休みの日。
春菜は、街で見てはいけないものを、見てしまった気がした。
剛が若い女の子と、腕を組んで、歩いている。
その顔には、見覚えがあった。
いつだったか、会社の後輩だと、紹介してくれたっけ。
剛との関係が終わりに近づいているのは、春菜もわかっている。
ただ、その事を口にしなかったのは、別れる理由がみつからなかったからだ。
会って、食事をして、ホテルに行く。
それが、約束の様に繰り返される。
テーブルを挟んで、剛と無言の時間を過ごした。
すれ違いを感じる様になったのは、いつからだろう。
サラリーマンである剛とサービス業の春菜では、勤務体制も休日も異なる。
それでも、春菜は、剛に合わせて、休みを取ったりした。
耕平との逢瀬が、剛との時間と色褪せたものにしていく。
剛が「結婚」を口にした事もある。
その度に、返事を濁す。
そして、いつしか、春菜から連絡をする事は無くなっていた。
「潮時なのかな?」
春菜の心の中に浮ぶ、別れの「予感」。
次に会う時は、別れを切り出さなくちゃ、無気質な関係が長びく前に。
それが、こんな形で訪れるなんて。
仲睦まじく微笑む二人の姿から、春菜は目を反らした。
「春菜!」
剛が気がついた。
驚きの表情を隠し、取りつくろう姿が痛々しい。
春菜も、耕平との一夜に裏めたさを感じていない訳じゃない。
気まずい空気が、二人の間に流れた。
バツの悪そうな、それでいて、どこか開き直った笑顔で、剛が隣に居る彼女を紹介する。
「前に紹介したよね。 涼子だ」
「こんにちは」
春菜は、せーいっぱいの笑顔で答えた。
顔がひきつっている。
そう感じているのは、春菜だけなのだろうか?
「11月に結婚する」
剛の言葉に春菜の中で、何かがはじけた。
終りと言うものは、あっけないもの。
「おめでとう」
社交辞令が、機械的に口から出た。
彼女が、剛に小声で耳打ちをする。
それに軽く肯いて、「春菜……」と、言いにくそうに剛が切り出した。
「お願いがあるんだけど……」
今更、何を頼むと言うの?
春菜の心に、悪意が満ちた。
「涼子のために、ブーケを作ってくれないか?」
「私がブーケを?」
「いつか見せてくれた、桜のブーケ」
桜のブーケ?
春菜には、何の事だか理解出来なかった。
そう言えば、急に入った注文で、剛とのデートを断って、徹夜でブーケを作ったっけ。
でも、桜の花を使ってはいない。
「図々しいお願いは、わかっています」
彼女が、遠慮がちに、だけときっぱりとした口調で言う。
「お写真、見ました。 私……どうしても、あの桜のブーケがいいんです。 シンプルだけど、奥が深くて」
やっと、二人の話が飲み込めた。
桜をイメージして作ったブーケの事を言っているのだろう。
ピンクスターとかすみ草だけで、満開の桜をイメージして作ったブーケ。
春菜の作るウェディングブーケは、オリジナルのデザインで、評判も良かった。
あの時も、友達の結婚式で見た春菜のブーケを気に入って、わざわざ注文してくれたものだった。
ドレスと本人のイメージに合わせた、シンプルで、それでいて個性的なデザイン。
それが春菜のブーケだ。
かつての恋人の結婚に、ブーケを作るのは、お人好しすぎるとも思った。
だけど、フローリストとして、最高の評価を受けたと言ってもいい。
「喜んで、作らせてもらいます」
その言葉に、幸せそうにはにかんだ姿の彼女に、軽い嫉妬を覚えるが、心は晴々としていた。
結婚式を翌日に控えて、春菜は、徹夜で作業する。
耕平が暖かいコーヒーを入れてくれた。
「桜のブーケか……」
物珍しそうに見ている。
「春菜には、どんな花が似合うのかな?」
「私?」
「春菜は、桜その物だから、ブーケは必要ないか」
小声で呟く耕平が春菜は可笑しかった。
「私には、必要ないわ。 結婚しないから」
「どうして?」
「そんな予感がするだけよ」
大学生の耕平には、「結婚」と言う言葉は、無縁な物だろう。
また、仕事に没頭する春菜を耕平はじっと見つめていた。
11月、晴天の日。
剛と涼子が多くの祝福を受ける。
祝福客の中には、春菜の姿もあった。
教会の入り口で、フラワーシャワーを浴び、幸せそうに微笑む花嫁の姿。
その手から、桜のブーケが、宙を舞った。
ブーケトス。
花嫁の投げたブーケを手にしたものが、次の幸せな花嫁になると言われている。
澄みきった青空に、季節はずれの満開の桜が舞う様だった。
そのブーケをキャッチした女の子の頬が桜色に染まる。
春菜は、自分の仕事に誇りを感じた。