RAMP 第2順 その2

 和美と別れ、隆次は一人、キャンパスを歩いていた。次の講義は別の校舎。
 歩きタバコでぶらぶらと歩いていると、正面から和美が歩いてきた。先日見かけた男と一緒に。
 えっ?
 隆次は自分が今、目にしている光景が信じられない。和美とはさっき別れたばかりだ。ほんの数分前、教室へと足を運ぶ和美の後姿を見たはずだ。なら、今、目の前にいる和美は誰だ?
 自然と足が止まる。授業の開始を告げるベルがけたたましくキャンパスに響き渡る。隆次はその場に呆然と立ち尽くしていた。視線は正面から歩いてくる和美と男に釘付けだ。息をすることすら忘れていた。
 「何見てるんだ」
 男の言葉で我に返る。和美の方に目をやると、きつい視線が跳ね返ってきた。
 「何見てるんだ」
 男が同じ言葉を吐く。
 「和美が…」
 隆次は和美を指差す。
 「和美って誰だ?」
 男が言う。
 隆次にはわけが分からない。もちろん、男にも分からない。

 和美は教室で奇妙な胸苦しさを感じていた。
 体中の力が抜けていくようだ。
 「和美、どうしたの?」
 友人の京子が心配そうに和美の顔を覗き込んでいる。
 「うん、ちょっと、ね。でも大丈夫」
 和美は京子の視線から逃れるように姿勢を正した。
 大学に入ってから、時々この脱力感に襲われるようになっていた。病院にも行ってみたが、原因は分からない。心理カウンセラーを紹介してもらったが、心の中のどこをどう探ってみても、この症状を引き起こしている心的要因は見つからない。
 ふと和美は高校時代に同じクラスにいた、オカルトマニアの悟のことを思い出した。一日中、幽霊だのUFOだのといった類の話ばかりしていたので、女子の間では気味悪がられていたが、博識な彼の話を和美はいつも面白がって聞いていた。
 「悟君なら何か知ってるかも…」
 根拠はない。ただ直感がそう言っているだけだ。だが、今までその直感に頼って失敗したためしがない。いわゆる「女の感」というものを、和美は信じていた。
 「私、ちょっと抜けるね」
 一旦、何かを思いつくとじっとしていられないのが和美の長所でもあり、短所でもある。京子に一言告げて、和美は教室から抜け出し、廊下で携帯電話をかける。相手は悟の実家。悟の母親が電話に出た。
 「悟ですか…あの子…」
 奥歯に物がはさまったような喋り方だ。悟に何かあったのだろうか?
 「変な宗教にのめり込んじゃってねぇ…」
 出家した、と言う。多少の驚きを感じつつ、悟ならあり得るな、とも思う。一応、連絡先だけ聞き出して、電話を切った。
 「新興宗教ねぇ」
 和美はぼそりと呟く。電話してみようかしら。でも…
 「宗教」という言葉自体に抵抗感がある。気軽に電話できる相手ではないように感じる。
 壁にもたれてしばし迷う。悟に相談すれば、きっと何か分かるだろう。直感がそう言う。
 「電話するだけじゃん。入信するわけじゃないんだから、かけちゃえ」
 和美は意を決してダイヤルを押した。

 受話器の向こうから読経の声が聞こえる。
 「和美ちゃん、久しぶりだね」
 事務所は意外なほどすんなりと悟につないでくれた。電話線越しに聞く悟の声は、以前知っていた悟の声より力強く感じる。
 「実は…」
 和美は自分が時々感じる胸苦しさとそれに続く脱力感、そしてそれらの原因が分からないことを悟に打ち明け、何か知っていることはないか尋ねてみた。
 「トゥルパ、って知ってる?」
 「トゥルパ?」
 「うん、日本語では『思念形態』って言うんだけど、簡単に言えばドッペル・ゲンガーみたいなもんだね。いや、ドッペル・ゲンガーそのものかもしれない」
 「ち、ちょっと待って、悟君。トゥルパとか、ドッペル…なんとかとか、思念…なんとか、って全然分かんないよ」
 「要するに、もう一人の自分がいる、ってやつだね。そいつが現れると、心理エネルギーを吸い取られて、本人は脱力感に襲われるらしい。それがドッペル・ゲンガーで、川端康成とか芥川龍之介はドッペル・ゲンガーを見て発狂して自殺した、って言われてる。ショパンだったか、シューベルトだったかもドッペル・ゲンガーを見て頭がおかしくなったらしいんだ。で、トゥルパって言うのは、チベット密教に伝わる秘儀で、心に描いた生き物に実体を持たせる術なんだ。高いステージに行くと人間みたいな高等動物も出現させることができる。そうやって出現させたものを『トゥルパ』って呼ぶんだけど、こいつは修行を積んだ高僧でも難しいって言われてる。かなりの集中力が必要なんだって」
 「でも、私、そんな修行なんて…」
 「分かってるよ。胸苦しさと脱力感、っていうから、思いついたことを言ってみただけ。でも、トゥルパは確かに修行が必要だけど、ドッペル・ゲンガーは修行しなくても出るからね。もし、和美ちゃんの周りで、心当たりのない場所で和美ちゃんのことを見た、って言う人がいたら気をつけてね」
 「見たら…頭がおかしくなって…やっぱり私でも死んじゃうの?」
 「一概には言い切れないけど、ドッペル・ゲンガーの多くは、危険を事前に報せてくれるらしい。でも、自殺どころか、ドッペル・ゲンガーに刺し殺された人もいるっていうし、本人の意思とは関係なく出てくるんだよね。遺伝的要素が強いそうだけど…。俺もあんまり無責任なことは言えない」
 もう十分、無責任だわよ、と和美は思う。
 「いやだな、もう。気持ち悪い…」
 電話を切った和美の目の前に、唖然とした顔で立ち尽くす隆次と見知らぬ男、そしてもう一人の和美がいた。

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