『第2章:致命傷(2000年4月21日・5月23日)』-1
「一条さん、すみません、俺…遅くなっちゃって。」
未確認生命体26号を倒したばかりの古代戦士クウガが、俺に懸命に謝っている。いや、これはもう元の姿に戻った五代雄介だが。 「一条さん…一条さーん!」 26号を爆発させた場所から俺の後を追って、五代は一散に駆けて来た。 (意外と元気そうだ…)
その姿を横目でちらりと俺は眺め、思った。 (生きている…帰って来てくれた…) うつむき気味に、俺は足早に歩く。少し遅れて、五代の軽いスニーカーの足音がする。時々、俺の視界にその足先が見えた。 「一条さん、大丈夫ですか?あいつの毒、吸いませんでした?」
いつもと何も変わらない、ゆったりとした口調で五代が尋ねている。 「ああ。危機一髪で五代が来てくれたからな。…ありがとう。」 (そうだ。俺はさっき、死の淵にいた…)
古代戦士クウガである五代雄介を殺したのは、未確認生命体26号の吐く猛毒の胞子だった。そして、ついさっき俺はその26号と向かい合い、胞子を吐きかけられようとしていた。五代が来てくれなければ、同じ毒で俺は死んでいた筈だった。 「何言ってるんです。俺だって、一条さんに何回も危機一髪で助けられてますよ。だから、お礼なんて言わないでくださいよ。」
五代が立ち止まってそう言ったので、俺も振り返ってしまった。 (…いけない…!)
俺は慌てて目を逸らす。あっと言う間に顔に血が昇り、熱くなっていくのがわかる。 (生きている…生きている…五代が…生きている…)
俺の心臓の鼓動は、さっきからそのように歌っているらしい。甦った白いクウガを見た瞬間の歓喜が未だ去らない。全身の血が沸き立つようだ。
俺はまた、うつむいて歩き出す。うつむけば、五代の姿は見えないから。 (これは…これでは…まるで、恋だ…) そう思ってしまったら、またかぁっと頬が熱くなった。 「一条さん?どうしたんですか?」
気がつくと、すぐ目の前に五代の顔があった。いつの間にか、五代は俺の前に廻り込んでいた。ぶつかりそうになり、俺は立ち止まる。五代は、困ったような心配そうな表情を浮かべて、俺を覗き込んでいる。 「…いや、別に。」
とっさに答えた声は、少しうわずっていたかもしれない。 (生きている…生きている…五代が…生きて…生きて…)
鼓動の歌がテンポを速める。俺の目はむさぼるように五代を見つめてしまう。どこも変わりはない。よく知っている懐かしい顔だ。目だ。微笑みだ。 「でも、一条さん、なんだか顔が赤いですよ?熱があるんじゃ…?」
そう言って、五代は無造作に手を伸ばし、俺の額にあてがった。 「大丈夫だ。それより…」
俺はさりげなく、五代の手を払う。 「よかった。帰って来てくれて。」 五代の瞳がやや大きく見開かれた。
「あれ、椿さんに聞いたんですか? 呑気なやつだ。俺は少し笑う。 「死んでいたことも知らなかったのか?」 「はい。俺的には、すごく気持ちよく眠って、爽やかに目覚めたって感じでしたけど、看護婦さんがびっくりしたみたいで、俺もびっくりしました。」
(そうだ。五代はこんなふうにおしゃべりな男だった… 「まったく。人の心配も知らないで。」 軽くそう言って、俺は笑おうとした。
笑おうとしていたのに。どうしたというのだろう。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「一条さんっ!…一条さんっ!」
叫ぶ声は遠くに聞こえた。 「一条さんっ!どうしたんですかっ一条さんっ…!」 (ああ、五代が俺を呼んでいる…)
五代が、泣きそうな声で俺を呼んでいる。なんでもない、と言ってやらなければいけない。脚に力を入れて、自分で立たなければいけない。 「ご…だい…っ!!」
失速感に耐えかねて、俺は五代に縋りついていた。五代の腕に指を食い込ませていた。
「あっ!やっぱりあいつの毒、吸って!? 五代はあわただしく俺を地面に寝かせ、膝の上に仰向かせた俺のワイシャツのボタンをはずし、ネクタイをゆるめようとしていた。 (なにを…このあわてものが…) 「一条さんっ息、してくださいっ!息を、吸って!」 (息?…俺の息など、どうでもいい…) 俺は、目を開けて、上にかぶさる五代の必死な顔を見た。口元がゆがんで泣きそうになっている。何かまだ叫んでいる。 (生きている…五代は生きている…よかった…) 少し呼吸が楽になってきた。俺はぼんやり五代を見上げた。
俺は…五代を愛していた。五代の死を知らされて初めて、思い知った自分の心だった。自覚すると同時に終わった筈の想いだった。 俺は、重い腕を上げて、五代の頬に触った。 「五代…もう、二度と死ぬなよ…。」 「一条さん…大丈夫、ですか?救急車、呼んだほうがよくないですか?」 五代が囁くように言った。まるで、俺のほうが壊れもののようだ。
「もう…大丈夫だ。立たせてくれ。
五代の腕を押し退けるようにして立ち上がりながら、俺は言い訳を紡ぐ。
五代に心配させてはいけない。この胸の内の歓喜と絶望は、五代に知られてはならない。闘いに向かう五代の足枷になってはならない。 (…眠れる筈もない。おまえが死んだ夜に…)
立上がった俺は、また少しよろけた。寄り添うように立っていた五代がすかさず俺の腕を取り、支えた。 「一条さん…?」 (ああ、それでももう、俺はおまえを心配させているのだな…)
自分の弱い心がうとましかった。五代の死を怖れ、すくみあがり、泣きじゃくっている子供のような自分を、俺は憎んだ。このようにみっともない、情けない姿を五代の目の前にさらけ出させた「そいつ」を、俺は呪った。「そいつ」を掴まえて、がんじがらめに縛り上げ、口に轡を噛ませて、地の奥底に沈めてやりたい。 「五代、もう二度と死ぬなよ。」 今度は、ちゃんと軽く笑って、五代の瞳を見つめながら、言うことができた。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ふと、五代の瞳がゆらいだ。 (…五代?)
突然。 「おい…五代…。」 何をする放せ、とわずかにもがき、腕から逃れようとすると、さらに深く抱きこまれた。一方の手で俺の頭を引き寄せ、五代は俺の髪に顔を埋める。耳許に五代の息遣いが聞こえた。 「…ご…だい…?」
声がかすれてしまった。俺の心臓は爆走している。この音はきっと五代に聞こえてしまう。押し退けようとするのだが、力が入らない。 「一条さん…一条さん…ごめんなさい、心配させて…」 耳許に聞こえる五代の声も、少しかすれていた。息遣いと共に、低くかすれる五代の声が俺の髪を揺らす。 (ああ…やはり…!)
五代の優しさは、俺の傷に勘付いてしまったのかもしれない。そして、おまえは俺を癒そうとしている。だが、俺に情けをかけないでくれ。俺を哀れまないでくれ。俺は同情など、まっぴらだ。 「でも、俺、大丈夫ですから…俺、死にませんから…」 (嘘だ。死んだくせに。俺を置いて、死んだくせに!)
俺は心の中で五代をなじる。 「う…ごだ…い…」
やめさせようとしたのに、俺の声はまるで弱々しく震えてしまう。 「一条さん!…俺は…!」 (…な…に?)
だが、五代はそれっきり、ずっと黙ったまま、俺を抱きしめていた。
「一条さん…俺の死んだ顔見ましたか?俺の死体見ましたか?
「一条さん…俺は眠っていただけです。
「一条さん…最初会った時から、俺のこと心配してくれましたよね。
「一条さん…大丈夫です。俺、絶対死にませんから。 俺の髪を撫で続け、五代は俺を鎮めていた。俺の心と身体の獣を鎮めていた。
(俺はまた…五代に『大丈夫』と言わせている…)
大丈夫なわけはないのだ。敵を殺し続けなければならない宿命を背負ってしまった五代が、痛まない筈はないのだ。最も癒される必要があるのは俺ではなく、この男、五代雄介である筈だった。 五代は呪文のように『大丈夫』を繰り返し、俺の強ばった身体から緊張が消えるまで、俺を静かに抱いていた。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「逆になぐさめられてしまったな…」 俺は苦笑しながら、五代の暖かい胸を突いて、腕から逃れた。五代の手が何か名残り惜しそうに、俺を放す。目の前に五代の顔があり、まだ探るように俺の表情を覗こうとしていた。
「だって…一条さん、さっき真っ青でしたよ。 「もうどうもない、心配するな。」
これ以上、五代に触れられ、五代に包み込まれると、俺は溶けてしまいそうだった。甘く弱く溶け、なにかとんでもないことを言って縋りつきそうだ。優しい男だから、人の痛みを知る男だから、これ以上甘えたくはなかった。 「心配しますよ。だって、一条さんは俺の……。」 (俺の…?)
俺が五代の何だと言うんだ?
「俺の…尊敬する人ですから。
本当に気持ちが良さそうに、五代は大きなのびをして、笑った。
「何を言ってる。どうせ椿の目をかすめて出て来たんだろう? 五代は俺を見て、いたずらな顔をする。
「やだなぁ、椿さんに会ったら、怒られるだけじゃなくて、また実験動物にされちゃいますよ、俺。いや、ほんとに生きてるまま解剖されちゃうかもしれませんよ、椿さん、『そそるなぁ』って舌なめずりしたりして。 俺は早々に五代を椿のもとに護送することにした。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ そして。また未確認生命体との闘いの日々は続いた。
同僚たちと共に、怪人たちの所在を確かめる。そして、五代に連絡する。五代はクウガとなり、怪人と闘う。そこには必ず俺もいる。クウガとなって闘う五代を見つめる。ひとつひとつの動きを追う。そして、五代が危なくなった時は、必ず援護する。 あの、五代が死から蘇った日以来、俺と五代との間に妙なことは起こらなかった。俺は五代と今までどおりの態度で接してきた。信頼できる戦友同士として肩を並べ、共に闘う日々だった。 俺は、五代の前で二度と乱れなかった。俺の弱さは決して見せなかった。
だが、たまに自分の部屋に帰り、眠ることのできる夜。俺は必ず嫌な夢を見た。五代が死ぬ夢。無惨に死んでいく夢だ。夢の中で、俺は動けない。ただ、五代が死んでいくのを見せつけられていく。叫んでも俺の声は声にならない。 (五代は…決して死なない、と言った) 俺は、あの言葉に縋ろうとする。決して死なない、五代は死なない、眠るだけだ、朝になれば必ず目覚める、おはようと言って、五代はまた笑ってくれる…俺は、信じようとした。俺は、信じたかった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「一条さん、聞こえますか?」 無線から五代の声がする。俺は急いでマイクを取った。 「なんだ?」 「その後、31号の情報、ありましたか?」 答えようとして、パトカーの横にトライチェイサーに乗る五代が追い付き、並走していることを知った。ヘルメットの中で、五代が笑って俺を見る。 (五代…生きている…よかった…)
最近の俺は、五代の姿を見る度に、そう確認するのが癖になっていた。俺は、五代に応えようと、マイクを握り直した。 (あれは、確か26号のクローン!まだ他にもいたのかっ!!) 五代は気がついていない。俺の乗るパトカーに向かって、手を振りながら何か言っている。俺はマイクに向かって怒鳴った。 「五代!後ろに!後ろを見ろ!!」
だが、マイクは沈黙している。俺はあせって、銃を抜く。走りながら、撃てるだろうか。撃って当たるだろうか。…いや、とても無理だ。 「…しました?…ちじょうさ…?」 五代はまだ気付いていない。俺は身振りで伝えようとする。 「五代!後ろだ!おまえの後ろだ!!」 だが、俺の見ているうちに、26号のクローンが五代を抱きしめるように覆い被さった。五代が変身する間もなく、高速で走っていたトライチェイサーは横転した。投げ出されていくふたつの身体。地面に激突して、ヘルメットを被った五代の首が妙な角度に曲がる。そして、怪人に抱きつかれたまま、五代の身体は対抗車線を猛スピードで走ってきた、タンクローリーのタイヤの下に。吸い込まれて。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「五代っごだい〜〜〜っ!!うわぁあああああっっ!」
俺は…叫びながら、目を醒ました。 (夢だ…また夢だ…大丈夫…ただの夢…) 自分に言い聞かせるが、歯の根が合わない。うめき声をあげそうになり、自分で自分の手を噛む。またいつもの息苦しさがやって来る。吸わなくては、空気を吸い込まねば。息ができない。 (夢だ…落ち着け…ただの夢だ…) 繰り返し自分に言い続け、しばらく悶え、のたうちまわり、疲れ果てる頃にはやっと呼吸も楽になってくる。いつものことだった。
喉が乾いていた。水を飲もう、と俺は立上がった。キッチンに向かう膝が笑う。グラスを落としそうになり、両手で持って、やっと蛇口からぬるい水を汲んだ。一気に飲み干し、シンクに置こうとした力の入らない手からグラスが落ちる。グラスはあっけなく二つに割れてしまった。思わず掴もうとした指がわずかに切れ、みるみる血の粒が湧き上がった。 (俺は…もう駄目かもしれない…) 俺は、深く疲れていた。未確認生命体を追い、闘う緊張の連続に、疲労は澱のように俺の身体に沈み込んでいた。そして、夜毎の夢が俺の眠りを奪っていた。最近は、食べ物も喉を通らない。 (休みたい…)
血を垂らしながら、俺はベッドまで戻る。膝が砕けて座り込み、血のついた手で重い頭を抱えた。 (お願いだ…眠らせてくれ…)
この苦しみは何なのだろう、と思う。俺は五代を愛した。それを否定するつもりはない。俺は、俺のどこからどこまでも、爪の先から髪の一本一本に至るまで、五代に惚れていた。それは、歓喜だった。俺に与えられた陽光であり、命の泉の水のような想いだった。 顔を上げて、汚れた掌を見た。血はもう止まりかけている。 (死ねば、休めるだろうか…) ふと、そう思った。 |