RAMP 第2順その3

人は、髪形を変えた時や新しい服に着替えた時、太った時、やせた時、またその時の気分によって顔が変わってしまう。家族だって、新しくなったその人が一瞬誰なのかわからなくなることがある。あの人に似てるけどどこかが違う…という思いで観察して、少しの間をおいてその人が誰であるか理解する。
その時、その人がその人であることを決定づけるものはきっと、歩き方や話し方、こちらの言葉に対するその人らしい反応なのだろう。いつも通りのそのしぐさや反応で、周りの人間は安心する。容姿で人を見分けているのではなく、結局はその人となりで見分けている。たとえそれが、自分の愛する人であったとしても。

しかし今、和美の目の前にいるのはもう一人の自分だった。隣りにはまったく知らない男。
「あれは…わたし?」
それがまさにもう一人の和美であったとしても、はたして本当にそれが自分であることを理解できるだろうか。信じられるかどうかの問題ではなく。すべての人が見ている自分とは、鏡に映っていたり、写真や映像にうつっている自分だけ。それらは、無意識のうちにも少なからず気取っている自分。普段人が見ている自分とは違う自分。

和美は、高校の時の文化祭のあと、自分が出演した劇をみんなで見た時のことを思い出していた。ビデオに映っているのはまるで自分とは違う自分のようで、なのに、まさに自分以外の何ものでもないような気がした。ステージの上で気取っている姿は、鏡でいつも見ている自分と似ていなくもなかった。
写真を思い出してみる。数人の友人達がポーズを決めて映っている写真の端っこで、写る気はなかったのに偶然入ってしまったもの。見られることを意識していない和美は、まるで別人のようだった。

だから和美は、窓の外にいる、自分とそっくりな人が誰であるのか理解できずにいた。自分と似ているけれど、自分ではないような気がする。
なのに、窓の外を歩くその人は、明日隆次と会う時に着ようと思っていた、和美のお気に入りのセーターを着ていた。そして、最近新しく覚えて、明日初めて試してみようと思っていた髪形をしている。和美は、女に見つからないように外に出た。
「信じられないわ…こんな時って、いったいどうすればいいんだろう…」
そして、女がこちらのほうに顔を向けようとした瞬間、和美は逃げた。女が自分自身であることを疑う十分な理由もないままに。もはや信じるしかなかった。

あれは間違いなくあたしなんだ、なんであたしがもう一人… あれはあたしのドッペル・ゲンガーなんだろうか。本当にあたしなんだろうか… あたしって誰? どんな人? 何をすれば、このあたしが本当のあたしなんだって証明できるんだろう?小走りで急ぎながら、和美は混乱していた。あたしはあたしで、あいつはあたしじゃない。だったら、どこがあたしで、どこがあたしじゃないんだろう…一刻も早くここから立ち去らなければ。少しでも、あの女から遠くに行かなければ。
急ぐ和美は校舎の陰に入り、離れなければならない場所にとどまって、あの女を観察していた。二人はこちらに向かって歩いてくる。
「やばいかな…」
和美が思いきり振り返って走り出したその時、校舎と校舎をつなぐ石畳につまづいて勢いよく転んでしまった。
「あっ!」
女の短く鋭い叫びが聞こえる。和美は倒れたまま、しばらく何が起こったのかわからなかった。あの2人が駆け寄ってくる。大丈夫かい、男が声をかける。
「あ、だ、大丈夫です…」
 和美は自力で起きあがり、教室に向かって小走りに走り出した。こわくて、相手の女の顔を直視することができなかった。あれは本当にわたしなんだろうか… 女が差し伸べた白い腕の内側に大きなばんそうこうが貼ってあったことだけはかろうじて確認できた。

「変な子ね、こんなところで転んじゃってさ」
女は言う。
「でもあの子、なんかあたしにそっくりじゃなかった? あんな子がいるなんて知らなかったわ。またどこかでどじ踏んだりしてあたしの評判が下がったりしないわよね?」
女は笑う。
「そうかい? ぜんぜん君とは似てなかったよ」
男は怪訝そうに答える。

もう授業が終わりかけている教室に戻った和美は、さっきからずっと痛む腕の内側が気になっていた。
京子が小声でささやく。
「遅かったじゃないの、和美。何やってたのよ。今日はひさしぶりに出席をとったのよ。紙に名前と今回の感想を書いて提出しただけだからなんとかうまくやったけど…あっ! どうしたの? 和美、手、血が出てるわよ!」
腕をすりむいている。思ったより大きな傷。にじみ出るように血が出ている。
「早くこれを貼りなさいよ! ちゃんと洗ってきてからね! ばい菌が入って炎症を起こしたら大変だわ」
京子は、和美に大きなばんそうこうを2枚ほど渡した。
「わたしもレストランで洗いものしてるからね、この季節は手が荒れて大変なのよ。本当なら、洗い場は高校生の男の子とかにやらせるんだけど、最近辞めちゃって、わたしがかわりにやらないといけなくって。たまんないわよ。手なんかぼろぼろよ。指紋もなくなっちゃってるわ。ほら!」
そう言って、手をかざす。
「ほんとだ…痛々しいわ」
「あんたのほうが痛々しいわ。さ、早く!」
和美はももう一度教室を抜け出して、トイレへと向かった。またあの女に鉢合わせしないように十分気をつけて。


…わたしは、蝶になって空を舞っていた…そして目を覚まし、それがただの夢であったと気付いた…
…しかし、思う…いまこうしてここにある自分が夢で、蝶である自分が現実なのではないかと…

鏡の前で髪形をなおしているとき、和美の電話が鳴った。
「か、和美、おれだ、おれだ!」
電話の向こうに、恐いくらい興奮している隆次がいる。
「なんなんだよ、和美! いまから授業だって言ったの、嘘だったのか? あの男、誰なんだよ! なんでぜんぜん違うところを一緒に歩いてんだよ!」
「え、なんのことよ、隆次… あたしはほんとにいま、授業中なのよ」
「和美、嘘をつくなよ。なんで授業中のやつが電話に出てんだよ。電話が鳴ってすぐに出たろ、教室にはいないんだろ、外にいるんだろ!」
「ほんとに違うって!」
「いいか、和美。明日は必ず会いに来てくれ。ゆっくり話をしよう。今日はもういい。おれも熱くなってる。冷静になってから話をした方がいい。じゃあな!」
そう言って隆次は、一方的に電話を切ってしまった。和美はあわててかけなおす。しかし何度かけても、すでに隆次は電源を切ってしまっていた。和美は、全身にけだるいものを感じていた。

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