※きまぐれな管理人の「非日常」なことを書く活動雑記。
 日記では書ききれない出来事や、旅日記に収まらない
 ような活動などをまとめております。
 今ごろ東海大水害ボランティア記録ぅ2 2001/11/10
 さて、3人で現場の家に向かって多少迷子っぽいことになりながらも無事つくことが出来たようだ。着く前はこんな事を考えていた・・・独居老人宅、濡れた家財の片づけ、3名ほど希望・・・という文面から恐らく平屋(一階建て)の住宅、もしくは二階建てのアパートを考えていた。「濡れた」と書いてあるのでそんなにむちゃくちゃになっていないだろうと思っていたが、現実は厳しかった。

 目的地に着いて対象の家を見ると小さな庭付きの木造の(それもかなり年季の入った)平屋住宅。まわりはいかにも「マイホーム」という感じの家なのだが、ここはいかにも日本の昔の家、という感じだ。災害時に閉めたのかよくわからないが、木の雨戸が閉められている。周辺はもはや完全に水が引いているのだが、どこまで沈んだのかがよくわかる色合いであった。

 独居老人と言うことなので迎えてくれるのはその方かと思われたが、実はその人の子供達などが迎えてくれた(家の方は避難場所にいるらしい)。正直ボランティアを募集する必要はないんじゃないか、というぐらい人がすでに集まっていたのである。ボランティアとして来た立場から考えてしまうと、「こんなにいたらすぐ片づくからもっと他の所へ行った方が良かったんじゃないか?」と思ったりしたのだが、それも甘い考えだと言うことが作業をしていく内にだんだんわかってきた・・・・。


 もはや記憶にないのだが、我々とを合わせて男手は7,8名はいたと思う。中にはトシのいったじっさまとかもおられるが、30代ぐらいの若い人もいる。別に女性差別をするつもりはないが、やはりこう言うときは男の仕事、女の仕事で別れることがある。男は力仕事、女は細かい物の片づけや食事などの用意である。作業をしていて感じたのはこういう場合は女性に力仕事をやらせるのは酷であり、危険である。まぁ女性の中には男顔負けの力のある人もいるのでそういう人は止めはしないが、思っていた以上にハード、であるのだ。でもまぁボランティアには女性もいるので一概には言えないが、若い女性以外はちょいとツライと思いまする。

 まず、雨戸を外す。雨戸というとマンション住まいの人は馴染みがないと思うが、雨戸は日本家屋にはなくてはならないもの(だと思う)。しかも昔のなので木製である。水を吸った雨戸が雨戸をしまうところに入るワケがないので(重いし)、思い切って取り外す必要がある。といってもものすごい水を含み肥大化しているのでなかなかレールから外れないのである。しかし、これを外さない限りは(電気が通ってないので)暗すぎて家の中で作業することは出来ないので力任せに外す。まだこの辺までは通常の「整理」という仕事であったと思う。

 雨戸を外してみると一気に家の中が明るくなり、作業がしやすくなる。しかし、よく見るとこの家は想像していた以上の被害を被っていたのである。まず、畳が大きく外れてずれているのである。そしてひどいところでは畳が半分におれてしまっていたり、タンスが斜めに倒れている光景もあった。小さい物は散らかっており、多分に水を含んでいるので紙などは張り付いている。そして壁も土壁のために崩れ落ちている。水が家屋全てに侵入し畳や家財、そして冷蔵庫までも浮き上がらせてしまったのである。ここまで来る時に見た70年代以降に建てられたようないわゆるマイホームなどは家財や畳を外に出して水で洗い流したりしていたのであるが、そのレベルをはるかに超えた・・・そう「もうここに住むことは出来ない」という印象が頭を突き抜けた。これは想像以上にショックな光景であった。


 作業の続きとして、次にガラス戸を外す。しかし、これは雨戸以上にやっかいで、戸だけでなく、そのレールが載っている方も木なので水を含んで肥大化しており、動くことさえない。これは自然素材の特徴とも言えるのだが、頭で理解してもとにかく外せないのに困る。でも強引に外すわけだが、木のフレームにガラスがはめられているので、木がしなるとガラスは絵に描いたように割れて落ちる。それで手を切る人もいた。軍手は当然しているのだが、腕に落ちてきたと言うわけだ。しかし、こんなことなら(どうせ戸として復帰できないので)もはやハンマーか何かでバキバキと壊しておいた方が良かったのかもしれないが、そうなるとガラスが飛び散り今後の作業の邪魔に(というかケガの原因に)なるので、慎重に外すように心がけていた。

なんとなくイメージ図
板が敷き詰められていて、その上に畳がのっている。地面は泥状になってる
 次に一番近い部屋の畳を全部出すことにした。しかし、この畳という物がホントに重い。乾いた状態なら一人でも運べるシロモノだが(そうか?)、水を大量に含んだ畳は一人どころか二人で持つのもかなりツライ。想像を絶するといっても過言ではない。

 しかも非常に柔らかくなっているので端を持つと真ん中がぐにゃっと簡単に曲がってしまうのである。その為、より高く持ち上げる必要があるわけで、これまたハードなのである。さらに畳がないと、下に板が敷いてあるのだがそれももろくなっているので木の骨組みを足場としないといけないと言うまさに三重苦の作業となる。

 ちなみにこの板の下というのが地面(土)となっており、水を含んで泥のような状態になっているので踏み場にならない。また、日本の家は基本的に50cmほど床より高くなっていることが多いが、ここもご多分に漏れずそうなっている。それが意味をなさない洪水の水量だったために、災害後の作業はかなり悲惨なものとなる。



 しかし、人間の住んでいなかったところならともかく、住んでいたところであるので生活品などを(例え使えなくなるにしても)出さなくてはいけない。まして作業をしているのはここに住んでいない者達なのだから、とにかく全部出すことになった。何でもかんでもゴミにしてしまえという考えならシンプルに事は運ぶのだが、人間の生活とはやはりそういうものではない。そうそう災害にあったから捨てマースと言う風になるわけがない。
 といってもそれほど物に執着があるわけではないのだが、とにかく人間とは不思議なもので物相手に変な表現だが「助ける」必要性を感じるのである。物には思い出が宿ると言うが、まさにそうなのだと本能的にそう感じているのであろう。ここに住んでいるおばあさんが作業をやっているのを見に来て、運び出された祖先・旦那さんの遺影が祀られた仏壇に手を合わせている姿を見て特にそう感じた。
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