歳越しなど


2001年元旦を迎え、慣れ親しんだ「20世紀」という時代から、未知の香りのする「21世紀」となります。

「節分」の項目でも書いたのですが、閏月のある前年以外、旧暦では立春を迎えた後に新年を迎える事の方が多かったので、行事も現在の季節感とは若干異なっていたりします。又、典礼祭祀の基準は宮中での季節感であった訳で、各地ではそれを基に現地での季節感や、土着の祭祀を包括した形で様々な年越しの行事が行われていました。

公共放送の「ゆく年くる年」で必ず年越しの背景として映されるのは、寺院で突き鳴らされる除夜の鐘です。ご存知のように、一般的にはこの鐘は108回撞かれる訳なのですが、この数の元となる説には様々なものがあります。陰陽法系の説としては、一年の月の満ち退きの回数が12,立春・春分・立夏・夏至など一年を24等分した二十四気(二十四節気),それを更に細分した七十二候(しちじゅうにこう)の合計が108となりそれぞれの日々を過ごす中で生まれた煩悩や邪心を払うとされます。また神仏混淆の時代が長かった為に、除夜は神道行事の「大祓い」と融合しているのが一般的でした。

仏教系は大きくは二説あります。一説は、人が暮らす中で知覚する好、悪、平の三つの煩悩が、目、鼻、口、耳、皮膚感覚そして心(六根)に生まれて18種類となり,それぞれに染、浄の2種類が,さらに過去、現在、未来の3種類があるのでそれを掛け合わせると、百八煩悩となるとします。他の一説は、人々は98種類の煩悩によって輪廻の世界に結びつけられており、これに修業を妨げるものとしての10種の煩悩を合わせて百八煩悩としています。それぞれ「九十八結(くじゅうはっけつ)」「十纏(じってん)」と称されます。

中国では宋代に始まったと言われますが、日本では室町以前は一部宗派の行事であり、庶民が年参りに行けるようになった江戸期に一般化したとの説が有力です。

「穢れを祓う」という感覚自体が元々は神道系のもので、正月に家々を訪れ祝福を与えて下さる「歳神さま」を迎える為に、前年の罪穢れを祓い去り、神社では「大祓い」を行い人々は「煤払い」をして清浄な新年を迎える一途として、定着したとの説もあります。

しめ縄やしめ飾りは、神社の鳥居にあるものと同じで、「歳神さま」のいらっしゃる聖域を示す物で、縁起物等を添えた装飾的なものになるのは、やはり江戸期に入ってからです。

鏡餅は平安期には既に「もちいひ」「正月さま」の名前で、記録に残っています。古来白くて丸い物には魂が宿るとされていて、古式では「お白石」というものを供えていました。鏡は、全国各地の神社でも御神体となっているように、神霊を写し取るものとされていて、鏡餅は歳神様によってもたらされた「あらたま(新魂)」を写し取り「新しい生命力」を家に招こうという象徴でした。「お年玉」はこのあらたまの宿った鏡餅を家族や使用人等の目下の人に、家長が分配した事が起源だとの説もあります。

お雑煮も初期は鏡開きの際に行われた記録もあるのですが、江戸期には別に供えたお餅を元日に食べるのが一般化します。切り餅は東日本に多く、これは元々は戦陣食であり、武家系統のお宅では西日本でも切り餅を遣い、神道系統のお宅では、東日本でも寄り代としての丸餅を頂く事が多かった記録もあります。

現在の「おせち料理」は、「節供料理」の流れで「節分節供料理」から転化したものが多く年末年始の行事も、節分と分散習合していたりします。

神事祭礼は、古代よりの人々の営みの中で生み出された、身体と心の知恵でもあります。時代は変ってもその「魂」は生き続けて欲しいものだなぁなんて思っています。


*付記
比較的認めれている説を中心に採っていますが、中国と日本の文化や祭礼・神祇の相関、民族伝承と祭礼の関係については諸説あります。また室町末期−江戸初期の民族資料は同時期であっても表記内容に差異が見られ、資料としての真贋評価が一定でなかったりします。興味をお持ちの方は是非専門書、専門サイト等をお探し下さいね。



江戸のつれづれ
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