『第11章:帰還』 -3完
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ずっと外国にいたせいだ、と思う。
日本語が…よくわからないんだ。
椿さんの言っていることが…よく、わからない。
しかたないから、一条さんから目を離して、椿さんを見た。
椿さんは…なんだか変な顔をしている。
「五代…本当か?本当にわかっていないのか?」
「何をです?」
なんだか、感覚がなくなったしまったみたい。
意味のない会話なんて嫌いだ。
俺は、一条さんを見ていたい…。
でも、椿さんは話し続けた。
「おまえたち…付き合っていたんだろう?」
「だって…一条さんの恋人は、椿さんなんでしょう?」
やっぱり確かめたかったので…訊いてみた。
椿さんは、また変な顔になった。
「おまえ…ちくしょう…やっぱり殴りたい…」
なんだか物騒なことを、椿さんは言っていた。
「おい…なんでそうなるんだ?
おまえ…薫に惚れてないのか?」
俺はまた、一条さんを見た。
あんな姿になっても、一条さんはまだ綺麗だった。
綺麗な一条さん…俺の…一条さん…。
一条さん…あなたに惚れてないのかって…椿さんが聞いています…。
俺、正直に答えていいの?
「好きです…とてもとても。
どこに旅しても…忘れられなかった…。」
ごめんなさい…。言ってはいけないのかもしれないけれど…言いたかった…。
想いは届かない。あなたは死んでしまう。…それでも、俺は言いたかった…。
あなたを愛してる…俺も死にたい…。
「だから…忘れるっていう話にどうしてなるんだ?
薫もおまえに惚れてるんだから、もっと早く帰れと、俺は言ってるんだぞ!」
椿さんは、ものすごく苛々した感じで怒鳴った。
病院だから、静かにしろって…さっき言ったのは椿さんなのに…。
(え?)
なにか…椿さんは…言っていた。薫も…おまえに…?
「椿さん…もう一度…言って…?」
「まったく…この馬鹿が!
いいか…薫はおまえが好きなんだよ。
おまえしか好きじゃないんだよ。
おまえを愛してるんだよ。
おまえだけに惚れているんだよ。
わかったか!」
「薫って…一条さんのことですよね?」
「恋人の名前ぐらい覚えておけ!そうだよ!」
「おまえって…俺ですか?」
「他にいるかよ!」
「一条さんが…俺を…愛してる…?」
「そうだよ!なんで知らないんだ?
ああ…薫…この馬鹿に、おまえ教えてやったのか?
なんでこんな馬鹿に惚れてるんだよ。
なぁ…起きてきて、言ってやってくれよ…薫…」
俺もそう思った。
一条さん…起きて…教えて…。
椿さんが…一条さんは俺のことを愛してるって…言うんだけど…。
起きて…そんなことないって言ってあげて。
それでも…俺、嬉しいと思う。
あなたの声が…聞けるなら…嬉しい、と思う…。
もう一度、聞きたい…俺の名を言う声…。聞きたい…。
「なぜ…そんなことを、椿さんは…。
そんなことは…ないですよ。
一条さんが…そう言ったんですか?」
言う筈は…ない。
言う筈は、ないんだ…。
「言いはしない。だが、俺は知っているし、
俺が知っていると、薫も知っている。
隠そうとはしていなかったからな。」
椿さんの言っていることは、やっぱりよくわからなかった。
一条さん…椿さん、変だよ…。
「おい…なんでそんなことになったんだ?
おまえたち、付き合っていたんだろう?」
なんでこんなことになっているのか…訊きたいのは俺のほうだった。
でも、俺には椿さんに逆らう気力が、今はなくて…応えた。
「…付き合っていた、と言えるかどうか…
あの頃は…俺が時々一条さんの部屋におしかけてましたけど。」
「薫を抱いたんだろう?」
一条さん…俺、どうしたらいいの?椿さんが変なんだ…。
一条さん…起きて…教えて…ねぇ…俺、困ってるから…。
俺は、いやだ…起きて…起きて…。
「…は…い。」
「だったら、そういうのを付き合ってる、と言うんだ!
薫は、おまえに何も言わなかったのか?」
「何を…です?」
「だから!愛してる、とか、好きだ、とか、そういうことだよ!」
「言って…くれました。愛してるよ…って。」
「何回だ?」
「え?」
「何回言ったんだ?薫は!」
「ええと…一回ですけど。俺が聞き直したから…二回。」
椿さんはもう、最高に苛々してしまっていた。
「…おまえ…それで、なぜ信じないんだ…?」
「その時は…俺はクウガだったから…ちょっとガタガタになってる時で…
だから…言ってくれたのか…と、思います。」
「おまえが大事なクウガだからか?
だから元気づける為に、嘘をついたと言うのか?薫が?」
「は…い。」
椿さんは、頭を抱えこんでしまった。
それから、がばっと頭を上げて、ガラス窓の向こうの一条さんを見つめた。
「薫…起きてくれ…頼む…
俺に、この馬鹿をなんとかしろ、と言うのか?
おまえが死にかけているのに…この馬鹿は知らない…
おまえが惚れ抜いているこの男が、おまえを知らない…
なんなんだよ…俺は許せない…
だいたいな、おまえも悪いんだぞ…
どうして、この馬鹿にもっとわかりやすく説明してやらんのだ…
起きろ、薫…俺はもういやだ…起きてくれ…」
俺にはよく聞き取れない呟きが、ずっと続いた。
一条さんに話しかけているみたいだった。
この人が、一条さんを愛してるってことは…わかっていたけど…そうなんだ。本当に。
一条さん…椿さんも、俺も…こんなに辛いよ。
だから…起きて…起きて…死なないで…。
椿さんは、しばらくぶつぶつ言っていたけれど、それからひとつ、ため息をついた。
「五代…いいか。」
「は…い…。」
「薫は、嘘はつかないんだ。あいつは頑固で不器用だが、馬鹿正直で嘘はつかない。
だから、あいつが愛してる、と言ったのなら、おまえがクウガだろうが五代雄介だろうが、愛してるんだよ、おまえを!
だいたいな…おそらく、薫がそんなことを言ったのは…生まれて初めてだった筈だ。
そんなことを、薫に言われた人間は、他にいないんだよ。
おまえに、おまえだけに言ったんだ。
そんな言葉を…薫が嘘で言う筈はないんだ。
…あいつは本当におまえを愛しているんだよ…。」
椿さんの言葉はなんだか悲鳴のように聞こえて…ようやく俺に沁み込んできた。
「俺、だけ…?」
俺がそう言った時、足音が近付いてきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
廊下をこちらに歩いてきたのは、さっきの婦長さんによく似た、落ち着いた感じの女の人だった。
「あら…椿さん…」
「あ、どうも…」
椿さんが、立上がって、お辞儀をするので、俺も立上がった。
「お世話になります。」
女の人は、丁寧に椿さんに頭を下げた。
「いえ、何もできませんで…」
「いいんですよ、いてくださるだけで。薫もきっと、心強いと思います。」
女の人はガラス窓を振り返り、しばらくじっと一条さんを見つめた。それから、俺に気が付いた。
「…もしかすると…五代…雄介さん?」
「は…はい。五代です。」
俺は、あわてて頭を下げる。
女の人は、俺をじっと見た。
「よかった…来てくださって。
薫はきっと、元気になるわね。」
「はい…あの〜〜」
「ああ、薫の母です。ごめんなさいね、五代さんは御存じないでしょうに、私のことは。
でも、なんだかよく知っているような気がして。」
俺…また話がよくわからなくなってきて、ガラス窓の向こうの一条さんに助けを求めた。
一条さん…おかあさんにも俺のこと、話したの?なんて?
一条さんは…答えてくれない。
「おととい…薫がこんなことになって、こちらに来ましてね。
いろいろ入院の準備とかが必要なので、薫のマンションに行ったんですよ。
で、持たないで来てしまった印鑑を捜して、机の引き出しをあけたんです。
そうしたら、あなたの写真が入ってました。
それから、なにか手紙と、絵葉書と…
ごめんなさい、ちらっとだけれど、見てしまったので、お名前を覚えていたの。
引き出しの中に、それだけが入っていました…。
きっと、すぐ見られるように…それだけ、入れてあったんですね。
あの子らしい…。」
なんだか、胸がずきずきしてきた。
一条さんの…引き出しの中に…俺の写真と絵葉書と手紙と…たったそれだけ…?
なに…?それ…?
写真…そんなの、一条さんにあげたことなんかない。
ああ、でも…あの頃、捜査の途中で、鑑識さんが、フィルムが余ったからって、俺の写真を撮ってくれたことがあった…。それ、だろうか。
俺も見たことのない、俺の写真…一条さん…そんなもんを引き出しにしまってたの?
絵葉書は、モンゴルかどこかから、たった一度、出したことがある…確か、本庁の一条さん宛に。
何を書いたのかな、「俺は元気です!」サムズアップイラスト、終わり…そんな感じだったと思う。
一条さんは眺めて、すぐ捨ててしまうだろう…だから、捨てられてもいい手紙を、俺は書いたんだ。気持ちを書き始めればとめどもないし、そんなもの…もう、一条さんはうっとおしいだけだろうから。
そう思って…俺は、ただ生きていることだけ報告しようと思って…絵葉書を出した。
手紙っていうのは、たぶんあの古い家の座卓の上に置いてきた、置き手紙…なんだろう。
旅立ったあの朝に…ただ、お礼の言葉だけを書いた。一条さんにとって重荷にならない言葉だけを選んで、心は封じたまま書いた…あの置き手紙。
なんだか、胸がずきずきしてきていた。
一条さん…そんなものを引き出しに入れて…どうしてたの?
どうして、そんなところに、そんな紙屑を大事そうにしまっておくんだよ…一条さん…。
ガラス窓の向こうの、一条さんを見つめた。
一条さん…起きて、答えて…一条さん…俺に…教えて…。
俺は、何か…すごく間違っていた…?
「ああ、それから…」
おかあさんは、ショルダーバックの中を探って、白い封筒を取り出した。
「これ、もしかしたら、あなたの物なんじゃありません?
手術の為に着替えさせる時にはずしたんですけど。
お返ししておきます。あなたから薫に返してあげて。
あの子にはきっと、大事なものなんでしょうから…」
おかあさんは、俺の手に封筒を握らせた。何かが中で音がした。
それがなんなのか、俺はわかったような気がした…。
「ちょっとごめんなさい。薫に会ってきます。」
おかあさんは、そう言って、病室の中に入っていった。
ベッドのわきに座り、一条さんの手を握って、何か言っているのが見えた。
俺は封筒を両手で持って、立っていた。
一条さん…これ、大事なの?
撃たれた時…これを、してたの?
もしかして…あれから、ずっと…してたの?
一条さん…一条さんは…俺を…そんな…
「お帰りになるんですか?」
病室から出てきたおかあさんに、椿さんが聞いていた。
「ええ。待っている患者さんがいるんですよ、私にも。
でも、あなたがたがいてくださるなら、安心。
よろしくお願いしますね。」
椿さんと俺は、黙って頭を下げた。
去り際に、一条さんのおかあさんは、俺を見て言った。
「薫に言っておきましたからね。
五代さんがいらしてるって。
きっと、もう起き出したくて、しかたない筈だわ。」
そう言って…おかあさんは、廊下を歩いていって、見えなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…強い女性だな。男には真似ができん…」
元通りに長椅子に並んで腰掛けて、ガラス窓の向こうの一条さんを見つめながら、椿さんが言った。
「はい…。」
「おい…それは何なんだ?」
椿さんは、俺の手の封筒に顎をしゃくって訊いた。俺はそっと封を開いた。
俺が別れ際に置いてきた、クウガのマークのペンダントだった。
目の窪みのところに黒っぽい染みが入り込んでいた。一条さんが撃たれた時の血…。
「おまえが薫にやったものか?」
俺は…それを握りしめて…頷いた。
「それをずっと身につけてたわけだな、薫は…。
やれやれ…なんて少女趣味なやつなんだ。」
「椿さん…一条さんは…俺のこと…本当に…?」
胸が苦しくて、声が震えてしまう。
「ああ…ぞっこんだ。あいつには、おまえしか見えてない。」
椿さんは、即座に、当たり前のことのように言いきった。
「そんな…。」
そんなことって…。
じゃあ、俺は…。
ガラスの向こうの一条さんの姿に、俺は縋りついた。
一条さん…俺のこと、愛してたの?
ずっと?…俺だけを?愛してくれてたの?
「なぜ…言ってくれなかったの…?
そうしたら、もっと早く帰って来たのに…」
想いは、声になってしまった。
「だから、薫は言ったんだろう?愛してるって。
おまえがそれを信じなかったんだ…。」
「信じたんです。信じていた…あの頃は。
クウガじゃなくなっても…まだ信じていた…だけど…。」
一条さん…俺…信じていればよかったの?
「愛してるよ」って…あんなに優しい笑顔で言ってくれた言葉…
信じていればよかったの?一条さん…起きて…
俺、苦しい…こんなの、いやだ。
「だけど…俺が旅に出たいって言ったら…一条さんは嬉しそうにして…
すぐに別れの言葉を言った…。」
「…おまえは、行きたかったんだろう?」
「はい…俺は涙腺が壊れちゃって…泣いてばかりで…
一条さんに縋って泣くばかりで…
これじゃあ駄目だと思って…だけど、行ってしまうことも悲しくて…」
椿さんが、横でため息をついた。
「おまえも…辛かったな。
石が壊されて、身体が劇的に変わったんだ…まともに生きてるのが、俺は不思議だったよ。
ずっと矢面に立って闘ってきたのはおまえだったから…緊張の糸が切れた後で、精神的な揺れ返しもあっただろうな。
その為に、薫はあの家を選んで、おまえを運んだんだが…。
あのまま日本にいては、おまえの傷は癒されなかったんだ。
薫はそれを知っていたんだ、と思う。
自分のそばに置いては駄目だ、ということもな。
だから、おまえの為に、止めなかったのさ…。」
「俺の…ため…に?」
あの夜の一条さんを思い出していた。あの透きとおったような声と、姿を思い出していた。
一条さん…俺のために?…旅立たせようとしていたの?
あの不思議な…哀しいように綺麗だった一条さんを…俺は、思い出していた。
「…前から、薫は言っていた。
早く別れてやりたい…冒険に行かせてやりたいって。
薫は、おまえを闘わせたくなかったんだ。
あれは、あいつが俺の病院に担ぎ込まれた時だな…
まったく…おまえらは揃いも揃って無茶ばっかりしやがって…」
「…早く、別れてやりたい…?」
俺の…為に…?
そんなことを、考えていたの…?
「あいつはな…おまえの為だけを考える。
自分のことは考えない。
おまえが旅立ちたいなら、あいつは止めないさ…」
「でも、俺は…待ってて…って言ったのに…
一条さんは…待ってる…とは言ってくれなかった…。
だから、俺…ふられた、と思って…。」
「…なんて言ったんだ、薫は。」
「俺は、どこにも行かない…って。
だから、俺…俺のものにはならないってことだと思って…」
椿さんは、またため息をついた。
「まったく…おまえらはどうしてそう不器用で、俺に面倒をかけるんだ?
五代、おまえも…もうちょっとおまえは楽天的で、積極的なやつだと思っていたんだが。
大事なことだろう…なぜ、ちゃんと訊かなかったんだ?」
「俺…俺は、一条さんにさんざん迷惑かけていたし、お世話になっていたし…
一条さんと離れたくないのに、行かなきゃならないって自分で決めて…辛くて…
もうクウガじゃなかったし…もう笑えなかったし…俺には何もなくて…
何も…あげるものがない…してもらうばっかり…
一条さんが…俺を送りだして…それで肩の荷降ろして、仕事に戻れるなら…
俺は…それ以上は聞けなくて…」
苦しくて…つっかえながら、俺は話した。
一条さんは…俺を、愛していた…
俺の帰りを、ずっと待っていた…
ならば…俺は…なんてことを…
…死にかけてる…死んでしまう…
俺を待ったまま…一条さんは…死ぬ…
俺は…なんてことを…
胸が壊れる…
このまま、一条さんが死ぬなら…俺は、生きていけない…
椿さんは、俯いて俺の言葉を聞いていた。
それから、顔を上げて、言った。もう苛立ちの影はなく、ただ悲しそうだった。
「おまえたちは…やっぱり揃って馬鹿だな…。
五代…。薫は、とっくに…おまえのものだよ。どこからどこまでもおまえのものだったさ…。
くやしいけどな…。
どこにも行かない…か。
おそらく、どこにも行かないで、変わらずにこのままここで愛している…そんな意味だったんだろうな。」
「…でも!だったら!…待ってるって一言でも言ってくれれば…俺は…」
「待たれると、旅を急がなければならなくなるからな…。
ゆっくり、自由に旅させてやりたかったんだろう、おまえを。
言っただろう?あいつはおまえの為しか考えない。待つ…とは言わないし、言えないんだよ。
今も、待っている意識もないのかもしれないな。
おまえがいなくても、あいつはおまえのものなんだから。」
「俺が…遠く離れても…ずっと帰らなくても…二度と会えなくても…?」
「たぶんな…。おまえがどこかの青空の下にいる…
そう思って青空を見て…青空はおまえのシンボルだからな。
そうやって、おまえがいなくても、おまえを愛し続けただろう。死ぬまで、な。」
青空…。
もう駄目だった。涙があふれ出てきた。
「一条さん…一条さん…」
「…そういう奴なんだよ、あいつは…。」
椿さんの声も、少し震えていた…。
涙がどんどんあふれて…止まらない。
一条さん…帰って来たら、また俺の涙腺、壊れちゃったみたい。
俺…泣いてるから…抱いて。いつかのように抱いて…一条さん…。
俺を…助けて…。
俺のこと、愛してくれてるなら…目を覚まして…。
俺…苦しい…。
あなたがいないと…生きていけない…。
愛したまま、逝かないで…。
こんなふうに俺を置いて行かないで…。
死なないで…。
「亀山さんが言ってた…一条さんは…一条さんは…青空を見上げて撃たれたって…。
俺、聞いたんです…一条さんの声…俺を呼ぶ声…そのすぐ後に銃声も…
だから…帰って来た…」
俺は、泣きながら、やっと言った。
「おい、また超常現象かよ。
俺はうんざりだ…。」
「でも…聞こえた、んです…」
「疑っているわけじゃない。
そうか、おまえの居場所を知っている人間はいなかったんだな…。
こんなタイミングでおまえが帰ってくるのは…薫が、撃たれておまえを呼んだのか…。」
「違う…声のほうが先…でした。
空を見て…俺を呼んで…一条さんは…。」
「…馬鹿なやつだな…捕物の最中に、空を見て、おまえを呼んで撃たれたのか…。」
椿さんの声は、静かだった。
「…はい…たぶん…。」
「よほど…会いたかったんだな、おまえに…。」
また、涙が出た。
「ん?」
急に。椿さんが立上がった。
「いかん!」
そう叫んで、病室に飛び込んでいく。
「五代、おまえはそこにいろ!」
「…いやだ!…いさせて…一条さんのそばに…」
椿さんは、一瞬俺を見た。
「じゃあ、邪魔にならないようにしろよ!」
そう言って、ナースコールに飛びつく。
「心拍が弱まっている!当直医に連絡してくれ!」
俺は、邪魔にならない隅に下がって、拳を握りしめて、一条さんを見つめていた。
「薫!薫!がんばれ!
五代が帰ってきたぞ!おまえの馬鹿が戻ってきたんだよ!」
椿さんが怒鳴っていた。
じきに、医師や看護婦が飛び込んできて、一条さんの姿は見えなくなってしまったけれど…
俺は、一条さんの血のついたペンダントを握りしめて、強く強く念じていた。
(一条さん…死なないで…俺を置いて行かないで…)
遠い遠い中国まで、あなたの声は届いた。
それならば、俺の声も届かせる。
俺は信じた。呼び続けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最後に、医師が椿さんと頷き合って出て行って…病室は静かになった。
心電図は…まだ…一条さんの鼓動を刻み続けていた。
疲れた様子の椿さんが、言った。
「…なんとか…持ち直した。
だが、次は駄目かもしれん…。」
「椿さん…一条さんは、死にません…。」
俺はまだ、さっきのまま立っていた。
椿さんは、哀れむように俺を見て笑う。
「おまえたちは…本当にそっくりだ。
意固地で頑固で…おまけに馬鹿だ。」
「はい…。」
「あとは…薫の気力次第だ。
目を離すわけにもいかんが…
俺はちょっと横になる。
昨晩も寝ていないんでな。」
「はい…。」
「五代、おまえはそこに座れ。
薫になんでも話してやれ。
心電図と血圧計を見ていてくれ。
変化があったら、すぐ起こせ。」
「はい…。」
さっき、椿さんが座っていた椅子に、俺は座った。
椿さんは、ベッドの下から簡易ベッドを出して横になろうとしていた。
「手を…握ってもいいですか?」
「…なんでも、してやれよ…。」
「はい…。」
俺は掛布の下の、一条さんの手を探って、そっと握った。
ひんやりした手だったけど…ぬくもりはあった。
俺の大好きな、一条さんの手だった。
少しだけ、掛布をめくって、指にくちづけた。頬擦りした。言葉は自然に出た。
「一条さん…俺、帰ってきましたよ…
一条さん…大好きな一条さん…
ごめんね、ずっと一人にして…
俺、一条さんが俺のこと、待っててくれるなんて知らなくて…
ずっとずっと、愛してくれてたなんて知らなくて…
クウガじゃなくなった俺のことなんか、もういらないのかと思って…
ずっとずっと、会いたかったのに…
ずっとずっと、我慢して旅をしてた…
馬鹿だよね、俺。
…ねぇ…一条さん?馬鹿って言ってください…
馬鹿野郎って、いつかみたいに笑ってください…
俺のこと、呼んだでしょう?
青空を見て、俺のこと、呼んだんでしょう?
五代…って。いつもみたいに…呼んだよね。
俺、聞こえたよ…一条さんの声、聞こえたよ…
だから帰ってきた…
一条さん…俺を見てください…俺、帰ってきましたよ…」
涙が、一条さんの指に落ちて、濡らした。
「一条さん…ずっとずっと、俺のものだったの?
俺だけのものだったの?
俺だけ…好きだったの?
ごめんね、信じなくて…
俺、辛くて…一条さんのこと、忘れようとしてた。
でも、忘れられないんだ。
どこに行っても、あなたのことばっかり想って…
だから…俺もとっくに、あなたのものだったんだね。
俺、知らなくて…回り道して…ごめん。
でも、もう帰ってきたから…
二度と離れないから…
とてもとても愛しているから…
目を覚まして…俺を見て…一条さん…お願い…」
椅子から立って、一条さんの動かない、冷たい額にもくちづけした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
長い夜が更けていった。
途中で、亀山さんが立ち寄った。
亀山さんもやっぱり一条さんの手を握り、
「一条さん、がんばってくださいね。」
そう言って帰って行った。
その後…疲れきった椿さんはまた眠り、俺は一条さんに話し続けた。
いろんな話をした。
キューバの海のこと、チベットの寺院のこと、モンゴルの草原のこと、中国の市場のこと…出会った人たちのことも、未確認生命体たちのことさえ。
たくさんたくさん、愛を告げた。会えなかった時間ぶん、何度も何度も言った…一条さん、大好き。
時々椿さんが起き上がって、計器類の数値を確認した。
ゆっくりゆっくり時は流れ…一条さんは生き続けた。
「おい…血圧が回復してきてるぞ…!」
椿さんが言ったのは、明方だっただろうか…
朝の光の射してきた頃。ずっと握っていた一条さんの手は、暖かくなってきていた。
指先が、かすかに動いた。俺を、確かめるように…。
「椿さん…目を、覚ますかも…」
俺は、一晩中しゃべり通していたかすれ声で、呼んだ。
「一条さん…もう、朝だよ。目を覚まして…
俺、帰ってきましたよ。目を開けて、俺を見て…
おはよう…一条さん、椿さんもいますよ…」
俺は、また呼びかけ続けた。
やがて。
椿さんと二人で見守っている光の中で。
一条さんはうっすらと目を開け、俺を見て微笑んだ。
唇が、かすかに動いた。
そして、一条さんは、また目を閉じて眠った。
「…何か言ったのか?」
「ええ…」
俺は椿さんを見て、笑った。今は心の底から笑顔になれる…。
「なんて言ったんだ?」
「…おかえり、ごだい…って…。」
「ちぇっ馬鹿馬鹿しいっ!!俺はもう帰るぞっ!!」
椿さんは、また怒ってしまった…。
(第11章:帰還 完)
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