『都市育成シュミレーションとしてのSIMCITY』研究レポート
レポート28〜第一次卒論概要計画の見直し〜


 さて、卒論テーマがあんなわけだが、冷静に考えてみると、このSIMCITYページのタイトル、全然違うなぁ。とはいっても今更そんなこといってもしょーがないのでこのまま突き進めていくことにしよう。

 卒論をやる上で重要なのはまず、構成を考える事だと思います(たぶんね)。そこで私は夏休みの後のゼミナールにて卒論の概要を発表したわけです(義務)。その時の構成内容が下記のものです。
   
   序章  ●SIMCITYとは
   ・SIMCITYの紹介
   ・SIMCITYの歴史と変革
 ●なぜSIMCITYか
   ・我々世代のSIMCITY
   ・SIMCITYの持つ能力とは
   ・SIMCITYにかけるもの
1章  ●シムラボでの成果
   ・未知数?
 ●Webページに見る世間のSIMCITY
   ・SIMCITYや都市に対する思い入れ
   ・どれほどの人が都市に関心があるのか
2章  ●SIMCITYの教材としての利用
   ・アメリカでの例
   ・教師用ガイドの内容
3章  ●都市シミュレーション学講義の実施
   ・SIMCITYによるWeb上でのまちづくり教育
   ・シラバスの提示
 ●講義形式による発表
   ・発表形式の説明
   ・シラバスに沿って活動
 ●講義の成果
   ・講義の反省点
   ・講義による反響と効果
   ・そのシミュレーション性について
終章  ●これまでの活動から得られたもの
   ・SIMCITYで出来たのか?
   ・どれほどの効果があったのか?
 ●これからのまちづくり教材とは?
   ・これからのまちづくり教材
   ・今後の教材への課題と可能性
  

 今見てみるとホントにひどい。何がひどいって全部なんだけど、特に3章。前回もいったように講義形式の発表、出来てねー
 言い訳をさせてもらうと、
1.Simcity Teacher's Guideの翻訳にかなりの時間を費やしてしまった(というかまだ続いてます)。また、シムラボ内にても翻訳に時間を費やしてしまった。
2.SIMCITYの分析が遅れ、講義を作るまでに至ることが出来なかった。
3.Teacher's Guideの翻訳をすることによって、教育とはむやみやたらにやるべきではなく、きっちりとした計画と理論を裏付けしてからやるべき物だと気づいた。やってから考えよう、では論文としてもいただけないかな・・・と。

 といったところでしょうか?言い訳ですか?言い訳ですね。

 また、そんなんだから卒論計画を練り直さなければなりません。そこで今までの活動を踏まえて、視点を変えて考えることにしました。また、卒論のテーマ「まちづくり教材」として考える場合、このTeacher's Guideは非常に大きな存在として浮かび上がり、事例を調べるだけでなく、これをベースにしたSIMCITYの利用を図ろう、と企むようになったのです。
 それはTeacher's Guideの物自体の素晴らしさと、ウィルライト(SIMCITYの原作者)のインタビュー(結構調べました)からも、「教育への利用」というものを第一に考え、そこから大学生、社会人を対象とした「まちづくり教育への利用」へと持っていこうと画策しだす結果となるのです。

 それにしても、これホントひどいや。今見ると、てきとーに書いていたんだなぁと感じる今日この頃であります。何がひどいかわからないかも知れないので適当に自己分析を・・・ 
  • SIMCITYの素晴らしさを語っても、それを導入する具体的且つ効果的な理由がない。というわけでSIMCITYの紹介しかしていない序章はおかしい
  • シムラボでの活動によって何か得られる物があるとは想定していなかった(笑)
  • Webページに見る・・・は導入する理由と、SIMCITYを受け入れる(学生達の)土壌について語るものだったが、それだけでは弱い。もう少し裏付けされた論理的な理由も必要
  • 1章の構成が。そもそもこの二つが組み合わさっているのがおかしい
  • アメリカでの例を示して説得力を上げようとした下心。アメリカでやっていることを日本に適するようにすることだけ(SIMCITYを元に日米の違いをいうだけ)でよいと考えていた。しかもなかなかその例も見つからない
  • 教師用ガイドを小学生6年程度用だとなめていました。教育にも理論があります
  • 講義をWeb上でのまちづくり教育、という形に持っていきたかったのだが、それはテーマから少しずれる(かも)しれないし、なによりもそのWeb教育というものが「Webページ・・・」とリンクしていなかったので浮ついた物になってしまった。また、教育ツールとしての可能性としてならわかるが、効果を探るのにはかなりの知識が必要となった(インターネット教育の理論)
  • 講義をそのまま紹介したら論文がうまっちゃうじゃん(本になってしまう)。例を抜き取ってやらないと。そしてだらだらと講義をやればいいというのも間違っている
  • とりあえず講義をやってから、反省をあげるとはお粗末すぎ(やってみることも重要ですが)。ちゃんと理屈づけて講義をはじめなければそれを見る人は間違った情報や知識を受けることになる可能性もある
  • これまでの活動から・・・では、自分が悪かったと言うしかない場合も想定される。それでは論文として読んでもらえるものではない(エッセイ?)
  • 卒論サブタイトルの「効用と限界」を裏付けるものとしては、この論文の構成からでは見つけだすことができない
  • 起承転結に必ずしもなっていない(転があるのかないのか微妙)。連結性があまりない。
 とまぁこんなところですか。細かくいってしまえばもっとあるのですが、そのことを説明してもしょうがないでしょう、きっと。これを元に現在活動してきた事を踏まえて新しく計画を練り直すとしましょう(次回で)。


えっ背景にひねりがないって?いいネタ無くて・・・

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