—1999年 ヴェトナムー
—上弦—
「わたしは日本語を勉強しています。」
茶色の袈裟に身を包んだ修行僧はそう言って、自分の住居である部屋に私たちを招き入れた。中は外の光をほとんど寄せ付けず、薄暗い。
ゴザの上にすわり、僧は小さな急須に蓮のお茶を入れ、ていねいに一回こした後お猪口のような小さな茶碗に注いでくれた。
引き締まった腕は袈裟と同じ色をしている。日本のカレンダーが置いてあるところだけが色がさし、後は無彩色の空間だ。
いつ来たか、どのくらいの予定か、どこへ行ったか、そういう質問の答えを何度か急須にお湯をたしながら、実に楽しそうに聞いている。
この人は修行僧なのだ。ストイックなイメージを取り戻すためにこちらから質問してみた。
「何才からここにいますか?」
「七才からです。それから家族とはいっしょに住んでいません。わたしの母はとても寂しがった。」
ちょっとだけ少年のようにはにかんだ。
「何時に起きるんですか?」
「朝の三時です。座禅をして、朝のお務めをして朝ご飯を食べます。それから野菜を育てているので畑仕事をします。」
証拠に手にできたマメを見せてくれた。屈託がない。
ここまで来たボートの出発時間に間に合うように僧の部屋を後にした。
テイエンムー寺の七重塔の回りでは青いアオザイを来た娘たちがはしゃいでいる。火炎樹の赤い花とのコントラストが眼にまぶしい。
寺巡りのボートトリップから戻り、ホテルのバルコニーからフェの新市街と旧市街の間を縫うパヒュームリバーを眺めた。
たゆたう船の上で生活している人たち。川縁でビニール袋で作った凧で遊ぶ子供たち。
この国では川は大地の続きだ。大地を歩くように船を漕ぎ、水とたわむれ、川の恵みを食する。そして大地と同じ赤みがかった色を放っている。
あの修行僧のことが思い出された。
つる性の植物がからみつく棚の下に私たちを見送るため僧が笑って立ったとき、はっとした。瑞々しく、清らかなその薄紫色の花になんてこの人は似ているのだろう。
茶色の袈裟、よく日に焼けた肌、暖かな眼。褐色一色に染まったその人になぜ明るい光を感じたのだろう。
パヒュームリバーの流れの色と重なった。実際さわってみなくてもその水の生暖かさが伝わってくる。夕陽を浴びたさざ波のきらめき。僧の眼にはきらきらと輝くものがあった。
わたしは多くのものを見てきたかもしれない。いったい何を知ったのか。彼は余計なものを見ていない。
わたしは多くのものを持っているかもしれない。いったい何が足りないのか。彼は余計なものを持っていない。
そして満ち足りるという意味を思った。
—満月—
シエスタが明けて、にぎわいを取り戻した市場をぬけて角をひとつ曲がると、いきなり静寂な通りにでくわした。まっすぐな道に街路樹が整然と並んでいる。
日差しを避けて、タマリンドの木陰に入るとスカイブルーやレモンイエローに塗られた家々が見え隠れしている。今世紀に入って華僑が作り直した他の通りとは全く違う空気がここにはある。この通りは植民地時代のフランス人居住区だったのだ。
喉の乾きを癒すため、露天の店の低いイスに腰掛けると、人のいい夫婦が中から顔をだし、話しかけてくる。
ホイアンは貿易の町だったので、四世紀に渡って日本人も含む多くの外国人が出入りしていた。そんな時代を引き継いでか、ここの人々は私たちを旅人という名目の住人として自然に受け入れてくれる。
濃いピンク色をしたドラゴンフルーツを切ってさしだし、近くの花を折って子供の遊びだとウサギの形にして見せてくれる。ずっと昔にこんな時間を過ごしたような気がした。
通りの向こうに渡ってみた。『フランス式建築物、どうぞ中にお入りください。』とある。
さっきの店のすぐ隣で通りを眺めて、くつろいでいた老人のひとりがあわててかけつけてきた。この家の主人だった。
三代前の先祖がフランス人から譲り受けた家が、チーク材でできた黒光りする頑丈な家具といっしょに残されている。二階に上がると天井がびっくりするほど高い。両開きの扉が大きく開き、映画で見るようなコロニアルスタイルのバルコニーが街路樹の上にのっている。
この表側の建物は見学用に開放し、自分たち家族は奥行きのある裏側に住んでいるという。
「兄弟は皆カナダやアメリカにボートピープルとして行きました。私は長男なのでこの家の後を継いでいます。」
部屋の片隅の赤い仏壇に老人の亡くなったお母さんと妹さんの遺影が飾られていた。
「ここでこの古い家を守っていてくれるんです。」
古ぼけた写真の中のアオザイ姿が美しかった。
「ホイアンの港は沈泥のため底が上がり、もう港としては役に立たなくなってしまったのです。でもおかげでこの町は戦争で爆撃されずにすみました。戦争のことは…思い出したくありません。」
よどみなく強い訛りの英語で話していた老人が、首をふって一瞬口ごもった。戦争という言葉をこの国の人から初めて聞いた気がした。
開け放った裏の窓からかつての港の入り口だったトゥボン川が見え、そよそよと平和な午後の風を運んでくる。
歯の抜けた口元をほころばせ、今年定年を迎えた数学の先生は別れ際に言った。
「あなた方の最後の日にこうやってお話しできて、私は運がいい。」
にぎやかさが増した市場を抜けて、最も古い建物が多いチャンフー通りを歩いた。気のせいかいつもより人通りが多いようだ。
今夜は陰暦で十四夜にあたり、ホイアンの町は電気を消し、ランプだけになる。そうやって古き町の良さを大切にしているのだ。
私たちはその月明かりの美しさを見ずにここを発つ。残念だという気がしなかった。
運がいい。またここに来る口実ができたことをそう思った。