時空に浮かぶ島-(後半)

—スコットランド、アイラ島— 1997年6月

 

 ウイスキー蒸留所は休みのせいか、ひっそりとしていた。駐車場に車を止めるとすぐ、中から中年の男が出てきた。蒸留所のマネージャーが特別に案内してくれるということで、翌日の朝の十時半に約束してあったのだ。

ラフロイグ。LOVE or HATE、これを飲んだら、病みつきになるか二度と飲めない代物になるかという挑発的なキャッチフレーズがついているウイスキーだ。

休みの日にご迷惑をおかけしてすみません、というこちらの挨拶も制して、さっそく工場の中へ案内してくれる。

麦芽を寝かしてある場所や、ピートをスモークする所、蒸留ポットなど、いくつもの建物を動き回りながら、太くよく通る声でよどみなく話す。

時々冗談を言って笑う顔をみて気がついた。

強面が笑うとよけいに恐い顔になるところが、俳優のジャック・ニコルソンにそっくりだ。

別棟のレセプションルームへ案内された。コーナーのバーカウンターでラフロイグの十年ものをグラスに無造作についでくれる。

「飲みにくかったら水を足せばいいんだよ。」

口をつけただけで顔をしかめてしまった私のグラスをさげて、そのまま水道口から少量の水を足してくれた。

「こうするとアロマがたって味もまろやかになるんだ。まあ、好き好きだがね。」

たいしたウンチクを述べるでもなく、教えてくれた地元の飲み方を試してみる。確かにまろやかな口当たりになって、焼けるような喉越しもない。でも海水がしみこんだピートの個性的な味が壊れることなく、ゆっくりと胃の中を流れていく。

「ここの倉庫は必ず夜にはオレが鍵をかけているんだが、時々朝になるとどういう訳か扉が開いているんだ。まあ、ゴーストの仕業ってこともあるがね。」

「ゴースト!、スコットランドは幽霊で有名だってのは知っていますが。」

私たちの好奇心に満ちた表情をみて、さらに続けた。

 「もともとこの倉庫にはウイスキーを守るゴーストがいるって語り告がれているんだがね。でも、従業員の悪ふざけかもしれんがね。」

「よく蒸留所ではゴーストを見たって話を聞くよ。でもなあ、皆ウイスキーの飲みすぎかもしれんよ。」

怒ったような目のままカラカラと笑う。

時計を見ると十二時をとうに過ぎている。二時間あまりもジャック・ニコルソンは話し続けていたわけだ。お礼を言ったら固く手を握ってくれた。

外に出てこの蒸留所の表側を海岸に出て見る。空気が澄んでいる日には対岸にアイルランドが見えるという。太陽の光を浴びて白い建物がいっそう眩しい。蒸留所の煙突の屋根がどこか東洋の寺院のようだ。世界中のウイスキー好きの憧れのラフロイグは、こんなひなびた海沿いの蒸留所で作られていた。マネージャーの飾り気のなさと共に、その謙虚なたたずまいに逆に誇りを感じる。

岸のすぐ近くを一羽の白鳥が音もたてずにすい、すいと優雅に泳いでいる。

ラフロイグの守り神だという、幽霊の化身かもしれない、そんなことを思ってラフロイグを後にした。

 

日曜日の午後のボウモアは眠ったような町だ。南の国のまだシエスタから覚めていない、けだるさを思い出す。若者が数人日陰に身をよせて、何もすることがなくぼうっと立って、異国から来た私たちを物珍しそうに見ている。太陽は強いが、風はやさしくひんやりとしていて、ここが北の港町であることに気がついた。

かなり急な傾斜の大通りの頂上にラウンドチャーチが巨大な動物のようにそびえている。屋根が円錐形をしていて角がないため、悪魔が隠れられないようになっているという。

物音ひとつしない白い家々を斜めに見ながら、一歩一歩踏みしめるように坂を登る。

この建物も白く塗られ、教会らしい重々しさがなくどこかユーモラスなかんじさえある。

門が小さく開いていたので敷地内に恐る恐る入ってみた。教会の裏側には小高い丘が続いており、墓地が広がっていた。

『愛するY・マックレガーの夫、X・マックレガーは、一九八四年十月二十一日、ここに七十八年の生涯を終える。』

『そしてY・マックレガーは愛する子供たちに見守られ、一九九一年二月十三日、ここに八十才の生涯を終える。』

なかにはこんな墓標もある。

『X・マクファーソンとY・マクファーソンの息子、Z・マクファーソンは、一九八一年四月十四日遥か大西洋沖にて釣り船で遭難。二十三才の短い生涯を終える。』

片隅には小さな子どもの墓地だろうか、ぬいぐるみが幾つも折り重なりあうように置いてある。知らない人の墓標を読むのはいい趣味とはいえないが、会ったこともない、亡くなった人に対して、つい思いを巡らしてしまう。小さな子供や、若者の死は知らないとはゆえ、心が痛む。でも大半がここで家族に見守られ、天寿を全うした人たちだ。おそらくこの島に生まれ、一度も外に出ることもなく、この島で生涯を終えたのだろう。そしてこの小高い丘の上で海を眺め、空と雲に見守られて永遠の眠りについているとは、なんと完璧で美しい人生だろう。

雲と雲の隙間から青空の面積が見る見るうちに広がってゆく。どんなに灰色の雲がかかっていても、その奥にほんの少しの青が見え隠れしたりすると、その先にはきっと素晴らしいブルーの世界があるのだという希望が湧いてくる。きのうも今日もその予想は裏切られることはなかった。人はほんの少しの希望を垣間見るだけで、生きる力が湧いてくるものだ。この島にはこの島の小宇宙が見事に存在している。

 

  写真:Hans Hardam

「なんだかこの地球に私たちふたりっきりってかんじ。」

向かい風をうけながら、手をとりあって、島の南西に突きだしたオー岬の先端をめざして歩く。岸壁にそびえ立つ尖塔の先が地面と空の間に浮かびあがっている。今世紀初頭に沈没したアメリカ船の乗組員の鎮魂のために建てられたモニュメントだという。

丘のアップダウンで見え隠れする尖塔を見失わないように前に進んでいると、この惑星に取り残され、何かの手がかりを探すために歩いているような気がする。私たちの後ろには唯一の生き物の羊が黙々と草を食んでいる。

岸壁に着いた。『これより危険』のサインの先には湾曲した断崖が、ごつごつとした岩肌を見せて、島のアウトラインをなぞっている。モニュメントの影が巨大な闇となって、大地に刻まれている。ジャケットが風をはらみ、風船みたいにふくらんで、そのまま海に吹き飛ばされそうだ。

三百六十度を見渡す。海と空との境界線がぼーっと白く霞んでいる。そのずっと右側には私たちの宿があるポートシャーロットの港がかすかに見えた。東の空には高くうっすらと月が昇っている。陸は空になだらかな曲線を描くように陰影を含んだ緑色の丘となって広がっている。

「ほんとに私たち地球にいるんだ。」

バカみたいにあたりまえのことを言った。でもこんなあたりまえのことを今まで思ったことも、口に出して言うこともなかった。

夫は笑いもせずにうなずきながら、来た道を戻っていく。もどる道に目印はない。タンポポの綿毛が風に震えながら、唯一の道しるべのように点々と白く散らばっている。

「この世の果てみたい。」

午前中島全体を覆っていた灰色の雲の最後の一片が、風に追いやられて通り過ぎていった。

「この世の果てって言うんだったらシベリアとかだよ。」

この場所にとても満足している夫は私の言葉に反論した。

宿に帰って、昨日船の中で買った『アイラ』という本をぺらぺらとめくってみた。前書きのところに書いてある。

『この島にいると、まるで世界から切り離されたような気持ちになるだろう。そしてこの孤立感はなぜか人々に活力と爽快感を与え、病みつきにさせる。』

そう、言いたいことはこれだったのよ、と夫に説明した。そして私たちは完全にこの島にとりつかれてしまった。

  

写真:Hans Hardam

最後の朝、宿から車を出そうとしたら、通りすがりの老人が帽子をとって挨拶した。人口四千人の島では誰かが出かけたり、家にもどってきたりする時には必ず挨拶を交わすという。名残惜しさがつのる。

ポートシャーロットの港を振り返った。道に平行してまっすぐと雲が棚引いている。

誰かが手を振ってずっと見送っていてくれるようだ。アイラの雲はどこか生き物のようで、背伸びをしたらそのまま体にまとまりついてきそうなくらい近いところにいつも漂っている。

何度も行き来した道をまた、ポートエレンのフェリー発着所までもどる。

海岸で朝日を浴びて草を食む羊たち、白い家の隣でひらひらと旗めく洗濯もの。そしてあの一本道、でこぼこしたピート畑が車の窓を流れていく。クローバーの花のように愛らしい一軒家。どれもこれもが既に懐かしい風景になっている。故郷を離れるような甘酸っぱい気持ちでいっぱいになった。

船は最後の車を飲み込んだ後、二人の乗組員がロープを引き静かに岸を離れた。今日は風ひとつない穏やかな海だ。あっという間にポートエレンの町が小さくなって行く。

しばらくするとカリックファータの灯台が見えてきた。昨日オー岬へ行く途中、この灯台の先の丘から、午後便のこの赤と黒のフェリーが見えた。

 今こうやって船から昨日立っていた場所を見ると不思議な感じだ。やがて手と手を広げると島全体を抱きしめられる程の大きさになった。ほんとうにそうしたい気持ちだ。太古の時代からこの海に浮かぶ島の上に白い雲がどんどん形を変えてゆく。

たった二日間しかいなかったこの島がたまらなくいとおしく思えた。船が角度を変えると遠くラフロイグの蒸留所らしき建物が見えてきた。白い建物に大きくラフロイグと書かれた最後の文字のGがかすかに読み取れる。

かって、訪れた土地との別れを大切な人に出会った後のように、こんなにゆっくりと惜しんだことがあっただろうか。

かって、これほど広い面積で空と大地を眺め、頭上に浮かぶ雲を身近に感じたことがあっただろうか。

まだまだ地球は美しく、人生も美しい。素直にそう思えたことがうれしくて、アイラ島の端が消えてなくなるまで海を見つめていた。

 

写真:Hans Hardam