瞬わからなくて、 頭がくらっとなった。昨日までの生活がある時点で、全く変わって 違う生活になる。これってとっても妙な感覚。もちろん旅行とかいくと 新しい世界に行くわけだけど、そこにはまだ自分の生活はないわけで…、 海外赴任を終えて帰ると、今まであった自分の生活が、突然なくなって しまうので、すごい喪失感を味わう。そういうことは今までに何度か 経験したけど…。今回は、両方に生活がちゃんと存在して、ある時点を境に 2つの生活を行き来して、とっても不思議な感覚でした。今までにも一時帰 国はしてたけど…。その時は、日本にいてもうちだけ別世界に居る感じだった。 今回は、サリーが日本の小学校に体験入学させてもらったことで、日本の 生活という物がちゃんと存在した。
セントルシアで、学校へ通っていて、数日後に、日本の小学生 になって、短い間だけどちゃんと日本の一年生をやって、そしてまた5月2日 から新学期の始まったセントルシアの小学校に普通の顔して出かけて行く サリーって、なんかすごい。 日本では、ちゃんと日本語、ここではちゃんと英語を話して いるしね…。
今の人間は、過去の人達が、決して体験することのなかったよ うな体験を、わりと普通にやってしまう。
セントルシアを発って日本に着くまでに、手が荒れだして、
日本では水仕事の時は、ずっとゴム手袋を使っていたにもかかわらず、
手がひどく荒れた。爪の横が深く割れて痛かった。
手の甲にも小さなひび割れが一杯できた。
薬用のクリームをこまめに塗ったが、全然効果がなかった。それが
セントルシアに戻ると、炊事は、素手でやっているし、薬も塗ってないのに
見る見るよくなって、2日で全快した。一体これってなんなんだろう。私は、
ずっと若い時から、手の荒れに苦しんできた。洗剤のせいだと思ってた。
(悦)