ボトックス リサイクルトナー

Ⅵ.桜花

耕平が旅立ってほどなく、春菜は自分の店を持つことになった。
老夫婦がやっている店の後継者にと、市場の中卸人から話を持ちかけられたのだ。
毎月の家賃と改装費用の負担。
店の一部に自分達のためのスペースの確保。
この条件さえ満せば、店の改装も自由であり、春菜の思い通りにしても良い。
立地条件も良いし、春菜は店の広さが気に入った。
この広さで、提示された家賃は破格に安い。
悪い話ではない。
広い店舗は、春菜のキャンバスとなった。
イギリス的なコテージ風の店がまえ。
店内を6畳ほどの4つに区切り、外には広めな作業場を。
それが春菜の描いた青写真。
喫茶を兼ねたコミュニティスペースを中心に、単なる花屋が開く生花やアレンジ教室ではなく、"サロン"を作りたいと語った。
「外の作業場がおじさんのスペース。 ここで、子供達にガーデニングを教えてほしいの」
「華道師範のおばさんには、生花教室」
子供のいない老夫婦は、春菜を気に入り、春菜に協力を惜まなかった。
自宅部分を含め、大がかりな改装を提案し、その費用のほとんどを負担すると申し出てくれる。
春菜にとって、これ以上のない話である。
春菜のオープンに向けて、一つ一つ夢を実現させていく。
工事の打ち合せやディスプレイ用の家具の見立て。
仕事の合間を縫うように、休みを利用して、自分でできることは、なんでも自分でやる。
作業場を含めた庭の造園や雑貨や資材の仕入。
雑貨類も市販のものではなく、手作りのオリジナルを揃えるようにした。
全て、春菜が「いつか自分の店を持てたら」と構想を練っていたものばかりだった。
桜井夫妻も、新しい生き甲斐を得たとばかりに、春菜のために働いてくれる。
今日も、桜井夫人と雑貨作りに余念がない。
「ねえ、春菜ちゃん? そろそろ、お店の名前を決めないと」
「おばさん、もう決めてあるわよ」
外の作業から桜井氏が戻り、話に加わった。
「ほう。 春菜ちゃんだから、すてきな名前にしたんだろうね」
「おうか」
「おうか?」
桜井夫妻は、互いに顔を見合わせた。
「桜井の"桜"と花屋の"花"を合わせて、桜の花と書いて"おうか"と読むの」
「すてきな名前だね。 春菜ちゃん」
「でも、私達に気を使わなくていいのよ」
「ううん、おばさん。 私、桜の花が好きなの。 だから、おじさんとおばさんの名字が桜井と聞いて、運命的だと思ったわ」
「桜の季節がくると、ホッとするな」
耕平の好きだった桜の季節がまた来る。
開店準備に追われ、耕平がいなくなった寂しさも感じている間もなかった。
もうすぐ、耕平が旅立ってから1年が過ぎようとしている。
耕平は元気なんだろうか。
「ねえ、おじさん。 イギリス風の庭には合わないかもしれないけど、桜の木を植えたいわ」
「わしも、同じことを考えていたよ」
「今、植えたら、オープンの頃に花が咲くかしら? お父さん?」
「大丈夫だよ。 作業場の近くなら良く似合うし、たくさんじゃないけど、花も咲くだろう」
また夢が叶う。
「春菜ちゃん、お茶にしようか?」
桜井夫人が、日本茶と茶菓子を持ってきた。
ビーズ細工やステンシル。
この日のためにと、春菜は一通りの手芸をマスターしておいた。
細かい作業だが、苦にはならない。
「おばさん、このコースター、すてきね。 手織りでしょ?」
「若い時に、草木染に夢中になってね。 初めて、タマネギの皮で染めた糸を織ってみたのよ」
「おばさん。 草木染の教室も開きましょうよ。 草木染の商品も置きたいわ」
「明日から、また忙しくなるわね」
「早速、桜の苗木を探してこよう」
春菜の描いていた夢が実現していく。
疲れた体を引きずるようにして、アパートに戻ると、絵ハガキが届いていた。
耕平からのエアメールだ。
  春菜、元気ですか?
  俺は、ヘルシンキの大学で研究を続けています。
  春菜から手紙が来るのを待っていたけど、住所を教えていないことに気がついて、慌ててこのハガキを書いている。
  フィンランドは、サンタクロースの国として有名だから、街中がクリスマスだよ。
  でも、日本じゃ考えられないくらい寒い。
  北欧でも桜は咲くらしい。
  今から楽しみだ。
  また、春菜と花見がしたいよ。
忙しさで、季節が過ぎていることさえ、忘れていた。
また、春が来る。
桜が咲く季節が来るんだ。
桜の花と一緒に、"桜花"も花開くといいな。
店がオープンしたら、写真を送ろう。
そして、春。
桜の開花がニュースで流れるころ、春菜の店"桜花"がオープンする。

( 2007/3/28 )

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