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短期留学から帰ってきてからは、担任には海外の大学に進学っていうのを相談しました。というよりか、自分で宣言したっていう方が適当かも。それから、全然模試とか受けなくなって、ただ英語の勉強に没頭してましたね。この時点では、まだ親には進路の事を話せずにいたのだけど、多分、親も何となく留学したいっていうのを、気付いてたと思う。でも、それに対しては何も言われなかったけど。 それから、すこしずつ仲のいい友達には、海外に行くっていうのを話し始めてましたね。みんな応援というか、ただすごいって感じで言ってくれましたね。確かに、友達はみんな日本で大学に進学しようっていう子ばっかりだったし。 あの頃は、今と違ってネットも全然普及していないし、情報を集めるのにすごく苦労しましたね。でも、幸運な事にクラブの先輩で、一人留学している人がいて、その人に色々と相談しました。目標として留学っていうものを考えていたけど、実際のところどうすればいいのかっていうのが、全然分からなくて、先輩に本当にお世話になりましたね。留学に関する本とかを買ってきて、自分なりにどの学校にするべきか考えたり、先輩にアドバイスをもらいながら、ある程度具体的な進路っていうのが、固まっていきましたね。 そして、一番の難関、親をどうやって説得するか。説得を考えてる頃には、親も留学願望があることを完全に知ってましたし、それとなく留学のことも話したりもしてました。それでも、父親だけには全然相談できず。そして、卒業まで数ヵ月の時に両親とじっくり話し合いました。なぜ、留学したいのか、希望する進路であるとか、お金のこと、卒業後のこと、今まで自分で調べたこと、考えていたことを正直に全部ぶつけました。結局、反対はされませんでした。父親が、行かせてやると言ってくれました。 親を説得した後、具体的な行動に出ました。ここって決めた語学学校への願書を、英語の先生に手伝ってもらいながら、なんとか書き上げ送り、学費を納め、入学が決まりました。少しずつ少しずつ、もう一度戻るって決めた場所に近づいて実感がありましたね。 それから、出発までは不安と期待が交錯してましたね。出発が近づくにつれて不安の方が、大きくなっていってたかも。家族から離れるという事、友達と離れ離れになるということ、自分の語学力、ちゃんと向こうでやっていけるのかどうか、ほんとうにきりがないくらいに、不安を覚えてましたね。 それでも、飛行機のチケットを買ったあたりから、もう引き返せないところに来てるっていう感じに思ってました。これが自分の決めた道、その道を自分で歩んでいこうと。 出発の日には、ずっと笑ってました。家族みんなで見送りに来てくれて、親しい友達も来てくれて、これから当分会えないのは分かっているけど、それでも悲しくはなかった。送り出してくれた親と、見送りに来てくれた友達に感謝の気持ちでしたね。そして、泣くより、笑っていたかった。 そして、私は日本を離れました。 | Index Profile BBS Links Footy Story Diary Words |