※きまぐれな管理人の「非日常」なことを書く活動雑記。
 日記では書ききれない出来事や、旅日記に収まらない
 ような活動などをまとめております。
 今ごろ東海大水害ボランティア記録ぅ3 2002/2/19
目的地は入り組んだ道路の方が入口側
 この家はいわゆる長屋的な作りで、奥に長く作られている。もちろん、裏口もあるから裏口からも荷物を出すわけだが、裏庭はそんなにスペースがない。なにかこの周辺は昔長屋形式だったかもしれないが、他の家は建てて20年もしないような建物ばかりだった。そうなれば必然的に長屋特有の整然性がなくなってしまい、スペースの確保に苦労するわけだ。無茶苦茶な土地利用とも言えるが、日本全国こんなもんであるのも事実である。
 やはり住宅街は一つのコミュニティとして機能的にも繋がっていないとこういうときにも結構困ることに気がつく。かといって個人の尊重も忘れてはならないが。

 裏口からでると小さな車が停められるぐらいのスペースで、幅3mぐらいの道路があり、それに沿って線路が走っている。道路の線路よりには畳や家具などが積み上げられ、車一台通るのがやっとのスペースになっているため、トラックが来ようモノなら大変である。道路だけでなく、場所によっては柵を越えた線路用の敷地(なんて言うのかな、砂利だらけの所)が比較的広いのでそこに置く家庭もある。

 かといって災害用(緊急車両用)に道路幅員を広くすれば、多くのモノが積み上げられる結果となり、危険かつ不便である。とにかく、火災時でも水害時でも震災時でもここは危険な場所であるということが手に取るようにわかる。道が細く緊急車両が入りにくいのはもちろんだが、道が入り組んでいて、かつ、一つの家が道路に面するスペースが少ない。これで大型車両に分類される消防車が入れるわけがないし、他に救急車など呼ぶときにも苦労をしてしまうこと請け合いである。入り組んだ作りというのは戦国時代からの名残でもあるのかも知れないが、こう言うのを考えずに欧米の思想を導入すること事態やはりおかしなモノだなぁとも思う。


 さて、作業の続き。
 畳を出して積み上げるわけだが、畳の数が結構ある。ここは一階建てだからまだいいのだが(二階があっても水の影響は受けない)、フローリング主体の近年の家とは違う大変さが伺える。確かに労働力は必要ですわ、たくさん。昔の長屋は火事が起きてもその家だけ破壊して延焼を防いだと言うが、平気でぶっ壊すことが出来る家は早いスパンで作り直さないといけないのにもうその家を造れるだけの(昔ながらの長屋形式の)家を建てることはなかなか出来ないし、しない。

 現在日本の家の価格はバブル期ほどではないが、普通に気軽に家が建てられるというものではなくなっているところにも大きな問題があるのではないだろうか?「一生に一度の買い物だから」というのが普遍的な考え方かも知れないが、そうなってくると、寿命の短い家に住んでいる人はどうしろと、という感じにもなる。年金だけで家が買えるわけでもなく、木材もそうそう簡単に集めてこられるモノではなくなってきており、地域住民が力を合わせて、というようなこともしない。さらに災害時の負担が大きいのも問題である。日本にはまだまだ似たような所が多数存在するのも事実であろう。防災用のインフラ整備なども結構だが、こういう事実も忘れてしまってはなんにもならない。


 これまた日本の家というのは布団が押し入れにたくさん入っているのだがこれまたすべて水浸し。いくら50cmぐらい高床式となっていても2mぐらいの水位になるこのような災害では意味がない。しかも布団というのは水を吸いやすいモノであるから、それを出すことさえも一苦労である(畳ほどではないが)。同じく座布団、服なども押し入れに入ってはいるがそれもすべて水浸し。中にはクリーニングの袋に入ったまま濡れてしまうモノまである。もう、何もかもが使えない状態になっているといっても過言ではない。水といえば大丈夫かも知れないが、これだけの水位であれば、氾濫した河川から周辺の土砂を巻き上げているわけであるし、家庭用雑水や汚水も当然逆流していることが想定されているからである。当然臭いもある。そのため行政が消毒を行っているわけだが、なかなか全部をやるには範囲が広すぎて手が回ってないところも多い。ここのように消毒したとして果たして使えるようになるのかもわからない。


 さて、昼食の時間のことであるが、昼食はこの家の家族の方(別居)の提供で、Mドナルドの半額バーガーやら(平日だから)、大型スーパーの弁当だったりする。飲み物もペットボトルである。遠慮なく食べてくれと言うがさすがに多すぎるぐらいである。でもありがたいものである。

 なにかと大量消費、環境破壊の臭いのする代物たちであるが、こう言うときは本当に便利な代物である。また某社の過剰なまでの清潔感を作り上げているスプレー式手消毒のキ○イキ○イも、手を洗うかわりに(水がまともに出ないから)使うことも・・・。こう言うときにはホントにありがたさを感ぜずに入られない(普段は頼るべきではないと思うが)。こういうモノをポーンとメーカーが提供してくれる・・・・ことはちょっと無理があるけど(一メーカーに大きく依存している町ならあり得るが)、安く大量に提供してくれる商店側の意識も災害時には必要である、とも感じる。他人の不幸時に不謹慎なのかも知れないが、こういうときにさっと動けるというのも商売人には求められる人間的資質ではないか、とも思う。

 トイレは使い物にならないので(水が出ないので)、近くの福祉センターのトイレを利用することになっている。ハコモノ開発の臭いもあるが、災害時にはやはり地域の情報を支える重要なポイントとなってくる。福祉センターでは主に、住宅が使えなくなった人々のために公社の住宅などを紹介していたりしているようである。で、ここの住人であるおばあさんもそこに行って住居を探していたらしい。

 福祉センターのトイレは中にあるのも使っていいのだが、大変混み合っている(ボランティアと周辺住人が使うわけだから)ため、屋外の仮設トイレを使用することも出来る。仮設トイレというのは最近は水洗モデルがずいぶん出回っているが、さすがにここはボットン式。だって手を洗う水さえも抑えて、洗面器に入れた水で手を洗うようになっているからね。こういう事は普段ではあまり見られない光景だが、これでもまだましな方、とも言えるのではないだろうか?


 途中、出した畳を駐車場の壁に他の家の人がやっているように立てかけておいたおいていたところ、駐車場に入れている人から「車が出れない」という苦情があった。端から見ている人たちは「ヘタなだけで出られないことはない」といっていたが、駐車場の契約者の意見ももっともでもあるので、置く場所にホントに困った。水害時には建物自体が崩れ落ちると言うことがあまりなく、家具だけ使い物にならないというケースが多いので、水害の可能性のある地域には、万が一の時のスペースがやっぱり必要であるとも痛感する。まぁ万一のスペースなんて空けておける余裕があるとは思えないし、空けておいたとしても普段はゴミを置く場所になってしまうのかも知れない。こう考えると家を建てるときにはセットバックを多目にとるようにする規制が(特に水害の可能性のある地域は)やはり必要なのかもしれない。

←福祉センター近くにあった火の見櫓の周辺には家庭からでた家具などの水害ゴミがあふれている。公共オープンスペース(空地)はこういう運命をたどるのが常。火災が起きた場合は役に立たないが、濡れているから大丈夫という皮肉でもあるのか。

公園もこのようになるのが常。もちろん、公園の場合はこう言うときには誰も使わないから、というのもあるだろうが。この後遊び場として使うためには消毒作業が必要となる→
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