雨。
閉ざされた空間。隆次の部屋。
彼は和美が来るのを待っていた。
自分が見たものは確かに和美だった。そして同時にもう一人の和美と、その和美と一緒に歩いていた男。頭の中が混乱する。その混乱は、考えれば考えるほど、頭の中に広がってゆく。
雨が次第にひどくなっている。大粒の水滴が窓ガラスを叩く。外では車が行き交い、傘をさした人たちが足早に歩いているのだろう。だが、この部屋は雨というカーテンに遮断され、外界の音は届かない。奇妙な静寂。それが隆次を一層不安に駆り立てる。
「和美は俺に嘘をついている」
そう思う。
だが、それだけではない、自分の思考をはるかに超えたところで何かが起きているのかもしれない。いずれにしても和美に問いたださなければならないことがある。でも、一体何を? 隆次は考える。和美が部屋に来た時、一体何から問いただせばいいのか。
「来い」とは言ったものの、何を話せばいいのだろう。
昼前、ドアをノックする音がした。和美だ。
ドアを開けると、一晩中泣きはらしたのか、赤く腫れぼったい目をした和美がびしょぬれになって立っていた。
「私…何も分からないの。何も…。昨日見た、私にそっくりな女のことも、隆次が何を疑ってるのかも、何も分からない…」
和美は玄関口でしゃがみこんで泣き始めた。
「だって、だって…何も分からないんだもの。分かるのは、私が隆次に誤解されてるってことだけ。でも、私、私…」
「だけど…」
隆次は答えにつまった。彼女は何も知らない。そう感じた。
俺も和美も知らないところで何かが起きている。彼女に何をどう問いただしても、きっと納得のいく答えは返ってこないだろう。そう感じた。
「何か、心当たりはないか?」
和美を部屋に入れ、温かいコーヒーとタオルを渡しながら、隆次は聞いた。
もはや彼女を責める気は失せている。今はただ、自分たちの身の回りで何が起きているのかを知りたい。
少し落ち着いた和美は悟に聞いたことを話した。
「ドッペル・ゲンガー?」
「うん、悟君、そんな話をしてた」
「で、お前はそれを信じてるのか?」
「分からない。でも、それしか考えられないの。嘘であってほしいと思ってる。でも、そうとしか考えられない。彼女…もう一人の私は、私と同じ所に怪我してた。私のお気に入りの服を着てた。もう何も分からない…」
和美は再び泣き始めた。
「その、悟、って奴に連絡は取れないか」
「うん、電話番号は知ってる。彼、今、新興宗教に入信してるけど」
「新興宗教? そんなところにいる奴の言うことを信じるのか?」
「でも、他に説明がつかないじゃないの」
確かに和美の言う通りかもしれない。隆次は悟に電話することにした。
電話口で悟は言う。
「ドッペルゲンガーには実体がない、って言われてる。でも、時には実体を持って出現することもあるらしい。いずれにしても、もう一人の和美ちゃんの方から近寄ってこない限り、できるだけ遭遇は避けた方がいいと思う」
「なぜ?」
「今までの報告の中には、ドッペル・ゲンガーと遭遇したことによって、人生を破滅させてしまった人たちの話も含まれている。だから、だ」
「で、その…ドッペル・ゲンガーって奴は本当にある話なのか。もう一人の和美は、ドッペル・ゲンガーなのか?」
「それは分からないな。…そう、イギリスのエジンバラって街に、エジンバラ大学ってとこがあるんだけど、そこには世界で唯一、『超心理学科』って専攻がある。そこのマーティン・スチュアート教授が、ドッペル・ゲンガーについていろいろ調査してる。うちの教団にも関係のある人だ。俺も会ったことがある。彼に頼んで調べてもらうといいかもしれない。和美ちゃんの言ってた胸苦しさと脱力感、っていうのはドッペル・ゲンガーに限らず、超心理的現象が起こったときには頻繁に出現する症状なんだ。だけど、それが単なる体調の変化に過ぎないのか、超心理的な要因によって引き起こされるものなのかは、調べてみないと分からない。彼ならその辺の診断を下してくれるはずだ」
「で、その教授は今どこにいるんだ」
「だから、イギリスだ」
「イギリスまで行かなきゃいけないのか?」
「いやならやめとけばいい。ただし、和美ちゃんの苦しみは、このままでは決して救われることはないと思う」
「…分かった。でもどうやって会いに行けばいいんだ? いきなり乗り込んで会ってもらえるのか?」
「そのあたりのことは、俺が話を通しといてやる」
「分かった。それじゃ、イギリスに行ってみる。できれば君も一緒に来てくれないか」
「あぁ、いいよ。幼馴染の和美ちゃんが苦しんでるのを放っておくわけにはいかないからな」
「すまない。頼む」
「よし、それじゃ、イギリス行きの航空券は俺が手配しとくよ。ツケでな。出発は一週間後でどうだ」
「分かった」
一週間後、隆次と和美、そして悟はイギリスへ向かう飛行機の中にいた。
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