「何をバカなことを聞いてるんだよ。おぼえてるさ。でも…」
「でも、なに?」
「和美ちゃんち、犬は飼ってなかったよね」
「え…」
「ってことは、和美の記憶はやっぱり偽もの、ってことか」
「ん…そのことなんだけど、あの男、かまきり男が言ってた『死人の目玉をくりぬく』ってのが気になってさ…。網膜に記憶が焼きつく、っていう話を知ってるかい」
「あぁ、ホラー映画とかでよくある話だろ」
「そうだ。もし、和美ちゃんが他の誰かの眼球を移植されていたのだとしたら、その他の誰かの記憶が和美ちゃんの記憶に紛れ込んでる可能性がある」
「ちょっと待て。それじゃ、和美の過去の記憶がないことが説明できないじゃないか」
「…うん、確かにそうだ」
「眼球の移植?」
「いや、和美ちゃん、俺はただ『可能性』の話をしてるだけだよ」
「うん、分かってる。でも、クローンよりは眼球の移植の方がよっぽどマシだよね」
「クローンじゃない、ってかまきり男も言ってたじゃないか。和美、うつむいてないで、しゃんとしろよ。ほら、悟も何か言ってやってくれよ」
「クローン、か」
「悟、てめぇ、いい加減にしろよ。クローンじゃないって、あの男も…」
「テロメア、って染色体を知ってるか」
「て・・・てろ…?」
「テロメアだ。分かりやすく言うと、細胞分裂の回数券みたいなもんだ。細胞が分裂するたびに、テロメアって染色体の酵素をちぎっていってると思えばいい。ある回数、分裂をすると、その回数券がなくなって、その細胞はそれ以上分裂できなくなる。後は死ぬだけだ。テロメアの長さでその固体の年齢が分かると言われてる」
「その『回数券』がどうかしたのか」
「ドリーは知ってるよな。あれは3歳の羊の胚を9歳の羊の卵細胞に移植したんだ。その結果、生まれたドリーのテロメアは12歳の長さだった。つまり、ドリーは生まれたとき、すでに12歳だった」
「言ってることがよく分からない」
「こう考えてみてくれ。今、和美は21歳だ。たとえばあの姉妹が9歳と12歳だったとして、9歳の妹の胚を12歳の姉の卵に移植して、培養床を作ってクローンを作ったのだとしたら、いきなり21歳の人間ができてもおかしくはない」
「でも、特許がどうのとか、技術的にどうとか言ってたぜ。それにあれは一卵性双生児だって話だったしな」」
「バカだな。あんな話、真に受けてんのか。一卵性双生児かどうかは分からない、って本人も言ってたじゃないか。それに、たとえばクローン人間を作る技術があったとしたら、戦争が起こったとき、どうなる?」
「戦争?」
「そうだ。戦争だ。戦争が起こったら、無尽蔵に兵士を作り出すことができる。人海戦術の前には核兵器の威力も半減ってとこだな。その核兵器だって、特許なんか関係ないだろ。バイオ・テクノロジーが危険視されてるのは、倫理的な問題があるからだけじゃないんだ」
「でも、培養床を作って…って、それじゃ何か、いきなり和美の体がシャーレから生えてきたって言うのか」
「そうだ。その通りだ。植物の分野ではもう何年も前から、いや、農業の歴史が始まってからずっと、似たようなことをやってる。そして動物でも最近は『ES細胞』、いわゆる万能細胞ってやつがおおっぴらに研究されてる」
「でも、それは最近の話なんだろ。いきなり21歳の人間を作れるのかよ」
「いや、無理だろうな。でも、ドリーが世に発表された時、その技術は既に時代遅れだった、って話を聞いたことはないか」
「ない」
「クローン技術そのものは、既に完成されている。発表したか、してないか。その違いしかない。事実がすべて発表されているとは限らない」
「何が言いたいんだ」
「ナチスだ」
「は?」
「ち、ちょっと、悟君、いくらなんでも、それは…」
「もしくはソ連」
「ちょっと待てよ。お前、何の話をしてるんだ」
「ナチスはユダヤ人やジプシーを使って人体実験を行っていた。クローン技術の研究のためだったと言われている。ソ連もアメリカに対抗するために人間の精神構造の研究をしていた。どちらも軍事利用が目的だ。軍事目的の研究なら、機密になって当然だ。そして日本も七三一部隊を持っていた」
「日本も…か」
「そう、日本も」
「でも、そんな話、私、聞いたことない…」
「そりゃそうさ。七三一部隊のやってたことはいわゆる『人道に反する罪』で、極東裁判にでもかかれば、部隊長どころか部隊員すべてA級戦犯だからな。でもGHQは法廷にかけなかった。なぜだか分かるか」
「知らなかったんじゃないの」
「いや、知ってた。知ってたどころか、アメリカさん、その研究成果をのどから手が出るほど欲しがってた。それで取り引きをしたんだ。戦犯追及はしない、その代わり七三一部隊の研究成果をそのままそっくりよこせ、って。それで七三一部隊は一時期、闇に葬られた。最近になって中国系アメリカ人が議会をつついたおかげで、また戦犯追及の声があがってるけどな」
「七三一部隊、ねぇ」
「七三一部隊はあくまでも可能性の話だ。七三一部隊が具体的に何を研究していたのかはアメリカがすべて握っていて、いまだに全容は分からない。細菌兵器の研究だとか言ってるけど、それだけじゃないだろうな。なんと言っても日本は当時、枢軸側だった。ナチスと手を組んでたんだから、ある程度の情報提供はあっただろうし、ナチスが既に実用化していた細菌兵器の研究だけにとどまるわけはないだろう」
「じゃ、やっぱり私、クローンなの…」
「いや、それは断定できない。あくまでも『可能性』の世界だ。ただ、俺はあのかまきり男が否定した『可能性』を捨てきれないんだ。俺みたいな門外漢ですら知ってるバイオ・テクノロジーの歴史をあまりにも知らなすぎる。単に知らないだけなのか、それとも何か隠しているのか…」
「何か、って何を?」
「おいおい、俺一人に謎解きをさせるつもりかよ。俺たち、何のためにイギリスまで来たんだ」
「俺はただ単に和美の身に何が起こっているのか知りたかっただけだ。かまきり男は関係ないじゃないか」
「和美ちゃんの夢に出てくるもぐら男のお友達で、その和美ちゃんの夢の正体がつかめない限り、和美ちゃんに起こっていることも把握できない。違うか」
「うん、悟君の言う通りだと思う。ねぇ、隆次、確かに分からないことだらけだけど、そんなに怒らないで」
「あ、あぁ。別に怒ってるわけじゃないんだけどな。でも和美、もし悟が言ってる『可能性』ってやつが当たってたら、俺たち、もしかしたらとんでもないことに首を突っ込んじまってるのかもしれないぞ」
「そうだ。隆次、その通りだよ。政府や軍が絡んでいるのかもしれない。そうなったら、俺たち3人がどんなに頑張ったって歯が立たない。相手が日本政府ならまだしも、イギリスやアメリカ、ロシア、中国が相手だったとしたら、もうお手上げかもな」
「かまきり男を追ってる奴も、その筋の人間かもしれないな」
「かもな。だとしたら、俺たち、消されちまうぞ」
「消される?」
「そう。文字通り、この世から消されてしまうかもしれない。今までの20年間もろともにな。俺たちなんかはじめっから存在していなかったかのように、全てを消される」
「ハッ、おもしれー。やれるもんならやってみやがれ、ってんだ」
「そうさ。ハハッ。もう、ここまで来たらとことんまで首を突っ込んでやろうぜ。そんでもって、パッと消えちまおう。それも一つの生き様ってもんだ」
「フフフ、もうやけくそね。パッと消えちゃうんだ。私の記憶みたいに」
「えっ」
「えっ、ってだから、パッと消えるんじゃないの」
「そうか…。記憶が消える、か・・・」
「どうした、悟、記憶が消え…あ、そうか!その可能性もあるんだな」
「いずれにしてもどこかの国の軍が何かを握っているんだろうな」
「アハハハハハ、面白いじゃないか。もう一人の和美、網膜に刷り込まれた記憶、クローン、ドッペルゲンガーにトゥルパ、臓器移植に、作られた記憶、消された記憶、もぐら人間にかまきり人間、夢、集合的無意識、ナチスにソ連に七三一部隊、そしてアメリカ。盛りだくさんだな。ところで、中国が出てきたのは何でだ」
「七三一部隊の研究の成果の一部が敗戦後の混乱の中で中国側に渡っている可能性もあるからさ。当時の戦勝国の指導者の顔ぶれを見れば分かるだろう。ルーズベルト、チャーチル、スターリン、蒋介石、毛沢東、どいつもこいつも一癖も二癖もある連中ばかりだよ。裏で何をやっているのか知れたもんじゃない。いずれにしてももう一度、かまきり男とコンタクトを取るのが最良なのかもしれない」
「そうだな。とりあえずはどこまでできるか、挑戦してみよう」
「ごめんね。二人とも。面倒なことに巻き込んじゃって」
「気にしなくてもいいよ。和美ちゃん、和美ちゃんには申し訳ないけど、もうここからは男のロマンだ。たとえ世界から抹殺されてもいい。俺は全てを知りたいんだ。俺の教団がこの一件にどう関与していたのか、何が目的でもぐら人間は人体サンプルを欲しがったのか、全てを知りたい。これこそまさに俺が探し求めていたものなんだって、今、初めて気がついた。これからどんな展開が用意されているのかは分からないけど、俺は何としても突き止めてやる。たとえこの命が消されることになったとしてもな」
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