「・・・よ」
あまりにも不思議な夢が終わり俺は単なる暗闇の中にいた。
気だるさを感じながら俺は机に伏せていた。
「・き・・優・」
さっきの夢は鮮明に覚えている。
あの夢は何か上手くいえないがとても意味を持っているようだった。
そして今、耳から何か聞こえている。友達の智也の声だ。
男子にしてはかなり声が高い
「起きてよ優一、次の授業体育だよ!」
その声を聞いて俺は驚きのあまり起き上がった。
あまりに痙攣のように派手に起き上がったので数人こちらを見ていた。
すでにここは夢の世界でない。
今まで見てきたありふれた教室だった。
隣を見ると知り合いの水野智也がいた。
「おはよう、優一」
「おはよう、智也」
どっか間の抜けた挨拶である。
ちなみに今は午後二時である。
「体育って確か今日は校庭だったよな」
「うん、校庭で今日はやるよ」
「・・・今から着替えると走ってかなきゃ駄目?」
「遅刻したいのなら歩いていってどーぞ」
どうやら寝すぎたらしい。
前の時間の生物があまりにも退屈だったのがいけないのだ。
・・・どんなに言い訳しても急がないと遅刻する。
いや、俺は別に遅刻してもかまわない。ただそのとき俺に智也が付き合って智也が遅刻するのはあんまり気分が良くない。
たとえおせっかいでも智也の好意はありがたいものである。
智也はそういう奴なのだ。
「どうしたの優一?」
「いや、あらためて智也っていい奴だなーって」
心の底からそう思う。
「熱でもある?どうでもいいけど遅刻するよ?」
「急ぐか」
しゃべっている間に着替え終わった俺たちは駆け出した。
もう教室には誰もいなかったのでちゃんと電気は消しておいた。
駆け足で廊下を走る。
不思議な夢の事を智也に話したかったがなんとなく話すことを躊躇った。
階段を急いで駆け下りる。
途中で先生がいても無視だ。
「もうちょっとゆっくり走ってよぉ」
「日ごろ怠けてる罰だな」
「怠けてなんかないよ、運動が嫌いなだけだよ」
智也は暇さえあればノ−トに絵や小説を書いていた。
下駄箱で速攻運動靴に替えて運動場に飛びだした。
「間に合ったみたいだね」
「そうだな」
後ろから追いついてきた智也と一緒に校庭の中心に歩いていった。
季節は夏。太陽がまぶしく汗が流れる。
ほかのクラスメ−トはまだ並んでいなかった。
「結構余裕だったな」
「時間は早いほうがいいと思うよ」
「そうか?」
智也は時間に厳しい。
とにかく厳しい。
いままで智也が時間に遅れたことは知っている限りなかった。
しかし智也に言わせると朝に弱いから学校に通うのが大変なんだそうだ。
遅刻常連の俺と智也がなぜここまで親しいのかは俺も知らないし智也も知らないだろう。
しかし俺の親友は智也以外は考えられなかった。
理屈ではない。感覚である。
「先生来たよ。・・・どうしたの?」
「えっ」
「いや、何か呆けてたからね。たまに優一はそうなるよ」
自覚がなかったが智也が言うのならそうなのだろう。自分の評価より他人の評価の方が正しいと俺は思う。
先生が来たと言うので俺はその先生の方を見た。
本当に体育教師?と思うような体格で、新卒だそうだ。
結局体育の時間は変わった事はなかった。万事順調事もなし。
一般に青春の汗と言うものを流し終わった俺は教室に帰っていた。
「今日のサッカ−大変だったね」
「ああ、暑かったな」
「それにしても担任の先生が遅くない?」
「そうか?」
言われてみればそういう気がする。
どうしたのだろうと考えようとしたとき
「あ、先生が来たからまたね」
しばらく教室がうるさく、いい加減にしろよと思ったとき担任がわざとらしく咳払いをして静かになった。
いつものHRが終わったあとは家に帰るだけだ。部活はやっていない。
兄弟はいない。親は共働きで遅くまでいない。
いわゆる家族の温かみのない家庭だった。
・・・こんなに暗くなる必要はないだろう。そう気を取り戻した。
智也の席の方に目を向ける。HRはもう終わっている。
智也はもういなかった。退屈な帰り道になりそうだった。
クラスの中を見渡すと部活に行く男子、入り口から出て行く担任などがいた。
俺には友達と呼べる奴は少ない。
人付き合いがめんどくさいのだ。
しかし家に帰るのもあまり気が進まなかった。机に伏せる。
またあの夢を見たかったのかもしれない。ここ最近で一番印象が強かったからだ。
そう思いながらやはり家に帰らない理由にならないので机から頭を上げる。
・・・何かの間違えかと思った。
普段の教室のはずである。ただ同じ教室のはずなのにまったく別の印象を受ける。
それもそのはずである。外には太陽は見えず、代わりに月が出ている。
あたりは真っ暗で運動部のあの騒がしい音も聞こえない。
−なんでこんなに冷静に考えられるのだろう−
そんな事を考えていた。
単純に事実を認めるのなら夜になったと言う事である。
問題はなぜ−少なくとも5時間−時間が狂っているのだろうということだった。
半分以上呆けていたおかげで冷静な思考が出来る。
自分だけ世界から取り残されているような感覚に襲われながらもパニックにはならなかった。
ただひどく寂しい感覚である。
席から立ち上がり廊下に出る。暗い廊下は冥界への道のようにも見える。
怖いと言う感覚は確かにある。だがそれ以上に屋上に行かなければならないという強制力みたいな物があり、それが強かった。
人の気配がしない廊下にカタ、カタ、と上履きと床が接触する音だけが明確に聞こえる。
後ろに何かいる感覚。しかしだれもいないのがわかっているので振り返らずにそのまま屋上に向かう。
階段の窓から暗い空が見える。ただそれだけで夜ということを強く認識させる。
一番上までたどり着く。そこには良く知った顔とブラックホ−ルみたいな黒いもやが見えた。
よく知った顔。それは智也だった。
さまざまな感情が入り混じっている。
あるいは安心感でありあるいは恐怖でもあった。知的好奇心や触れてはいけないという思いもあった。
智也のほうを見ると智也が黒いもやに向かって何か言っているのが見える。
そのこと自体はあまり気にならない。別のことにとらわれすぎて。
その言っている声はただの一度だけ聞いた印象の強い声だった。
−紫色の声−
あの夢の声にそっくりだった。
呆然としている俺に気づかず、あるいは無視しながら優一は何か言っている。
それと比例して黒いもやが消えていった。
妙な安心感を感じながら俺は智也の方に歩き出した。
「智也・・・」
「やあ優一。驚いたかい?」
あっけらかんとしている智也になぜか怒りを覚える。
「やあじゃない。いったいこれは何なんだ?あの夢に出てきたのはお前なのか?」
「夢の方から答えようか。優一の言っている夢のことが分からないけどたぶんそれは僕だよ」
惹きつけるようで戸惑ってしまいそうな声。
「それでさっきの黒いもやは<摂理の矛盾>だよ」
「何だよそれは。大体なんで夜なんだよ」
「ああ、まだ校舎に君が居たんだ。これは時間そのものが狂ったから夜になったんだよ」
言っている意味が良く分からない。
そもそも性格はいつもの智也で声もいつもと一緒のようだが微妙に何かが違う。
多重人格でもない。ただ一人の人間の表裏を見ているようだった。
くらい夜空がだんだん明ける。
「ほら。また昨日が始まるよ」
「昨日?」
「僕たちは時間を早送りしたんじゃない。巻き戻しをしたんだ」
なんとなくそこだけは理解できた。
「つまり今日が昨日、いや、俺たちは12時間ぐらい時間をさかのぼったって事か?」
冷静なのがおかしかった。
「そうだね。今日も体育の時間があって君は僕に起こされるはずだよ」
「それで何でこんな事になったんだ?」
「数学には矛盾があるんだ」
「それは聞いた。夢でな。でもそれがこのこととどう関係あるんだ?」
「まあ聞いてよ。僕はその矛盾を正しているんだ。ただ世界そのものともいえる数学を正すと今のように時間が変化したりするんだ」
あまりに大きな事である。正直理解できない。
しかし日ごろ感じている作られた世界という感覚が理解できそうだった。
言葉で表すのが難しい。
ただ納得だけしている。
「ゆがみを直すのだから反動のようなものだね。満足した?」
「正直半分も理解できてない」
「うん。君はまっとうだね」
いつの間にか俺の事を指すのに優一から君になっている。
ごく自然にだ。
「さて学生生活に戻ります」
「今日の放課後はどうするんだ?」
「今日と同じ事の繰り返しだよ」
「そうか」
智也がどうであろうと俺の親友である。
「やっぱり優一って変だね」
「そうか?」
「だってこんな事に巻き込まれたのに極めて普通だからね」
「確かにどっかがおかしいかもな」
太陽が昇っている。
校舎は朝日の反射でオレンジ色だった。

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