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Ⅴ.巣立ちの花

閉店間際に迎えに来ては、春菜の部屋で二人で過ごす。
そんな生活が「普通」になった。
ふらっと来ては数日、長い時は数ヶ月。
春菜を求め、またふらっと帰っていく。
「嵐みたいな人」
春菜の身体を駆け抜けていく耕平のきまぐれに振りまわされる。
振り回わされる自分に自分に嫌悪を覚えながらも、なす術がないかのように、耕平を受け入れている自分。
耕平との生活。
それは、春菜にとって、甘く不安定な生活。
やがて、耕平が春菜の部屋に住みつくまで、それほど時間はかからなかった。
どんなに疲れていても、耕平のために作る食事は、苦にならない。
時には、耕平が食事の用意をすることもある。
ささやかな幸せの時。
耕平との関係は、安定しているかのように思えた。
それでも、耕平が女の子を連れて歩いているのを、街で見かけたのは、一度や二度じゃない。
「きっと、ゼミの友達なんだろう」
春菜は、そう自分に言い聞かせる。
何事もなかった顔で帰ってくる耕平に、何度もたずねようとしたが、その言葉を飲み込んでしまう。
春菜の胸の中に暗雲がたちこめる瞬間。
そして、そのことから目を背けた。
穏やかな毎日が続いているかのように。
夕食後のかたづけをしていると、春菜の背中に耕平が声をかけた。
「春菜、明日休みだろ?」
「そうよ」
「お弁当、作ってくれる?」
「あら、ゼミで出掛けるの?」
「春菜と花見に行くんだよ。 もうすぐ満開だから」
もう、桜の季節。
花屋にいると季節感が薄くなる。
冬でもチューリップは咲いているし、バラも一年中、店頭で見かける。
いつのまにか、桜の季節が来たことも忘れていた。
「去年、約束したろ? 一緒に行くって」
耕平が店に飛び込んで来た日から、1年が過ぎようとしている。
月日の流れの中で、迷子になった気分だ。
確かなものなど、何もない。
ときおり、春菜が感じる居心地の悪さは、この不安定さに他ならなかった。
ひな鳥が親鳥から巣立って行くようにいつか、耕平も春菜の元から離れていくのだろう。
先のことなど、何もわからない。
ならば、「今」のいう時を大事にしよう。
何度、耕平と花見ができるか、わからないのならば。
近くの公園は、平日だと言うのに、花見客でにぎわっていた。
団体から少し離れたベンチに腰かけ、弁当を開く。
「一度、こういう花見をしたかったんだ」
無邪気に弁当をほおばる耕平の姿は、子供っぽい。
桜は、心を癒してくれる。
このゆるやかな時間が続くといい。
花びらが、ヒラヒラと舞い落ちる様に、春菜は、幸せを感じた。
近くの学校では卒業式が行われたらしい。
希望に満ちた顔が、舞う桜の中で輝く。
日も、どっぷり暮れ、冷たい風が二人を包む。
夜桜もまた美しい。
「ねえ、春菜? また、こうしてお花見ができるかな?」
「次の休みの時には、もう散っているわよ」
「いや……今年だけじゃなく、来年も、その先も」
春菜には答えられなかった。
耕平との生活を「愛」と呼ぶには、耕平は若すぎる。
学生の耕平とは、相入れない部分がありすぎる。
「どうだろうね……」
なんとなく笑って、その場をごまかした。
「実は……フィンランドに行かないって話があってね」
少しの沈黙のあと、耕平が言い出す。
「教授が俺を推薦してくれたんだ」
「すごいじゃない。 いつから行くの?」
「まだ返事はしていない」
しかし、その言葉の裏には、決意めいたものがあった。
それを、春菜は見逃さない。
「どうして? チャンスなんでしょ?」
「短くて1年。 長くなったら何年になるかわからない。 そうしたら……」
巣立ちの時が来た。
桜の花が連れてくる卒業の時。
耕平の未来への扉が開いたのだ。
春菜は、覚悟していた日が来たことを悟った。
「行くべきよ。 チャンスは逃したら、二度と来ないものよ」
「向こうに行ったら、春菜と花見ができなくなる」
「帰ってきたら、また花見に行けるでしょ?」
少し沈黙のあと、耕平は、きぜんと前も見据えた。
舞う桜に心が決まったのだろう。
「桜が咲くころに帰ってくるから」
「さびしくなるから、出発の日は教えないで」
「これでいい」……春菜は、心の中でつぶやいた。
「待っていてくれるよね?」
「ええ……待っているから」
その場をつくろうように、返事をする。
春菜は覚悟を決めた。
それが耕平のためなのだからと。
仕事の忙しさの中で、耕平の出発のことは、考えないようにした。
耕平も、特にそのことには触れない。
そして、出発の日。
仕事から戻った部屋は、暗かった。
いつもと変わらない部屋の中に、いつもと違う空気を感じる。
「耕平が巣立っていったのね」
耕平の置き手紙を読む前に、出発の日であると感じ取った。
「行かないで」
本当は、そう言いたかったのに。
どうせなら、笑顔で見送りたかったのに。
青い鳥が、春菜の手の中から飛び去っていく。
   春菜へ
   今日が出発の日だよ。
   桜が咲いたら帰ってくる。
   あの公園ので待っていてくれ。
   必ず帰るから。
春菜は、窓の外を見つめていた。
暗い夜空に、青い鳥が飛んでいる様子が見えるようだった。

( 2007/3/3 )

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