第14回 NAHAマラソン 1998年12月6日 (フルマラソン) |
テーマは『矢野リベンジ〜走るしかない1998秋〜』である。   フルマラソン8戦4勝4敗。 完走できなかった4回はすべてこのNAHAマラソンである。 ●1993年(22歳)32㎞地点でタイムオーバー ○1994年(23歳)完走 ●1995年(24歳)中間点で自らリタイア ●1996年(25歳)28㎞地点で自らリタイア ●1997年(26歳)中間点手前でタイムオーバー   いつも浜住さんや平出が完走証と完走メダルを手にしていた。 そして私だけが何も持っていなかった。今年こそは。。。   START〜10㎞ 2万人のランナーが走るので車道いっぱいランナーだらけで毎年追い抜くのに苦労する。 人混みを縫って走るのはロスが大きいので今年は追い抜かない作戦である。 5㎞の通過が38分。今までの人混みを縫って走っていた時と同じぐらいの速さ。 『抜いても抜かなくても一緒じゃねぇーか!』   10㎞〜20㎞ 毎年歩いてしまう上り坂が3つある。この坂道を駆け上がることが今回の重点課題のひとつである。 頭の中で"横須賀ストーリー"を歌う。 『急な(ジャジャン)坂道(ジャジャン)駆けのぼぉったら〜』 本当に"これっきり"にしてほしいぐらいつらかったが、2つは何とか乗り越えた。15㎞過ぎの1つだけ 歩いてしまったのだが、2つのぼっただけでも大変な進歩である。   20㎞〜25㎞ 中間点の通過が2時間28分。昨年は3時間の制限時間に引っかかったが、今年は30分の余裕がある。 ただ、上り坂を駆け上がった反動で足が攣りはじめた。ここらで足が回復するまでグルメツアーである。 NAHAマラソンの場合、沿道の観客のサポートが手厚く、いろいろな食べ物を用意していてくれる。 チュッチュ◇甘くて冷たくておいしい。水分と糖分が同時に摂れる。 おにぎり◇ちょうどお腹が空いてきたので。お茶があればなお良い。(ワガママ) みかん◇まだ酸っぱいのかと思っていたら、とても甘かった。 バナナ◇皮を捨てるときに気をつけないと他のランナーが転ぶ。 沖縄そば◇温かくて本当においしかった。 走りながら食べると味がわからないし消化も悪そうなので、この区間はほとんど歩いていた。   25㎞〜35㎞ この区間で海が見え始める。そして海に向かって今まで上ってきた分だけ一気に下る。 5回のうち2回しか見ることができなかった『愛よりも青い海』である。 タバコを吸いながら歩いていたら、33㎞地点ぐらいで浜住さんが追いついてきた。 私の3000人後方から浜住さんはスタートしたので、浜住さんが3000人を追い抜いてきたのか、 私が3000人に抜かれたのか(おそらく後者)。   35㎞〜40㎞ 浜住さんはちゃんと走っているがペースはそんなに速くなかった。私がスパートすればいつでも追い抜けるような ペースである。スパートしても足がどれだけ我慢してくれるかわからなかったので、35㎞(残り7㎞)で仕掛けるか 40㎞(残り2㎞)で仕掛けるか大変迷った。 35㎞でセーフティリードを保つまで突き放す作戦に決めた。 浜住さんを追い抜いた後、すでに攣っている足を引きずりながら必死で逃げた。浜住さんが必ずペースを上げて くるであろう下り坂は、私も歩くわけにはいかなかった。 私の逃げはサイレンススズカほどの余裕はどこにもなく、バテバテで必死に逃げる ダイタクヘリオスのような走りであった。   40㎞〜GOAL 4年ぶりのNAHAマラソンのゴールまであと600m、あの角を曲がれば競技場。 『さおっちゃん(妻)、結婚して初めてここまで来たよ。』 『かつき(息子)、お父さんはがんばったよ。』 男泣きの体制は万全である。涙でゴールが見えないはずの段取りである。・・・が、 私の横を浜住さんが駆け抜けていった。 4年ぶりとか結婚して初めてとかの感傷はいっぺんにどこかへ飛んでいった。浜住さんのペースは 私がスパートをかけた時より断然速くなっていた。 競技場に入るまで同じペースで尾行してトラックに入ってから全力疾走。 3コーナーの入口で浜住さんを抜いて、全力のままゴールイン。42.195㎞の戦いは最後の0.195㎞だけで決着した。   5時間22分19秒。4年ぶりにもらった完走メダルはズシリと重かった。 |