元吉原その一
年表をご覧頂けると、まず吉原は大きくは二つの時代に別れます。
1.1617年に認可になり翌年から営業を開始した元吉原
2.1657年に移転して営業を開始した新吉原
で、これは場所自体が違っています。普通吉原というと新吉原をさす事が多いですし、現在の日本
NO1のソープランド街「吉原」も、新吉原の延長に立地しています。

元吉原は日本橋葺屋町付近の二町四方の場所を幕府が初代名主庄司甚右衛門らに下げ渡した
事に始まります。伝承は色々あるのですが、、街中治安の維持と、風紀を正すという幕府側の意向
と、街中にあると何かと隣近所との確執や遊女の管理面、そして地域毎の業者間の競争に掛る、
無駄な費用をなくし、公許の遊郭というある意味「保証付きの遊び場」を仲間で独占しようって事で
もあったりします。遊びに行くお客さんからすれば、「一応、御上が許してる処だから、無茶な事は
無いだろうなぁ」っていう安心感がある訳で、みんなの利害が一致したってなもんですねぇ。

許可された時についた条件は大きくは5つあります。簡単に意約してみると
1.遊女屋さんは、遊郭の外で営業しちゃだめだよ。遊女を外に連れてっちゃだめだよ。
2.遊郭内で、遊女と遊ぶお客さんは一昼夜より長くいちゃだめだよ。
3.遊女に豪華な着物を着せちゃだめだよ。
4.遊女屋さんの建物は、派手にしちゃだめだよ。
5.怪しそうな人がきたら、お役所に教えなきゃだめだよ。

って感じです。最初は夜間は営業出来ませんでした。
ここまでご覧になって「ぴん」と立った方、じゃなくて、来た方は通ですよね。一見幕府側の一方的な
条件みたいで、「そんなのでお客さん来るの?」って感じにも見えるのですが、実は利害が一致して
いるのです。
「1」があるので、馴染みのお客さんが無理矢理遊女を連れ出す事が出来ません。逆に言えば、年
期が残っている遊女に逃亡されたりする事も防げる訳です。
「2」があるので、掛け倒れが防げました。基本的にその当時は支払いは現物引き換えなのですが、
何回もくるお客さんに連続でいられると、悪気は無くてもお金が足らなくなったりします。この条件が
あるおかげで、基本的に一日ずつ決済出来るのと、住み着かれることが防げました。
「3」はいわずもがなですね。
「4」も同じですね。他に「公許」の場所はない、つまり近所にライバルはいない訳ですから、ある意
味で必要ありません。でもこの条件があるおかげで、「貧乏臭い」とは思われなかったて事です。
「5」自前の自衛組織を持つ事の根拠になったりしました。

てな感じで、それから江戸末までの「遊郭」ってものの骨子は、これを元に出来上がって行く事にな
ります。

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