■Ⅲー3.読書に及ぼす影響


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 人間の顔やその写真を認識するとき、その他のテレビ視聴のように「全体的」な知覚を必要とする。あらゆるものを認識するとき、われわれはおおむね脳の右半球を使っている。この過程において、右半球はいわばわずらわしい存在であろう。何世紀にもわたって人間がテレビを見続ければ、おそらく左脳の活動が退化し、世の中は「右脳」人間だらけになるだろう。

 テレビ視聴は、読書に必要な分析的思考や精神活動にとって非生産的であるといえる。テレビの映像を使って言葉を教えるのは能率的ではない。テレビは基本的に映像の倫理であり、右脳の分析的活動を通して理解される。

 読むことは、機械的にはいかない複雑な活動である。テレビを非常に選択的に利用すれば、テレビは読書の副次的な要素のいくつかを子供に教えることが出来るだろう。もしテレビが未知のものへの驚きの気持ちを引き起こすなら、それは読書に向けての1つのステップになるかもしれない。もし、テレビがアルファベットの組み合わせをどう発音させるかを教えるなら、それは読書能力の発達にプラスになるだろう。

 しかし、もしテレビが想像や分析の必然性を奪い去ってしまうなら、読書能力にとってマイナスになる。

 読み方を学習する上での不可欠な要素は実践であり、これはテレビに助けてもらうことが出来ない。もし、テレビが読書時間を奪い取ってしまうなら、テレビは読書の実践と習慣と熟達を妨げることになる。そしてもしテレビが会話したり、物語を読んでもらったり、遊んだりといった読書に必要な、基礎的な活動も奪い去ってしまうならこれはもう最初から考え直さなくてはならない。