閉店間際に迎えに来ては、春菜の部屋で二人で過ごす。
そんな生活が「普通」になった。
ふらっと来ては数日、長い時は数ヶ月。
春菜を求め、またふらっと帰っていく。
「嵐みたいな人」
春菜の身体を駆け抜けていく耕平のきまぐれに振りまわされる。
振り回わされる自分に自分に嫌悪を覚えながらも、なす術がないかのように、耕平を受け入れている自分。
耕平との生活。
それは、春菜にとって、甘く不安定な生活。
やがて、耕平が春菜の部屋に住みつくまで、それほど時間はかからなかった。
どんなに疲れていても、耕平のために作る食事は、苦にならない。
時には、耕平が食事の用意をすることもある。
ささやかな幸せの時。
耕平との関係は、安定しているかのように思えた。
それでも、耕平が女の子を連れて歩いているのを、街で見かけたのは、一度や二度じゃない。
「きっと、ゼミの友達なんだろう」
春菜は、そう自分に言い聞かせる。
何事もなかった顔で帰ってくる耕平に、何度もたずねようとしたが、その言葉を飲み込んでしまう。
春菜の胸の中に暗雲がたちこめる瞬間。
そして、そのことから目を背けた。
穏やかな毎日が続いているかのように。
夕食後のかたづけをしていると、春菜の背中に耕平が声をかけた。
「春菜、明日休みだろ?」
「そうよ」
「お弁当、作ってくれる?」
「あら、ゼミで出掛けるの?」
「春菜と花見に行くんだよ。 もうすぐ満開だから」
もう、桜の季節。
花屋にいると季節感が薄くなる。
冬でもチューリップは咲いているし、バラも一年中、店頭で見かける。
いつのまにか、桜の季節が来たことも忘れていた。
「去年、約束したろ? 一緒に行くって」
耕平が店に飛び込んで来た日から、1年が過ぎようとしている。
月日の流れの中で、迷子になった気分だ。
確かなものなど、何もない。
ときおり、春菜が感じる居心地の悪さは、この不安定さに他ならなかった。
ひな鳥が親鳥から巣立って行くようにいつか、耕平も春菜の元から離れていくのだろう。
先のことなど、何もわからない。
ならば、「今」のいう時を大事にしよう。
何度、耕平と花見ができるか、わからないのならば。
近くの公園は、平日だと言うのに、花見客でにぎわっていた。
団体から少し離れたベンチに腰かけ、弁当を開く。
「一度、こういう花見をしたかったんだ」
無邪気に弁当をほおばる耕平の姿は、子供っぽい。
桜は、心を癒してくれる。
このゆるやかな時間が続くといい。
花びらが、ヒラヒラと舞い落ちる様に、春菜は、幸せを感じた。
近くの学校では卒業式が行われたらしい。
希望に満ちた顔が、舞う桜の中で輝く。
日も、どっぷり暮れ、冷たい風が二人を包む。
夜桜もまた美しい。
「ねえ、春菜? また、こうしてお花見ができるかな?」
「次の休みの時には、もう散っているわよ」
「いや……今年だけじゃなく、来年も、その先も」
春菜には答えられなかった。
耕平との生活を「愛」と呼ぶには、耕平は若すぎる。
学生の耕平とは、相入れない部分がありすぎる。
「どうだろうね……」
なんとなく笑って、その場をごまかした。
「実は……フィンランドに行かないって話があってね」
少しの沈黙のあと、耕平が言い出す。
「教授が俺を推薦してくれたんだ」
「すごいじゃない。 いつから行くの?」
「まだ返事はしていない」
しかし、その言葉の裏には、決意めいたものがあった。
それを、春菜は見逃さない。
「どうして? チャンスなんでしょ?」
「短くて1年。 長くなったら何年になるかわからない。 そうしたら……」
巣立ちの時が来た。
桜の花が連れてくる卒業の時。
耕平の未来への扉が開いたのだ。
春菜は、覚悟していた日が来たことを悟った。
「行くべきよ。 チャンスは逃したら、二度と来ないものよ」
「向こうに行ったら、春菜と花見ができなくなる」
「帰ってきたら、また花見に行けるでしょ?」
少し沈黙のあと、耕平は、きぜんと前も見据えた。
舞う桜に心が決まったのだろう。
「桜が咲くころに帰ってくるから」
「さびしくなるから、出発の日は教えないで」
「これでいい」……春菜は、心の中でつぶやいた。
「待っていてくれるよね?」
「ええ……待っているから」
その場をつくろうように、返事をする。
春菜は覚悟を決めた。
それが耕平のためなのだからと。
仕事の忙しさの中で、耕平の出発のことは、考えないようにした。
耕平も、特にそのことには触れない。
そして、出発の日。
仕事から戻った部屋は、暗かった。
いつもと変わらない部屋の中に、いつもと違う空気を感じる。
「耕平が巣立っていったのね」
耕平の置き手紙を読む前に、出発の日であると感じ取った。
「行かないで」
本当は、そう言いたかったのに。
どうせなら、笑顔で見送りたかったのに。
青い鳥が、春菜の手の中から飛び去っていく。
春菜へ
今日が出発の日だよ。
桜が咲いたら帰ってくる。
あの公園ので待っていてくれ。
必ず帰るから。
春菜は、窓の外を見つめていた。
暗い夜空に、青い鳥が飛んでいる様子が見えるようだった。