RAMP第10順その2

 落ち着きを取り戻し、アックスはソーホーからπの支部に戻った。そこには顔にうっすらと笑みを浮かべた悟が待っていた。
 「アックス、今、何がどうなっているか知ってるか」
 「さ、悟…、なぜここに…」
 「私がここにいてはいけないのかい」
 言葉に詰まるアックスに悟はさらに問う。
 「和美たちの身に何が起きたのか、知っているか」
 アックスは黙って首を横に振る。
 「これから抹殺の準備に取り掛かろうと…」
 「アックス、君にしてはえらく準備が遅いんじゃないかい。私はエジンバラで既に彼女たちに追っ手を差し向けたよ」
 アックスは悟の目を直視する。なぜこの男は人の命をそう簡単に消すことができるのだろう…。
 「だが、失敗した。和美は、あの頼りない隆次以外に味方がいるようだ。邪魔が入って、私の放った刺客の多くが銃で消されてしまった」
 「銃で?」
 アックスは驚く。イギリスでは銃の所持は法で禁止されている。もちろん、日本でも同じだと聞く。ましてや相手はまだ二十歳を少し過ぎたばかりの、普通の大学生のはずではないのか。
 「目撃者の話によると、銃弾を放ったのは初老の白人男性だったらしい。物陰で和美たちと話をしていた。その男は自分のことを和美の育ての親だと言っていたらしいよ」
 「そ、それじゃ…」
 「ジミー・フォード」
 「そ、そんな…。ジミーはお前が殺したんじゃないのか」
 「人聞きの悪いことを言わないで欲しいな。特に、白兵戦で敵兵をなます切りにした君には言われたくないね」
 「あれは戦争だったんだ。生きるためには仕方のないことをしたまでだ」
 「そして、その戦場で、ジミー・フォードは正確無比な狙撃術を身に付けた。ただ殺すために」
 「お前に、人をごみくずのように消そうとするお前に、俺たちの何が分かるって言うんだ! ジミーは、ジミーは、そんな男なんかじゃ…」
 「そのジミーは今、エジンバラからグラスゴーに向かっているという。国内線でロンドンに向かい、そこからアメリカに飛ぶ予定だよ。おそらく、和美を育てたユタにでも行くつもりだろう。ただ、彼はCIAを抱きこんでいて、アメリカに飛ばれてしまうと、うかつに手を出せなくなってしまう。モルモン教との協定もあるし」
 「で、どうするつもりなんだ」
 「明朝のグラスゴー発ロンドン行きブリティッシュ・エアウェイを爆破する」
 「爆破…」
 二人の会話を黙って聞いていた長瀬が口をはさむ。
 「悟君、君は、君は無関係な人間まで巻き込むつもりなのか。航空機の爆破など…」
 「門外漢は黙ってろ! お前は口を閉じて研究室にこもっていればいいんだ」
 「しかし、悟。ドクター・長瀬の言うとおりだ。無関係な人間まで巻き込むことなど、俺にはできない」
 「お前がしなくとも、誰かがやる。いや、やらせるさ。こっちにはマザーがある。それに、お前は知らないだろうが、明日の飛行機に乗る連中だって、決して無関係ではないんだよ」
 「無関係じゃない、っていったいどういう意味だ」
 「たまたまそこに居合わせた。そういう意味だ」
 「ふざけるな! それを無関係と言うんだろうが!」
 「シンクロニシティー、という言葉を知っているかい。ユングが研究していた課題さ。意味のある偶然の一致、といったところだろうか。誰かに電話しようと思っていたまさにその時、相手から電話がかかってきたり、会いたいと思っていた友人に道でばったり出会ったり…」
 「それで、それだけの理由で殺すのか」
 「まさか。ユングは言っているよ。この世の中に偶然はないんだ。そして最近提唱されているバタフライ理論もまた同じさ。北京で蝶が羽ばたけば、サンフランシスコで竜巻が起こる。小さな小さな原因から、とてつもなく大きな結果が生み出されることがある。広崎中尉も晩年はそんなことを研究なさっていた」
 「だからといって、俺は納得いかない。そもそも、お前のやろうとしていることはπの理念から大きく外れているんじゃないのか」
 「アックス、お前は何も知らない。余計な口をたたくんじゃない。お前が航空機の爆破を厭うなら、私自ら手を下そう。マザーを使って」
 「だが、マザーは和美にしか影響を与えられないはずだ。自殺するようなことを、マザーが許すわけないだろう」
 「だから、お前は何も知らないと言っている。マザーの使い方すら、だ」
 「な、何を…」
 アックスは驚きを隠せぬ目で長瀬を見た。長瀬は気まずそうに目をそらしながら、それでもアックスの無言の問いに答える。
 「マザーは、全ての人間につながっている。アックス、君の頭にはチップが入っていると言っていたね。だがマザーがあれば、もはやチップなど不要なんだよ。だから、君の行動もチップに操られているんじゃない」
 「そ、そんな馬鹿な…。冗談だろ、ドクター」
 「いや、マザーを改良したのはほかならぬこの私だ。スチュアート教授の論文を読んで、マザーの可能性に気付き、新たな論文を書いた。それに目をつけたのが悟君だった」
 「じ、じゃ、明日の航空機爆破は…」
 「不可避、としか言いようがない。悟の言葉ひとつで、世の中のあらゆる人間がテロリストになりうるんだ。和美さんたちは死ぬしかない」

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