「月照・信海生誕地」

 
多度郡吉原村下所の竹森安右衛門に3人の子がいて、長男は宇八で竹森家の跡をとり、次男宗吉と三男八蔵は牛額寺へ弟子入りした。
そのときの牛額寺の住職は惠卓和尚で、宗吉は專海、八蔵は蔵海という法名をいただいた。惠卓が京都清水寺の住職となったため、蔵海は牛額寺の後住となり、その後、惠卓の後を継いで蔵海も清水寺の住職となった。
專海は高見島の理性院(理正院?理生院?)の住職となり、地元の玉井家の娘お久とねんごろになり、坊主ではおれなくなってお久を宇八の元においてもらうことになった。
お久に一女二男の子ができた。この男の子2人が後の月照と信海であり、清水寺の蔵海に弟子入りし、後に清水寺の住職となる。



牛穴の近くに墓碑の仏像がある。
 

(正面)法印惠卓和尚位、(右面)文化二乙丑年 正月二十一日寂、(左面)洛東 清水寺前成就院 蔵海建之



月照上人 上人像  説明板  道標  牛額寺  常住寺址  月照上人  信海上人  生誕地

善通寺  曼荼羅寺  出釈迦寺  禅定寺  西行庵  人面石  鷺井神社  東西神社
我拝師山  天霧山  七人同志  片山権左衛門  乳薬師  牛穴  蛇石
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