『終章:明日(2002年5月23日〜)』 -1
「雄介…そんなにがんばらなくてもいいんじゃないか?
一条さんは、すっかり俺のことを「雄介」と呼ぶようになってしまった。
「だいたい、まとめちゃいたいんですよ〜。 「ああ、ありがとう。」 一条さんは受け取って確認していたけれど…そのうち、ポケットなどに手を入れて、何か探し始めた。 「雄介…これは、母がマンションから持って来てくれたのかな?」 「はい、そうですけど…?」
一条さんのおかあさんは、あの後も何回か来てくれて、俺も会った。 「…着ていた服は、どうせ全滅、か…。」 一条さんは、まだ服の間をさぐっている。 (あっ) 「一条さん!もしかして…」 「なんだ?」
一条さんは、なんだか機嫌が悪そうな顔で、俺を振り返った。
「もしかして…これ、探してます?
一条さんは手を伸ばして受け取り、封筒の中から手の平へ、あのクウガのペンダントを滑り落とした。 「…よかった。なくなってしまったのか、と気になっていたんだ。」 そう言って、すぐに首にかけようとする。 「一条さん…」 「…ん?」 と言いかけて、一条さんは、顔をしかめた。金具がうまく止まらないらしい。
「くそ…指まで不器用になって…。
「一条さん、俺…もっといいの、買いますから。
俺は、けっこう必死になって言ったんだ。
「俺は気に入ってるんだ…。
恋人、と呼んでくれるのは、すごく嬉しい。 …いや、違う。 「俺…もう、クウガじゃないんですから…。」
でも、一条さんは、もうペンダントを俺に押し付けて、ベッドの上で後ろを向きかかっていた。 「ほら、雄介…はやく。」
俺の掌の上のペンダントを見る。
クウガだった俺だけが愛されているようで、別れの意味だった品であることが辛くて…一条さんの血を吸ったことも憎かった。 「はい…。」
金具を止めてあげながら、一条さんの首筋から目が離せなくなってしまった。 「雄介…クウガだった記憶は忘れたい?」 後ろ向きのまま、一条さんは静かに言う。 「いえ…忘れられません。」
金具が止まって、ペンダントヘッドが一条さんの胸に光るのが、肩越しに見える。
「五代雄介はクウガだった。俺は誇りに思っている…。
一年二ヶ月前に俺が手放したペンダントは、驚く程に一条さんの肌に馴染み…よく似合った。 一条さんが、ヘッドを握り込んで呟く。 「ああ…やっぱり、これがあると、落ち着くな…。」
おそらく…俺が旅立った朝からずっと、あなたはこのペンダントを身につけ、俺を待った。 「はい…。ごめんなさい…よく似合います…。」 言いながら、たまらなくなって、首にキスした。 「…んっ」
一条さんが、僅かに仰け反る。このへんは一条さんの性感帯だ…。 「…雄介…。」 一条さんの、咎める声がする。 「…わかってます。でも…もう少しだけ…。」 僅かに吸いながら噛んだ。一条さんが息を詰めて身じろぎする。 「…雄介、いいかげんにしろ。」
ちょっと怒った声だったので、俺は唇を離した。 「雄介…俺を食うのはマンションに戻って、風呂に入ってからにしてくれ。」 俺の一条さんは、最近すごいことを言うようになってきてしまった…。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝食の後に、退院の手続きをした。 「ありがとうございました。」 「お世話になりました。」
一条さんも俺も、丁寧に挨拶する。 「雄介はやっぱり人気があるんだな…。」
呼んでもらったタクシーに乗って、一条さんはそんなことを言う。 「あの可愛い看護婦も、おまえを見ていたぞ。いいのか…?」
あらら…一条さん、ちょっと妬いてます?もしかして…。 「いいのか?ってなんですか〜?」
俺がふくれて見せると、また笑う。 「俺、一条さんしか見えてませんから…。」
運転手さんに聞こえないように、一条さんの耳元に囁いた。 「あまり寄らないでくれ。タクシーの中で発情すると、困る。」
俺は、さりげなく窓のほうを見る。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一条さんのマンションは、あの東京のレンタルマンションよりも、ずっと立派だった。
なんて…もう、ここに通う心配をしながら、一条さんの部屋の前まで来る。 「…雄介…雄介…」 俺を見つめながら、唇が優しく唇を探ってくる。 「一条さん…荷物…」 「そのへんに置け…」 「靴も脱いでないし…」 「こっちが先だ…」 「部屋も見てない…」 「駄目だ…俺を見て…」 「風呂に入ってから、じゃ?…」 「キスぐらいはさせろ…」
唇を触れ合わせながら、囁き合う。一条さんの目がきらきら笑っている。 「…雄介…雄介…」 「一条さん…」
一条さんは俺を呼びながら目を閉じる。くちづけはすぐ深くなってしまった。 「一条さん…一条さん…」 「五代…雄介…」
一条さんの指が、俺の髪にからまる。 「一条さん…大丈夫?」 俺の身体に、寄りかからせるようにしながら、訊いた。 「ちくしょう…目が回る…。」 一条さんは笑っていたけれど、少し蒼ざめていた。俺はすごく反省した。 「すみません…退院したてなのに、俺、夢中になっちゃって…。上がりましょう。」 俺たちは、まだ玄関にいたんだ…。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一条さんの肘の当たりを支えながら、短い廊下を抜けたら、広いワンルームに出た。 「おお〜。いい部屋ですね〜。」 「相変わらず、何もないが…な。」 きょろきょろ見回している俺を、一条さんは可笑しそうに見ていた。
「ああ、一条さん、座ってください。顔色、ちょっと悪いです。 「雄介…ここは、俺の部屋だぞ。」
「一条さんは病み上がりなんですから、じっとしててください。
言いながら、何か変だな、と思った。 「俺…同じ台詞を言ったことがありますね。」 「俺も、同じだ…。」 ベッドに腰掛けた一条さんが手を伸ばすので、自然に俺も横に掛けて、笑いながら吸い寄せられるようにまたくちづけてしまう。 「しょっちゅう、おまえに看病されているな…俺は…」 「俺だって、さんざん世話してもらいましたよ…」 「二人とも、ぼろぼろだったから…」 「過激なんですよね、俺たちって…」 くちづけの合間に囁き合う。 「ああ…もう全然離れられないじゃないですか…」 「離れないでいい…離れるな…」 「離れたくないですけど…また目が回りますよ…」 「いいんだ…ベッドの上だから…」 「押し倒しますよ…」 「俺も押し倒したい…」
とうとう二人で、ベッドの上に倒れてしまった。 「ベッド…大きいんですね。」 「雄介と寝るには狭いか、と思ってセミダブルに替えたんだ…。」
俺は手を伸ばし、昔のように、一条さんの頭を腕に抱き取る。 「…遅くなりました。ただいま…一条さん。」 「…おかえり…雄介。」 腕の中の一条さんが、静かに言った。俺たちは、そっと唇を触れ合った。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「一条さん…少し、寝ててください。 「雄介…」
離れようとした俺のシャツを、一条さんが掴む。
こんなことはしたことがなかった…前は。
これからは、いっぱい甘えて…。 額にくちづけた。 「ね。少し…眠ってください…。」 「…ん。」
一条さんは、素直に俺のシャツを離して、目を閉じた。 じきに…体力も戻るよね。早く元気になって…。
一条さんは、まだ少し不自由な左側を上にして身体を投げ出し、安心しきった顔で眠っている。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺は風来坊だから…一番好きな人のいるところが、自分の家だ。 廊下にドアのあるバスルームとトイレを確認して、浴槽をざっと洗って、風呂を沸かし始める。
さっき毛布を出してきたクローゼットは衣類もしまえるようになっていた。病院から持ち帰った物を、場所を確認しながら片付けた。
それから、ワンルームに戻って、キッチンの構造と料理用具をだいたい把握する。
リビングコーナーには、見覚えのあるローテーブル…これは東京から持って来たらしい。
昔、聞いたことがあったけれど…本当に簡素な部屋だった。
思い付いて、デスクの一番上の引き出しをそっと開けてみた。 「こら…。」
小さな声がして、俺は振り向く。
一条さんが目を覚ました…。 「勝手に覗くな。そこは俺の心だぞ…。」 一条さんが起き上がりながら、優しく文句を言う。 「ごめんなさい。覗いたら、俺がいました…。」
俺は、写真を手に取って、一条さんの元に行く。 「一条さん…これ、いつの写真なんですか?」
一条さんは、俺から写真を受け取って、見る。 …ずっと、そうやって見つめていてもらったのか…。
「たぶん、24号の時じゃないか、と思うんだが… 「もうちょっとマシなのは、なかったんですか?」 俺のふくれっ面をおもしろそうに見て、一条さんが応える。
「おまえはくれなかったじゃないか。
「俺…覚えていないんですけど、撮られたこともほとんど…
一条さんは、写真から目を上げて、俺を見つめた。
「たぶん…俺だと思う。
最後は呟くようだった。
「あの頃は、まだ警察の人には俺は知られてなかったから、一条さんしかいないですよね。 「そうだな…。」 やっと写真から目を上げてくれた。
「一条さん…俺、ちゃんとここにいますよ。 俺は、まだ少し哀しい目をしている一条さんを見上げて言う。
できることなら小さくうずくまって、その胸のペンダントになってしまえばよかった。
一条さんは軽く頷いて、口の端だけで笑った。 「じゃあ…雄介…」 「はい…」 「雄介…」 「はい…」
一条さんの指が俺の顎にかかり、上を向けさせておいて… 「雄介…そばにいて、くれる?」 ゆっくりと唇を辿りながら、一条さんは囁く。 「はい…もう離れません…」 「おまえがいないと…俺は駄目らしいんだ…。干上がってしまう…。」 「俺も、駄目です…全然。焦がれて死にそうでした…。」
「俺は…見ての通り、警官である以外には何の能もない男だけれど… 「はい…俺、なんでもしてあげます…」 一条さんの唇が、俺の唇から少し離れて…一条さんは笑った。
「何もしてくれなくていいんだよ、雄介… 「でも…してあげたいんです…」
「無理はしないでくれ… 「でも、いつでもそばにいたいんです…」 俺は、少し意固地な気分になって応えた。 「無理じゃないんです。そばに…いさせてください。」 「…雄介…」 一条さんは、少し困った顔をした。
「入院していた間は、俺の我が儘で引き止めてしまったが。 「電話はしてあります。」 「雄介…俺は、おまえを独り占めはできないよ…。」 「独り占めされたいんです。」
一条さんは、苦笑して…。
「すごいな…雄介…俺たちは、痴話喧嘩をしかかっている…
一条さんが笑いながら、言う。 「おまけに、一条さん…将来の生活設計してるんですよ、俺たち…」 「すごいな…」 「すごいです…」 一条さんが俺の腕を引いた。 「おいで、雄介。寝転がって、将来の生活設計をやろう…」 「はい…」
俺は、一条さんに引かれてベッドに這い登り、俺たちは並んで横になった。 「本当に…すごいな…」 一条さんが俺を見つめながら、まだ言っている…。 「俺…一条さんと、生きていけるんですか…?」 「雄介…おまえが望むなら…」 一条さんが真剣な顔になる。 「…俺は、おまえと生きていけるのか?ずっと?」 「あなたが望むなら…ずっと。」 一条さんが、息を吐く。 「すごいな…」 「すごいです…」 すごいすごい、と繰り返しながら、俺たちはまたくちづけをした。
出会った場所が戦場で、俺たちの愛はいつも死と隣り合わせで…。 「そうか…本当に、そんなことを考えてもいいのか…」
一条さんは横になったまま、左腕で目を隠していた。少し声が震えていた。 「…明日のことを、話せるんですね。」 「もっと先のことも…。」 一条さんが笑いながら、態勢を入れ代えて、俺に組み敷いた。
「一条さんのこと、もっといっぱい教えてください…なんでも… 目蓋を舐められながら、俺はくすくす笑った。 「俺は…これっきりの男だから…おまえは…飽きるかもしれないな。」 一条さんは、わざと俺の目蓋を舐めまわしながら、しゃべっている。 「そんなふうに舐めたら…一条さんが見えないじゃないですかっ!」
一条さんが笑いながら、自分のシャツの袖で、俺の顔を拭ってくれた。 「…俺だって…一条さんに嫌われるかもしれない…」 「そうだな…でも、きっとそれはないよ、雄介…」 「俺も…飽きるとか、嫌うとか…考えられないです…」 またくちづけてきた一条さんの頭を、俺は抱え込む。
俺たちは、死と戦場を越えて、愛し合ってきたから…。
一条さんが舌を入れてきて…相変わらずの柔らかい上手なキスに、俺は蕩けそうになる。 「…雄介…欲しい…」 脳味噌が溶けそうな声を聞かされたところで、俺は我に返った。 「あっ…風呂!!」 あわてて起き上がろうとする俺のシャツを、一条さんが掴んだ。笑っている…。
「あわてなくて大丈夫だよ…雄介。 「え…?なんだ…そうなんですか…すごい…俺、時代遅れ…」
「でも…入ろうか、雄介。
胸をはだけたまま、俺を笑って見上げる一条さんの目は、まだ情慾にけぶっている。
「そんな顔して、見ないでください。 「それでもかまわないが、な…。」
一条さんは、俺を誘惑する方法をよく知っている。
「駄目ですよ。風呂に入りましょう。 |