『第12章:回復』 -3完


         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 そして…目覚めた日の夜に一条さんが言っていた言葉、翌日には椿さんにも言っていた言葉の意味が、俺にはようやくわかってきた。
 未確認はもういない、五代も元気だ、俺もそろそろ恋人を口説きたい…。

 一条さんは、封じていた心を解き放とうとしている。
 もう戦闘は終り、クウガを支える必要はなくなったから。
 笑顔を取り戻して、俺がそばに戻ったから。

 一条さんと俺にとっては、やっと…やっと、未確認事件は終わったんだ。
 やっと俺たちは二人で、歩き出せる…。

 それは、なにか夢の中のことのようで、なかなか実感にならなかった。
 夜…一条さんのベッド脇の、簡易ベッドに横になっていて。
 まだ旅の空の下にいるような気がして、一条さんが俺を愛してくれてる…なんて嘘だと思って、或いは一条さんが死んでしまったのだと思って、飛び起きることもあった。
 そんな時には、起き上がって一条さんの寝顔を見ていた。見飽きることはなかった。
 俺は一条さんのそばにいる…それだけで、不安は鎮められていった。

 そうやって俺が見ている時、一条さんが目を覚ますことがある。
 起きて見つめている俺に気付き、一条さんは薄暗がりの中で、言う。

「どうした…?五代…?」

 そして、察してくれる。
 俺に手を差し伸べながら、一条さんは言う。

「俺はここにいるよ…。」

「五代…愛しているよ…。」

 そう、俺は一条さんに口説かれていた。言えなかった時間ぶん、離れていた時間ぶんだけ、一条さんは言うつもりらしい。
 そうやって一条さんは俺の傷を癒し、たぶん一条さん自身の傷も癒そうとしていた。
 一条さんは俺に語り、俺に触れ、俺に注ぐ。
 愛されていることは、次第に実感になっていった。
 俺は、揺れながら、だんだん自信を取り戻そうとしていた。
 愛し合って幸福であることが当たり前な世界に、俺たちは少しずつ滑り込んでいった…。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「でも…あの時は、言ってくれましたよね?愛してるよって。…俺、嬉しかった…。」

 一条さんの退院も間近だという日。俺たちはまた、あの頃の話をしていた。
 のんびりと静かな、病院の午後だった。一条さんは、動きにくくなってしまった左腕のリハビリを受け、疲れて少し眠り…その間に俺は洗濯を済ませて…そんな午後だったと思う。
 俺は例によってベッドに頬杖をつき、一条さんの返事を待った。
 あの頃は話せなかったこと…聞きたいことは、まだたくさんあった。
 ベッドの上で座っていた一条さんが、伸びた髪を右手で掻き上げ、俺を見て言った。

「…あの時は…もう俺はあまり怖れなくなっていた…。
 もう、それどころじゃなかったからな。
 そして…おまえは、壊れかけていた…。」

「はい…俺は、あの時からずっと…どこか壊れかけていたようで…。
 あの時は…死ぬことも考えてました。もう…駄目かなって…。
 でも、一条さんが、助けてくれた…。」

 顔を上げると、目が合った。一条さんは苦笑していた。

「…強引な、色仕掛けで、な…?」

 俺も思い出して笑ってしまう。

「はい。すっごく気持ちよかったですよ〜。」

「言うな…思い出してしまう…。」

 一条さんの苦笑が少し広がり、それからまだ笑いを含んだ目で俺を見る。

「俺は…必死だったんだ。
 おまえの助けになることなら、なんでもするつもりだった。
 愛を告げることが何かの足しになるならば…そんな感じだったな…。」

「足しになりました!すごく足しになりました!
 俺、すごいパワーが湧いちゃって、それからは元気になって闘えましたから。」

「そうか…。
 そんなに効き目があったのなら…もっと、たくさん言えばよかったな…。」

 一条さんは、笑って手を伸ばした。
 俺は忠実な犬みたいに、その手の下に頭を差し伸べる。
 頭を撫でてもらうのはいつでも…すごくしあわせで、嬉しい。
 想像上のしっぽが、ぱたぱた揺れてしまう。

「あの夜の五代は…ずいぶん、危ういところにいた…。
 それでも…本当のことだったから、俺は、口にできて嬉しかった…。
 …もうひとつの台詞とセットでなければ、もっと嬉しかったんだが…。」

 静かに話しながら、一条さんは俺の髪を撫でていた。

「一条さん…俺…ひどいことを頼んでしまった…。」

 俺も思い出して…小さな声で言った。
 俺の死を怖れ続けていたこの人に…俺は、自分を殺すことを頼んだ。
 どんなに…この人は、苦しんだんだろう…?

「しかたないさ…そういう状況だったんだ。
 殺さなければならないなら、おまえは俺が殺そうと…俺も決めていた。
 他の人間には殺させない、俺がこの手で、できるだけ苦しめないように…。
 0号にとどめをさした、あの神経断裂弾で…おまえも…。」

 一条さんは目を閉じた。

「俺…信じてました。そうなったら…きっと一条さんが殺してくれるって…。
 だから、闘えた…。」

 一条さんは、目を開けて俺を見つめた。静かな目だ。揺るがない、深い瞳…。
 やはり、強い強い人だ…と、俺は思う。
 それから、一条さんは微かに笑う。

「だが、実際に倒れている五代を見た時には迷った…。
 そして…僅かでも可能性があれば、と縋るようにおまえを助けた。
 …助けてよかった…。
 殺したくはなかったよ…五代…。」

「はい…。」

 俺を殺していたら…この人は、どうしていただろう、とふと思った。
 俺が命をかけてあいつを倒して、青空が戻ったら…笑って、幸福になって欲しい、と俺は思っていた。
 その笑顔を抱きしめて、俺は死のうとしていた。
 でも…きっと、一条さんは、しあわせになんかなってはくれなかった。
 俺を最後まで支える為に、殺す約束までしてくれた…。
 この人は…この人も、俺と同じように命をかけていたんだ…。
 俺が死んだら、生きてはいなかったのではないか…そんな気がして、俺は少し震える。

 一条さんは、静かに愛しむように俺の髪に触れていた。
 その手のぬくもりに心をゆだねて、俺は息を吐く。

「一条さん…0号にとどめって…
 0号は…死んでいなかったの?」

 あいつのことを考えると、やっぱり背筋に寒気が走った。

「…いや。死んでいた、と思う。
 俺は念を入れただけだ。万が一にも復活させるわけにはいかなかったからな。」

「一条さんは、殺すのは、平気…だった?」

 軽く言ったつもりだったけれど、俺の辛さを察して、一条さんが手を握ってくれる。

「俺が直接この手で殺したのは…結局、B1号だけだ。
 女の姿だったし、気持ちのいいものではなかった。
 だが、俺にとっては職務だったし、使命だったから、そのことで苦しみはしなかった。

 苦しかったのは…五代、おまえだ。
 闘うことが一番似合わないのは…おまえなのに。
 一番似合わないから…石はおまえを選んだ…。」

「似合わないから…?」

 手を握ってくれている一条さんの手に顔を伏せる。暖かい…。

「…暴力が似合わないおまえだから選ばれて、そんなおまえだから、終わらせることができたんだ。
 石の選択は、間違っていなかった。
 だが、実際に殺さなければならなかったおまえは苦しんで、泣いて…俺は、辛かった…。」

「ずっと、一条さんが、抱いていてくれた…。」

「…それしか、できなかったんだ。抱きしめているしか。
 俺は無力で…苦しかった。
 五代…よかった…笑顔を取り戻してくれて…。」

「はい…俺、もう大丈夫です。」

 そう言いながら、顔をあげ、俺は笑った。
 一条さんが、俺の笑顔に目を細めるのが嬉しくて、また笑う。

「…どう…整理をつけたんだ?」

 礼儀正しい一条さんは、少し遠慮しながら、訊ねた。

「あれ?一条さん、聞いてなかったんですか…?」

 俺は、少しからかう…。
 一条さんは、不思議そうに首を傾げて…

「俺、帰ってきた晩に、寝ている一条さんに延々と話したんですよ?」

「そうか…聞き逃してしまった。損したな…」

 真面目に憮然とする表情が、愛しくてしょうがない…

「目を覚ましてくれたから、ちゃらにします。」

「…なんだか、暖かくなったんだ。すごく寒かったのに…
 声は聞こえた。手を握ってくれているのも。
 だが、話の内容はまるで覚えていない。損した…。」

 一条さんは、まだぶつぶつ言っている。

「一条さん、当たり前ですよ…危篤だったんだから…」

 明るく言いたかったのに、あの夜を思い出すと、胸が痛い。
 あの夜…俺は、この人を失いかけた…。
 この痛みは、きっと忘れられることはないんだろう。
 声に顕われてしまった苦痛にすぐに反応して、一条さんは俺の手を撫でる。
 俺たちは、語り合い、打ち明け合い、揺れ合っていた。
 沈めば救った。傷つけば宥めた。苦しめば慈しむ。暗くなるなら明るく笑う。
 俺たちは、愛という優しいシーソーに乗っているみたいだ…。

「五代が帰ってきた…顔を見たいのに、身体が動かない。
 俺は何をやってるんだ、と思って、やっと目をこじ開けた。
 その前のことは、さっぱり覚えていないな…。」

 また静かな声で、一条さんは俺を宥めてくれていた。

「いつか…また、聞いてくださいね。
 笑顔を取り戻したのは…一言で言えば、そうだなぁ…
 なんか…しょうがないなぁ、という境地になったら、笑っていたんですよ。」

 このへんのことは、もう笑って話せる。

「そうか…。
 じゃあ、俺もそう言ってやればよかったんだな。
 五代、しょうがないよ…と?」

 一条さんも、笑っていた。

「いや…あの時は、何を言われても駄目でした、きっと。」

「そうだな…やはり、旅立たせることしか…できなかった、か。」

 一条さんの声が、また苦しそうになる。
 俺も、また一条さんの手に顔を伏せて、首を振った。
 俺が旅立った経緯については…まだ、俺も一条さんも、考えるのが苦しい…。

「旅に出たのは、きっと正解だったんです。
 俺は、いろんな場所でいろんな人に会って、自然に笑顔を取り戻した。
 でも…俺は…あなたを見失ってしまった…。
 一条さんは、俺を助けてくれて、俺の為に行かせてくれたのに…。
 一条さんが死んでも知らずに、俺はずっと彷徨っていたかもしれない。
 俺…そう思うと、怖いです…。」

 帰ってこなかった自分について考えるのも…とても苦しい。

「おい…俺は死んでいないぞ。」

 俺の気持ちを引き立ててくれようと、一条さんが明るく笑う。
 ほら…また、シーソーだ…。

「ちゃんと帰ってきてくれたから…もう、いいよ…雄介。」

 優しい声が、初めて俺を、雄介…と呼んだ。
 それから、一条さんは、笑ってふざける。

「…それにしても…もうちょっと、ちゃんと口説いておくべきだったな。
 あんな時だったが、一応気持ちは伝えた、と俺は思っていたんだが…。
 俺の雄介が、こんなに馬鹿だとは知らなかったから…。」

 俺の雄介…って、呼んでくれる声が甘い。すごく…嬉しい。
 俺も顔を上げて、笑ってあまったれる…。

「一条さん、あんまり馬鹿って言わないで。
 俺は…確かに馬鹿だったですけど〜〜。
 俺だって、すごく、すごく、苦しかったんですから…。
 誰を抱いても一条さんを思い出しちゃうし…あっ!!」

 …俺は…本当にお調子ものの大馬鹿だ…。

 あわてて、おしゃべりな自分の口を塞いだけれど、もう遅い…。
 俺は、おそるおそる、一条さんを見上げた。
 一条さんの表情は、優しいままで俺を見つめてくれていたけれど…

「…聞こえました、よね?」

「…聞こえたよ。」

「お…怒りました?」

 脅えた俺の表情が可笑しかったのだろう…一条さんは、くすくす笑った。

「しかたない、と思う。おまえは淫乱魔人だから。」

「い…一条さん、許して…。」

「怒ってないよ、雄介。
 ちゃんと…信じさせなかった俺も悪いんだ。
 だが…もう許さないからな。」

 俺は椅子に座ったまま、直立不動になり、首をぶんぶん振った。

「ぜ…絶対!絶対!絶対!しません!もうしません!
 一条さんがいるのに!俺、できません!」

 一条さんは、口を歪めて意地悪そうに笑った。

「おまえが浮気するなら、俺もしてやる…。」

「そ、それだけは…やめて…。」

 俺は頭を抱えてしまった。
 一条さんが危篤だった時には、生きていてくれるなら、俺のものじゃなくてもいい…と思ったけれど。
 やっぱり、今はいやだ。一条さんは俺を愛してくれてるんだもの…誰にも渡さない。
 椿さんは、一条さんが誰に抱かれても冷たいまま、感じなかった…と言っていたけれど。
 俺だけに感じてくれる一条さんなのだ、と俺はもう信じていたけれど。
 昔のことはいいんだ。でも…誰かが、これから先、俺の一条さんの身体に触れるのだと思っただけで、頭が沸騰してくる。
 一条さんの手に縋りついた。

「駄目です!一条さん…俺、いやだ!
 俺、旅してる間中、一条さんは…もう他の誰かと…そう、思って!
 気が狂いそうだったんだから!今は…もっと、気が狂いそう!」

 嫉妬に苦しんでいた、旅の日々が甦ってしまい、涙がにじんできてしまった…。

「ああ、ほら…泣かない。
 浮気してきたのは、おまえだろう?」

 一条さんの指が、俺の涙を拭ってくれる…。

「ば、馬鹿って言ってもいいですからっ
 一条さんっう…浮気…しないでっ」

「俺は…ずっと、おまえだけのものだよ…雄介…。」

 長いこと聞きたかった言葉が、甘く甘く告げられる。
 俺は、嬉しくて…なにか悲しくて…また泣いた。

「雄介…また涙腺が壊れた?」

「は…い…」

「これからは…いくらでも言ってあげるから…
 雄介…もう泣かないで…。」

「は…い…」

「本当に…もう少し伝えられれば、おまえも誤解しなかっただろうに…
 俺は不器用で…ごめん…。」

 俯いて泣きながら、一生懸命首を振る。
 どうしても溢れて来てしまう涙をこすりながら訊いた。

「一条さん…一条さんは、俺の気持ちを疑ったこと、ないの?」

「…ないよ。」

 すごく簡単な返事だった。

「…なぜ?」

「さぁ…わからない。ただ…信じていた。
 帰って来ないのは、何か事情があるのだろう、と思った。
 おまえが俺を愛さなくなったから、とは…どうしても思えなかった…。」

 にじんで見える一条さんが、首を傾げて笑う…。

「どうしてだろうな?
 考えてみれば、傲慢な話なんだが…おまえの心はいつも近くにあるような気がしていた…。
 俺を愛さない五代になるなら…あるいはおまえがどこかで死んでしまうなら…俺にはわかる。
 …そんな気がしていた…。」

 涙…もう出ないで。一条さんが見えないじゃないか…。

「俺は…俺は…忘れようとしたんです。
 でも…どうしても忘れられない…あなたがいい…あなただけがいい…どうしても、どうしても。
 だけど、あなたはそうじゃないと思って…帰れなかった。
 あなたにはもう誰かがいて…そう思うと苦しくて…もっと帰れなくなった…。」

 一条さんの指が俺の涙を拭っていき、ため息が聞こえた。

「…そのうちに、俺も気がついたんだ。
 待っている、と言えば良かったのか…と。
 もしかすると、誤解したまま、おまえは旅立ってしまったか…と。
 俺は…焦ったよ…雄介。

 一言でも伝えたかったが…おまえの居場所はわからなかった。
 空を見る時間が増えてしまった…。」

 …やっぱり…俺のせいだ…一条さんが撃たれたのは。

「…おまえのせいじゃないよ、撃たれたのは。」

 俺の心が聞こえたように、一条さんは言う。

「だが…やはり、呼んだのかもしれないな…。
 会いたかった…ただ。」

 一条さんは、窓の外の、今日も青い空を見た。

「…雄介。」

 僅かに気配が厳しくなる。
 あの頃から、一条さんはよく、こんなふうにスイッチを入れるようにしてモードを切り替えた。
 弱く流れそうになる心を遮断してしまうのだ、と今はわかる。
 あの頃は…冷たい人だ、と俺は思っていた。愛よりも、未確認退治のほうが大切なのだろうと…そんなふうに単純に。
 それでも、俺はこの一条さんの気配の変化には慣れていたから、すぐに反応した。少し緊張して、涙が止まる。

「はい。」

「俺は、おまえが生きて、幸せならば、それでいい。
 他の人間を好きになったのなら、俺はあきらめる。
 俺は、たぶん妬かないよ。
 おまえから離れるなら、俺は止めない。」

「一条さん…」

「俺の心配はしないでいい。
 俺はおまえだけを愛しているが、おまえと別れても、死にはしない。
 第一、そうなったら、もうおまえには関係ないだろう。」

 元通り、銀に澄んで光る人が静かに確認する。
 俺は、ただ首を振っていた。
 俺の幸せは一条さんだった。他にはないことを、俺はよく知っていた。

「だが、おまえの幸せが本当に俺なのなら…」

 また、俺の心をなぞるように一条さんは言い、厳しい気配は緩んだ。

「俺が好きなのなら…俺を見てくれ。」

「はい。」

 俺は、見上げて答える。

「俺だって聖人じゃない。
 俺が好きなら…これからは他の人間を抱かないでくれ。」

「はい。」

 迷いのない俺の応えに、厳しい銀の光がさらに柔らかに緩んでいくのを、俺は見る。
 俺だけがこんなふうにこの人を和ませられることを…俺は知る。
 この人は、俺のものだ…。心まで俺のものだ…。初めて、俺は確信する。

「一条さん…俺、ね。」

「…なんだ?」

 まだいくらか厳しい気配を残したまま、一条さんは応える。

「ここ半年ぐらいは…誰ともしていません。できなくなっちゃって…。
 ずっと、一条さんを思い出して、自分でしてました…。」

 一条さんは、あきれ果てたような顔で笑い出した。

「馬鹿。さっさと帰って来て、実物を抱けばいいのに。」

「ああっ、そう露骨に言わないでください。想像してしまう…。」

 俺はふざけて頭を抱えてみせる。けれど、本当にあっと言う間に勃ちかけていた。
 また…一条さんを抱くことが、できる?本当に…?

「…俺も、だ…。」

 窓の外の青空を見る振りをする一条さんの頬も、少し染まっていた。

            (第12章:回復 完)

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