『第1章:慟哭(2000年4月20日〜21日)』
今夜もまた、眠れない、長い夜になりそうだ。所轄の警官を動員しての必死の捜索にもかかわらず、未確認生命体26号の足取りは依然掴めていない。 (静かだな…)
パトカーの外では、警官たちが慌ただしい喧噪を繰り広げている。指示を叫ぶ声が交錯する。駆け去る足音に遠くから近付いて来るサイレンが重なる。 (静かだな…五代が死んだというのに…) 再び俺はそう思い、そして少し驚いた。 (五代が…死んだ?) (そんな筈はない…) だが、椿は確かに言っていた。たった今のことだ。 (死亡を確認…五代が死んだ…) ふと見ると、携帯電話を握りしめるこぶしが細かく震えている。無理矢理ひきはがすようにしてポケットに納め、ふと顔に触れると、頬がひやりと冷たかった。 (なんだ、これは?) 未確認生命体が出現して以来、たくさんの仲間が死んだ。隣で闘った同僚が無惨に殺されるのを、俺は何度も見てきた。俺自身、危なかったことも数知れない。ここは戦場だ。いちいち人の死を嘆いている暇はない筈だ。だのに。 (俺は…ショックを受けているのか…?) 同僚の杉田がパトカーの窓をノックする音にぎくしゃくと振り向きながら、俺はようやく、呆然と自失していた己を知った。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「どうでしたか、榎田さんのほうは?」 パトカーを降り、何気なく冷静さを装って尋ねたが、俺の声はかすれがちだった。いつの間にか喉がからからに乾いていて、言葉が舌にからまる。 「おそらく26号は負傷した上に胞子を吐き尽くしたこともあって、しばらくは出て来ないだろうという結論だ。この周辺の警戒は一旦所轄に任せて、とりあえず俺たちは本部で対策を練ることになった」 淡々と状況を語る杉田の目が、探るように俺の顔を見ている。
(妙な…顔をしているだろうか、俺は。)
何か足元が沈み込むような感覚がある。ほんの少し膝の力を抜けば、警官たちが踏み荒らした、泥だらけのアスファルトに崩れ落ちてしまいそうだった。
「わかりました。 言うなり、乗り込もうとしたパトカーのドアを、杉田が掴む。 「どうした?」 (どうした?どうしたかって?…五代が死んだんだ…!) 頭の中に、杉田の胸倉を掴んで叫ぶ自分の姿が、ちらりとよぎる。 「いえ、別に。」 「4号のことか?」
一瞬、呼吸が止まってしまった。 (今は、冷たくなって…死んで…) 俺は答えられなかった。すると、杉田がふっと優しい声を出した。
「あいつにだって、いろいろ都合はあるんだろう。 「…はい。」 何か熱い塊が喉にこみあげてきて、俺はただ短く答えることしかできなかった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ (そうだ…今俺たちにできることを…)
五代の妹、みのりが働いている保育園に向かいながら、俺は考えていた。 (そして…五代も…) 体内に吸い込まれたという不思議な石の力で、五代雄介は戦士であるクウガに変身し、銃弾では倒せない未確認生命体と闘った。クウガは強かった。奴等を次々と殺した。 (だが、殺したかったわけじゃない…)
と、俺は思う。 (あいつは…笑っていた…いつも…) こうやって親指を上げてみせて、みんなを安心させて、一人で先頭に立って走って行った。闘いで受けた傷は、石の力ですぐに回復する。だが、痛んだことだろう。苦しかったことだろう。それでも、いつもいつも例の『大丈夫!』と。あいつは。笑って。
またこみあがってくるものがあって、俺はハンドルを殴っていた。 (…だめだ…。) このまま運転を続けられない。俺は路肩にパトカーを寄せて止め、サイドブレーキを引いた。 (…どうして…どうして…)
ああやって、闘いに飛び込んでいく五代を、どうして俺はもっと援護してやれなかったのか。どうしてあの時、一人で闘わせてしまったのか。五代が致命的な毒をくらってしまったあの時、どうして俺はもっとはやく走れなかったのか。どうして助けられなかったのだ。 「どうして…なぜ死んだんだ、五代?」
ついに、声に出して言ってみた。俺の声はひどくしゃがれていた。 「おまえが…死んだら…これからどうなる?」
科警研も全力を上げ、現代科学の粋を集めて未確認生命体を倒す兵器を開発している。だが、奴等もまた進化していく。ただでさえ倒すことが難しい強敵なのに、一体を殺せばまたすぐに、更に大きな殺傷力を持つ怪物が現れる。新薬ができても、またそれを上回る生命力を持つウィルスが発生することに似て。 (終わりだ…) 五代が死んだ。俺たちにはもう為す術がない。人類は滅ぶ。殺され、殺し尽くされて。そして、俺もきっとすぐに。 (五代…なぜ死んだ…?) 心がそこから離れない。俺の全身から力が抜けていき、今まで俺を立たせていた勇気と戦意が消え失せてしまった。とてつもなくなげやりな気持ちがそれにとって変わった。俺はハンドルに顔を伏せた。 (もう駄目だ。五代は死んだ…) クウガに変身し、トライチェイサーを駆る五代の姿が脳裏に浮かぶ。
(五代…かっこよかったよ、おまえ…)
いつしか、俺は泣いていた。伏せたハンドルに、ぽつり、ぽつりと涙の落ちる音が聞こえる。 (犬の仔のようだ、と思ったことがあったな…)
俺は、泣きながら少し笑った。 (もう…いない。もう…会えない) 胸をえぐられたようだった。無理にこじあけられた風穴に、焼けた鉄の塊をねじ込まれたような気分だった。苦しい。息ができない。 「…おううぅうう…」
食いしばった歯の隙間から、奇妙なうなり声が洩れた。
(五代…五代…五代…なぜ死んだ?) 死んだ五代を俺はなじった。
(俺を置いて 俺一人置いて ひどい ひどい) 自暴自棄の絶望に身を任せた。
(駄目なんだ おまえがいなくては ひどい ひどい) 五代を救う為にせいいっぱいの努力をした筈の、親友である椿さえ、俺は呪った。
(信じて任せたんだ だのに死なせた ひどい ひどい) (もう…いない) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
子供のように泣きじゃくっていたのは、僅かな時間だった、と思う。 (五代、俺は…闘うからな、おまえのぶんも…) さぁ、みのりのもとに行かなくては。五代の死を伝えなければ。そして、俺のできる限り、みのりの嘆きを癒さなければ。電話で伝えられることではなかった。会って話すのが、俺の役目だ、と思う。 (それにしても…) と、俺は唇の端だけで僅かに笑う。
(俺の五代、俺の雄介、俺の英雄…か。まるで、最愛の恋人を亡くして、 また、ずきん、と胸が痛んだ。
(こんなに大切な存在だったなんてな…
再び女々しい気持ちに掴まらないうちに、俺はパトカーを発進した。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「私…それでも兄は戻ってくるような気がします。」
五代の妹、みのりは不思議に明るい表情でこう言った。 「兄を信じて裏切られたこと、ないんです。」
何を言っているのか…俺には一瞬わからなかった。 (戻ってくる?…五代が?)
まさか、と思いながらも、俺の心臓が、どくん、と反応した。五代の死を知らされてから、冷たく重く凍ってしまった俺の身体に、急激に熱い血が駆け巡る。 「一条さんもそうじゃないですか?」 みのりは静かに微笑みながら、尋ねてくる。 (五代を…信じて、裏切られたことはない…?)
死んだ五代さえ、信じると言うのか。死んでも五代は裏切らないと言うのか。 「それに、兄はクウガだし…!」 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ (そうだ…。五代はクウガだったのだ…)
みのりと別れ、本部に戻る車の中、俺は思い出していた。
(ならば、今回も…?) 26号が放った毒を吸い込み、のたうちまわっていた五代を俺は思い出す。全身が痙攣し、呼吸困難になり、のどをかきむしっていた五代。救急車に乗せた時には、すでに呼吸が止まっていたのではなかったか。 (…あんな姿を、見たくはなかった…)
とてもとても生き返るとは思えない、とまた心のどこか、深いところで血を流しているらしい俺の心のどこかが泣き叫び始める。
(冷静になれ 感情に溺れるな)
そう考えると、また俺の心臓が鳴った。 (戻って来るかもしれない…五代が…!)
俺はすでに五代の死を受け入れているのに。 (五代…頼む…帰ってきてくれ…)
信じれば叶うのならば、俺は信じる。
ふとそう思っている自分に気付き、俺はぎょっとした。ハンドルを握る手に余計な力が入り、車はわずかに蛇行した。 (抱く…?) 俺は…五代を抱きたいのか? (いや、五代になら抱かれたい…強く…) 俺の焼けついてしまった頭は暴走している。瞬間、五代の腕に抱きしめられる自分を思い描き、反応しかけた股間を、俺は呪った。
男にも女にも言い寄られたことはある。女を抱いたこともあるし、男に抱かれたこともある。望まれるままに男を抱いたこともある。 (抱く…抱かれる…五代に…?)
甘い、と言えるような疼きが走る。
初めは確か、ふざけたヤツだと思った筈だ。半端に関わろうとする民間人…と。
五代、五代…俺は…変だ。 その時、無線が鳴った。 「一条さん、応答願います。」 笹山の声だ。俺はあわててマイクを取り上げる。
「はい、一条。」
無線がぷつん、と切れて、俺は思わず深い息を漏らしてしまった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして、俺たちは絶望的な闘いをしていた。 「くそっ」 俺たちは、効かないとわかっていながら撃ちまくる。怪物は笑うように何事かしゃべりながら、警官たちを殺していく。 「あぶないっ」
近くにいた警官が、逃げ遅れて足をもつれさせた。俺は警官の腕を強く引き、後ろに押しやった。 (駄目だ!!…俺は死ぬ!) こんなところで俺は死ぬ。虫けらのように殺されて。ちくしょう、悔しい、悔しい。…けれど、もうこれで休める。痛みながら生きなくてもいい。おまえのいない世界を生きなくていい。これで、もう終わる。 (五代…おまえは苦しんだか…?)
俺は、もう抵抗しようとしなかった。 (なん…だ?) 俺の前を、白い閃光がよぎり、26号に襲いかかった。そして、もつれたふたつの影は車の影に倒れ込む。 (もしや…?)
立上がったのは、白いクウガだった。 (生きていた…帰ってきてくれた…五代!五代!五代…!)
俺はライフルを掴み、いくらかふらつく足で、後を追った。ころがるように追って行った。 (五代…五代…俺の…五代!)
クウガは闘っていた。速いパンチが繰り出される。いつも通り、力強くジャンプして敵を蹴る。もう一度。もう一度。
白いクウガが振り向き、俺を見る。
(五代…五代…俺はもう二度と、おまえのそばを離れない) 歓喜に狂った俺の脳は、ありったけの欲望を紡ぎ出した。そして、俺はひとつの結論に辿り着いたのだった。 (五代…俺はおまえを愛している)
英雄として、戦友として、俺はおまえを愛している。たぶんもっと違う意味でも欲している。深く強く、一生にただ一人の相手として、おまえを求めている。 思いきり渋い面をつくって、俺は言ってやった。
「遅いぞ、五代!」
五代の笑顔が間抜け顔に変わった。 (可愛いな…俺の五代…)
にやけかけた顔を、五代に見られなかったことを祈りつつ。 (第1章:慟哭 完) |