校舎から出てきた俺たちはそれぞれの自宅への帰路を急いでいた。
とりあえず朝食と入浴だけ済ませてから学校に行くことにしたのだ。
智也も自宅に帰るらしい。とにかく自宅まで十五分ほどの道のりを歩いていた。
眠気は感じない。ただ寝不足の象徴もあの変な興奮も感じなかった。
智也が普通の人と違うことにも驚いたが何より自分自身がこれからどうするのかも考えなくてはならない。
何もなかったことにして今までどうりに暮らすのか。
智也とともに世界の矛盾とやらを直すのか。
そもそも智也とは友のままでいられるのか。
考えることが苦手な俺にとって久しぶりの考え事だった。
−ま、なるようになるさ−
出した結論は最良であり楽観であるとわかっていた。
自宅に帰るなり俺は風呂に入った。
入浴後に食事を取る。親はもう出勤していた。
放任主義らしいが単なる無関心かもしれなかった。
どちらでも俺にとってはよかったが、こんなときに朝食を自分で作らなくてはいけないのは面倒だった。
とにかく朝食をとり学校に行く。
校舎を出てから学校を欠席するという考えは一回も思いつかなかった。
判断力の低下かもしれないし、単にずる休みに対する無意識の抵抗感があったのかもしれなかった。
校門には登校する生徒たちの姿が見えた。
何も知らずに普通に生活している彼らを俺は複雑な目で見た。
それは知識による優越感であり知らなくてすんでいる彼らへの羨望でもあるかもしれない。
教室にはすでに智也が来ていた。
「おはよう優一」
「おはよう智也。・・・こんなやり取り確か昨日もしなかったか?」
「昨日じゃないよ、今日の二時だよ」
「午後のな。忘れてた」
「まあ確かにこんな感覚は普通一生体験できないよ」
「そりゃそうだ」
確かにこんな感覚を真剣に感じるのは俺たちかさもなくば変人だろう。
実際奇妙な感覚だった。感覚でいう「昨日」とまったく同じなのだ。
皆が置くかばんの位置、談話している生徒の組み合わせ、気分が悪そうな生徒などが「昨日」とまったく同じだ。
不気味であった。
「じゃあ席に着こうか」
担任がもう来ていた。
放課後、俺はまだ教室にいた。
授業はいつもどうり、正確には昨日と同じだったが。
智也との関係も今までどうりだった。
暗くなってからまた屋上に行く。
好奇心によっての行動だった
階段をコツコツと上っていく。
屋上のドアを開ける。
そこには太陽が出ているかそうでないかの違いはあったが昨日と同じ光景が繰り返されていた。
「やあ優一、今日も来たのかい」
「まあな」
「ちょっと待ってね。今これを片付けるから」
そういってまたぶつぶつ智也が言い始めた。
見るのは二回目だがその原理がさっぱりわからない。
説明を智也に求めないし、言われても理解できないだろう。
そんなことを考えていると黒い靄は消えていた。
「終わったよ、優一」
「そうか」
「優一はこんなことを見て僕のやっていることを知りたくないの?」
「興味ないし俺が理解できるのか?」
そう言うと智也は少し考えた後。
「じゃあ勝手に言わせてもらうよ。あの黒い靄は世界の矛盾なんだ」
勝手にしゃべりだした智也を俺は咎めない。
咎める必要がないからだ。
「正確には数学の矛盾なんだ。たとえば1+1は2だろう。もしそれが3だったら空間がおかしくなってしまうんだ」
「ありもしないものが存在するのだから当然だけどね。あの黒い靄はその象徴なんだ」
「つまりあの黒い靄があると世界が狂ってしまう。僕はそれを正しているんだ」
まるで正義の味方のように話す智也に不快感を俺は持った。
自分自身の正しさ−もし智也が話すことが本当だったらそれは正しいのだろうが−を確信している。
そしてそれとは別にここまできてあることに思い当たってしまった。
たしか昨日もこんなことがあった。
智也が黒い靄を消している光景。そう、今日こそ昨日と同じ。ならば
「それって、おかしい」
「おかしいって何がおかしいんだい優一」
「だって・・・」
だって、だって何か違和感がある。
忘れていたが今日は昨日で昨日の出来事はすべて今日の出来事であるはずなのに−
多少の違いはあるものの俺たちは昨日もここの黒い靄を消した。
そしてここで黒い靄を消した後は−
朝日が昇る。俺は「そう」なっていないことを期待しながら急いで携帯を取り出した。
「それは多分、ここで黒い靄を消しているのに」
日付は変わっていなかった。なのに
「世界がそれを拒否して今日を繰り返していることかな?」
時間だけ、巻き戻っていた。
「なんで、これじゃ明日なんて絶対来ないじゃないか」
強烈な不安感が襲った。
「そうだね。もうきょうという日を数え切れないほど、いや永遠に限りなく近いほど繰り返してるよ」
「えっ」
「だから今日という日から僕たちは抜け出せないんだ」
智也が言っていることは理解できなかった。
俺の知っている限り今日はまだ二回しか繰り返していないはず。
知っている限り!
そう、認識している限り!
腰が抜けそうになった。
常識、いや当たり前が崩れていく。
「それって、なんだよ」
怒りがどうしようもなく湧き上がってくる。
理不尽な怒りでありもっともな怒り。戸惑いと自分を含めた世界の崩壊。
これ以上の怒りがあるだろうか。
「しょうがないじゃないか。この世界すら矛盾で埋まっていたら気持ち悪いだろう」
「だからってこんなことをする必要はないだろう」
「必要あるよ。優一は気持ち悪くないの?何一つ正しいことがない世界」
「それは・・・」
「じゃあこうするしかない。それじゃとりあえずおはよう優一」
のんきに朝の挨拶をする智也。
まるで人の神経を逆なでするように。
この数分間で俺の智也に対する絶対の不信感が芽生えていた。
こんなことは初めてだった。
俺は朝の挨拶を返せなかった。
憎しみまで生まれそう、いや生まれていたかもしれない。

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