『第7章:覚悟(2000年12月16日)』 -1


 ビートチェイサーを停めたいつもの駐車場から…
 俺は、とぼとぼと夜道を歩いていた。
 もう、深夜に近い。
 駐車場のおじさんを無理矢理に起こしてしまって…俺は、申し訳なかった。

 一条さんも、もう寝たかもしれない。
 …いや、きっとまだ起きている。きっと俺を待っている。
 それでも、足取りは軽くならなかった。

 吐く息が白い。
 肌に突き刺さるような寒さが心地良い。
 さっきまで、俺はずっと夜の海を見ていた。
 それから、ビートチェイサーを飛ばして、ここまで来た。
 一条さんに、会いたかった。

 いつでもいつでも、俺は会いたい。
 いつもいつも、そばにいたい。
 ずっとずっと、見ていたい。
 でも、今夜は…心が決まるまで、会えないような気がしている。

 小さな児童公園があった。
 誰も乗っていないブランコに心を惹かれ、俺は道から逸れた。
 低いブランコに俺は座る。
 少し揺らすと、錆びた鎖がぎぃ…と鳴った。

 夜空は晴れ上がって、冴えていた。
 大気の汚れた東京でも、冬には星が光る。
 三日月が白く輝いて、美しかった。

(一条さんみたいだ…)

 最初から、銀色に輝く人、というイメージがある。
 夜空にかかる月は、ぴったりだ。

(綺麗だなぁ…)

 俺は、ぼぉっと月を見上げていた。

 綺麗な…俺の、一条さん…
 ずっとずっと…見ていたい…
 いつまでも、あなたのそばにいたい…

 俺は、大きく溜息をついた。

(でも…どうやら、駄目みたいだ…)

 俺は、今日…また、死んだ。
 46号にひどくやられて…。
 椿さんに、電気ショックをしてもらう為に、自分で心臓を止めた…らしい。

(もう…俺、人間じゃないよな、ほとんど…)

 そして、甦って、やっとやっと、一条さんのピンチに間に合って。
 俺は46号を倒した…。
 黒い姿になって…。

 46号は、すごく強かった。
 あいつ…カブトムシだな。
 俺…クウガは、どうやらクワガタの怪人らしいから。
 太古からの宿敵…という感じの因縁を感じていた。
 黒いクウガになって、それでやっと互角だった。
 ほとんど相討ちで…なんとか…倒すことができた。

 でも…まだ、0号がいる。
 あの、3号を簡単に殺したヤツだ。
 きっと、これから出て来る。
 そうしたら…。

(やっぱり…俺、死ぬんだな…)

 俺はずっと、茅ヶ崎の海岸に座って、夜の海を見ていた。
 冬の海…風が吹いて寒かったけれど、アマダムに強化された俺の身体は、暖かかった。
 俺は海を見ながら少し眠り、その間にアマダムは、46号に痛められた俺の身体を治した。
 俺は、もう人間じゃない…。
 俺は、人間ではないまま、死ぬ…。

 0号は、おそらく今日の46号よりも桁はずれに強い。
 0号と闘う為には、俺はならなくてはならないだろう…。
 今日の黒い姿より…もっと強い姿が、ひとつだけ残されていることを、俺の身体は知っている。
 なってはならない姿…『凄まじき戦士』。

 『凄まじき戦士』にならなければ、俺は勝てない。
 なっても、勝てるかどうか、わからない…。
 そして…勝ったとしても、俺は俺ではなくなる…。

 うまく、相討ちになると、いいな…。
 そうすれば、一条さんは俺を殺さずにすむ…。
 一条さんに殺される前に、うまく死ねると、いいな…。

(死ななくちゃ…いけないんだよな…上手に…)

 クウガになった時から、ぼんやり感じていた。
 俺は…死ぬのかもしれない、と。
 そうか。やっぱり…俺は、死ぬんだ…。
 もう、どう考えても、生き残れる可能性なんか…これっぽっちもないもの、な…。

 月が…綺麗だった。
 俺は、縋るように一条さんのことを思い、それでも嬉しくて笑った。
 一条さんが大好きだから…いつでも、思い出せば俺は嬉しかった。
 俺の身体は、もう人間じゃない。俺は、とっくに生物兵器だ。殺し尽くす為の兵器。
 それでも、心だけは、俺は手放さなかった。
 みんなの笑顔…そして、一条さんの笑顔…大好きなものだけは、手放さなかった。
 俺は…守りたかった。

 どうしても…終らさなくちゃ、いけない。
 0号に勝たなければいけない。
 俺が、0号に負けて、殺されてしまったら…
 俺がいなくなったら、警察の人たちだけで、闘うしかない。
 俺が負けたら、真っ先に一条さんが危なくなる。

(勝ち目がないなら、逃げてくれるような人なら…いいのになぁ。)

 一条さんは、絶対に逃げないだろう。
 きっと、先頭に立って駆けていくだろう。
 今日だって…危なかったんだ。もう少しで、一条さんは死んでいた。
 守る俺がいなければ…一条さんは…殺されてしまう…

(もう…いないんだよな…俺…その時…もう…いないんだ…)

 俺の、綺麗な一条さんが殺される時…。
 俺は、助けてあげられない。
 もう死んで、もういないから…俺は、守ってあげられない。
 俺の大事な一条さんが…殺されてしまう。
 俺は、もういないから…一条さんは、きっと殺される…。

(違う…そんなふうに考えちゃいけない…)

 俺は、終らすんだ…必ず。
 そうすれば、一条さんも安全だ。
 そして、やってきた平和を喜んで、一条さんは、きっと笑う…
 だから…だから…頑張って、終らすんだ…必ず。
 終らせて…俺は、死ぬ。

(俺…笑う一条さんが…見たいのになぁ…)

 俺は、とても見たかった。
 銀の光を播き散らすように、一条さんは笑うだろう…
 綺麗なあの月のように、一条さんは微笑むだろう…

(見たい…なぁ…)

 俺は、月を見上げていた。
 また、鎖がぎぃ…と鳴った。

        ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 ブランコに乗って、月を見上げている俺の後ろから、静かな足音が近付いてきていた。

「…五代…?」

(一条さん…俺を探しに来てくれた…)

 最初から、不思議に心が通じ合って、お互いのやろうとしていることがよくわかったけれど…。
 この頃は、ほとんどしゃべらなくてもいいくらい…だよね。
 別に約束もしていないのに、俺がこんなところで道草をしているのを、一条さんは、ぴったり探し当てる…。

(でも、一条さん…俺、まだどんな顔をしたらいいか、わからない…)

 笑って…会いたいんだ。
 笑顔だけ…あげたいんだ。
 まだ、うまく笑えないような気がするんだ…。
 だから、道草していたのに…見つかってしまった…。

「一条さん…月が綺麗だね…」

 俺は、振り向かずに、言った。
 一条さんが近付いて来て、俺の髪に触れた。もう一方の手は、そっと肩に置かれた。
 ゆっくり髪が撫でられていた。
 何も言わない一条さんの身体に、俺は少し寄りかかる。
 そして、首をひねって、一条さんを見上げた。

 さっきまで、悲しいばかりだったのに、やっぱり一条さんのそばにいて、俺の心は暖かくなる。
 心の一番底の底まで見渡しても、どこまでも影も曇りもなく、俺は一条さんを愛していた。
 透明な水の底で、きらきらして光を放っている愛がある…そんな自分が、嬉しかった。
 俺は自然に微笑んで、一条さんを見上げ、少し甘える。

「一条さん…探しに来て、くれたの?」

 ジャンパーを着込んだ一条さんも、やはり微笑みながら、俺を見おろしていた。

「五代…髪が冷えきっているよ。月見をしていないで、帰ろう…。」

 明るい、静かな声だった。優しい微笑だった。
 俺の心も澄み切って落ち着き、静かになる。

「…はい。」

 俺が立ち上がると、また鎖が鳴った。
 ぎぃ…ぎぃ…ぎぃ…。
 何かの…悲鳴みたい。
 俺は、一条さんを見つめながら、かすかに揺れて鳴り続けるブランコの横に立つ。

「帰りましょう…。」

 一条さんが、かすかに頷き、ゆっくり歩き出す。
 俺は、その後ろ姿を追いかけようとして、まだ悲鳴をあげているブランコが気になり、揺れを止めた。
 ぎぃ…きぃ…ぃ…。

(泣かないで。悲鳴をあげないで。…俺も、泣かないから…)

 もう一度、ブランコを見てから、俺は一条さんの後を追う。

 帰ろう…と、一条さんは無意識に言い、俺も、帰りましょう…と応えた。
 まるで、二人の家に帰るみたいだ。

 きっと、俺は思い違いをしていて…
 未確認生命体、なんていう怪物たちの夢を見ていたんだ。
 俺がクウガになって、闘って、俺も死んでしまうかもしれない夢だ。
 今、ブランコに揺られていて、俺はほんの少し眠って、そんな怖い夢を見た。
 大好きな俺の恋人が…俺を探して、ちゃんと迎えに来てくれた。
 だから、俺はこれから、二人で俺たちの家に帰るところだ。
 家に帰り着いたら、俺たちは抱き合って眠る…明日も、あさっても…ずっと、一緒に。

(…だったら、いいのにな…)

 ただの妄想だとはわかっている。
 でも、そんな夢の続きをちょっと味わいたくて。

「一条さん…俺、手が冷えちゃった。
 ちょっと、ポケット貸してくださいね。」

 一条さんが手を入れている、ジャンパーのポケットに指を潜り込ませる。
 ポケットの中で、一条さんの指に指をからませて、そのまま歩く。腕を組んでいるような格好になった。

「五代…冷たい…」

 苦笑しながら、一条さんは俺の指を握り込んでくれる。

(誰も通らない夜更けだから…いいよね、一条さん…)

 月と街灯だけが照らす、冬の深夜の住宅街を、俺たちは寄り添って歩いていく。
 時が止まったようで…本当に夢の中のようだった。

「風呂を…沸かしておいたよ…」

 一条さんが、言う。

「あ、俺、洗ってあげますからね。自分で洗ったら駄目ですからね。」

 一条さんは横顔のまま、静かに楽しそうに笑う。
 俺は、その横顔も覚え込む。

(覚えるんだ…死んでも忘れないように…ちゃんと覚えておくんだ…)

「この前…俺が頼んでいるのに、髪、洗っちゃうんだから〜
 一条さんはひどいです。」

 俺はめちゃくちゃな決めつけをして、一条さんはまた苦笑する。

「今日は…頼むよ、五代。自分では、うまく洗えそうにない…」

 一条さんは、何気なく言った。

(やっぱり…夢じゃなくて…現実なんだ…)

 さっきから、一条さんの掌の絆創膏が気になっていた。
 俺は…今日、また死んだけれど。
 一条さんも、また、たくさん怪我をした…。
 俺が間に合わなければ、46号に殺されるところだった…。

「…ひどいんですか…?」

 俺の声は、どうしても小さくなってしまう。
 一条さんが傷つくのは…大嫌いだった。

「いや…たいしたことはないよ。打ち身だけだ。」

「一条さんはクウガじゃないんですから、無理しないでくださいよ〜」

 できるだけ、明るく言うように気をつける。
 言っても無駄なことは、わかっているから。

「…電気ショックさせる為に、心臓を止めたのは、誰だ…?」

 一条さんも、明るく応えていた。
 けれど、声が僅かに尖っていて…俺は、思わず一条さんの顔を見た。
 一条さんも、俺のほうを見ていた。
 でも、ちょうど街灯の影になっていて…表情は、よくわからない。
 少しだけ間があって、一条さんは僅かに首を振った。

「…お互い…できるだけのことをしているだけだ、な…」

 苦笑を含んで、一条さんはため息をついた。

「…はい…。」

 ポケットの中の、絆創膏のついた手が、また俺の指を握り込んでくれた。

「一条さん…この手は、どうしたの?」

「ちょっとな…懸垂をしたんだ…。」

 一条さんは、笑って言った。
 それきり、一条さんは、説明してくれなかったから、俺には意味がわからなかった。

        ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「五代…コーヒーは?」

 一条さんの部屋は、暖房が効いて、暖かかった。
 パーカーを脱ぐ俺に、一条さんが訊いてくれる。

「ふぁ〜いたらきます〜」

 頭から脱ぐところだったから、変な声になった。
 自分で笑ってしまって、脱ぎ捨てて、キッチンの一条さんを見ると。
 一条さんがちょっとよろけて、流しの縁に掴まったところ…なような、気がした。

「一条さん?」

 一条さんは、俯いていた顔を上げて、笑った。
 なんだか顔色が悪いような気がする。
 でも…キッチンの蛍光灯のせいかもしれない。

「…滑ったんだ。見たな?」

「いえっ。見ていません、俺。」

 未確認対策本部のスーパー刑事が台所で滑った、なんて…特ダネになりそうなことは、俺は見ていません…。
 俺も、笑った。

 こうして…じゃれ合うのがいい。
 こういうのが、永遠に続くといい。
 でも…そうじゃない。
 もうじき、俺の時間は、なくなる…。

 暖かいコーヒーをもらって、俺は両手でカップを握り込みながら飲む。
 一条さんも、同じようにして、黙って飲んでいた。

 何気ない時間が、一粒ずつの光る砂になって、俺の砂時計の中を落ちていく。
 一条さんとの一粒ずつを、落ちた砂の中から選り分けて、俺は特別の箱に入れる。
 この人と過ごした、すべての時間が愛しかった。
 今…俺は、一条さんの部屋にいて、二人で黙ってコーヒーを飲む…。
 光りながら、俺の時間が滑り落ちる…。

「…寒かっただろう?」

 一条さんが、静かに訊く。
 どこにいて、何をしていたのか、は訊ねなかった。

「いえ…俺はもう、あまり寒さは感じません…」

 誰よりも俺を知っているこの人に、嘘をついてもしかたなかった。俺は正直に応えた。
 一条さんは、一瞬目を伏せ、それから目を上げて、俺を見る。

「五代…今日、杉田と桜井が、神経断裂弾で47号を殺した…」

「はい、聞きました。」

「五代の…クウガの力を借りなくても、奴等を殺せる武器が、やっとできたんだ…」

「はい…」

「だから、五代…これ以上、闘うな。これから先は、俺たちの仕事だ。」

 俺は、黙っていた。
 一条さんが、俺を心配していることは、わかっていた。

 でも…一条さん…46号は、神経断裂弾では殺せなかったよね。
 一条さん…0号は、46号より凄いよ、きっと。神経断裂弾では…殺せない。
 たぶん、『凄まじき戦士』にしか、殺せない…。

 …こうやって、会話の中にも思考の中にも、しょっちゅう「殺す」と「死ぬ」が登場する。
 もう感覚が麻痺してしまったように、簡単に使う言葉になっている。
 こんなのじゃない話を…俺は、したいのにな…一条さん…。

 でも、一条さんは真剣な目で、俺を見つめ、話していた。

「五代…約束してくれ。」

(一条さん…もう、どうしようもないよ。
 俺が闘って、俺が死ぬしかないよ…。)

「まず俺たちにやらせてくれ。先走って闘わないでくれ。」

「はい…。」

 俺は、一条さんに逆らったことがない。
 思わず、こう応えてしまうけれど…。
 でも、そうすると…一条さんが真っ先に、駆けていってしまうに決まっている…。
 クウガじゃないのに…不死身じゃないのに…あいつの死の腕の中に、あなたが飛び込んでいってしまう…。
 一番守りたいのは、あなたなのに…。

「約束します。でも、一条さんが出動する時は、必ず俺を呼んでください。
 俺も一緒に行きます。そうでないなら、約束はしません。」

 一条さんが、俺を睨んだ。それから、口の端を歪めて、苦笑する。

「…強情っぱり…」

「どっちが…?」

 俺は、笑って言い返した。

 あなたを一人で、闘わせたりは、俺は絶対しない。
 あなたは、俺より先に死んではいけない。
 あなたは生きていて…俺を殺してくれなくちゃ…駄目だよ、一条さん。

 だんだん、心が決まっていくのがわかる…。
 麻痺してきただけかもしれないけれど…。
 やっぱり、あなたといれば、覚悟ができてくる…。
 あなたが死ぬのを見るよりは、俺が死ぬほうが全然いいもの、な。
 俺が死んで、あなたが生きられるのが、一番いいもの、な。
 俺は…そうしよう。

 俺は…大事な人たちが、殺されるのが怖かった。
 おやっさんが、桜子さんが、みのりが、あいつらに殺されるのが怖かった。
 一条さんが…殺されるのが怖かった。
 そんな光景を見るくらいなら、俺は自分で闘って、自分が死んだほうがマシ。
 …これ、わがままだよな。
 俺が死ぬのは、みんなもイヤだろうから。
 一条さんも、俺を殺すのは、イヤだろうから。
 でも、わがままを通させて。あなたたちを、守って死なせて…。

 俺…クウガになった時から、もう他に道がなかったんだ…。
 この道は、ただ一直線で、引き返すことはできなかった…。
 俺が助かる道なんて、最初からどこにもなかったんだよ…。

 俺は、なんだか晴れ晴れと笑って、一条さんを見た。

「ということで、決まり、ですよね〜?」

 一条さんは、まだきつい目で俺を見ていた。

「俺の許可なしで戦うなよ?」

「はい。でも、一条さんが危なかったら、助けますよ、俺は。
 許可なしでも、ね。」

「俺なんか、放っておけ。」

「そうはいきませんって。」

 一条さんはまた俺を睨み、それから笑い出した。

「五代…その強情は、誰に似たんだ…?」

「さぁ…。」

 俺も笑って、一条さんをじっと見つめる。

(あなただよ…あなたの強情に、俺は似たんだ…。)

「…ああ…応えなくていい。」

「はい。」

 俺たちは、笑って見つめ合っていた。

「五代…なんとか、生き延びよう、な?」

 一条さんが、優しく万感の思いを込める。

「…はい。」

 俺も頷く。

 でも、俺はもう…自分の命が尽きることを、知っていた。

(あなたは…生き延びて…なんとか…)
(そして、笑って…)
(俺…見たいなぁ…)

「一条さん、風呂沸いてるんでしょ?入りましょ?」

 俺は、笑って言った。

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