「つまり、夢はしょせん、夢、ということだ。ミズ・カズミ、それはあなたの記憶ではない」
断定的なものの言い方に和美は戸惑う。でも、あの景色は、火葬場の煙は、もぐら人間は、私の思い出の中に確かに存在する。
「夢、と一言で言っても、その解釈の仕方は様々なんだ。心理学者のフロイドは、人間の行動理由は性的衝動、リビドーだと言っている。それは夢も同じことで、フロイド流に君の夢を解釈すれば、火葬場の煙は男性器を象徴している、といったことになるね。死人が焼かれる火葬場、という場所は性的な欲求不満から脱却したい、という寓意とでもなるのかな。何もかもがセックス、セックスなんだ」
「性的欲求不満…」
隆次は呟いてうつむく。思い当たる節でもあるのだろうか。
「だが、フロイドの弟子のユングは、さっきも説明したような人類全体が共有する心理、『集合的無意識』というものを提唱している。それは、太陽を想像してもらえば分かりやすいかな。ヘリウムの核融合によって表面で爆発が起き、火柱、いわゆるコロナが発生する。太陽が集合的無意識ならコロナが個人、といった感じかな。そのコロナは発生場所やその環境によって様々な姿を形成するけど、それでもそれは太陽の一部で、太陽から発生して、太陽に消えていく。あるコロナの下で新たなコロナが発生すれば、先に発生したコロナは、その下に発生したコロナの一部になる。心にたとえれば、集合的無意識から和美さんという心の器に新たな意識が突き上げて、もとにあった心と融合して、新たな記憶を形成してしまった、といったところだ」
「その、私の中に突き上がってきた集合的無意識って…」
和美の問いに教授は引出しから写真を取り出しながら答える。
「実は、君と同じ記憶を持った人が数日前にここに来た。これがその時の写真だ」
取り出した写真をそっと机の上に置き、和美の前に差し出す。そこには和美が写っていた。
「こ、これは…」
三人は驚愕の表情を隠せない。どういうことだ。あの、「もう一人の和美」もここに来ていたのか…
「そして、もう一枚、この写真も見て欲しい」
教授はセピア色に変色した古い写真を取り出し、前の写真の横に置いた。
「この女性もまた、君と同じ記憶を持っていた」
そこに写っていたのは日本人女性。一体いつ撮影した写真なのだろう。女性は和服を着ており、足元には幼い女の子が二人写っていた。服装も髪型も古風な日本人女性。だが…
「これは…わたし…」
言葉が出てこない。なぜ、私の写真がこんなところにあるの?でも、私、子供なんていない…
「いや、それは君ではない」
穏やかな口調で教授は言う。
「君のお母さんがどんな人だったか、覚えているかい?」
「え…」
「君にはお母さんの記憶があるかい?」
ない。心のどこをどう探っても、お母さんの記憶がない。お母さんは確かに存在した。思い出の中に。でも、そのお母さんって、どんな人だったの?思い出そうとしても思い出せない。私には、お母さんの記憶がない…
「じゃ、これが私のお母さん…」
信じられない、といった面持ちで和美は言う。
「いや、違う。ここに写ってる女の子も君ではない。この子たちは十年前に事故で亡くなった」
「一体どういうことなんだ!」
たまりかねた隆次が叫ぶ。
「お前が言ってた『限りないこと』ってのはこのことなのか!」
今にも殴りかかりそうな勢いで、悟に詰め寄る。その様子に驚いた教授が仲裁に入る。
「What's happen?」
悟は隆次の言葉をそのまま通訳する。それを聞いた教授が言う。
「人は生まれ、そして死ぬ。だから人は物事には常にはじまりがあって、終わりがあると思っている。だが、その考え方自体がおかしなものでね。たとえば宇宙の謎、ってのはいまだ解明されてない。『宇宙の果て』というものを探し求める限り、答は出ない。私はそう考えている。花は枯れ、種を残す。その種は成長し、やがて花を咲かせ実を結ぶ。そうしてできた種は、また新たな花を咲かす。自然の営みは永遠なんだ。単細胞生物は細胞分裂で増えつづける。いつまでもいつまでも分裂を繰り返す。外敵に襲われない限り、最初の固体が死ぬことはない。不老不死だ。限りないものなど追い求める必要はない。なぜなら、この世を形作る全てのものが限りないものだからなんだ。私はそう信じて疑わない。ただ、人の知能レベルでは、「無限」をイメージすることができないだけなんだよ。人の心も、魂も、全てが限りないものだ」
「それが和美とどう関係あるんだ」
隆次は今度は教授に詰め寄る。
「人の容姿も記憶も、継承される可能性がある、ということだ」
「つまり、和美は、その写真の人の生まれ変わりってことか」
「そう考えるのが一番、理に叶ってはいる。だが、問題は同時期に二人が転生する可能性があるのかどうかなんだ。私にはちょっと気がかりなことがあってね」
「それは?」
「転生した場合、その前世の記憶が残っている、というのは当然のことなんだが、和美さんには、前世の記憶しかない。和美さん個人の、幼い頃の記憶がない、ということなんだ」
「何を言ってるんだ!もっとはっきり言いやがれ!」
隆次は机越しに教授のむなぐらをつかみ、怒鳴り散らす。その状態で教授が答える。
「古い写真に写っている幼い姉妹は事故で死んだ。健康な臓器は医療サンプルとして保存されたと聞いている。もしそれが悪用されたのだとしたら…」
「ロスリン研究所…」
悟がぼそりと呟く。
「そう、ドリーを作り出したあの研究所がカギを握っているかもしれない」
「ロスリン?ドリー?」
隆次は訝しげに悟を見る。
「クローンだ」
そういう悟の言葉に教授が付け足す。
「そう、クローンだ。ロスリン研究所はクローン羊のドリーを作り出した。神の領域に手を伸ばしたんだ。英国ではクローン技術を人間に応用することは法律で禁じられている。だが、もし…」
教授の言葉をさえぎるように和美が叫ぶ。
「じゃ、私はクローンなの!私は誰かのコピーで、私は私じゃないの!」
沈黙が部屋に響き渡る。午後3時。外は間もなく夜のとばりが降りはじめる。
「その可能性は、残念だが、否定できない」
沈黙を破った教授の言葉に和美は気を失ってしまった。
<-Back(RAMP5-1) | RAMP index | Novels index | TopPage | Next(RAMP 5-3)->