『第11章:帰還』 -3完


         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 ずっと外国にいたせいだ、と思う。
 日本語が…よくわからないんだ。
 椿さんの言っていることが…よく、わからない。

 しかたないから、一条さんから目を離して、椿さんを見た。
 椿さんは…なんだか変な顔をしている。

「五代…本当か?本当にわかっていないのか?」

「何をです?」

 なんだか、感覚がなくなったしまったみたい。
 意味のない会話なんて嫌いだ。
 俺は、一条さんを見ていたい…。

 でも、椿さんは話し続けた。

「おまえたち…付き合っていたんだろう?」

「だって…一条さんの恋人は、椿さんなんでしょう?」

 やっぱり確かめたかったので…訊いてみた。
 椿さんは、また変な顔になった。

「おまえ…ちくしょう…やっぱり殴りたい…」

 なんだか物騒なことを、椿さんは言っていた。

「おい…なんでそうなるんだ?
 おまえ…薫に惚れてないのか?」

 俺はまた、一条さんを見た。
 あんな姿になっても、一条さんはまだ綺麗だった。

 綺麗な一条さん…俺の…一条さん…。
 一条さん…あなたに惚れてないのかって…椿さんが聞いています…。  俺、正直に答えていいの?

「好きです…とてもとても。
 どこに旅しても…忘れられなかった…。」

 ごめんなさい…。言ってはいけないのかもしれないけれど…言いたかった…。
 想いは届かない。あなたは死んでしまう。…それでも、俺は言いたかった…。
 あなたを愛してる…俺も死にたい…。

「だから…忘れるっていう話にどうしてなるんだ?
 薫もおまえに惚れてるんだから、もっと早く帰れと、俺は言ってるんだぞ!」

 椿さんは、ものすごく苛々した感じで怒鳴った。
 病院だから、静かにしろって…さっき言ったのは椿さんなのに…。

(え?)

 なにか…椿さんは…言っていた。薫も…おまえに…?

「椿さん…もう一度…言って…?」

「まったく…この馬鹿が!
 いいか…薫はおまえが好きなんだよ。
 おまえしか好きじゃないんだよ。
 おまえを愛してるんだよ。
 おまえだけに惚れているんだよ。
 わかったか!」

「薫って…一条さんのことですよね?」

「恋人の名前ぐらい覚えておけ!そうだよ!」

「おまえって…俺ですか?」

「他にいるかよ!」

「一条さんが…俺を…愛してる…?」

「そうだよ!なんで知らないんだ?
 ああ…薫…この馬鹿に、おまえ教えてやったのか?
 なんでこんな馬鹿に惚れてるんだよ。
 なぁ…起きてきて、言ってやってくれよ…薫…」

 俺もそう思った。

 一条さん…起きて…教えて…。
 椿さんが…一条さんは俺のことを愛してるって…言うんだけど…。
 起きて…そんなことないって言ってあげて。
 それでも…俺、嬉しいと思う。
 あなたの声が…聞けるなら…嬉しい、と思う…。
 もう一度、聞きたい…俺の名を言う声…。聞きたい…。

「なぜ…そんなことを、椿さんは…。
 そんなことは…ないですよ。
 一条さんが…そう言ったんですか?」

 言う筈は…ない。
 言う筈は、ないんだ…。

「言いはしない。だが、俺は知っているし、
 俺が知っていると、薫も知っている。
 隠そうとはしていなかったからな。」

 椿さんの言っていることは、やっぱりよくわからなかった。

 一条さん…椿さん、変だよ…。

「おい…なんでそんなことになったんだ?
 おまえたち、付き合っていたんだろう?」

 なんでこんなことになっているのか…訊きたいのは俺のほうだった。
 でも、俺には椿さんに逆らう気力が、今はなくて…応えた。

「…付き合っていた、と言えるかどうか…
 あの頃は…俺が時々一条さんの部屋におしかけてましたけど。」

「薫を抱いたんだろう?」

 一条さん…俺、どうしたらいいの?椿さんが変なんだ…。
 一条さん…起きて…教えて…ねぇ…俺、困ってるから…。
 俺は、いやだ…起きて…起きて…。

「…は…い。」

「だったら、そういうのを付き合ってる、と言うんだ!
 薫は、おまえに何も言わなかったのか?」

「何を…です?」

「だから!愛してる、とか、好きだ、とか、そういうことだよ!」

「言って…くれました。愛してるよ…って。」

「何回だ?」

「え?」

「何回言ったんだ?薫は!」

「ええと…一回ですけど。俺が聞き直したから…二回。」

 椿さんはもう、最高に苛々してしまっていた。

「…おまえ…それで、なぜ信じないんだ…?」

「その時は…俺はクウガだったから…ちょっとガタガタになってる時で…
 だから…言ってくれたのか…と、思います。」

「おまえが大事なクウガだからか?
 だから元気づける為に、嘘をついたと言うのか?薫が?」

「は…い。」

 椿さんは、頭を抱えこんでしまった。
 それから、がばっと頭を上げて、ガラス窓の向こうの一条さんを見つめた。

「薫…起きてくれ…頼む…
 俺に、この馬鹿をなんとかしろ、と言うのか?
 おまえが死にかけているのに…この馬鹿は知らない…
 おまえが惚れ抜いているこの男が、おまえを知らない…
 なんなんだよ…俺は許せない…
 だいたいな、おまえも悪いんだぞ…
 どうして、この馬鹿にもっとわかりやすく説明してやらんのだ…
 起きろ、薫…俺はもういやだ…起きてくれ…」

 俺にはよく聞き取れない呟きが、ずっと続いた。
 一条さんに話しかけているみたいだった。
 この人が、一条さんを愛してるってことは…わかっていたけど…そうなんだ。本当に。

 一条さん…椿さんも、俺も…こんなに辛いよ。
 だから…起きて…起きて…死なないで…。

 椿さんは、しばらくぶつぶつ言っていたけれど、それからひとつ、ため息をついた。

「五代…いいか。」

「は…い…。」

「薫は、嘘はつかないんだ。あいつは頑固で不器用だが、馬鹿正直で嘘はつかない。
 だから、あいつが愛してる、と言ったのなら、おまえがクウガだろうが五代雄介だろうが、愛してるんだよ、おまえを!

 だいたいな…おそらく、薫がそんなことを言ったのは…生まれて初めてだった筈だ。
 そんなことを、薫に言われた人間は、他にいないんだよ。
 おまえに、おまえだけに言ったんだ。
 そんな言葉を…薫が嘘で言う筈はないんだ。
 …あいつは本当におまえを愛しているんだよ…。」

 椿さんの言葉はなんだか悲鳴のように聞こえて…ようやく俺に沁み込んできた。

「俺、だけ…?」

 俺がそう言った時、足音が近付いてきた。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 廊下をこちらに歩いてきたのは、さっきの婦長さんによく似た、落ち着いた感じの女の人だった。

「あら…椿さん…」

「あ、どうも…」

 椿さんが、立上がって、お辞儀をするので、俺も立上がった。

「お世話になります。」

 女の人は、丁寧に椿さんに頭を下げた。

「いえ、何もできませんで…」

「いいんですよ、いてくださるだけで。薫もきっと、心強いと思います。」

 女の人はガラス窓を振り返り、しばらくじっと一条さんを見つめた。それから、俺に気が付いた。

「…もしかすると…五代…雄介さん?」

「は…はい。五代です。」

 俺は、あわてて頭を下げる。
 女の人は、俺をじっと見た。

「よかった…来てくださって。
 薫はきっと、元気になるわね。」

「はい…あの〜〜」

「ああ、薫の母です。ごめんなさいね、五代さんは御存じないでしょうに、私のことは。
 でも、なんだかよく知っているような気がして。」

 俺…また話がよくわからなくなってきて、ガラス窓の向こうの一条さんに助けを求めた。

 一条さん…おかあさんにも俺のこと、話したの?なんて?

 一条さんは…答えてくれない。

「おととい…薫がこんなことになって、こちらに来ましてね。
 いろいろ入院の準備とかが必要なので、薫のマンションに行ったんですよ。
 で、持たないで来てしまった印鑑を捜して、机の引き出しをあけたんです。
 そうしたら、あなたの写真が入ってました。
 それから、なにか手紙と、絵葉書と…
 ごめんなさい、ちらっとだけれど、見てしまったので、お名前を覚えていたの。
 引き出しの中に、それだけが入っていました…。
 きっと、すぐ見られるように…それだけ、入れてあったんですね。
 あの子らしい…。」

 なんだか、胸がずきずきしてきた。
 一条さんの…引き出しの中に…俺の写真と絵葉書と手紙と…たったそれだけ…?
 なに…?それ…?

 写真…そんなの、一条さんにあげたことなんかない。
 ああ、でも…あの頃、捜査の途中で、鑑識さんが、フィルムが余ったからって、俺の写真を撮ってくれたことがあった…。それ、だろうか。
 俺も見たことのない、俺の写真…一条さん…そんなもんを引き出しにしまってたの?

 絵葉書は、モンゴルかどこかから、たった一度、出したことがある…確か、本庁の一条さん宛に。
 何を書いたのかな、「俺は元気です!」サムズアップイラスト、終わり…そんな感じだったと思う。
 一条さんは眺めて、すぐ捨ててしまうだろう…だから、捨てられてもいい手紙を、俺は書いたんだ。気持ちを書き始めればとめどもないし、そんなもの…もう、一条さんはうっとおしいだけだろうから。
 そう思って…俺は、ただ生きていることだけ報告しようと思って…絵葉書を出した。

 手紙っていうのは、たぶんあの古い家の座卓の上に置いてきた、置き手紙…なんだろう。
 旅立ったあの朝に…ただ、お礼の言葉だけを書いた。一条さんにとって重荷にならない言葉だけを選んで、心は封じたまま書いた…あの置き手紙。

 なんだか、胸がずきずきしてきていた。
 一条さん…そんなものを引き出しに入れて…どうしてたの?
 どうして、そんなところに、そんな紙屑を大事そうにしまっておくんだよ…一条さん…。

 ガラス窓の向こうの、一条さんを見つめた。

 一条さん…起きて、答えて…一条さん…俺に…教えて…。
 俺は、何か…すごく間違っていた…?

「ああ、それから…」

 おかあさんは、ショルダーバックの中を探って、白い封筒を取り出した。

「これ、もしかしたら、あなたの物なんじゃありません?
 手術の為に着替えさせる時にはずしたんですけど。
 お返ししておきます。あなたから薫に返してあげて。
 あの子にはきっと、大事なものなんでしょうから…」

 おかあさんは、俺の手に封筒を握らせた。何かが中で音がした。
 それがなんなのか、俺はわかったような気がした…。

「ちょっとごめんなさい。薫に会ってきます。」

 おかあさんは、そう言って、病室の中に入っていった。
 ベッドのわきに座り、一条さんの手を握って、何か言っているのが見えた。

 俺は封筒を両手で持って、立っていた。

 一条さん…これ、大事なの?
 撃たれた時…これを、してたの?
 もしかして…あれから、ずっと…してたの?

 一条さん…一条さんは…俺を…そんな…

「お帰りになるんですか?」

 病室から出てきたおかあさんに、椿さんが聞いていた。

「ええ。待っている患者さんがいるんですよ、私にも。
 でも、あなたがたがいてくださるなら、安心。
 よろしくお願いしますね。」

 椿さんと俺は、黙って頭を下げた。
 去り際に、一条さんのおかあさんは、俺を見て言った。

「薫に言っておきましたからね。
 五代さんがいらしてるって。
 きっと、もう起き出したくて、しかたない筈だわ。」

 そう言って…おかあさんは、廊下を歩いていって、見えなくなった。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「…強い女性だな。男には真似ができん…」

 元通りに長椅子に並んで腰掛けて、ガラス窓の向こうの一条さんを見つめながら、椿さんが言った。

「はい…。」

「おい…それは何なんだ?」

 椿さんは、俺の手の封筒に顎をしゃくって訊いた。俺はそっと封を開いた。
 俺が別れ際に置いてきた、クウガのマークのペンダントだった。
 目の窪みのところに黒っぽい染みが入り込んでいた。一条さんが撃たれた時の血…。

「おまえが薫にやったものか?」

 俺は…それを握りしめて…頷いた。

「それをずっと身につけてたわけだな、薫は…。
 やれやれ…なんて少女趣味なやつなんだ。」

「椿さん…一条さんは…俺のこと…本当に…?」

 胸が苦しくて、声が震えてしまう。

「ああ…ぞっこんだ。あいつには、おまえしか見えてない。」

 椿さんは、即座に、当たり前のことのように言いきった。

「そんな…。」

 そんなことって…。
 じゃあ、俺は…。

 ガラスの向こうの一条さんの姿に、俺は縋りついた。

 一条さん…俺のこと、愛してたの?
 ずっと?…俺だけを?愛してくれてたの?

「なぜ…言ってくれなかったの…?
 そうしたら、もっと早く帰って来たのに…」

 想いは、声になってしまった。

「だから、薫は言ったんだろう?愛してるって。
 おまえがそれを信じなかったんだ…。」

「信じたんです。信じていた…あの頃は。
 クウガじゃなくなっても…まだ信じていた…だけど…。」

 一条さん…俺…信じていればよかったの?
 「愛してるよ」って…あんなに優しい笑顔で言ってくれた言葉…
 信じていればよかったの?一条さん…起きて…
 俺、苦しい…こんなの、いやだ。

「だけど…俺が旅に出たいって言ったら…一条さんは嬉しそうにして…
 すぐに別れの言葉を言った…。」

「…おまえは、行きたかったんだろう?」

「はい…俺は涙腺が壊れちゃって…泣いてばかりで…
 一条さんに縋って泣くばかりで…
 これじゃあ駄目だと思って…だけど、行ってしまうことも悲しくて…」

 椿さんが、横でため息をついた。

「おまえも…辛かったな。
 石が壊されて、身体が劇的に変わったんだ…まともに生きてるのが、俺は不思議だったよ。
 ずっと矢面に立って闘ってきたのはおまえだったから…緊張の糸が切れた後で、精神的な揺れ返しもあっただろうな。
 その為に、薫はあの家を選んで、おまえを運んだんだが…。
 あのまま日本にいては、おまえの傷は癒されなかったんだ。
 薫はそれを知っていたんだ、と思う。
 自分のそばに置いては駄目だ、ということもな。
 だから、おまえの為に、止めなかったのさ…。」

「俺の…ため…に?」

 あの夜の一条さんを思い出していた。あの透きとおったような声と、姿を思い出していた。
 一条さん…俺のために?…旅立たせようとしていたの?
 あの不思議な…哀しいように綺麗だった一条さんを…俺は、思い出していた。

「…前から、薫は言っていた。
 早く別れてやりたい…冒険に行かせてやりたいって。
 薫は、おまえを闘わせたくなかったんだ。
 あれは、あいつが俺の病院に担ぎ込まれた時だな…
 まったく…おまえらは揃いも揃って無茶ばっかりしやがって…」

「…早く、別れてやりたい…?」

 俺の…為に…?
 そんなことを、考えていたの…?

「あいつはな…おまえの為だけを考える。
 自分のことは考えない。
 おまえが旅立ちたいなら、あいつは止めないさ…」

「でも、俺は…待ってて…って言ったのに…
 一条さんは…待ってる…とは言ってくれなかった…。
 だから、俺…ふられた、と思って…。」

「…なんて言ったんだ、薫は。」

「俺は、どこにも行かない…って。
 だから、俺…俺のものにはならないってことだと思って…」

 椿さんは、またため息をついた。

「まったく…おまえらはどうしてそう不器用で、俺に面倒をかけるんだ?
 五代、おまえも…もうちょっとおまえは楽天的で、積極的なやつだと思っていたんだが。
 大事なことだろう…なぜ、ちゃんと訊かなかったんだ?」

「俺…俺は、一条さんにさんざん迷惑かけていたし、お世話になっていたし…
 一条さんと離れたくないのに、行かなきゃならないって自分で決めて…辛くて…
 もうクウガじゃなかったし…もう笑えなかったし…俺には何もなくて…
 何も…あげるものがない…してもらうばっかり…
 一条さんが…俺を送りだして…それで肩の荷降ろして、仕事に戻れるなら…
 俺は…それ以上は聞けなくて…」

 苦しくて…つっかえながら、俺は話した。

 一条さんは…俺を、愛していた…
 俺の帰りを、ずっと待っていた…
 ならば…俺は…なんてことを…

 …死にかけてる…死んでしまう…
 俺を待ったまま…一条さんは…死ぬ…
 俺は…なんてことを…

 胸が壊れる…
 このまま、一条さんが死ぬなら…俺は、生きていけない…

 椿さんは、俯いて俺の言葉を聞いていた。
 それから、顔を上げて、言った。もう苛立ちの影はなく、ただ悲しそうだった。

「おまえたちは…やっぱり揃って馬鹿だな…。
 五代…。薫は、とっくに…おまえのものだよ。どこからどこまでもおまえのものだったさ…。
 くやしいけどな…。
 どこにも行かない…か。
 おそらく、どこにも行かないで、変わらずにこのままここで愛している…そんな意味だったんだろうな。」

「…でも!だったら!…待ってるって一言でも言ってくれれば…俺は…」

「待たれると、旅を急がなければならなくなるからな…。
 ゆっくり、自由に旅させてやりたかったんだろう、おまえを。
 言っただろう?あいつはおまえの為しか考えない。待つ…とは言わないし、言えないんだよ。
 今も、待っている意識もないのかもしれないな。
 おまえがいなくても、あいつはおまえのものなんだから。」

「俺が…遠く離れても…ずっと帰らなくても…二度と会えなくても…?」

「たぶんな…。おまえがどこかの青空の下にいる…
 そう思って青空を見て…青空はおまえのシンボルだからな。
 そうやって、おまえがいなくても、おまえを愛し続けただろう。死ぬまで、な。」

 青空…。
 もう駄目だった。涙があふれ出てきた。

「一条さん…一条さん…」

「…そういう奴なんだよ、あいつは…。」

 椿さんの声も、少し震えていた…。
 涙がどんどんあふれて…止まらない。

 一条さん…帰って来たら、また俺の涙腺、壊れちゃったみたい。
 俺…泣いてるから…抱いて。いつかのように抱いて…一条さん…。
 俺を…助けて…。
 俺のこと、愛してくれてるなら…目を覚まして…。
 俺…苦しい…。
 あなたがいないと…生きていけない…。
 愛したまま、逝かないで…。
 こんなふうに俺を置いて行かないで…。
 死なないで…。

「亀山さんが言ってた…一条さんは…一条さんは…青空を見上げて撃たれたって…。
 俺、聞いたんです…一条さんの声…俺を呼ぶ声…そのすぐ後に銃声も…
 だから…帰って来た…」

 俺は、泣きながら、やっと言った。

「おい、また超常現象かよ。
 俺はうんざりだ…。」

「でも…聞こえた、んです…」

「疑っているわけじゃない。
 そうか、おまえの居場所を知っている人間はいなかったんだな…。
 こんなタイミングでおまえが帰ってくるのは…薫が、撃たれておまえを呼んだのか…。」

「違う…声のほうが先…でした。
 空を見て…俺を呼んで…一条さんは…。」

「…馬鹿なやつだな…捕物の最中に、空を見て、おまえを呼んで撃たれたのか…。」

 椿さんの声は、静かだった。

「…はい…たぶん…。」

「よほど…会いたかったんだな、おまえに…。」

 また、涙が出た。


「ん?」

 急に。椿さんが立上がった。

「いかん!」

 そう叫んで、病室に飛び込んでいく。

「五代、おまえはそこにいろ!」

「…いやだ!…いさせて…一条さんのそばに…」

 椿さんは、一瞬俺を見た。

「じゃあ、邪魔にならないようにしろよ!」

 そう言って、ナースコールに飛びつく。

「心拍が弱まっている!当直医に連絡してくれ!」

 俺は、邪魔にならない隅に下がって、拳を握りしめて、一条さんを見つめていた。

「薫!薫!がんばれ!
 五代が帰ってきたぞ!おまえの馬鹿が戻ってきたんだよ!」

 椿さんが怒鳴っていた。
 じきに、医師や看護婦が飛び込んできて、一条さんの姿は見えなくなってしまったけれど…
 俺は、一条さんの血のついたペンダントを握りしめて、強く強く念じていた。

(一条さん…死なないで…俺を置いて行かないで…)

 遠い遠い中国まで、あなたの声は届いた。
 それならば、俺の声も届かせる。
 俺は信じた。呼び続けた。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 最後に、医師が椿さんと頷き合って出て行って…病室は静かになった。
 心電図は…まだ…一条さんの鼓動を刻み続けていた。
 疲れた様子の椿さんが、言った。

「…なんとか…持ち直した。
 だが、次は駄目かもしれん…。」

「椿さん…一条さんは、死にません…。」

 俺はまだ、さっきのまま立っていた。 
 椿さんは、哀れむように俺を見て笑う。

「おまえたちは…本当にそっくりだ。
 意固地で頑固で…おまけに馬鹿だ。」

「はい…。」

「あとは…薫の気力次第だ。
 目を離すわけにもいかんが…
 俺はちょっと横になる。
 昨晩も寝ていないんでな。」

「はい…。」

「五代、おまえはそこに座れ。
 薫になんでも話してやれ。
 心電図と血圧計を見ていてくれ。
 変化があったら、すぐ起こせ。」

「はい…。」

 さっき、椿さんが座っていた椅子に、俺は座った。
 椿さんは、ベッドの下から簡易ベッドを出して横になろうとしていた。

「手を…握ってもいいですか?」

「…なんでも、してやれよ…。」

「はい…。」

 俺は掛布の下の、一条さんの手を探って、そっと握った。
 ひんやりした手だったけど…ぬくもりはあった。
 俺の大好きな、一条さんの手だった。
 少しだけ、掛布をめくって、指にくちづけた。頬擦りした。言葉は自然に出た。

「一条さん…俺、帰ってきましたよ…
 一条さん…大好きな一条さん…
 ごめんね、ずっと一人にして…
 俺、一条さんが俺のこと、待っててくれるなんて知らなくて…
 ずっとずっと、愛してくれてたなんて知らなくて…
 クウガじゃなくなった俺のことなんか、もういらないのかと思って…

 ずっとずっと、会いたかったのに…
 ずっとずっと、我慢して旅をしてた…
 馬鹿だよね、俺。
 …ねぇ…一条さん?馬鹿って言ってください…
 馬鹿野郎って、いつかみたいに笑ってください…

 俺のこと、呼んだでしょう?
 青空を見て、俺のこと、呼んだんでしょう?
 五代…って。いつもみたいに…呼んだよね。
 俺、聞こえたよ…一条さんの声、聞こえたよ…
 だから帰ってきた…
 一条さん…俺を見てください…俺、帰ってきましたよ…」

 涙が、一条さんの指に落ちて、濡らした。

「一条さん…ずっとずっと、俺のものだったの?
 俺だけのものだったの?
 俺だけ…好きだったの?
 ごめんね、信じなくて…
 俺、辛くて…一条さんのこと、忘れようとしてた。
 でも、忘れられないんだ。
 どこに行っても、あなたのことばっかり想って…
 だから…俺もとっくに、あなたのものだったんだね。
 俺、知らなくて…回り道して…ごめん。
 でも、もう帰ってきたから…
 二度と離れないから…
 とてもとても愛しているから…
 目を覚まして…俺を見て…一条さん…お願い…」

 椅子から立って、一条さんの動かない、冷たい額にもくちづけした。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 長い夜が更けていった。
 途中で、亀山さんが立ち寄った。
 亀山さんもやっぱり一条さんの手を握り、

「一条さん、がんばってくださいね。」

 そう言って帰って行った。
 その後…疲れきった椿さんはまた眠り、俺は一条さんに話し続けた。
 いろんな話をした。
 キューバの海のこと、チベットの寺院のこと、モンゴルの草原のこと、中国の市場のこと…出会った人たちのことも、未確認生命体たちのことさえ。
 たくさんたくさん、愛を告げた。会えなかった時間ぶん、何度も何度も言った…一条さん、大好き。
 時々椿さんが起き上がって、計器類の数値を確認した。
 ゆっくりゆっくり時は流れ…一条さんは生き続けた。

「おい…血圧が回復してきてるぞ…!」

 椿さんが言ったのは、明方だっただろうか…

 朝の光の射してきた頃。ずっと握っていた一条さんの手は、暖かくなってきていた。
 指先が、かすかに動いた。俺を、確かめるように…。

「椿さん…目を、覚ますかも…」

 俺は、一晩中しゃべり通していたかすれ声で、呼んだ。

「一条さん…もう、朝だよ。目を覚まして…
 俺、帰ってきましたよ。目を開けて、俺を見て…
 おはよう…一条さん、椿さんもいますよ…」

 俺は、また呼びかけ続けた。

 やがて。  椿さんと二人で見守っている光の中で。
 一条さんはうっすらと目を開け、俺を見て微笑んだ。
 唇が、かすかに動いた。
 そして、一条さんは、また目を閉じて眠った。

「…何か言ったのか?」

「ええ…」

 俺は椿さんを見て、笑った。今は心の底から笑顔になれる…。

「なんて言ったんだ?」

「…おかえり、ごだい…って…。」

「ちぇっ馬鹿馬鹿しいっ!!俺はもう帰るぞっ!!」

 椿さんは、また怒ってしまった…。

            (第11章:帰還 完)

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