暗黒騎士1
それは、不思議な光景だった。
まばゆく輝くクリスタルの床。空中に浮かぶ台座の光を湛えたクリスタル。黄金の縁取りに豪奢な装飾が施された玉座。
光に満ちた空間の中、ただ一つ異質な存在があった。クリスタルの、玉座の輝きに不釣合いというだけではない。それは今この時に存在する筈のない者だった。
「セシル……」
ローザが誰にとでもなく呟いた。後姿だが見間違える筈はない。決して短くはない間、自分が見詰め、思い焦がれ、追った背中だ。
「父さん?」
セオドアが反射的に後ろを振り返る。
そこには虚ろな目をして立つ父の姿があった。セオドアを優しく見守っていた蒼の双眸も、今は何の感情も映してはいない。居た堪れなくなって、前へ向き直る。ローザの視線の先には黒い甲冑の男がいた。
あれが父さん?父さんはここにいるのに??
ローザの言葉の不可思議さに戸惑うセオドアは、説明を求めて傍らに立つカインを見やった。
「そんな……」
カインは言葉を失っていた。黒い甲冑の男は、過去の、暗黒騎士であった頃のセシルだった。
死人が蘇る。そんな光景なら、ここへ到る道程で散々見てきた。
しかしセシルは今生きてここにいる。
生ける屍。
あれは何時だったか、何とはなしに死の水先案内人を名乗る男から聞いた言葉が、カインの脳裏を過ぎった。
「ぐああああっ!!」
一行に付き従うよう、ただ漫然と歩みを続けていたセシルが、暗黒騎士の姿を認めて絶叫する。
最後尾を歩いていたゴルベーザが、セシルを庇うよう前に立った。
セシルの叫びに呼応してか、暗黒騎士がゆっくりとこちらを振り返った。悪魔を象った兜の下から覗く口が醜い笑みの形に歪む。
「これも……クリスタルが再生したというのか……」
ゴルベーザは唸る様に呟いた。その問いに答える者はない。
「この姿こそ、我が本質……!」
暗黒騎士が頭上に剣を掲げる。その剣は、カインやローザにも見覚えのあるものだった。
セシルが試練の山で父クルーヤから授かった剣。地底世界の刀匠ククロが手ずから鍛えた聖剣。
だが、かつて聖騎士の手の中にあった剣は、闇色の瘴気に包まれ、禍々しい輝きを放っていた。
聖剣の力で増幅された暗黒の波動が一行を薙ぎ払う。如何なる力が作用しての事か、聖騎士の力を得たカインや、月の民として秘めたる力を持つゴルベーザやセオドアをいとも容易く地に叩き伏せた。
「用済みだ、抜け殻の肉体など……。我こそがセシル!」
カインとローザの、そしてゴルベーザの記憶と、確かに違わぬ声音で暗黒騎士が叫ぶ。その精巧さが三人の心を打ちのめし惑わす。セオドアは気を失っているようだった。
「うああああっ!!」
セシルが再び剣を振り上げた暗黒騎士に掴みかかる。
「最後の炎か、抜け殻の!!」
暗黒騎士はセシルを振り払うと、その背に聖剣を付き立てた。
「ぐ……あああああぁっ……!!」
苦悶の声を上げたのは、セシルではなくゴルベーザだった。剣がセシルに届くより早く、その背に覆い被さったのだった。
一瞬の逡巡。そして嘲笑。
「償ったつもりか? それで……」
引き抜いた剣に口を寄せる。
「世界を陥れた罪を……。我を捨てた罪を!」
自らが裂いた傷を、ことさら力を込めて踏みにじる。
「ぐっ…うぅ……。すまぬ……。すま……ぬ……。セシ……ル……!」
ゴルベーザは熱に浮かされた病人のように同じ言葉を繰り返した。
青き星に戻った時から、謗られる覚悟はできていた。しかし、ゴルベーザの予想に反して、故郷の星の人々は彼を寛容に受け入れてくれた。
それが今、謗られる相手が弟の写し身になっただけの事。命は惜しくはなかった。
ただ無念だった。犠牲を払いながら、故郷ばかりか弟一人すら救えない。
(お兄さん……! セシル……!!)
ローザは二人の会話を絶望的な思いで聞いていた。
幼馴染だったが故に、ローザは孤児として育ったセシルが何を求めていたのか知っていた。
だからこそ、二人には兄弟としての絆を築いてほしかったのに。
それは自分達の一方的な思いの押し付けに過ぎなかったのか。
ローザを始め、仲間達は皆セシルがゴルベーザを許す事を望んでいた。
しかし、あの大戦で多くの命が喪われたのは事実だった。
自らが奪った命と、ゴルベーザによって喪われた命。それら全てを尊ぶあまり、セシルは苦しんだ筈だった。自分の心を見詰めるよりも先に。
それでもセシルは、個人の問題で歩みを止める事を己の立場に許さなかった。
この暗黒騎士は、セシルがあの時置き去りにした苦しみを象っているのだ。
ごめんなさい。一番辛い時に何もできなくて。
過ぎ去った時を思う。
「本望だろう? 自らが捨てた弟の手で死ぬのだ!」
暗黒騎士が逆手に持った聖剣を、ゴルベーザ目掛けて振り下ろす。
しかし、寸での所で剣は魔力の障壁によって阻まれた。
ゴルベーザと暗黒騎士が言葉を交わす僅かな間を縫って、ローザは回復魔法と防御魔法の詠唱を終えていたのだった。暗黒騎士が裂いた傷が見る間に塞がって行く。
「何故だ、ローザ!私を捨てた男を!世界を破滅に導いた男を!」
仮面の下に動揺の色が走る。
ローザは知っていた。
中天にただ一つ浮かぶ月に自らの姿を重ね、寂しげに見詰めるセシルの姿を。
我が子の名前に込められたセシルの願いを。
例えセシル自身が暗黒騎士の言葉を認めたとしても、ローザだけはそれを認めてはならなかった。
「あなたはセシルじゃない!」
あなたはそんな人じゃないわ。