『第6章:峠』-3完


         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「五代…シャワーを浴びよう…どろどろだ…。」

 一条さんのほうが、先に起き上がった。
 振り返って苦笑する目元に余韻が残っていて、やっぱり…殺人的だ、と俺は思う。
 俺にとっては死神なのか、天使なのか…。
 とにかく、この人が俺を導く先が地獄であっても…俺は喜んでついていくんだろう、きっとしっぽを振って。
 …ましてや、バスルームになら、喜んで!

「はい。」

 俺は勢いよく、起き上がった。

「トイレに寄ってから行くから…先に浴びててくれ。」

 一条さんは、なにか可笑しそうな目の色をして、歩いて行った。
 もちろん、全裸のままだ。こういう時には、一条さんは、あまり恥ずかしがったりしない。
 あれ?…いつもの機敏な身のこなしが戻っているような気がする。
 よかった…俺、どこも痛めなかった…んだよね。

 俺も立ち上がって、バスルームに入ってシャワーを浴び始めた。
 うん…確かに、身体中どろどろだ。
 一人で笑って…気がつく。
 胸の中に溜まっていた…あの、ヤケクソみたいな自暴自棄な気分が…消えていた。
 一条さんの傷を見た時の、悲しい気持ちまでなくなったわけではないけれど…。
 大きく息を吸い、また吐いて、俺は自分の中を確かめる。

 俺は、また信じていた…。
 俺は大事なものを守っていける。
 俺たちは愛し合って、走っていける。
 …大丈夫だ。

 俺は単純だから…今の濃厚なセックスで、すっかり満足して、リフレッシュしていた。
 ああ、一条さん…必要って…こういうこと?
 疲れきって、心まで荒んでしまった時は、愛する人とのセックスがいいんだね…。

 でも…どうして、一条さん…そんなことを知ってるの?
 どこで?誰に教わったの?
 心のどこかが…すっかり朗らかになっていた心のどこかが、ちりっと焼けた。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 一条さんが、静かに入って来た気配に振り返る。

「どこも…痛めませんでしたか?」

 一条さんは、ゆっくり両手を上げて、気持ち良さそうに身体を伸ばす。

「ん…かえって…強張りがほぐれたみたいだ…。」

 情事のあとのけだるい気配は残っているけれど、やっぱり一条さんの目からも、荒んだ色は消えている。
 傷も痣もそのままだけれど、ずっと元気に見えた。
 生き生きして、色っぽくて、綺麗で…。
 微笑を含んで、俺を見る。で、俺はまた見とれた。
 駄目だ。俺はもうめろめろで…。

「俺、洗ってあげますよ…。」

 一条さんをシャワーの下に、引き寄せた。
 上半身から、湯をかけて流していく。一条さんにさわれるのは…いつでも嬉しい。

「ん〜、やっぱり、どろどろですねぇ。」

 内股には、俺のが流れ落ちているし…。
 一条さんの身体は、盛大に汗と唾液と精液にまみれていた。

「シーツもどろどろだったぞ。」

 俺に洗われるくすぐったさに堪えながら、一条さんはさらに恐ろしいことを言う。

「ああっ!シャワーの前に洗濯機に放りこめばよかった!」

「後でもいいさ…」

「そうですね…」

 俺はひざまづいていたので、見上げて、一条さんと目が合い、なんとなく微笑み合う。
 俺は生きていて、一条さんも生きていて、俺たちは笑っていて…。しあわせだった。
 俺たちの身体…愛し合う為にもあるんだね…一条さん。
 生きている…愛している…この瞬間を次の瞬間に繋いで…俺たちは行けばいいんだね…。

 目の前の一条さん自身に、衝動的にキスをした。

「こら…もう、何も出ないぞ…」

「本気で攻めれば、また復活しますって…」

「五代…それは、勘弁してくれ。俺はもう眠いんだ。」

 俺たちは、笑いながら、バスルームを出た。
 さっきのように、一条さんの身体を拭いてあげて、新しいパジャマを着せる。
 一条さんは、また可笑しそうな目をしながら、俺のするままに身を任せていた。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 それから、二人で大騒ぎして寝具の交換をし、汚れたものを洗う為に洗濯機を回し…。
 まだ水音がしているのだけれど、俺たちは綺麗なシーツにくるまって、うとうとしていた。
 いつの間にか、深夜になっている…。
 また俺は、一条さんの頭を抱き取って…今度は向かい合って、横になっていた。
 一条さんは、もう目を瞑っている。
 穏やかな表情で、俺の腕に頭を預けて、俺の胸に軽く手をかけて…。

 平和な夜だった。
 腕の中にこの美しい人がいて…俺は愛しさと誇らしさに満たされていた。
 こんな夜は…どこかに異形のあいつらが潜み、次の殺人ゲームを計画しているなんて、信じられない。
 俺の身体にもあいつらと同じ石があって、俺もクウガになるなんて…信じられない。
 それでも…意識を向ければ、腹の中にある石の存在は感じられた。
 今は石は暖かくて、俺たちがたっぷり愛し合ったことを喜んでいるみたい…。
 力が…全身に届けられ、充電されていく。
 明日も…俺はまた変身して、闘う。
 俺は絶対に、負けない…。

 一条さん…もう眠ったの?
 俺も眠ろうとして、一条さんの額にくちづける。

「五代…」

 ああ、まだ起きていの?…一条さん、俺、あなたが好き…。
 あなたを愛して…俺は、また闘える…。
 あなたの敵は、俺が必ず倒す…。

「はい…。」

「おそらく…今が…これからが峠だ…。
 これから、一番きつくなる…。」

「はい…。」

 何のことを言っているのか、はすぐにわかった。
 俺もそう思っていたから…よくわかる。

「だから…五代…。」

「はい…。」

 それっきり、一条さんは何も言わない。
 言いたいことがあり過ぎて…一条さんは、何も言えない。
 よくわかっていたから…俺も何も言わなかった。

 大丈夫です、一条さん…。
 俺はがんばります。
 俺は負けません。
 だから、そうやって光を掲げて、一緒に走ってください。
 最後まで…一緒に走ってください…。

 ずっと黙っていた後、一条さんは、俺を呼んだ。

「五代…」

「はい…」

「五代…」

「はい…」

 遠く遠く呼びかけるように、一条さんが俺を呼ぶ。
 別れてしまった恋しい人を、はるかに離れて呼ぶように…俺の名を呼ぶ。

 …なぜ?…俺は、ここにいるのに…。
 こうして、あなたを抱いているのに…。
 俺はまだ…生きているのに…。

 一条さんが、頬に軽くキスしてくれた。
 応えたいと思っているうちに、俺は眠ってしまった。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「五代…起きてくれ。」

 う〜〜ん、もうちょっと…と思いながら目を開けると、一条さんはもうネクタイを結んでいるところだった。

「俺は3号の事後処理が残っているから、もう行くぞ。
 五代はどうする?もうちょっと寝ていくか?」

 あ〜あ。一条さんったら。
 …もう、昨夜の色っぽさのかけらもない、厳しい司令官に戻ってるよ…。
 それがまた、見とれる程かっこいいんですけれどね。
 俺としてはもうちょっと、「きぬぎぬの別れ」とか「夜明けのコーヒー」とか、余韻を楽しみたいかな〜…なんて。

「五代…寝呆けているのか?」

 俺の顔を覗き込んで、一条さんが少し笑う。
 きりっとした笑顔…これも綺麗だなぁ…なんて、見とれてる場合じゃない。

「あ…はいはい。俺も帰ります。
 ちょっとだけ待ってください。」

 あわてて俺は起き上がって、服を着始める。
 ジーンズを履こうと屈み込んだら、肩に触れられた。

「もう…ほとんど消えているな…」

 昨晩は薄く残っていた肩の痣は、もうなくなっていた。
 俺の身体…やっぱり治りかたが早くなっている…。

「はい。もう全然オーケーです!」

 俺はサムズアップして笑い、まだちゃんと履けていなかったジーンズに足を取られてコケそうになる。
 一条さんは、ちょっとせつなそうな顔をしていたけれど、笑って俺をからかった。

「ちゃんと履いてからにしろ…。」

「はい。  あっ。洗ったシーツ、干さないと!」

「さっき、干しておいた。いい天気だからな。」

「あっすみません。」

 口許に笑みを残したまま、何気なく窓のほうを見た横顔も、また好きで…。
 見とれている場合じゃないのに…俺は見とれていたい。
 一日中、ただ座って、この人に見とれていたい…。

「ビートチェイサーはどうしたんだ?」

 束の間の笑顔がすっと引き締まる。
 ああ、もうすっかり氷のような、鋼のような一条さんだ…。

「駅前の駐輪場に預けてきました。」

 俺は応えながら急いでTシャツを着て、ダンガリーをはおる。

「じゃあ、そこまで送ろう。」

「はい、お願いします。
 あ、お待たせです。もう行けます。」

 俺はバックパックを持ち上げた。

「朝飯も食わさずに追い出してすまないが…」

「俺はポレポレで食いますから。
 一条さんも、食べてくださいね、ちゃんと。」

 そう言いながら、俺は一条さんの腕を引き寄せ、唇をかすめるようなキスをする。
 だって…したかったんだ。
 一条さんの動きが一瞬止まって…それから、優しくたしなめる表情になる。

「…五代…行くぞ。」

「はい。」

 俺たちは、ばたばたと靴を履いて、表に出る。

「ああ…いい天気だ〜〜。」

 晴れ上がって青い空を、一瞬、二人で見上げた。

「…いつか、本当に晴れるといいなぁ…」

「そうだな…」

 一条さんも同じことを思ったんだね…。

「行くぞ、五代。」

「はいはいっ!!」

 どんどん歩いて行く一条さんを、俺は追いかけた。

         ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 一条さんの車に乗せてもらって、駐輪場までの短いドライブで、今回のデートは終わり。
 次に会う時は…また…。
 一条さんが、車を停めて、俺を見る。

「ここでいいか、五代。」

「はい。ありがとうございました。」

 厳しい目が、少しだけ緩む。

「…また…連絡する。」

「…はい。」

 俺は頷く。
 わかってる…。
 次に一条さんに会うのは、たぶん、また誰かが殺された時…次の未確認が現れた時だ。
 一条さんは俺を呼び、俺は駆けていく。殺し合うための戦場に。そこで…俺たちはまた出会う。
 次のデートは、また戦場で待ち合わせ…。

 大丈夫です、一条さん…俺は、まだ闘えます。

 俺は笑ってサムズアップし、車から降りた。
 一条さんも微笑んで小さくサムズアップしてくれて…走り去った。

 今…俺は、ちゃんと笑っていたかな…。
 一条さんも…笑っていたのかな…。
 二人とも、泣いたような顔してなかったかな…。

 俺は、一条さんの車を見送ってそう思う。

 でも…。
 俺は、青空を見上げた。
 大丈夫です、一条さん…俺は、まだ闘えます…。

          (第5章:峠 完)

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