清香と知り合ったのは、偶然が重なった結果だった。
夏の夕方、突然降り出した雨。
店に出るためにタクシーを待っていると、ずぶ濡れになっている女がいた。
どしゃぶりの中、要領が悪くて、一向にタクシーをつかまえられない、制服姿の清香。
しかし、会社の制服ってのは、若い子向きなんだな。
「お局さま」と呼ばれるような歳の清香には似合わない。
濡れのねずみのように小さくなって、灰色の空を見上げている。
そんな清香が気の毒だった訳じゃないが、放っておけなくて、タクシーを無理やり止め、押し込んだ。
二度目は、駅の券販機の前。
普段は、タクシーでの移動が多い俺だが、客との店外デートは、電車を利用する。
車を持っている素振りも見せない。
中には、車をプレゼントしてくれる客もいるさ。
だけど、車内という密室で、女と二人きりになるなど、俺には耐えられない。
下品な香水の臭いには、胸くそが悪くなる。
まるで、お袋みたいだ。
金のためじゃなかったら、相手にはしたくない。
それでも、俺は愛想を振りまかなくちゃならない。
東京の道路事情を考えれば、それも納得できるだろ?
渋滞の中で、香水のむせぶ車内は、『おことわりさ』って言う俺の気持ちがさ。
オフィス街の大きな駅で、切符一つ買うにももたついている女。
あげくに、小銭を落して、オロオロしている。
それが、清香だった。
100円玉が一枚、俺の足元にころがってきた。
それを拾い、手渡すと、ホッとしたように、清香が顔をあげる。
「あっ、あなたはあの時の……」
私服姿の清香には見覚えなどない。
「あの時は、ありがとうございました」
ペコリと、頭を下げる清香。
「あの時って?」
「銀座で夕立ちに降られちゃって、タクシーが止められなくて……」
ああ、あの時の女か。
女って奴は、着るもので、こんなに変わるものなのか?
スーツ姿の清香は、制服姿の時より、ずっと地味に見える。
「あの時、もう少しで大きな商談がご破算になるところでした。 助かりましたわ。 本当にありがとうございます」
「いや、気にしないで」
「改めて、お礼をしたいのですが、ご連絡先を教えていただけませんか」
「お礼をしてもらうようなことではないので、どうぞ、お気使いなく」
たかが、タクシーを拾っただけで、大袈裟な女だ。
「申し遅れました。 私、篠宮清香と言います。 今日は急ぎますので、こちらに連絡を下さい」
清香の勢いに負け、差し出された名刺に受け取った。
有名な会社の社名が印刷されている。
「お名前だけでも」
「僕ですか? 僕は、三笠です」
「三笠さん、必ず連絡下さいね」
そう言って、清香は走っていく。
名刺を見ながら、不思議な気持ちになった。
その夜。
清香と同じ会社の女たちが、客の中にいた。
俺は、なにげない振りをして、清香のことを聞いてみる。
清香に興味がある訳じゃない。
別れ際の不思議な感覚が、うっとしかったのだ。
「ねえ、営業に篠宮さんって女の人、いるかい?」
「あら、恭介さん、篠宮さんのこと知っているの?」
「いや、定期入れを拾ったからさ」
女たちは、嘲笑うように。
「相変わらず鈍くさいおばさんね。 ふふふ」
「ホント。 どうしてあの人が、営業トップなのか、わからないわよね」
「ふーん、営業成績がトップなのか」
「そうなの。 総合職なのに、いつも私たちと同じ制服着てて、嫌味な感じ」
「あんなおばさんじゃ、体を武器にしたって商談なんてまとまらないのにね」
女っていう生き物は、同性には手厳しい。
営業成績トップっていうのは意外だ。
一体、どんな女なんだろう。
改めて、俺は清香に興味を持った。
「私たちが、その定期入れ、届けましょうか」
「いや、いいよ」
「まさか、恭介さん、篠宮さんに興味があるんじゃ?」
「やーだ。 恭介さんが、あんなおばさんを相手にするわけないじゃない」
「それも、そうね。 きゃははははは」
「まあ、気を取り直して、お嬢さま。 もう一度乾杯しましょう」
女は単純だ。
ちょっと、笑顔を向けるだけで、上機嫌になる。
次の日、俺は、名刺の番号に電話をした。
電話口に出たのは、別人のように凛とした声の清香だった。
「三笠ですが、ずうずうしく電話をしてしまいました」
『まあ、ほんとうに連絡をくれたんですね』
ここでも、清香に勢いに負けて、次の非番の夜に、会う約束をした。
清香の勢いには、女の扱いに慣れている俺でも一瞬、気遅れする。
本当に、清香は不思議な女だ。