■ Episode8: 二律背反 ■
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ばっく
ねくすと
*
——!
抵抗する間もなく、俺は上半身を剥きはじめられる。
「ちょ、ちょっと……!?」
慌ててその腕を掴む。
「なぁに?」
動きを止められ、非難がましい視線をよこす。
「……い、いきなり何を…」
「何って、今言ったじゃない。石を探してあげるって」
悪びれた様子も恥じらいも見えなかった。
本人は心底真面目にやっているのだろうか。
彼女の唐突なその行動一切に、俺は戸惑いを隠せなかった。
「だから、俺には石なんて——」
唇に人差し指があてがわれる。
「それもさっき言った。隠れてて見えないだけだってね」
「いや、だからといって……」
風は顔を寄せ、その瞳で俺を覗き込んでくる。
「心配しなくたって、ちゃんと見つけてあげるわよ」
彼女の瞳にはエメラルド。
全てを呑み込むかのような深い深い翠の結晶。
その中に俺が映っていた。
同じように、俺の瞳には風が映っているのだろうか。
互いの視線が絡み合い、溶け合って、そしてそれは外せなかった。
俺の瞳には彼女が映り、彼女の瞳には俺が映り。
俺の世界に見えるものは彼女そのもので、彼女だけで構成されていて、
そして声が響く。
「——お互いのためにね」
再びその手が俺のカラダへと伸びる。
——バァンッッ!!!!
突然、乱暴に扉が開かれた。
この部屋に扉は一つしかない。俺から見てまっすぐにある正面の出入り口。そこに、
「……え?」
そこにはありえない人物が立っていた。
「——か、風!?」
目の前の人物を見る。
戸口の人物を見る。
——!?
どちらも、風だった。
目の前の人物を見る。
戸口の人物を見る。
——!??
風が二人?
見た目に身体的差異は見られなかった。
これは、一体、どういうことなんだ?
なんで風が二人も?
姉妹? 一卵性の双子?
いや、別人……じゃない、のか?
疑問は次から次に湧いてくるのに、喉から先に声は出てこない。
音を出すこと自体、何故か憚られた。
結果俺は、忙しなく交互に風を見るしかできなかった。
俺が両者を見比べている間も、その二人は互いを見つめ続けあっていた。
一方は冷淡な表情で、一方は薄い挑発的な笑みを浮かべながら。
この部屋中が、不気味なほどの静寂と一触即発な緊張感に支配されていた。
時だけが流れていく。
静かに延々と流れていく。
いきなりワケがワカラナイ場面に放り込まれた俺は、その対処法もわからず、ただ事の成り行きを黙って見ているしかできなかった。
居心地が悪いなんてもんじゃない。
気まずさとかそういったものじゃなく、この場に居合わせている事自体に矛盾が生じている様で、
汗が噴き出しそうなほど妙に暑いのに、でも凍えるくらい妙に寒くて、
錘が圧し掛かっているように体が重く動かせないのに、重力から解き放たれたような浮遊的違和感。
それは時間の流れと比例して、さらに凶悪さと獰猛さを露にしていく。
——なんだコレ。
オカシイ。
気持ちが悪い。
逃げたい。
気持チガ悪イ。
タスケテ。
気持ちがワルイ。
ニゲタイ。
気が、変に、なりそうだ……。
「——貴女」
沸いた声がその空間を断ち切った。
憑き物が落ちたような安堵感と開放感。
久しく忘れていた自分の感覚。
額に軽く汗が滲んでいる。
何故か荒ぶりかけていた呼吸のリズムを整えつつ、視線を声の方向に向ける。
戸口の方の風だった。
「自分がしようとしてること——」
「はいはい、わかってますよー」
ばつが悪そうな笑みを浮かべ応える、目の前にいる風。そして俺のほうに向き直って、
「ゴメンねぇー。私もう退散しなきゃ」
「……は?」
状況も言葉の意味も理解しきらぬ俺に素早く口付け、
「またね」
——そして気が付けば
目の前にいたはずの風は消えていた。
「あ……あれっ…?」
きょろきょろと見回すが、この部屋には俺と、戸口に立ったままの風しか存在しなかった。
それがさも当たり前であったのか、この状況において、その風にうろたえた様子はなかった。
いつからそうであったのか、ずっと、真っ直ぐに俺を見射抜いている。
その風がツカツカと歩み寄ってきた。
「ねえ」
俺から僅かばかりの距離を取った位置で止まり、
「……貴方、さっきのアレに何したの」
不躾な質問。
「いや、別になにも……」
少々不快に感じながらも答える。
ふーんと、風は俺を再度一瞥し、
「その乱れた衣服は……?」
「えっ……あ、これは、その、……石を探すとかどうとかで………」
早足で駆け抜けていく展開のせいで、自分の格好など指摘されるまで忘れていた。
「で、石は見つかったの」
「いや、今からという時にキミが…」
なるほど、と言いながらその風は、消えてしまった風がさっきまでいた場所にチラッと視線を向ける。
「他には?」
「他って?」
「他に何かした事やされた事は?」
「…いや、他には何も」
「そう。……あとじゃあ、アレと、何を話したの」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「何」
怪訝な表情を浮かべる。
「さも当然のように接してくるけど、キミは誰だ? 風なのか?」
「私が風よ」
拒否を許さぬ絶対的強制力を帯びた言霊。なぜかそう感じた。
「……じゃ、じゃあさっきの、キミと全く同じのは誰なんだよ。さっきのも風と名乗ってたぞ?」
「あれも風よ」
————。
こんがらがってきた。
さっぱりだ。意味がわからない。
「混乱してるところ悪いんだけど……」
頭を抱えて蹲っている俺に、
「そのあたりを説明してあげるためにも、貴方が何をどんな風に、どこまで聞いたのかが知りたいのよ」
さっきの風に比べ、こっちの風は無表情のままだが、それが逆に真剣さを露呈していて、
「ゆっくりでいいから、出来るだけ詳しく話して」
その振る舞いや言動から俺は信頼するに足ると判断したのか、
「…あ、ああ」
警戒心や懐疑心というものが解けていくのを感じていた。
——そして俺は二人目の風と、先の風と同じように話をし始めた。
by Ita