暗黒騎士3
セシルは闇の奔流の中にいた。
何も見えない。何も聞こえない。立っているのか、座っているのか、どんな体勢でいるのかも分からない。
ただそこに居るという感覚だけがある。
少し前までセシルが座るよう設えられた玉座があったが、神馬を駆る騎士王に斬られた時になくなってしまった。
あの玉座に座っている間は、王としてある自分を保っていられたのに。
代わりに残ったのは、自分を取り巻く全てを守りたいという漠然とした願いだけだった。
何故そう願うのかは分からない。セシルはそれをパラディンの役目のようなものだと捉えていた。
妻と子と兄が闇の中へ現れ、セシルを呼んでいた。
ローザとセオドアは今にも泣き出さんばかりの顔をしている。
二人が何を悲しんでいるのかセシルには分からなかった。否、考える事を心が拒絶していた。
自分にはそれを考える資格などない、パラディンとしての役目を果たせれば、それでいいのではないかと。
ゴルベーザは素顔を晒していた。月の民の血の特殊性故か、一度も見た事がなかったにも拘らず、セシルはそれが兄だと認識できた。
闇に埋もれる事も厭わず、ゴルベーザが近づいて来る。
来るな。この闇は兄さんを飲み込んでしまう。叫びたかったが、声を上げる事はかなわなかった。
堂々たる体躯をした男の姿が、黒い甲冑の魔人へ、更に魔人の姿から栗色の髪をした少年へと変わる。
少年はセシルに詫びながら、闇の中へ倒れこんだ。その背中には父から授かった剣が突き刺さっていた。
違う。僕はそんな言葉が聞きたかったわけじゃない。その思いも声にはならなかった。
気が付けば、ローザとセオドアの姿もない。セシルはまた一人になった。闇の奔流が一層激しさを増し、セシルの意識を磨り減らしていく。
この闇を形作っているのも、また自分の心。
それなら見つけ出せばいい。自分自身を形作る何かを。
罪の記憶ではなく、王としての責務ではなく、パラディンとしての姿ではなく、いつも心を満たし、自分を突き動かしていたはずの何かを。
思い出せ、全てが虚無の中へ消えてしまう前に。
遠くで自分の声が聞こえた。その声は兄を嘲り、息子の命を奪おうとしていた。
奪わないでくれ、最後に残った願いを。
軋み悲鳴を上げる心。失っていた感情が、堰を切ったようにあふれ出す。
堅く握り締めた右手に、何かが押し込まれた感触がした。見れば、それは光輝く剣だった。
役目も理由もいらない。戦え、心のままに。
息子の名前を呼びながら、眼前の闇に向かって剣を振り下ろす。突然、視界が開けた。
「父さん!?」
「き、貴様!? 何故!」
背中を切りつけられた暗黒騎士が膝を折る。セシルが斬ったのは闇ではなく、自分の写し身だった。我に返ったセオドアが、剣を拾い上げてセシルの方へ飛び退る。
「行くぞ、セオドア」
油断なく前を見据えたまま、声をかける。セオドアは腕当てで顔を擦ると泣き笑いの顔で頷いた。
「セシル……!」
ローザの頬は涙で濡れていた。
立ち上がったセシルを見た時、予感はあった。ローザが握らせた剣を持って駆け出した時、予感は確信に変わった。
「私がセシルだ……私こそ!!」
暗黒騎士がセシルに切りかかった。光と闇の斬撃がぶつかり合う。
二、三度切り結んで、唐突にセシルは距離を取った。
暗黒騎士の頭上から槍を構えたカインが降って来る。それに気付いた暗黒騎士が咄嗟に体を逸らす。聖槍の穂先が黒い甲冑を掠めた。
セシルとゴルベーザが白魔法と黒魔法の波動を撃ち出す。相反する力がぶつかり合い、青い光弾となって膨れ上がる。
戦いを始めた時は暗黒騎士が五人を圧倒していたが、今は逆の状況になっている。セシルが力を取り戻したのとは対照的に、暗黒騎士は力を失っているようだった。
「馬鹿な、貴様がセシルだと!?では、私は一体?」
悪魔の仮面を押さえて頭を振る。セシルはその姿に既視感を覚えていた。
孤児であったが故に、ずっと抱えていた不安。抜け殻となっていたセシルの心を埋めていた闇。
「お前は私だ。一人で心を閉ざしていたあの頃の……」
恩義に報いる為と王の偽物に言われるがままクリスタルを略奪した。
暗黒騎士である事を理由に、ローザの思いを受け入れようとしなかった。
何者であるか分からない不安故に、自分の存在価値を失う事を恐れていた過去。
「私は……」
「だが、今は違う。お前は一人ではない」
暗黒騎士である事。パラディンである事。
そんな理由がなくても、自分を形作る力は確かにある。セシルは家族と幼馴染と仲間の事を想った。
暗黒騎士の姿が薄らいでいく。暗黒騎士は兜にかけた手を一瞬持ち上げかけて止めた。
結局、一人で闇を抱えたまま消えるつもりなのか。そんな所が自分らしいと思ってしまう。しかし、それでいい。
受け入れられなくてもいい。理解されなくてもいい。
ささやかな、けれど強く揺ぎ無い願い。それを信じていれば戦える。どんな運命だって変えられる。