RAMP第8順その3

 そして悟は、一方的に電話を切ってしまった。アックスは、カウンターに覆い被さるように、じっと、うなだれていた。何かをしきりにつぶやきながら、時々大きく溜息をつく。連れの男たちは、アックスの背中を視界の端にとどめたまま、きついアルコールを流し込んでいた。長瀬教授はただ一人、アックスの後姿に近づいていく。
「アックス、私は、君たちのしようとしていることについて、詳しくは知らない。ただ私にとって大切なのは、さらなる研究を続けること、そして、それを実現させること。それを可能にする場を与えてもらえるならと、そのためなら私はなんの反抗心ももたずに手を貸してきたつもりだ。しかし、いったいどうしたというのだ。悟くんは、カズミまで消してくれと…」
「…かまきり人間だ…」
 アックスはつぶやく。
「やつこそが、どうやら…本物のかまきり人間のようですね…」
「大丈夫か、アックス。おそらく君は今、正常な意識にはないようだ。かまきり人間とはいったい何なんだね?」
 アックスはゆっくりと顔を上げた。カウンター越しにならぶ、大量のアルコールの瓶。さらに壁を突き破って、ずっとずっと向こう側を見据えるような目つきをしていた。
「ドクター・ナガセ、あなたなら知っておられるはずだ。もぐら人間と呼ばれた男のことを」
 長瀬教授は静かに後ろを振り返った。連れの男たちは顔を突き合わせて、酒くさい息を吹き掛け合っている。
「話には聞いたことがある。もぐら人間と呼ばれた…、ジミー・フォードだね? やつは狂人だった」
「狂人、ですか」
「偏執的な菜食主義者で、平和主義者だったと聞いている。かの大戦中、「この戦争は間違っている」というのが彼の口癖だったと。ジャングルの奥地で殺人虫に刺された時だって、その虫を殺さないでくれ、と叫んでいた。生きた人間のまなざしではなかったと誰もが回想した。この世からすべての殺戮をなくすことを目的に生きた男だと。現代の幾つかの国に行けば、彼はきっと偉大なる英雄になれただろうが、私に言わせればまったくの狂人だよ。きっと、戦いの中で自分の命を守る口実だったんだろう。上官の命令で虐殺や略奪にかかわり、組織的な犯罪を目の当たりにし、終戦の知らせを聞くと同時に廃人になってしまった腰抜けさ…」
 アックスがあとを受け継ぐ。
「そして、外の世界に目を向けず、盲目のまま光を求めながら、空とは違う方向に暗いトンネルを掘り続けるもぐらのようだと、そう呼ばれるようになった…」
「私はそう聞いているよ、アックス。爆弾の炎で焼けただれた死体から立ち上る煙を見て、天国へ行ったとか地獄へ行ったとかつぶやいていたともね」
「違うんですよ、教授」
 アックスは長瀬教授を見ることもなく言った。
「私は、彼のことをとても尊敬している。彼こそが神であるに違いなかったと、今でも信じている。彼は殺されるべきではなかった。そうなんだ、彼は、殺すべきではなかった」
「彼は殺されたのか? 平和な田園地帯の病院のベッドの上で幸せのうちに息を引き取ったと聞いているが」
「それは違います。いったい誰から聞いたんです?」
「悟君だよ」
 アックスは、かっと大きく目を見開いた。長瀬教授はアックスの目が激しく血走っていることに気付き、おののいた。カウンターの上の握りこぶしは固く力をこめ、小刻みに震えている。彼は、体全体から怒りを発していた。
「ああ、サトル、なぜなんだ! なぜ? どうしてカズミまで殺せというのか!」
「どうした、アックス? 落ち着くんだ。カズミまでとはどういうことだ」
「ああ、ドクター・ナガセ。聞いてほしいことがあるんです。言わせて下さい。いや、聞いてください」
「わかった。かまわないよ。それで君が自分を取り戻せるならば」
「ありがとう、ドクター・ナガセ」
 アックスは姿勢を正した。怒りはさらに増しているように感じられた。
「あの戦争の時、私はある基地で、はじめてジミーと出会いました。とても大柄な男だった。私よりも年上だとはいっていたが、私にはまるで父親のように感じられた。その話し方、身のこなし、心遣い、どれをとっても立派な紳士でした。有無を言わせず、人を引きつけるものがあった。行動をともにするうち、私は、彼が神に違いないと確信した。私は神と出会ったのです。本物の。もし彼が息を引き取ったなら、それから何千年もつづく宗教が始まるだろうとまで考えていました。そして我々は、ともに戦いを生き抜いてきた。人を殺し、傷ついた仲間を見捨て、自分の命を守り続けてきた。ジミーはとても心を痛めていた。この戦争が終われば必ずや、誰かを守り続けて死んでいくのだと」
「もぐら人間と君とは、同じ部隊だったのかね」
「でも、彼は戦争被害者でした。戦争のせいで、彼の人生は大きく狂わされた。戦争が終わってもある男の命を受け、ひとりの日本人の少女のそばで彼女を守ることを義務付けられた。人を守る希望はかなっても、その目的はとうてい許せるものではなかった。彼は人間の遺伝子を研究し、この世のありとあらゆる病を解明することに人生をささげる科学者として生きるはずだったのです。しかし、彼は狂人になりすまし、死んでしまったことにして未来を抹消され、その少女のそばを離れることができなかった」
「その少女とはいったい誰なんだ。何者から守らなければならなかったのかね。その命令を与えたものは…」
「わかりません。ただ、一度だけ彼から手紙が来たことがありました。そこには、「かまきり人間から少女を守っている。元気でやっているよ。しかし、やつはもうすぐそこまできている。私はもうすぐ殺されるだろう」とだけ書いてありました。そしてしばらくして、ジミーが本当に死んでしまったと知りました」
 アックスの拳にはさらなる力が。彼の全身には、すべてを焼き尽くすほどの怒りが充満していた。
「ああ、ドクター・ナガセ! ジミーを殺したのはかまきり人間に間違いはない! そしてサトルは、かまきり人間に間違いはないのです!」

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