暗黒騎士2
ローザとゴルベーザが、倒れたままのセシルを守るように立った。
悪魔の琥珀色の瞳の奥、暗黒騎士は蒼の双眸を細めた。半ば予想していた筈の反応だった。
ローザは『セシル』の美点しか見ようとしない。
クリスタルの床の上、銀色の髪を散らす半身を見る。
『あれ』はお前達が望んだ姿だ。
どうしようもなく無様で無力で、けれども、悲しいほど一途に何かを守ろうとあがく無垢な英雄の姿。
ローザの助力を拒む事もない。ゴルベーザの罪を糾弾する事も、もはやない。それがお前達の望み。
その代わり、いかなる睦言も赦しも与えはしないが。
お前達がそうである限り、『あれ』の光は戻りはしまい。
ならば、私もこの姿に相応しくあろう。冷酷で邪悪な暗黒騎士の姿のままに。
薄れ行く意識の中、セオドアは亡き上官の姿を見ていた。
生前と変わらぬ厳しさと優しさで叱咤され、励まされ。これまでの旅を振り返る。
あの漆黒の騎士は、おそらくバロンで見た竜騎士と同じような存在なのだろう。セオドアは、セシルの心に触れる事を恐れていた。
バロンに戻った時、あれほど強く立派だと思っていた人の暗部を知ってしまった。
それなら父さんは?
世界を救った英雄。各国の統治者からも信頼を得る王の中の王。
心無い大人の視線に耐えるより、凶悪な魔物と戦うより、あの優しい目が冷たく変じてしまう事が何より恐ろしかった。
ああ、そうか……僕は……。
セオドアはその恐れの正体に気付いた。痺れの走る手足に力を込める。
まだ終われない。まだ何も伝えきれていない。
叩き込まれた騎士としての覚悟。この旅で教えられた事。
いつでも言えた筈なのに、つまらない意地が邪魔をして、口に出す事ができなかった思いを。
「僕は息子なんだ! 父さんと母さんの!」
拾い上げた剣を支えに、やっとの思いで上半身を起こす。
「立てるか、セオドア?」
先に起き上がったカインが、セオドアに手を差し伸べる。
この人は、いつも僕を助けてくれる。
そのさり気無い優しさが今はとても心強かった。
「大丈夫です。カインさん」
一人で立ち上がったセオドアは、暗黒騎士に剣を向けた。
僕が思うのと同じように、父さんにも伝えたい思いがあるはずだ。兄であるあの人に。
「お前は父さんじゃない! 父さんはここにいる!」
それは何かの神聖な儀式のようだった。
「お前もか……セオドア!?」
諦念か、失望か。セオドアの言葉に暗黒騎士は少なからず衝撃を受けていた。
それを好機とセオドアが剣を突き出す。
「セオドア!」
ローザの声が飛ぶ。しかし、渾身の力を込めて突き出した剣は暗黒騎士の体には届かなかった。
躊躇ったわけではない。見えない壁がセオドアの剣を阻んでいたのだ。
「そんな!?」
距離を取る事も忘れ、セオドアは顔を上げて暗黒騎士を見た。
二人の視線が交錯する。セオドアの、暗黒騎士の目と同じ色をしたそれは、心を映すように酷く揺れていた。
「もういい、もういい……。セオドア……」
暗黒騎士はあやすように言った。
英雄としての偶像、英雄の子としての偶像だけが求められる現実に、お前まで傷つく必要はない。
もう『私』を見るな。強く立派な父の偶像だけを抱いたまま眠れ。
「お前も永遠を手に入れるのだ。その命と引き換えに……」
暗黒騎士はセオドアの肩に左腕をかけて抱き寄せた。あの旅立ちの日と同じ、優しい抱擁だった。
セオドアの手から剣が滑り落ちる。
「セオドア!」
カインとゴルベーザが二人を引き離そうと駆け寄る。暗黒騎士はこちらを一瞥して、暗黒の波動を放った。
互いに逆の方向に散開してやり過ごす。ゴルベーザの黒魔法も、カインの槍も、セオドアを巻き込む危険がある以上は迂闊に振るえなかった。
あの暗黒騎士は、セシルに近しい者の命を奪う事で、幻獣化して永遠の存在となった養父と同じ絆を求めている。
おそらくは暗黒騎士自身も気付いていない無意識の行動なのだろう。
この中で誰よりも長い時を共に過ごしたローザではなく、ゴルベーザやセオドア、血の繋がりにまずそれを求める。
その事実がカインの心を苛んだ。
大戦の最中、カインは二度セシルを裏切った。セシル自身は何も言わずカインを許したが、傷ついていない筈がなかった。
『あれ』は俺の罪だ。裁かれるのは、俺でいいだろうに。
ままならぬ現実に、カインは歯噛みした。