世界貿易センター崩壊と世界のニューヨーク その9

     二日目〜さて、どうする〜
最終更新日
2002/11/12
 なんかちょっと寝てしまって、夕食を作って食べて一息ついて、個人的には「あー登りたかったのになー、ワートレ(※1)とぐらいにしか思ってなかったのですが、なんとKeikoはカッ飛んで「ニューヨークから逃げなきゃ」と言い出します。

 ??

 寝耳に水とはこのことでしょうか、言っている意味がさっぱりつかめませんでした。RieがKeikoに説得というか今後の相談を始めます。というか飛行機のチケットの話もし出します。

 ・・・・一体どういうことだ?しばらくしてようやく理解しました

 彼女たちの頭の中では
 「現在のニューヨーク=危険である⇒脱出しなくてはいけないのではないか」
 という図式が成り立っているようです。

 私の頭の中では
 「現在のニューヨーク=観光出来る場所が減った⇒ワートレ登れなかった」
 という図式だったのでかみ合わなかったわけです。

 ・・・・アンタが異常なんだよと言われたらおしまいですが。・・・だってねぇ、テロがあった場所でもう一度テロが起こるなんて国家の威信問題にも関わるので時間があいたらそれこそ確率としてかなり低いし、なんといってもアメリカだからねぇ。確率を言い出したら日本だって危ないっていえばアブねーし。兵法的(※2)に言っても・・・

 ということを彼女らに説明。ついでに、ここがテレビも見れる、電話もつながる、領事館だかにも連絡済み(Rieが※3)、周りに何も狙われるところがない、キッチンもある、日本人スタッフも宿にいる、スーパーも近くにある、出たら戻って来られないかも・・・などということを説明して納得させる。結果的にマンハッタン島を出るのはやめて、宿待機、近場の観光とすることにしました。
 だってねぇ、近くのあるの「アメリカ自然史博物館」でっせ。こんなの狙うのは勉強嫌いのヤンキーぐらいでは・・・あとセントラルパークもあるけど、焼き討ちでもしなければねぇ...飛行機落ちても広いから。まぁそういう問題ではないんですけど。


 ま、普通にテロリストの立場になって考えれば(普通考えないですが)、今のNYにまたテロをするなんて命がけというよりもテロる事が出来ないので犬死にだと思います。逆に手薄になったところからヤルというゲリラ戦法がテロの基本だと思ったりもします(※4)。

 というのは建前で、本心は、

 「なんで来たばっかりなのに日本に帰らなきゃならんのよ。大体、飛行機のチケットなんて買う金ねーよ。(往復航空券なので予定通りなら大丈夫)

 というドス黒い(というかセコい)思考が渦巻いてます。私はいつかこのセコさで命を落とすかもしれません。ボストン前倒しという案もありましたが、ここの宿代がもったいないという理由で「遠くは危険だ、疎開などもってのほかだ」とKeiko納得させていたりもしてました。私は政治家に向いてるかもしれません。
 もっとも、Keikoはニューヨークに住んでいた幼なじみのYumikoさんやニューヨーク在住のYumikoさんの友達Ko-itchy君に説得されたようですが。


 暇つぶしのために存在するといってもいいテレビはずーっと同じニュースを繰り返し、なんとかみんなに明るくなってもらおうと

 「人生ゲーム(※5)やらない?」

 と誘うものの、

 「今は人間の人生という物について考えたくない・・・」

 などと暗く断られます。仕方なしに今井美樹の音楽を聴きながらパソコンで旅日記でも書いているとHayatoが

 「今井美樹の歌はなんかなんか暗くなる・・・(※6)

 とか、自分の部屋から帰ってきた(向こうで電話してた)Rieに

 「話ができんから止めて」

 と厳しくあしらわれたのでやめることにします。Hayatoはさすがに男だからか、動じない性格だからか落ち着いて冗談交じりに言っているだけですが、明らかにみんなちょっと心が疲弊しているようです。
 電話してきたRieの話によると、Keikoが日本との電話でゲットした情報、「政府専用機が2機こちらに来て、緊急帰国が出来るかもしれない」という情報など領事館には入っていないということを知らせてもらう。こんなことは情報学的に言えばよくある事ですが。

 まぁ私はNYに来たばっかりなので、例え迎えに来たとしても予定期間前に帰るつもりはこれっぽっちもないが(またセコい)。
 

 しかし、このままNYでダラダラして手も仕方ないし、なんか協力できることはないもんかね、と思ってるとテレビでボランティアとか献血募集とか言ってた。献血はビラも配っていたらしい。

 そういう意志があるにはあるんだけど、何しろ来たばっかなのでどこに何があるかもわからないので、日本人スタッフのいるこの宿のオフィスに言ってそういう話をすると、病院の場所もボランティアの方法もわからないと言う。でもそれじゃぁ引き下がれないので、病院はどこだと教えてもらおうとしたらニューヨークの生活案内のような本を貸してくれる・・・・お客である我々が変なことに首を突っ込んでもらいたくないと言う気持ちは分からないでもないが、なんでこんな苦労を・・・ホテルじゃないから(※7)仕方ないかなぁ。ホントにここに住んでる人なのだろうかと疑ってしまう。
 というかこれは奉仕意志の問題だと思うが。

 テレビで荷物をバケツリレーしているボランティアが写っていたが、今日は歩き疲れてまずそこまで行くことも厳しかったので(地下鉄も動いてなさそうなので)断念し、献血は来る前に「飛行機が落ちて私が死んでも血ぐらいは人々の役に立てればいいだろう」ということで来る前々日にやってきたばっかで、普通3ヶ月の間をあけるぐらいだからやめといた方がいいかな〜と、本を見ながらうとうとする。もはや歩く気力もないので、献血にも行かないことにする。
 えっ、いいわけ?だって〜、献血したばっかでさらに言葉が通じないのに献血して瀕死状態になったらどうするのよ?って思ったりして・・・それが言い訳なんですが。あー「困っている人がいたら家族など関係なく助ける」という家訓(はないけど)を実行できなかった・・・ゴメンよ父さん(※8)。



 しばらく寝る。というか寝てしまう。そして11時頃起きる。
 何も起こらないけど、何かあるといけないし(彼女らを安心させるために)、テレビで状況の変化を確認するために徹夜で夜警をすることにした。時折「パーン」という音が何回もあったが、大した事件ではなかったんだろう。

 まぁ旅日記書く時間が出来たと考えればいいさ(ネットつながらんし※9)。

 とはいっても、テレビも大した変化を見せず、パールハーバーの再来だとか、ビンラディンの映像だとか、ワートレ崩壊だとかを繰り返しダラダラ流し続けるだけだった。日本の報道は家畜のように、与えられた餌(情報)をやりとりするだけだという人もいるが、アメリカもやっぱり大したことないなぁ、と当たり前のことを再確認しながらも、「ってことは日本の報道レベルって何レベルってワケ?」という思いを張り巡らせながら雨の中「ピョンピョンピョン」と鳴り響くパトカーのサイレン(※10)を聞きながら日記をつづり、朝を迎える。
 
 


※1:ワールドトレードセンター(世界貿易センター)の略。誰が言い出したのかは知らないが、4文字で言うことが日本人的だと思う。

















※2:人生は兵法で乗り切れます(笑)。オススメは兵法三十六計。孫子の兵法はちとムズイ。ATOKで一発変換できるほどメジャーです。

※3:深く聞いていないが(興味がないから)、知り合いがいるらしい。




※4:ちなみに、ワートレの事件がテロだとわかった時には不謹慎ながらも戦略的に「うまいなー」と思ったモンです。ミサイル防衛構想の裏をかいてます。でも人道的に問題ですから最悪ですが。










※5:私はなぜか、コンパクト人生ゲームを持って旅行に行く。高校の修学旅行の時は新幹線内で細かいお札を使ってやった。





※6:このとき聞いていたのがMP3にしてあった今井美樹のベストアルバムの「IMAI MIKI FROM 1986」。別に歌が悪いわけでもなく、今井美樹さんの声による切ない歌がそう感じさせる。












※7:正確には普通のマンションの一部を日本の会社が日本人向けの宿として利用させている。その為スタッフも、ホテルマンとかではなく、事務って感じ。





※8:余談だが、ゼミの元教授は、私を知っている他の人に「心配じゃないですか?」と言われたところ、「tkiyoto君のことだからまたボランティアでもしてるよ」と言っていたらしい。・・・ご期待に添えずに申し訳ない。また、というのは東海水害の時のことがあるから。

※9:この後三日間ネットにつながらなかった。というかプロバイダへダイヤルしたら途中で「またかけ直してね」という類の英語の案内が流れていた。

※10:ホントにこんなのです。録音しておけばよかった。
《参考》今回使用したお金($1=120円で計算)
 宿にいただけなのでなし

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