私は藤原ゆかり、十六歳。

 職業は学生兼モデル。

 そして、急成長中のIT会社社長令嬢でもある。

「ゆかりちゃん、目線こっちね」

 カメラマンの伊藤さんの指示に従って、流し目でカメラを見つめる。

「いいよ、いいよ。気が強そうな君の瞳、素敵だよ」

 どうも、と返すかわりに私は微笑んだ。

 フラッシュが何度も瞬いて、私を平面的な世界に写し取ろうとする。

現場は好きだ。一本の見えない糸が張りつめていて、ここに来ると

別人になれる気がする。

 いや、実際に、私は別人に生れ変わるのだ。

 最新のファッションに身を包み、プロにメイクとヘアとセットされ、

フラッシュが瞬く光の世界。私が思っていたよりも大変で、みんな

切磋琢磨して自分を磨いていた。最初はカメラマンの伊藤さんの

個人的なモデルとして知り合いづてに雇われたのだけれど、知ら

ないところでモデル事務所との所属契約が進み、私はあっという

間にプロのモデルとなることになった。モデル業への両親の反応

は上々で、むしろ諸手を上げて喜んでいたくらいだ……というのは

表向きで、正しくはパパの思惑により、私はプロの世界へ足を踏

み入れることとなった。

 パパの思惑なんてたかが知れているが、私もそれを承知の上

で騙されていた。パパは私を有名にさせて、会社の宣伝材料とし

て使いたがっているのだ。策は功を奏し、私は度々、セレブモデル

として雑誌に紹介されていたりするばかりか、社交界でも度々注

目を浴びるようになった。

 セレブという字面で私が紹介された雑誌を見るたびに、成金の

娘がセレブなものかと私は陰で密かに笑う。確かに今住んでいる

家は広くて綺麗なマンションだ。場所は白金にあって、周りも似た

ような金持ちの家だらけだった。

 でも、私は小さいころ、たいして広くもなく汚い1LDKに二家族で

住んでいた。共同経営者のパパの親友の家族との六人暮らしだ。

私は物心ついたころから勇と一緒にいた。四つ年上の勇は、意地

悪でいつも私をいじめた。それでも、根性よく勇の後をついて行っ

たのは私のほうだった。私にとって、帰りの遅い両親以上に、勇は

家族と言えたのだ。どんなに意地が悪くても、最後には「しょうがな

いなあ」って、勇は私の手を引いて一緒に帰ってくれた。

 私は貧乏だったあの頃が一番幸せだった。皆で狭い部屋に固ま

って住んで、夜には大人たちが帰ってきて、わいわいと明日の夢を

語り合い、ご飯を食べる。

 それが、いつからだろう。

 会社が軌道に乗り始めて、二家族が別々の場所に住み始めて、

いつの間にか以前のように騒ぐことも少なくなった。

 つい三年前くらいには、ウザイくらい勇はうちによく遊びに来てい

たのに、勇が大学受験を迎える歳になるとそれまでが嘘のように

来なくなり、彼が大学二年生になった今では、年に数回会うか会

わないかといった具合だった。

 前回、勇に会ったのはどれくらい前だろう。

「お疲れ様!」

 伊藤さんの掛け声で私は現実に戻り、にこりと営業スマイルを

はりつけた。

「ゆかりちゃん、今日これから空いてる? 二人で仕事の打ち上

げと、ゆかりちゃんの誕生日パーティーしない?」

 伊藤さんが私の肩に回した手をやんわりと払って、すまなそうな

顔をつくる。

「ごめんなさい。今日は婚約者とディナーの予定なんです」

 伊藤さんは目を一瞬だけ鋭く細め、「残念。また、今度ね」と私に

向かって人のよさそうな笑顔を見せた。

 私は伊藤さんの背中を見送ると、密かにため息をつく。

 伊藤さんには半年くらい前からよく、二人で会おうと言われるよう

になった。最近、仕事以外でまともに話せていないから、との理由で。

 私がモデルになれたのは伊藤さんの助力があったおかげだ。

伊藤さんが事務所の社長に私の写真を見せてくれたことがきっかけ

だった。伊藤さんとは十歳くらい離れていて、彼は頼りになる大人の

一人だ。コンテストを総なめしている程の実力を備えた、将来有望な

若手カメラマン。

 べつに、伊藤さんを信じていないわけじゃない。

 でも、彼の目が時々、鋭い光を放って私を見つめるのがとても、

こわかった。

 あの目は、いつもの伊藤さんとは違っているのだ。

 私は何かと理由をつけて伊藤さんの誘いを断った。

 彼のあの目は、私をモデルとして見ていないからだ。

 あれは、男の目だ。

「ゆかりお嬢様、お迎えに参りました」

 わざとらしい演技をしたテノールの声に、私は振り向く。

「あら、来てくれたの? 嬉しい」

 私は周囲に見せ付けるように勇の腕をとり、すれちがった伊藤

さんの鋭利な視線に貫かれながら、私はスタジオを後にした。

 スタジオの地下にある駐車場に車を入れたいたらしい勇は、私の

手をやんわりとふりほどき、ドアを開けて微笑んだ。

「ありがとう」

 助手席に乗り込むと、勇はすぐにキーを差込みエンジンを起動

させる。

 慣れたものだな、と思った。

 車の運転にも、女を乗せることにも。

 そして、もうひとつだけわかったことがある。

 彼はどうやらまた、煙草を吸い始めたらしい。服に香が染み付く

ほどひどいみたいだ。

「そのうち、体壊すよ。煙草ならまだしも、お酒とか飲んでないでしょ

うね? あんたと心中は嫌なんだけど」

 なんで憎まれ口叩くかなぁ、私。

 いつも、こうだ。想いとは反対に、嫌な言葉ばかり出てくる。

「酒は飲んでないよ。大切なお嬢様を乗せるんだからさ」

 勇はあくまでも自然に言ってのけて、シートベルトに手をかけた。

私もならって、シートベルトをかける。

 車は静かに動き出し、スタジオの駐車場を抜けるといくつかの小道

を通って、次第に大通りに出た。

 夜もふけて、窓をかすかに開けると冷たい夜風が流れ込んできた。

先ほどまで暖房の入ったスタジオで春物の撮影をしていたから、錯

覚をおこしそうになっていた。

 そっか、今は冬の途中だったのか。

 まだ、春は来ていない。

 四車線ある道路はカーランプで埋め尽くされていた。

 国産の、けれども安くはない車に乗っている勇の運転は安定して

いて、揺れも少なかった。

 勇は運転中にラジオもCDもかけない。聞こえるのは微かなエン

ジン音くらいだ。

 二人でずっと閉口していた。

 話すきっかけも、話す話題も見つけ出せずにいた。勇が私にちょ

っかいを出して変なことを言わない限り、私から話しかけることは

めったにないのだ。

 それは、いつからだろう。

 ずっと前からだったような気もするし、最近のような気もする。

 半年前だって今と同じだった。久しぶりに二家族で食事をして、

遅くなったけれど私の高校合格を祝ってくれた。その時でさえ、

互いの両親が席をはずすと、先ほどまでのにこやかな顔とは裏腹

に勇は無表情で押し黙った。

 まるで、めんどくさい、という言葉の代わりにするように。

 あの半年前の夜も、さっさと食事を済ませると、勇は私の手を引

いて車に乗せて家まで送ってくれた。

 静かな、何も感情のこもってない表情で。

「おやすみ」

 口の端をかすかに上げる程度の微笑を残し、勇はあっけなく行っ

てしまったのだ。からかいも、ジョークも、何もなく。

 あの時、寂しくてたまらなかったことなど、私は見て見ぬふりを

した。

 だからだろうか。

 最近、勇のことが妙に胸の中でくすぶりはじめている。

「あのさ」

 勇が唐突に口を開いた。

「彼氏できた?」

 勇が何を言っているのかわからなかった。

「なんで?」

「なんで、って……」

 勇の一重の瞳が珍しく、困惑で揺れる。

「勇に関係ないでしょ」

 無意識に出した冷たい声に、私自身も驚いていた。

 ねえ、どうしちゃったのよ、私。

「私に彼氏がいようがいまいが、あなたには関係ないじゃない。

勇だって、今の彼女と楽しくやってるんでしょ。だったら、私に

彼氏がいても文句は言えないわよね。ほっといてよ」

 口から勝手に喧嘩腰の会話文が出てくる。

 ちがうの。

 本当はこんなことを言いたいわけじゃない。

 勇がしばしの沈黙の後、ふっと鼻で笑った。

「そうだったな。俺にはお前を縛る権利なんか無い。ただ、俺に

も都合があるんでね。お前に男がいると色々、面倒なことにな

るんだよ。それはOK?」

 背筋が凍りそうになるくらい、勇の声は冷たかった。

「俺とお前は一応、婚約者なんだ。そして、お前は最近注目され

はじめたモデルだ。スキャンダルになると親父たちが困るだろ。

それくらい、わかれよ」

 有無を言わせない強引な言い方に腹が立って、負けじと言い

返す。

「大人の勝手な都合でしょ。私には関係ない」

「関係あるさ。メディアの報道は会社に悪影響をもたらす。だから、

俺も最近は自粛しているんだ。極力、過去の女とも関わらない

ようにしている……この意味、わかるか?」

 私には皆目わからなかった。

 何を言いたいんだろう、勇は。

 私が訝しげな顔をしていると、勇は「このことは、また後で話

そう」と重々しい吐息をもらした。

 何かが、変わり始めていた。

 私と勇との間で頑なに存在していた距離が、確かに変わって

いく予感がしていた。

 それは期待に満ちたものではなく、波乱を引き起こすものだ

ったのだが。

 車はカーランプの海を抜けて、走り出す。

 まばゆい光で星も見ることのできないこの都市では、月でさ

えもそこにただあるだけだ。

 釈然としない怒りと、一種の苦しみを抱えながら、私は存在

しているだけの月を眺め続けた。

 そして、やがて月は雲に隠され見えなくなった。
















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